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2004/10/18

Jazz Rock 最終章 Tennessee Firebirdの巻

ずいぶんとほったらかしていたが、Jazz Rock-Fusionについて。かなり長文です。

Jazz Rockは結局Fusionに行き着き、それはJazzの電化という認識が一般的なのだろうが、僕が聞いてきた70年代のJazzというと必ずしもそうではなかった。その典型例がECMレーベルだろう。電化にはやはりギターが欠かせないだろうが、ECMにはいわゆるFusionの旗手といえるようなPat Methenyが色々吹き込んでいるし、Jacoが参加したりもしている。

しかし例えば John Abercrombieとか Terje Rypdalなどというと、いわゆる世間でいうFusionとはちょっと違ってくるんではないか(Rypdalなんてかなりマイナーかな)。ECM的音楽というのも70年代に一つのジャンルといっていいくらいに(一部だったかもしれないが)定着ていた。かの(どの?)パソ通NiftyServeのJazz Forumには「倶楽部ECM」なんて部屋が作られていたくらいだ(いや、まだありますけどね)。

一般的にJazz→Fusionと考えるとLarry CarltonとかLee Ritnerなんかではなかろうかと思うが、ECM系やWindham Hilllなんてレーベルはそれとはちょっと違う方向を指していた。

それからRalph TownerやEarl Klughも挙げられる。この二人、方向はかなり違うがどちらも電化というのとはちょっと違うと思う。ついでにといっては失礼だが、Egberto Gismontiなんて名前もだしておこう。

Weather Reportなどが電化を進める一方でこうしたどちらかというと従来のフリーの系統やクラシック、アクースティック(アコースティックと書いて怒られたことがあるので)な志向というのも70年代のJazzにあったのは確かだ。

その典型がKeith JarrettのソロだったりChick Corea/Gary Burtonのデュオだったり、そしてこれらを推し進めたのはやはりECMだった。CoreaなんかはElectric BandとAccoustic Bandを二つ作って両刀使いをしている。

ちょっと話はそれるが、Miles Davisの電化というとBitches Brewがまず挙げられるが、これは69年、そしてこれ以降はマイルスは特に代わり映えしないという意見も多い(僕もその一人だが)。しかしこのときのメンバーの多くがその後のJazzシーンを牽引しているはすごいといえる。

で、このようなECM系路線はFusionといえるのかどうか、という問題があるがその当時を振り返ると、僕はあまりそんな区別を意識して聞いてはいなかった。ただWeather Reportは初期を除いてはロック路線という意識がどこかにあってほとんど聴かなかったとか、ECMでもMethenyタイプはいわゆるFusionといえるかも、とか、これも自分の思い込みだろうが。

さて、以前のお約束のGary Burtonの言葉を借りてみよう。BurtonにはJazz Rock路線になる"Duster"の前に"Tennessee Firebird"という66年吹き込みの超マイナーなアルバムがある。そのCD盤に彼の言葉がいくつか載っていて面白い。ただし全部訳していると超長文になるので、原文と簡単な説明だけにしよう。

tennessee_firebird.jpg
アルバムTennessee Firebird、まだ眼鏡姿のBurtonが初々しいか?

"I was with Stan Getz at the time," he explains. "And you could say I was leading up to starting my own band and going out on my own. I was at that phase of my career where you're experimenting and looking for identity and so on. And I had admired the way that Getz had taken Brazilian music and mixed it with his jazz background and come up with a hybrid kind of music that had both been popular with the public and also had been a real good muical amalgam."

つまり新しいことをしようと考えたときに、当時一緒だったStan Getzがボッサノヴァとジャズを融合して一世を風靡していたのを参考にしたということだ。ただしここではhybdridとかamalgamなどという表現を使っている。

This idea took him back to his old stomping grounds in Nashville. "I said to myself, the other kind of music I had a close familiarity with is country music having met a lot of the country guys when I lived there briefly, and so on. I'd always seen a lot of correlation between the instrumentalists in country music and jazzplayers."

Burtonを見出したのはカントリー系のギタリスト、Chet Atkinsだが、そのつながりがあるのかどうか、自分になじみのある音楽は一時期住んでいたナッシュヴィルのカントリーミュージックだと考え、それをジャズと融合させようと試みたわけだ。ちなみにAtkinsはかのThe BeatlesのGeorge Harrisonも影響を受けたというギタリストだが、Burtonが何人ものギタリストを発掘したのも彼の影響があるかもしれない。このTennessee Firebirdにももちろん、参加している。つまりこの頃からすでにBurtonは他種音楽との融合ということを考えていたわけだ。

Within a year Burton organized his own Quartet with Haynes, Swallow and jazz-rock guitarist Larry Coryell and pioneered the entire concept of jazz-rock fusion, continuing the concept in the 1970s with progressive guitarists like Pat Metheny and Mick Goodrick. Today jazz-rock is an accepted (if not always successful) part of the pop music mainstream.

Tennessee Firebirdのジャズメンバー(Roy Haynes, Steve Swallow)をそのままにLarry Coryellを入れて新しいジャンルを切り開くわけだが、その発端がこのアルバムだったということのようだ。続いて彼のFusionに対する言葉があるのでこれは訳しておこう。

"By the early 70s (fusion music) was all over the map," he says. "Classical people were doing jazz records and jazz people were playing with anything and everything and the idea of letting things overlap and interact had become very 'in'."
「70年代初頭までにはフュージョンミュージックは(音楽)地図のそこらじゅうにあった。クラッシックの人々はジャズを録音し、ジャズの人々は何でもかでも演奏し、そのアイデアは色々なことをオーバーラップさせ、相互交流はまさに"IN(流行)"となった。」

これで、BurtonにとってはFusionとはJazzの電化ではなく他種音楽との文字通りのFusion=融合、相互交流ということが明らかになったが、当時の大方(ECM系好みのファンだけかもしれないが)もそんな捉え方だったんではなかろうか。

Burton still records, teaches at Berklee and performs around the world. But though Tennessee Firebird started his fusion work, he says that the record, originally released in March, 1967. got an underwhelming response at the time.

ただ、この意欲的なBurtonにとっての最初のFusionアルバムも当時の世には受け入れられなかったようだ。彼の歴史の中で最も売れなかったアルバムとまで言っているが、後年、多くの人がこれを「発見」し、いかに面白いかを彼に語ってくることから、コンセプトが時代に早すぎたのだと述べている。まぁ、ちょっとボヤキっぽいかもしれないが、彼の言葉を最後に引用しておこう。

"It was one of my smallest-selling records of all the ones I made in my whole history and I've always said, 'Gee, I knew that record had more potential because it' s also been one of the records that even 20 years later people are still mentioning to me. So I know it's had more value than it probably at the time.'

原文は:by Rich Kienzle, Greensburg, Pennsylvania, February 1989

Nashville-1.jpg
ついでの写真:1987年に業界視察で初めて渡米し、仕事の合間に立ち寄ったナッシュヴィルのOprylandで見たカントリーミュージックショーの一こま。Oprylandはカントリーテーマパークだったな。

Nashville-2.jpg
こちらはナッシュヴィルのホテルでの夜、突然バグパイプを吹き始めたおじさん。このホテルで初めてこの地方名産というCatfish(なまず)を食べたが、白身で醤油があいそうな淡白な味だった。

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コメント

 Takiさん、こん**は。最終回も大変勉強になりました。それにしてもゲイリー・バートン、若いですねえ!
 私はECMといえばやはりP.Methenyの1,2作目が印象深いです。一作目はジャコパスとやってましたね。2作目の「Watercolors」は一聴地味なんですが、時々聞き返したくなります。去年でしたかECM時代の高音質のベスト盤が出てその当時を振り返ったライナーノーツが興味深かったです。
 あとはやはりキースになってしまいますが、彼の場合クラシックもやりますし、ジャズと言う枠にはめること自体が難しいパフォーマーですね。時代が彼を要求したのか、彼が時代を変えていったのか、難しい議論はありましょうけれど、混沌の中から素晴らしいプレーヤーたちが次々と現れる、素晴らしい時代だったのでしょう(と勝手にシメたりして^^;)。

投稿: ゆうけい | 2004/10/19 12:02

ゆうけいさん、コメントをありがとうございました。

ECMって結構マニアックなファンが多いと思います。私もその一人ですが。それとクラシック系の人も入りやすいようです。やはりドイツってところがそうさせるのかな。

引用したノーツではスタンゲッツのボッサノヴァが実はバートンのフュージョンの原点であるというところがすごく新鮮でした。もともと僕もボッサノヴァが好きでそこからジャズに入っていったので、すごく親近感がわいています。実はFJAZZでも一度この話題は出したことがあるんですが、このBlogを立ち上げたときから、一度は取り上げたいと思っていた話題なのです。

もともとBlogがNiftyで出来るということを知ったのはゆうけいさんからの情報でしたし、Jazz Rockという好適な話題を提供してくださったのもゆうけいさんのBlogでした。今更ですが色々と機会を作ってくださり、ありがとうございました。

投稿: taki | 2004/10/20 01:00

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