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2004/08/07

雪渓崩落

先日(8/2)、新潟で雪渓の崩落事故があり3人の方々がなくなられたというニュースがあった。
これを聞いて思い出したのはA君のことだ。

僕は生まれは名古屋だが、中学二年になるときに神戸に引っ越してきた。A君も同じころにどこかから転校してきたが、クラスは一緒になったことはないし特に親しかったわけでもない。しかし進んだ高校が同じだったし、その中学からの入学は少なかったので、高校では顔をあわせれば挨拶程度はしていた。なんとなく同じ中学へ転校し同じ高校に進んだという仲間意識のようなものもあったように思う。

教科書を忘れたときに彼に借りたことが一度だけあるのがまともに話した最初だったと思うが、その時の彼の笑顔と姿は今でも鮮明に覚えている。

高二になると修学旅行だ。以前は九州などのありきたりのものだったが、その年から信州での自然を体験するということで登山と飯盒炊爨ということになった。当時の高校としてはかなり画期的なことだったらしい。そのためにテレビ朝日だったかどこかのテレビ局が取材に同行することになった。

秋、九月だったか、もう30年以上前なのではっきりしないが、集合は大阪駅だったと思う。朝早く、自宅から一番近い国鉄(今のJR)灘駅まで歩いていくとA君も来ていた。僕は学生帽が好きではないのでかぶってなかったし持ってもこなかったが、彼は結構固いところがあり、「帽子かぶってこな、あかんやん」と一言いった。一緒に大阪へ向かったという記憶もないので、それぞれに別の車両に乗って大阪に向かったのだと思う。

それが最後だった。

修学旅行は大阪から一旦日本海側に抜け、糸魚川からフォッサマグナを南下するコースだ。白馬山系のふもとで2~3泊程度だったと思う。生徒は二つの班に分かれ、僕の班は最初の日は雪渓付近の川原で飯盒炊爨、A君の班は八方池まで登山、翌日はコースが入れ替わるというものだった。

日ごろ六甲山系を間近に生活しているだけあって、登山や飯盒炊爨はお手のものの生徒が多い。だから全ては楽しく滑らかに進行していった。初日の夜、全員がそろってキャンプファイヤーを楽しんだ、あの舞い上がる火の粉もよく覚えている。

二日目はコースを入れ替えて、僕らは八方池まで登山だった。ただおかしなことは登山の途中から持っていたカメラがどうも写る気配がなくなりいくらシャッターを押してフィルムを巻いてもフィルムが終わりにならなかったことだ。

下山の最後はケーブルカーで降りて来たと思うのだがそのケーブルの柱の下に、一年のときの担任だったS先生が頭をかかえてうずくまっていた。その様子がただ事でないことは一目で分かったが、それが何なのかは知る由もない。

A君を含む3人の生徒が雪渓の下敷きになったのを聞いたのはそのしばらく後のことだった。雪渓の下に入り込んで記念写真を撮っているときに雪渓が崩落したのだという。一番外側にいた一人はかろうじて助かったというのも先日の事故にそっくりだった。

後で聞いた話では、参加していた生徒たちはみなで指から血が出るまで雪渓を掘り返そうとしたという。みな悔しくて仕方がなかったろう。

その翌日だったと思うが現地で簡素ながらとりあえずの葬儀が行われた。たまたま同学年だった麻耶山天上寺の息子さんと仏教大出身という英語の先生がお経を唱えている姿や、泣き崩れる女生徒を抱きかかえて連れて行く周りの生徒たちを、何か別世界の不思議な光景のように眺めていたのが思い出される。

その後はとにかく神戸へ帰らなければならないので、予定の道程に従って信州から名古屋や京都を経由して帰ったはずだが記憶は山の中を走る列車内と大阪駅に着いて解散したときのことしかない。

神戸へ帰ってしばらく後にA君の葬儀があり他の生徒たちと参列したのだが、A君が兄と母の3人の母子家庭だったのを知ったのはそのときだった。

特に親しかったわけでもないのに、何も考えているわけでもないのにただただ涙がとめどなく流れたのはあの時が最初で最後だったように思う。

僕のカメラは結局途中から何も写っていなかったが、それが何かの知らせだったと思うのは考えすぎだろう。

僕よりずっと礼儀正しく、ずっと成績もよく、生きていれば東大か京大でもいって一流企業に勤めるか学者になるか、はたまた医師になって親孝行もできただろうに。

人生も半世紀を過ぎてみると色んなことがあったが折に触れ思うのは、A君があの時に亡くなり、そして僕がこうして生きているのは何なのかということ、そして生かされているありがたさを感じると共に自分の生きる意味を時には考える。

この修学旅行は、先にも書いたように当時の高校としては画期的ということで、TV局が高校生の修学旅行を目的として最初から取材に同行していたため、その後特別番組として報道された。

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 <初日の飯盒炊爨の帰路での、もう黄ばんでしまった記念写真>
この中には、やはり中二のときに転校してきて同じ高校に入ったN君がいる。お互いに当時はやったモダンフォークが好きで、彼のガールフレンドと3人でPPM(Peter, Paul & Mary)もどきのバンドを組んだこともある。高3あたりから疎遠になってしまったが、スポーツ関係の記者になり記事も多く書いていたと聞く。交通事故で亡くなったという噂を聞いたが事実かどうか、確かめられずにいる。

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