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2004/10/31

Picasso vs. Pollock

しばらく音楽ネタばかりだったので、別のトピックを書いてみよう。

もう先月のことだが、CATVで"Surviving Picasso"という映画を見た。ピカソ役はAnthony Hopkins、相手役のフランソワはNatascha Mcelhone、しかしピカソの映画というよりはピカソをめぐる女性をフランソワを中心に描いているというべきで主役はフランソワだろう。ピカソに振り回される女性たちの中でフランソワは自立していく、ということなんだがどうもHopkinsが中途半端かなぁ。

ピカソといってもその作品は色々と見たものの本人は写真で見た程度しか知らないが、Hopkinsって人はなんかアクが強くて結局Hopkinsにしか見えないし、彼のピカソはどうも画家っぽくない。絵を描くシーンはほとんどないし、創作とか制作をする画家という雰囲気が希薄だ。

結局はこの映画はフランソワを中心にピカソに群がる女性を描いた、という程度の中途半端な恋愛映画の域を出ていないと思う。他の女性たちも類型的(ステレオタイプ)で魅力に欠ける。肝心のHopkins扮するピカソなんか単なる狂言まわしにすぎないなぁ。

それに比べると、Ed Harrisが主演の"Pollock(邦題「ポロック 2人だけのアトリエ」)"はかなり味が違う。この映画は勤め先の取引先(前回の記事の米国人はその会社の方)が少々関係しており、昨年そのビデオをいただいたものだ。だから、字幕も吹き替えもないから結構分からないところもあったが大体の筋は理解できたと思う。

ここでも女性が重要な役割を担っていて、Pollockを支えるLee Krasner役のMarcia Gay Hardenが相当によい。二人の出会いから彼女に支えられてPollockは独自のスタイルを確立するが、やがて破滅にいたる、と、こう書いてしまうとすごく類型的なストーリーなのだが、これをしっかりしたものにしているのはやはりEd Harrisが徹底してPollockを研究しているからだろう。

彼はこの映画の構想を10年くらい温め、その間にPollockもどきに絵を描くという練習を相当にしたらしい。だから彼が絵を実際に描くシーンが多く出てくるし、その描き方も素人目に見ると相当なものだと思える。ただ映画のシーンにもあるが、Pollock本人が制作過程を画像に記録しているので、本物を見たその道の人に言わせると、まだまだ甘いらしい。

さて、Surviving PiccasoとPollockの大きな違いはやはり何が主題なのかという辺りではないかと思う。Ed HarrisはあくまでPollockの芸術=生き様を描こうとし、それを中心に人間模様が展開するのだが、Hopkins-Picassoは恋愛映画、よく言っても自立する女の映画の題材にPicassoを選んだだけになってしまっているというところだろう。

Harris-Pollockは、Harris自身が芸術を創作する人間になりきろうとしてPollockと一体化し成功しているが、Hopkins-Picassoは狂言まわしのHopkinsを無理にPicassoに似せようとして部分的にはそのようにも見えてもほとんどは失敗している(・・・と思う)。

さて、Pollockは主演のHarrisが監督だが、Surviving Picassoの製作に参加したDavid L.Wolperという人は"Imagine/John Lennon"というドキュメンタリーの製作にも参加しているそうだ。

ImagineはLennon本人を取材した完全な伝記的ドキュメンタリーだが、それ風映画として比較してみたいのが、Angelina Jolie扮する"Gia"とWoody Allenの”Sweet and Lowdown(ギター弾きの恋)"、だけどこれはまたの機会にしよう。

pollock-s.jpg
  POLLOCK 米国版ビデオ

Lee KrasnerはPollockの死後、若手芸術家育成のためにPollock-Krasner Foundationという基金を創設したが、数年前に取引先の方と一緒に来日し僕が同行させていただいたJackie Battenfieldさんは、この基金のPollock-Krasner Foundation Grant in Paintingを受けられた。来日した際にいただいた彼女の小品を僕のサイトに掲載している。

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2004/10/30

Jazz Rock: Fusion おまけ

ここのところ、Jazz Rockから始まってFusionとは、という話を書いていたおまけの話。

毎年、この時期になると米国から取引先の方が来日してあちこちで講演をされる。専門用語が多いとか、僕以外には多少なりとも英語が話せるものがいないなどで、いつも僕がお供をして通訳代わりをするのだが、今年も先週から来日されている。今週は木曜日まで東京での活動に僕がお供していたのだが、夕食を一緒にした際のこと、いわゆる居酒屋にいったのだが、内装などは一見スペイン風だったり(スペイン語らしき言葉も書かれていたり)するのだが、メニューは韓国あり、日本あり、何だかよくわからない。

で、このレストランを称して彼、のたまうに "What a fusion restaurant!"

ついでにいくつか:

「数の子」の食感は、crunchy

講演会場から駅までの道は覚えているかい、大丈夫かい、と聞かれ、"maybe"と答えたら、"I think so."といったほうがいいといわれた。maybeは"maybe yes, maybe no"で半々、お客さんに対しそんな答え方はよくないよ、ということだった。ま、毎年のこととて、そうした忠告をしてくれる位には親しいんですけどね。

僕のことを評して giddy、辞書には「軽薄な, ふまじめな」なんて意味しかないんだけど、悪い意味じゃなくていい意味で使うというが、どうもよく分からないなぁ。

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2004/10/24

Jazz Rock 番外:赤松氏からのコメント

以前にちょっと書いたのですが、10/6にジャズ・ヴァイビストの赤松敏弘氏の「ヴァイブクリニック in 大阪」に参加しました。クリニックの内容はJVAのサイトに企画されたJVAメンバーからのレポートがアップされています(ずっとアップされているわけではないらしいけど)。

赤松氏は四国の松山出身で中学からvibを始められ、バークリーでGary Burtonに師事し、現在4本マレットのJazz Vibistとして最も注目され活躍されている方です。

その赤松氏からクリニックの後、丁寧なメールをいただいた上にFusionについて主に前回の記事に関連してコメントまでいただきました。そこで氏の了解を得て一部をここに掲載させていただきます。という次第で今回は「です、ます」調の丁寧表現にしています。

<引用>
(前半略)
補足しますと、テネシー・ファイアー・バードの半年前(1966年4月)に録音されたThe Time MachineというアルバムがゲイリーのFusionの原点かもしれません。この作品はレコーディング技術を駆使したオーバーダビング(当時としては珍しい録音テクニック)でヴァイブの他にピアノやマリンバまで重ねています。(メンバーはスワロウとバンカーの三人)マイク・ギブスの曲ではテープの逆回転から倍速再生まで使っています。融合という意味でこの二つのアルバムは対極を成すものでしょう。

僕は最初に「サイケデリック・ワールド」と題された67年のLofty Fake Anagramから前後にアルバムを聴き始めました。(ラリー・コリエルを追っかけて聴いたのは69年の事です)
四国の松山で、よくこういうレコードが手に入ったものだと思うでしょうが、意外と市内にはジャズ喫茶が12~3軒あり案外とジャズは身近だったのです。
その頃に受けた刺激は今日でも忘れる事がなく、ジャズは常に融合を繰り返す音楽だと認識しています。そうでなければ東洋の日本人が本気で手を出せる音楽ではないと思えるからです。
根底にあるのは、同じコードを弾いても僕らは東洋人の感性を感じる事が出来るから面白い!!なのです。ゲイリーが僕らの演奏をこよなく愛してくれるのも、自分のそっくりさんではない個性を感じてくれるからだと思っています。

Fusionという音楽の認識は人によって解釈に大きな違いがありますね。述べられている通りです。
定義を持たないものであればFusionと考えると、ECMもJazz&RockもFusionと言えますね。
(中略)
Jazz&Rockは融合という部分で有機的に行われたものとセールスを意識してビジネス的に行われたものが混同していますね。それを見ると出発点は全て60年代のコルトレーンの頃からかもしれません。今日国内ではFusionと言うとある特定のリズムを伴う音楽を演奏するバンドの事と受け取られますが、ミュージシャン側ではジャズをルーツとした融合音楽全てを示す点で温度差があるのが残念で、アメリカではミュージシャン側の意識である程度見解が統一されている点が異なります。
ミュージシャンもいろいろです。リスナーもいろいろです。だから、ただ「いろいろ」と言ってたのでは音楽で路頭に迷ってしまいますから、自分の所在を明確にする時代だとも言えます。

個人的な事を述べると、自分が音楽を意識するようになった時期からの影響をまとめて行くように思えます。なので自分が生まれる以前の音楽に関しては興味が沸かないと言ってもいいんじゃないかと思っています。但しクラシックのように時代を超えてもその時代の響きが頭の構造が異なる時代に残る物を除いて。チャレンジと共にこれから自分の向かうべき方向がゆっくり見えて来てもいいんじゃないかという気がしています。

スリー・ブラインド・マイスというレーベルに移った時に周りから意外だと言われました。70年代に日本の一つのレーベルとして築かれた印象が今日も消えないのでしょう。しかし、ある意味で唯一ECMと同じワンマン社長による経営で成り立った数少ないジャズ専門レーベルが現在も存続する為には、かつてそれを耳にしていた僕らがアイデアを齎す順番になったという事だと思っています。それはレーベルの根底にFusionというものが感じられたからなのです。次作の次はわかりませんが、Fusionというもので成り立つ僕らが感じるジャズをもう一つココで描こうと思っています。
まぎれもなく僕らはFusion世代なのです。

あかまつ
<引用終わり>

Jazzを真摯に追求されているミュージシャンの考えが心に響きます。僕がこれ以上に書くことなどできもしないし何もありませんが、最近、仕事上で色々と世知辛いことが多かった中で、赤松氏の、「ジャズは融合を繰り返す音楽」、「自分の所在を明確にする時代」、「まぎれもなく僕らはFusion世代」などの言葉に何か見失っていた自分のアイデンティティーを思い起こす気がしました。クリニックでもそうでしたが、コメントからもたくさんのエネルギーをいただいた気がします。超多忙と思われるのに、ご丁寧なメールを何度もいただいた赤松氏に重ねて感謝しています。

time_machine-s右はアルバム "The Time Machine" 完成度の高いアルバムですが残念ながらCD化されていません。ヴァイブを始めた頃、このジャケットをみて4本マレットの持ち方を研究したことがなつかしく思い出されます。赤松氏も同じように研究されたそうです。今の時代はあらゆる情報が簡単に手に入り便利になりましたが、限られた情報から自分で工夫していくということがなくなってきたという気がします。

RCA時代は最もバートンらしいアルバムが多いと思います。ジム・ホールらと共演した "Something's Coming"も是非CD化してほしいアルバムです。

さて、赤松氏のサイトにある音楽体験記-2を読んでびっくりしたのは、僕が初めてGary Burtonの公演を聴きにいった1975年だったか、大阪サンケイホールでのコンサートに何と赤松氏も来られていたのでした。ずいぶん昔に近接するもこの歳まで遭遇せずというのか、何とも不思議な気がします。このコンサートの状況は実はNiftyServeのJAZZフォーラムに書いたことがあるので、いずれまたここに掲載したいと思います。

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2004/10/18

Jazz Rock 最終章 Tennessee Firebirdの巻

ずいぶんとほったらかしていたが、Jazz Rock-Fusionについて。かなり長文です。

Jazz Rockは結局Fusionに行き着き、それはJazzの電化という認識が一般的なのだろうが、僕が聞いてきた70年代のJazzというと必ずしもそうではなかった。その典型例がECMレーベルだろう。電化にはやはりギターが欠かせないだろうが、ECMにはいわゆるFusionの旗手といえるようなPat Methenyが色々吹き込んでいるし、Jacoが参加したりもしている。

しかし例えば John Abercrombieとか Terje Rypdalなどというと、いわゆる世間でいうFusionとはちょっと違ってくるんではないか(Rypdalなんてかなりマイナーかな)。ECM的音楽というのも70年代に一つのジャンルといっていいくらいに(一部だったかもしれないが)定着ていた。かの(どの?)パソ通NiftyServeのJazz Forumには「倶楽部ECM」なんて部屋が作られていたくらいだ(いや、まだありますけどね)。

一般的にJazz→Fusionと考えるとLarry CarltonとかLee Ritnerなんかではなかろうかと思うが、ECM系やWindham Hilllなんてレーベルはそれとはちょっと違う方向を指していた。

それからRalph TownerやEarl Klughも挙げられる。この二人、方向はかなり違うがどちらも電化というのとはちょっと違うと思う。ついでにといっては失礼だが、Egberto Gismontiなんて名前もだしておこう。

Weather Reportなどが電化を進める一方でこうしたどちらかというと従来のフリーの系統やクラシック、アクースティック(アコースティックと書いて怒られたことがあるので)な志向というのも70年代のJazzにあったのは確かだ。

その典型がKeith JarrettのソロだったりChick Corea/Gary Burtonのデュオだったり、そしてこれらを推し進めたのはやはりECMだった。CoreaなんかはElectric BandとAccoustic Bandを二つ作って両刀使いをしている。

ちょっと話はそれるが、Miles Davisの電化というとBitches Brewがまず挙げられるが、これは69年、そしてこれ以降はマイルスは特に代わり映えしないという意見も多い(僕もその一人だが)。しかしこのときのメンバーの多くがその後のJazzシーンを牽引しているはすごいといえる。

で、このようなECM系路線はFusionといえるのかどうか、という問題があるがその当時を振り返ると、僕はあまりそんな区別を意識して聞いてはいなかった。ただWeather Reportは初期を除いてはロック路線という意識がどこかにあってほとんど聴かなかったとか、ECMでもMethenyタイプはいわゆるFusionといえるかも、とか、これも自分の思い込みだろうが。

さて、以前のお約束のGary Burtonの言葉を借りてみよう。BurtonにはJazz Rock路線になる"Duster"の前に"Tennessee Firebird"という66年吹き込みの超マイナーなアルバムがある。そのCD盤に彼の言葉がいくつか載っていて面白い。ただし全部訳していると超長文になるので、原文と簡単な説明だけにしよう。

tennessee_firebird.jpg
アルバムTennessee Firebird、まだ眼鏡姿のBurtonが初々しいか?

"I was with Stan Getz at the time," he explains. "And you could say I was leading up to starting my own band and going out on my own. I was at that phase of my career where you're experimenting and looking for identity and so on. And I had admired the way that Getz had taken Brazilian music and mixed it with his jazz background and come up with a hybrid kind of music that had both been popular with the public and also had been a real good muical amalgam."

つまり新しいことをしようと考えたときに、当時一緒だったStan Getzがボッサノヴァとジャズを融合して一世を風靡していたのを参考にしたということだ。ただしここではhybdridとかamalgamなどという表現を使っている。

This idea took him back to his old stomping grounds in Nashville. "I said to myself, the other kind of music I had a close familiarity with is country music having met a lot of the country guys when I lived there briefly, and so on. I'd always seen a lot of correlation between the instrumentalists in country music and jazzplayers."

Burtonを見出したのはカントリー系のギタリスト、Chet Atkinsだが、そのつながりがあるのかどうか、自分になじみのある音楽は一時期住んでいたナッシュヴィルのカントリーミュージックだと考え、それをジャズと融合させようと試みたわけだ。ちなみにAtkinsはかのThe BeatlesのGeorge Harrisonも影響を受けたというギタリストだが、Burtonが何人ものギタリストを発掘したのも彼の影響があるかもしれない。このTennessee Firebirdにももちろん、参加している。つまりこの頃からすでにBurtonは他種音楽との融合ということを考えていたわけだ。

Within a year Burton organized his own Quartet with Haynes, Swallow and jazz-rock guitarist Larry Coryell and pioneered the entire concept of jazz-rock fusion, continuing the concept in the 1970s with progressive guitarists like Pat Metheny and Mick Goodrick. Today jazz-rock is an accepted (if not always successful) part of the pop music mainstream.

Tennessee Firebirdのジャズメンバー(Roy Haynes, Steve Swallow)をそのままにLarry Coryellを入れて新しいジャンルを切り開くわけだが、その発端がこのアルバムだったということのようだ。続いて彼のFusionに対する言葉があるのでこれは訳しておこう。

"By the early 70s (fusion music) was all over the map," he says. "Classical people were doing jazz records and jazz people were playing with anything and everything and the idea of letting things overlap and interact had become very 'in'."
「70年代初頭までにはフュージョンミュージックは(音楽)地図のそこらじゅうにあった。クラッシックの人々はジャズを録音し、ジャズの人々は何でもかでも演奏し、そのアイデアは色々なことをオーバーラップさせ、相互交流はまさに"IN(流行)"となった。」

これで、BurtonにとってはFusionとはJazzの電化ではなく他種音楽との文字通りのFusion=融合、相互交流ということが明らかになったが、当時の大方(ECM系好みのファンだけかもしれないが)もそんな捉え方だったんではなかろうか。

Burton still records, teaches at Berklee and performs around the world. But though Tennessee Firebird started his fusion work, he says that the record, originally released in March, 1967. got an underwhelming response at the time.

ただ、この意欲的なBurtonにとっての最初のFusionアルバムも当時の世には受け入れられなかったようだ。彼の歴史の中で最も売れなかったアルバムとまで言っているが、後年、多くの人がこれを「発見」し、いかに面白いかを彼に語ってくることから、コンセプトが時代に早すぎたのだと述べている。まぁ、ちょっとボヤキっぽいかもしれないが、彼の言葉を最後に引用しておこう。

"It was one of my smallest-selling records of all the ones I made in my whole history and I've always said, 'Gee, I knew that record had more potential because it' s also been one of the records that even 20 years later people are still mentioning to me. So I know it's had more value than it probably at the time.'

原文は:by Rich Kienzle, Greensburg, Pennsylvania, February 1989

Nashville-1.jpg
ついでの写真:1987年に業界視察で初めて渡米し、仕事の合間に立ち寄ったナッシュヴィルのOprylandで見たカントリーミュージックショーの一こま。Oprylandはカントリーテーマパークだったな。

Nashville-2.jpg
こちらはナッシュヴィルのホテルでの夜、突然バグパイプを吹き始めたおじさん。このホテルで初めてこの地方名産というCatfish(なまず)を食べたが、白身で醤油があいそうな淡白な味だった。

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2004/10/13

beaming out

最近はまたBlog更新を怠けてしまっている。書こうと思ってることは色々あるんだけど。

さて、久しぶりに英語勉強の機会をゆうけいさんからいただこう。
もとになった記事はこちら 

さてSETI@homeでクビになった男の上司の言葉が僕にはもう一つ理解できなかった。
「自分にない知性を持った生命体を宇宙に求める彼の願望は理解できる。警備員がこの男を庁舎の外にワープさせてくれたので、みな安心できるようになるだろう」(Hayes)

そこで原文をみてみると
"I understand his desire to search for intelligent life in outer space, because obviously he doesn't find it in the mirror in the morning," Hayes told the paper. "I think that people can be comfortable that security has beamed this man out of our building."

うーん、原文もすぐにはピンとこなかった、我ながら鈍いのでいやになるが、要するに、この男は知性がない、ということをいっているのだな。

「朝起きて鏡の中の自分をみても知性が見当たらないから、地球外にそれを求めたいという願望は理解できるよ。」
ということですね。

securityは警備員なのかなぁ、無冠詞だから違うような気がするがどうなんだろう。システムのことではないのかなぁ。

beamed this man outを「この男をワープさせた」としているが、これは本来は「転送した」とすべきだろうな。スタートレックでエンタープライズから地上へ人などを移動させる、あれだ。多分、スタートレックを知らない人もいるだろうからとワープとしたんだろうけどちょっとイメージが違うなぁ。

この言葉は結構SFなんかでは出てくるらしい。僕が知ったのは映画K-Pax(邦題「光の旅人」)の中の台詞でだが、Niftyの英会話フォーラムで当時色々指導してくださった米国在住の日本人の方からその意味を教えていただいたものだ。

K-Paxは原作も結構面白いが、映画もそれなりに良く出来ている。例によって原作とは話が少々換えてあるのはそれはそれでいいと思う。

 You are beaming back to K-PAX?
 On July twenty-seven.
 Why July twenty-seven?

K-Paxという星からやってきたというprot(ケヴィン・スペイシー)に対し精神病と診断した医師(ジェフ・ブリッジス)が「K-Paxに帰るのか?」と聞く場面での会話。

ちょっと他人さまの意見をみてみると、こちらではあまり評判がよくないが、実は続編があって2作で完結するので映画では中途半端なのは仕方がないかも。ただ「そういう説明のつかないところだけを取り出して、ファンタジーだからいいんだよ、なんて見せ方をされてもシラけるだけじゃないか?」っていうのは、原作がまさにその通りな中途半端なファンタジーなので必ずしも脚本のせいとばかりはいえないだろう。ジェフ・ブリッジスが誠実な役柄に徹しているのは賛成だが、原作では彼は飛び回らないのだけどね。ケヴィン・スペイシーもいい味でてると思うが、まぁ僕は原作を先に読んでからレンタルビデオをみたので、その辺りのバイアスもあったかもしれない。

おっと、なんだか映画の話になってしまった。

K-Pax.jpg
 右が映画になったK-Pax、左が続編
積極的にお勧めするほどではないけど、精神病を題材にしたSFミステリーとしてはそれなりに楽しめると思う。ただし、上にあるように「え、あの話はどうなったの?」という部分もありますが。

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2004/10/03

マリンビストのバイブ

最近、のなかさんにこのBlogがみつかってしまい、ヴァイブ協会のリンク集にも掲載されてしまったのであまり音楽ネタ、特にバイブ関連のことを書くのは恥ずかしいのだが:

今朝、たまたまかけっぱなしだったTV(いつものこと)は「題名のない音楽会」で、バンドネオン奏者・小松亮平氏を特集していた。途中から見たのだけれど、突然、バイブとの共演となったのであわてて録画したのが(最初は切れてしまったが)ピアソラがバートンと共演した際に特に彼のために作曲したという「Vibrahponissimo」だった。共演はマリンビストの三村奈々恵さん。

この曲は1986年のアルバム「The New Tango/Astor Piazzolla & Gary Burton」に入っている。この頃は僕はジャズから離れていた時期なので、バートンとピアソラのなれそめは知らないのだが、その後のピアソラブームを考えるとこの思いもよらない組み合わせに驚く。

少々話題はずれるが、書き残しているフュージョンの概念について、バートンはこうした異種音楽との融合をFusionと捉えているようで、これもその流れなのだろう。彼に言わせるとFusionのはしりは、バートンが在籍した頃のスタンゲッツの音楽=「ブラジルのボサノヴァとアメリカのジャズの融合」ということになるらしい。

閑話休題、小松氏と三村さんの演奏もそれは素晴らしいのだが、やはりクラシック系の人が演奏した場合には、あのタンゴ特有の粘り感がどうしても不足する気がする。特にピアソラではそうだろう。

ジャズプレイヤーにはジャズ特有の粘り感、いわゆるドライブ感というものがあるが、前記のピアソラ/バートンの演奏ではバートンでさえピアソラの前ではちょっとあっさりして物足りない気がしないでもない。

まぁ、それはそれぞれの演奏家の解釈や特徴としてあるのだろうが、気が付いたのはマリンバ系の人がバイブを弾く時の特徴のようなものだった。

僕がみる機会のあったバイブ演奏は主としてジャズプレイヤーのものだが(というほど見ていないが)、彼らはマレット(撥)でバー(鍵盤)をスカーンと叩き込むように演奏するが、三村さんは言ってみればしなやか、ちょっと意地悪く言えば腫れ物に触るような叩き方をする。もちろん速いフレーズではそんな違いは出ないのだが、ゆっくりしたときにそんな印象を受けた。

これは実は以前に書いた佐藤先生のコンサートでも感じたことだ。佐藤先生のコンサートでも何度かバイブを使われたことがあり、何人かのマリンビストによる演奏を見る機会があったのだが、手首を柔らかくしなやかに動かし叩いた後の手首の戻りがフワーっとなってまるでスローモーションのような動きをされる。ジャズバイブをほんのしばらく弾いていた身からすると、もっと思い切り叩いてやってもいいんではないか、と思ってしまうのだが、まぁ、僕のごく個人的な見解ではあります。

バートンの演奏なんてものすごく速いフレーズでもダカダカダカダカドカーン、とすごいアタックだ、といってもあの方が特別なのかもしれないけどね。

不思議なのは、マリンビストがマリンバを弾かれる場合はそんなスローモーション的な印象は受けないんですよね。ほんまに不思議です。

ところで、今日、実に***ぶりにMy Vibraphoneのホコリを(ほんまに)払って弾いてみた。今日はバイブの奏法などいっちょ前のことを書いてみたが、現実は手が動かないし音板の位置はミスるし、情けないなぁ。しかしこの状態でこの水曜日には赤松氏主催のバイブクリニック in 大阪に出席するのだが、大丈夫かいな、いや大丈夫な訳ないな、わはははははは\\(;;^O^;;)//。

m-55.jpg
おもちゃデジカメに蛍光灯照明なのでちょっと暗いけど・・・
ついにインターネット初デビュー、というか実際の話、ほんの数度しか人前では使われたことがない愛機Musser M-55。 柱にかかっているのは、おじいさん(義父)が毎年買ってくるお守りの御札。楽器のお札ではないよ、家族のお守り。

ところで「司会のマユズミトーシローです。」というナレーションで始まる「内容のない音楽会」というCDがあったらしい。今は手に入らないらしいのだが、とても笑えるそうだ。一度聞いてみたいものだ。

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