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2005/06/04

言の葉に力の宿る

朝日新聞とNHKのすったもんだはその後どうなったんだろうと思うが、NHKの受信料不払いは相変わらず増えているらしいし、朝日は不祥事が続くし、どっちもどっちだね。

大体僕は朝日新聞はあんまり信用していない。かつて知人が取材された時の記事が結構でっち上げだったことを知っているからね(幸いその方の不利益になる記事ではなかったが)。NHKもかの「プロジェクトX」で取材の行きすぎとかなんとか謝罪してたから、これもほんまにどっこいどっこいだが、しかし教育TVなんかはいい番組が多くて最近は特によく見るので、受信料は払ってやるよ。

「日本語なるほど塾」という番組で、最近は若い人の日本語力が落ちているというよく聞く話をしていた。大きな原因は本を読まないということは僕でもわかるのだが、このごろつくづく感じるのは自分を言葉できちんと表現できない輩が多いことだ。

とはいえ、僕が若いころにできたのかというと、甚だ心もとない。むしろ年齢とともに表現力がついてきたという気がするのであまり若い人のことは言えないが、それでも貧弱な語彙やら間違った表現にはがっかりすることしきりである。だから多少でも難しい表現を使うと果たして通じているのか不安になる。

も一つ、やはりNHKだが宮本亜門氏が小学生に文章から色々な背景を想像することを教える番組があった。ここでなるほどと思ったのは、文、つまり小説などを読むことで人はその背景を想像する力が養われ、それが日常生活であれ仕事であれあらゆる人生の場面でのその人の力の源泉になるということだ。脚本家はたった一つの台詞でも、その言葉が発せられる背景を周到に作り上げていかなければならないわけだから、その想像力というのは相当なものなのだろう。この番組では他人の気持ちを汲むという想像力に主眼が置かれていたが、想像力の必要性はそれだけには留まらない。

僕は会社で昇進させられたおかげで部下の面倒を見なければならなくなったのだが、中にはあまりの想像力の乏しさにあきれかえる御仁がおる。僕の部署の仕事である研究開発では、命題に対して予測を行い仮説を立てて試験を実施し、そこで得られる限られたデータの中から有益な情報を抽出してそれからまた先を予測し仮説を立てて・・・、という繰り返しなのだが、その際には宮本氏が言われるような背景を探り出す力が必要になるのは同じなのだ。

昔は文系、理系などと区別して理系の論理思考に文学はそれほど関係ないような気がしていたが、実はそうではないらしいと、このごろはつくづく思う。あらゆる場面でその背後に隠された事実あるいは虚構でもいいが、それを想像する力が必要なのだな。

件の想像力の乏しい御仁に聞いてみると、やはり本を読まない、あれこれ興味を持つことが少ないなど、日ごろから想像力の乏しい生活をしている。だから、本を読め、何でもいいから好奇心を持て、BBSなんか今は便利だから書き込んでみろ、などといっているが、一向に埒が明かない。まぁ、自分の人生だからね、最後は自分で何とかしなきゃならないのだが。

と思っていたら、美術手帳という雑誌に学校の先生が同じようなことを書いていた。最近は図工とか音楽などの授業数が削減され、以前から乏しかった芸術系の教育がますます少なくなっているのだが、美術表現でもやはり想像力と表現力が養われるということだ。まぁ、芸術は自己表現の手段といえるから当たり前といえばそうなんだが、その表現には自分の内面、つまり気持ちを表す表現と、対象となるものを再現する表現がある。

一般的に絵が上手というと、対象物をいかにその通りに再現できるかということだと多くの人が思っているのは、美術教育の歪みであるといえるがそれは別としても、いずれの表現にしろ何らかの形に表現するのは小説を読んだり文を書くのと同じように想像力を養う。しかし今の教育ではそれがないがしろにされている。その先生は数学の問題を解くにもそうした想像力が必要ではないかと述べているが、まさにそうなのだろう。

ここでは自ら表現をすることから想像力が養われるという、また別の側面が語られているわけだが、日常での表現といえばやはり「言葉」が圧倒的に大きな比重を占める。

古代人は「言霊」などといい言葉に魂や力が宿ると考えたそうだが、今はそれが真実だとよく分かる。何かをしてもらいたい時、言葉にして誰かに具体的に伝えない限りそれは実行されないとすれば、その言葉はまさに呪文と同じく力を持っているといえる。

人が頭の中にある漠然としたイメージをそのままでおいておくなら、それは動物や幼児と変わりがない。なぜなら言葉で抽象的なことを考え具体化していく過程が人を成長させ、また情報の伝達を可能にし物事が実行され進歩していくからだ。文化は言葉によって伝えることが可能になった時、普遍的に広がっていくことができる。だから言葉には力が宿るという考えは、その意味で正しいのだな。

「想像力の豊かな人は、相手の立場に立ってみる能力を有するから、思いやりのある人である」という文がここにあるが、そうした人はあらゆる場面でも有能になる能力を持っているだろうと僕は思う。

Levy以心伝心、阿吽の呼吸などというのは実は幻でしかない。ほとんどの場合は言葉にしなければ伝わらないのだから、表現力を養うのはとても大切なのだ。

そしてそれには文を書かなければならないのだが、それはまたそのうちに覚えていたら書くことにしよう。それを確信させてくれたのも、実はNHKの「日本語なるほど塾」での、日本語で小説を書く米国人作家、リービ英雄氏である。イメージはたまたま今日の日経の記事にあった氏の写真だが、ここで氏は「書くことは、さらされること」と仰っている。

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コメント

こんばんは。理系的思考に文学はいらないという捉え方はデザインに数字はいらないという勘違いと似ているように思います。職人の勘所も文学的センスであり芸術的センスであるように思います。

投稿: yosi | 2005/06/20 00:23

yosiさん、わざわざお越しいただきありがとうございます。というより無理やりお誘いしたようで申し訳ありませんでした。
コメントをyosiさんのblogにも書かせていただきましたが、理系、文系というよりはどれだけ幅広く好奇心をもっているかということだろうと思ってます。

投稿: taki | 2005/06/20 22:21

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