やまと言葉と漢字
今日の日経夕刊のエッセイに、「卵を生む」はおかしい、「産む」が正しいのではないかという話があって、「卵が生まれる」「卵を産む」と使い分けるのが本来の用法のはずと書き出している(日経新聞 あすへの話題 日高敏隆)。
日高氏が辞書を調べてみたところでは、結局はどっちでもいいようなことになっていて、「ひょっとすると、産むの受身形「産まれる」が「生まれる」と同じことになるのだろうか?そんな気もしないではないが、なんだか変である。」となり「かなりいいかげんなところもあるのだな。」と結んでいる。
しかし僕が思うには、本来の日本語=やまとことばはもっと単純だったのではないんだろうか。「聞く」と「聴く」などは「きく」という概念が一つしかなかったところに漢字が入ってきて二つの「きく」を区別するようになったに違いないと常々思っていたんだけど、同様に「産む」も「生まれる」も言葉の概念としての区別はなかったと考えるのだ。
丁度また今日、たまたまかけっぱなしにしていたNHK教育TVでみた「趣味・時実新子の川柳」でも、「なく」に「泣哭鳴啼」、「笑う」に「笑嘲哂呵(ちょっと違ったかも)」という概念の区別の話がでてきたのだけど、これらもやまとことばとしては「なく」、「わらう」という語がすべての意味に使われていて細かな区別はなかったのではないかと思うな。
実際のところ、話し言葉つまり会話でそのような漢字による区別をしてこうした語を使っているのかどうか、僕はあまり考えていないと思うんだけどね。
こういうことは金田一先生にでも聞くといいんだろうな。しかし金田一先生は明治の春彦氏、先ごろお亡くなりになった京助氏、現在ご活躍中の秀穂氏まで三代続けての言語学者なのですね。漫画「金田一少年の事件簿」に「じっちゃんの名にかけて」という決まり文句があるけど、まったくそのまんまですねぇ。
ところでこんなページをみつけましたが、いやはやこんなところまで気が回りませんね。
もし皇族の方とお寿司を食べる機会があったとして、醤油がその方の前にしかないとき、どれが正解?
「醤油をとってくださいませんか」
「醤油をとってもらえませんか」
「醤油をとっていただけませんか」
「醤油をとっていただけませんでしょうか」
「恐れ入りますが,醤油をとっていただけませんでしょうか」
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