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2006/08/26

A Girl With A Pearl Earring/Indian Yellow

今月はMovie Plusで、ずっと以前にゆうけいさんが紹介されていた「真珠の耳飾りの少女」が放映されている。あの有名なフェルメールの絵を題材にした小説に基づく映画だが、今回も英語、ただし映画の中で出てくる絵画用語などにウンチクを傾けてみたいと思う。

映画の中では、絵画、特に画材の好きな人ならば喜びそうな画材や技法のシーンが何度か現れるが、それが目的の映画ではないからサラリと流す程度なのはいたしかたない。とはいうものの、その辺りをピックアップしてみよう。

Vermeerwomanpearlnecklace 最初に画材についての言及があるのは、パトロンのvan Ruijven(ファン・ライフェン)に新しい作品(真珠の首飾り:左イメージ)を見せる場面。台詞についてはDialogue Transcriptのサイトを見つけたのだが、まずは自分で聞き取り、間違っていたところは( )に入れて訂正をその後に書くことにした。

TranscriptサイトURLは下記ですが、ウイルスソフトのCM画面が自動的に出てくるので興味のない人やCMを出したくない方はクリックしないでください。
http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/g/girl-with-a-pearl-earring-script.html

van Ruijven(VR): Is this Indian Yellow?
Vermeer: (うなづく)
VR: Distilled from urine of sacred cows fed only on Mango leaves. You glazed my wife in dried piss!
Vermeer: (It's a right colour.) -> It was the right colour.
VR: (? stinting, yet.) -> No stinting, eh?

女性の上着の黄色に使った色を「Indian Yellowだな」と言っている。Indian Yellowはvan Ruijvenが言う通り、マンゴーの葉だけを食べさせた牛の尿から作らjれる。もともとインドで古くから使われていた色素のようで、イギリスがインド統治時代に輸入しヨーロッパ絵画で使われていた。栄養価の低いマンゴーの葉しか食べさせていない牛は極度の栄養失調状態のため、非常に短命だったが、約80年にわたりイギリスは製法を秘密にしていたそうだ。しかし製法が非人道的(秘密が暴露されたらしい)ということで1908年以来製造禁止となっている(1899年という記述もある)。

もう少し調べてみると、Indian Yellowはmagnesium euxanthate、オイキサントゲン酸マグネシウムだ。広辞苑にも「インド黄」として載っている。xanthicとかeuxanthicという語は「黄色みの」という意味を持つ語のようだから、化合物名の語源がその辺りにあるのだろう。実際にはカルシウム塩も混ざっているらしい。

天然の有機色素化合物は大体が耐久性がないために、古い絵画などでは退色してしまうことが多いのだが、Indian Yellowは珍しく耐久性があるらしい(耐久性がないという記述もあり、詳しくは不明)。現在は合成されている、というネット情報もあるが、絵具として実際に使われているのは僕は見たことがない。現在はいずれのメーカーのIndian Yellowも真性の化合物ではなく、もっと近代の新しい合成化学顔料で調色されているようだ。

You glazed my wife in dried piss!

glazeという語は辞書では「ツヤをつける、ツヤを出す」などという意味ばかりだが、ここではIndian Yellowの透明な絵具を塗っていることを指す。絵画でグレーズといえば、透明な絵具を薄く重ねて深みや奥行きをだす技法のことだ。あえてそのまま訳せば「私の妻を乾かした小便に塗りこめてしまったな」とでもいおうか。字幕は「私の家内は尿まみれか。」・・・さすがにうまいね。

映画ではvan Ruijvenの妻の肖像を描いていることになっているが、もちろんそれはフィクションである。この黄色い上着はVermeerの数少ない作品で何度も出てくるので、よほどお気に入りなのだろう。Glaze技法については映画の中でも出てくるので、その時にまた書いてみたい。

It was the right colour.

ボソっと言う台詞なので、"right colour"以外はよく分からないが、僕が聞き取った"It's a right colour."のように不定冠詞だと、「数ある適切な色の中の、これはその一つだ」という意味になるからこの場面ではやや弱いかもしれない。"the right colour"ならば、「これ以外にはない、まさにぴったりの色だ」ということになる。現在形か過去形か・・・僕は現在形の方が普遍的な事実としてよいように思う。

No stinting, eh?

字幕は「贅沢だな」。Vermmerは非常に高価だったラピスラズリをふんだんに使ったことで有名だが、Indian Yellowも惜しみなく使ったということだろう。前述の説明から Indian Yellowもかなり高価だったろうと推察できる。ただ実際にこの絵(真珠の首飾り)に Indian Yellowが使われていたのかどうかは僕は確認していないが、1800年から使われだしたという情報もあり、そうするとVermeerとは時代が合わないことになる。

さて、今日はこのくらいで・・・。イメージはオフィシャルサイトからのリンクから。

参考資料
http://www.realcolorwheel.com/1color.htm
http://www.realcolorwheel.com/1artists.htm
http://www.goldenpaints.com/products/color/heavybody/histpighist.php
http://serendip.brynmawr.edu/forum/viewforum.php?forum_id=246
http://www.thefreedictionary.com/Euxanthic
http://www.thefreedictionary.com/euxanthin
http://en.wikipedia.org/wiki/Indian_Yellow
http://webexhibits.org/pigments/indiv/history/indianyellow.html

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2006/08/16

O-BON

今年も今日でお盆休みが終わってしまった、といってもまた二日たてば土日休みなので、ちょっと気分は楽かな。

今回も特にどこかへ出かけるというほどのこともなかった。僕も家内も実家といっても畿内というか近過ぎて帰省なんてあり得ない。だから今年も近場でそれなりに動き回ったというところだ。

まずは先日の「華麗なるマリンバの響き」を聴きに行ったことが挙げられる。次に「パイレーツオブカリビアン」を見に行った。巷での評判は芳しくない噂もあるようだけど、娯楽映画としては、よく笑ったし面白かった。筋書きは・・・、考えて鑑賞する映画ではないですね、確かに。

今年は入院とかあってこの夏は随分と会社を休んだりしたので、我が家恒例の夏の温泉旅行がちょっと出来なくなってしまったのが、家族、特に温泉好きな家内には申し訳ない。

Matsuho そこで、日帰りで昨日は淡路島にある「松帆の郷」まで行ってきた。我が家からだと、車で一時間もかからないくらいだ。神戸側から明石海峡大橋を渡ってすぐに淡路インターを出てから、大橋の下をくぐればすぐに到着する。

夕方5時半に出発し着いたのは6時過ぎ、館内にあるレストランで食事を取る。食後すぐに温泉もよくないかと、売店をのぞいたりして7時から入ることになった。設備といっても温泉に加えては、レストランとみやげ物の売店、あとは建物の裏側に明石海峡を見渡せるちょっとしたテラスというのか展望場所しかないが、そのシンプルなところが気に入っている。

入浴料は大人700円、受付は夜9時までしている・・・つまり9時までに入れば10時過ぎまで温泉は空いているから、大阪あたりからでも夕方から日帰りで来ることは十分に可能だ。といっても我が家は橋より西だから渋滞に巻き込まれることはなかった・・・というより伊川谷から阪神高速北神戸線に入ってからはほとんど車がないくらいだったが、阪神高速大阪方面は名谷から芦屋まで渋滞25kmと掲示に出ていたのはちょっとびっくり。やっぱりお盆だね。

宿泊施設のない公営温泉だけど、安くて手軽だからお客は結構多い。でも昨日の状態では駐車場が満杯になる寸前、という程度の混み具合だったし、初めて来た昨年は夏休み後半の日曜日だったが同じような状況だったから、駐車場待ちということはなさそうな気がする(ただし責任は持ちません、あしからず)。

何といっても温泉だから、夕方から来る人が圧倒的に多いのではないかと思う。海水浴帰りの人も結構いるようだ。神戸辺りからの客が多いのではと思うが、淡路島の自動車も神戸ナンバーらしいのでよく分からない。それほど大きな温泉施設ではないので、ちょっと人が多いね、という程度の混み具合。混雑というほどではない。

Akashiohasi ここの名物は何といっても、露天風呂から見る明石海峡大橋の夜景だろう。とにかく壮観で美しい。昨日はやや空気がかすんでいたのか、橋を渡る際の夕焼けは今ひとつだったが、夜景には影響なく、存分に堪能できた。

手軽に行ける温泉、なんだけど、欠点は橋を渡るだけで往復4600円必要なことだね。

ところで、東京の人に聞いたところではあちらでは車で1時間以内で行ける温泉というのがないのだそうだ。こちらだと、僕が行った範囲の近場でも有馬温泉、淡路島洲本温泉、姫路の北部にある塩田温泉、あとは宝塚とか色々あるが、東京から見るととてもうらやましいとのこと。確かに京都、奈良という観光地もあるし、近畿圏というのはそういう面では恵まれているのかもしれない。

イメージは松帆の郷から見た明石海峡大橋の夜景。「淡路百景」からいただきました。実物はもちろん、もっと美しいです。神戸空港へ向かうジェット便が橋の上空を、瀬戸内を航行するフェリーがその下を行き交い、対岸の明石から舞子に至る夜景と共にとても綺麗です。

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2006/08/13

華麗なるマリンバの響き Vol.13

今日は日本木琴協会阪神支部主催のコンサート「華麗なるマリンバの響き」を、神戸市産業振興センター(ハーバーランド)まで家内と二人で聴きに行ってきた、いや伺ってきました(今回も毎度のように招待状を頂いたもので、ありがたくも申し訳ないことです)。

Marimba13 今年で既に13回目にもなるコンサートで、木琴協会主催といってもほとんどは支部長の佐藤先生の力によるものだと思う。コンサートについては、一昨年にも書いているが、継続して出演している方々も、当時はまだ学生だったが今年は既に社会人になって、練習なども難しくなってきているそうだ。

特に先生はコンサートの準備や出演する生徒のレッスンなどを見ながらで御自身の演奏の練習時間は僅かしか取れず大変なご様子だ。それにも拘らず、ピアソラのタンゴをゲストの広沢園子さんと見事にデュエットされていた。広沢さんは確か関東を中心に活躍されているので、実際に合わせる時間はほとんどなかったのではないかと思うが、ピアソラ独特のあの緊張感を息を抜く隙もないほどに見事に演奏されていた。また生誕250年ということで、モーツァルトを取り上げられていたが、これも素晴らしい。

ところで、以前にも書いたのだが、古参(という言い方は失礼なほど若い方々だが)の生徒さんたちの演奏はテクニックも音楽としても素晴らしい演奏なのだが、どうも佐藤先生や広沢さんの演奏に比べると、もう一つ感動が小さいと感じていた。今回も前半に彼女たちの演奏を堪能したものの、後半の先生方の演奏とは歴然と差がある。

その差は音楽性と言ってしまえばそれまでなのだが、それではあまりに漠然として何も言っていないのと同じだが、今回の演奏を聴いていて、何となく分かったことがある。

それは、楽器を越えた普遍性ではないかと思う。生徒さんたちの演奏は素晴らしいものの、マリンバという楽器を演奏しているという範囲から出ていないのではないか。それは、特にオリジナルではない有名なクラシックの編曲などで顕著に感じられた。

今回も生徒さんたちは、先生のご子息の編曲された「トゥーランドット」や「ウィリアムテル序曲」、その他何曲かの編曲したものを演奏されたが、テクニック的にも相当に高度な演奏ではあるものの、マリンバに置き換えたという以上に迫ってくるものに欠けるように思う。「ウィリアムテル」は後半などはかなりマリンバに向いた曲なので迫力があってよかったのだが。

だから、子供さんを前面に出して演奏された「メキシカンメドレー(シェリトリンド、ラクカラチャ、メキシカンハットダンス)」の方が、技術的には未熟でもマリンバらしさがよく出ていて、僕には楽しくかった(ラクカラチャはゴキブリのことだそうな、知らなかったなぁ)。

ところが、後半での先生方の合奏、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は最初はやや硬い感じがしたものの、マリンバで演奏したという次元を超えた素晴らしい演奏で、楽章が進むごとにぐいぐいと引き込まれてしまった。

この辺りは、やはりプロとアマチュアという差なのか、と改めて感じた今日の演奏会でありました。

ご子息の佐藤文俊氏が独奏された「カタミヤ」は、ちょっとECM的な香りがあって素敵でした・・・が、すぐ後ろの席で子供の話し声やら袋をガサゴソする音がして、耳がそちらに邪魔されて演奏を聴く方に集中できず残念でした。 

やれやれ、また生意気なことを書いてしまったが、僕は相変わらず練習していないのであった。お盆連休には・・・何とかせねば。

ところで、来年は木琴協会阪神支部50周年として神戸文化ホールでのコンサートになる予定とのこと。産業振興センターは400人だが、文化ホールは大ホールで2000人とのことで、集客が大変だと言われていた。また今回はお盆と重なったこともあって聴衆がやや少なかったように思うが、会場確保も空きが少なくて大変なのだそうだ。

先生は実は僕の高校の先輩で、だからお歳も推して知るべしなのだが、まだまだ僕などよりずっと若々しくエネルギー満々、これからもご苦労は多いと思いますが、ますますのご活躍をお祈りしております。

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2006/08/05

Finding Forrester III

映画"Finding Forrester" 聞き取りの最後。

Forrester12 Jamal(J)の才能に対し疑念、あるいは嫉妬かもしれないが、そんな感情を持つ教授 Prof. Crawford(P)の授業風景。詩を教材として取り合げ、たまたまその作者と同じ苗字だった生徒に誰の作かと問う。生徒は答えられず困惑するが、教授は慇懃ながら陰険にしつこく詰問する。たまりかねて、Jamalが後ろから小声で助けようとする。中ほどの"Don't"はJamalのガールフレンド Claire(C)が「止めて」と小声で言うところ。Mr. WallaceはJamalのこと。

(J) Just say your name, man.
(P) Excuse me, did you have something to contribute, Mr. Wallace?
(J) I said that he should say his name.
(P) And why would it be helpful for Mr. Coleridge here to say his name?
(J) Because that’s who wrote it.
(P) Very good, Mr. Wallace. Perhaps your skills to extend a bit farther than basketball.

ここで注目したいのは、教授の丁寧な英語表現だ。英語には丁寧表現や敬語がないと誤解している人がいるが、そんなことは全くない。表現にかなり選ばれた言葉を使っていることが分かる。どのような単語を選択すべきか僕には分からないが、かなりの英語力が必要だろう。

詩の作者はColeridge、生徒の苗字もColeridgeだから、Jamalは「自分の名を言えよ」と小声で教える。文末は多分、manといっていると思う。この映画を見る限りでは、黒人同士の会話では何かいうたびに文尾にmanをつけるのが習慣化しているようだ。発音はほとんどメーンと聞こえる。

Excuse me, did you have something to contribute, Mr. Wallace?
さて、Jamalの言葉を聞きつけた教授が聞き返す表現が、いかにも丁寧だ。直訳すれば、「失礼、何か貢献できるものがおありだったのかね、ウォレス君」というところだが、日本語でも英語でも、丁寧になると長く回りくどい言い方になるのは同じということだ。
また普通なら現在形で"do you have..."と聞くところを過去形にしているのも、婉曲のニュアンスがあるのではないかと思う。

Perhaps, your skills to extend a bit farther than basketball.
作者を言い当てたJamalに対し、日頃から彼を疎ましく思っている教授の台詞がいかにも嫌味ったらしい。「どうやら、君の才能はバスケット以外にも少しは拡がるもの(らしい)」(Jamalはバスケット部でもトップの選手になっている)。
Perhapsを使ったり、a bitを殊更強く発音しており、たまには認めてやろうというような傲慢さがうまく表現されている。to extend は to extent あるいは do extend かも知れないが、この点は不明。

教授はこの件はこれで切り上げ授業を続けようとするが、教授のやり方に我慢できないJamalは、言葉尻を捕らえて反撃する。

(P) Now if you can turn to..., you may be seated, Mr. Coleridge. Turn to page one hundred and twenty, the little blue book, that I’m certain…
(J) Further.
(P) I’m sorry?
 (C) Don’t!
(J) You said my skills to extend farther than basketball court. “Farther” relates to distance. “Further” is the definition of degree. You should have said “further”.
(P) Are you challenging me, Mr. Wallace?
(J) (?Not aim whether) you challenged Coleridge.
(P) Perhaps, the challenge should have been directed elsewhere.

普通なら"Sit down, Coleridge."というであろうところを、"You may be seated, Mr. Coleridge."と言っている。「着席してよろしい」というニュアンスで、ここでは目下に対してかけた言葉だが、大西先生の「ネイティブ感覚がわかる英文法」によると、mayが許可を表す場合、話し手の権威を感じさせるということだ。だから目上には使うべきではないだろう。逆に"May I....?"と聞く場合は、相手の許可を求めるへりくだった表現になる。
その昔、トロントのHoliday Innにチェックインした時、手続きが終わった後まだ何か忘れてないかなと躊躇していたら、フロント係から"You may go now."といわれたが、何となく「終わったんだから、さっさと行きなさいよ」という横柄な印象を受けた記憶がある。

Turn to page 120:前回の"Paragraph three starts..."も同じだが、page、paragraphなどには冠詞がつかない。これは固有名詞のような扱いになるからだそうだ。one hundred and twentyとandを正しくつけているのもいかにも語学の先生らしい。

I'm sorry?:先にも"Excuse me,"があったが、生徒に対しても丁寧な表現を忘れないようだ。

You said my skills to extend farther than basketball court. “Farther” relates to distance. “Further” is the definition of degree. You should have said “further”.
今回のポイントになる台詞。受験英語でもお馴染みの比較級 fartherとfurtherの混同を捕らえて反撃している。才能の話だから、距離を表す fartherではなく、程度を表すfurtherを使うべきだと言っている。
教授はcourtという語は言っていないので、何故だろうと思ったのだが、それは「君の才能はバスケットの才能以上に少しは広がりがあるようだ」というべきところを「君の才能はバスケットのコートより少しは広いようだ」という意味をなさない文にして、教授の言葉の混同をあぶり出しているのではないかと思う。

Are you challenging me, Mr. Wallace?
字幕は「私を詰問するのか?」。challengeは日本語になってしまっているので使い方に注意が必要な語だとよく言われる。「詰問」という訳からも分かるように、ここでは決してよい意味のチャレンジではなく、相手に正否を問うという攻撃的な意味になっている。安易には使わないほうがいい語だと思う。
訳はきつい感じがするが、映画では冷静さは失わずに慇懃に話しており、ここでもMr. Wallaceと呼びかけることを忘れていない。続いてのJamalの返事はよく聞き取れないが字幕は「あなたも彼(Coleridge)を詰問した」となっている。

Perhaps, the challenge should have been directed elsewhere.
これも婉曲な表現だ。「詰問の方向は(Coleridgeではなく)、他の方向(=Jamal)に向いているべきだったようだ。」

この後、教授は「お前に何ができる」という自信満々の顔つきで色々と文学の引用を試みるが悉くJamalが当てる。恥をかかされた教授はとうとう"Get out!"と叫ぶ。
こうしたシーンが実際に起こるのかどうかは知らないが、学園ものには欠かせないステレオタイプの嫌味な先生役をF.Murray Abrahamが見事に演じている。
総じて嫌味な先生であるが、言葉使いは常に丁寧であり、そこは日本の先生方にも真似してもらいたいところではある。

イメージは別のシーンだが、座っているのがProf. Crawford。IMDbから。

映画については Part Vの方に書こうと思ってはいるが、文学を扱っている割には文学に関しての描写あるいは会話が少ない。単なる引用や技術面の話が少し出てくるだけでその辺りは残念だが、全体には暴力もセックス(関連シーンはあるが)もなく安心して鑑賞できる作品だと思う。ただクライマックスだけはもう少し何とかして欲しかった。

映画の最初の辺りは黒人高校生同士の会話が続くが、彼らの独特のリズムを持った言葉はそのままJazzやR&Bのスイング感やグルーブ感を思わせて小気味よい・・・が、何を言っているかほとんど分からない。

また、バックに流れるちょっとマイルスを思わせるトランペットが中々よい(アランフェスの第二楽章が出てきたときは笑ってしまったが)のと、エンディングに流れる、窓から眺めたバスケットコートにウクレレ伴奏だけのボーカル Over the Rainbowが素敵だ。歌はいつのまにか What a Wonderful Worldに変わり、またOver the Rainbow に戻っていく。その後に、短いマリンバの曲が流れるが、これが赤松氏があまり好きではないという「打ち込み」かな。

おしまい!

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Finding Forrester II

前回は文章の書き方というほどの台詞はなかったが、今回はもう少し具体的な話が出てくる場面だ。(F)=Forrester、(J)=Jamal・・・苗字、名前と統一感がないですが。

Forrester6 Jamalが中々書き出せないために、Forresterは自分が書いた文を渡して、それを元に発想をふくらませて書くようにと言う。
出来上がった文を評している場面で、「接続詞で文を始めてはいけない」というのは厳格なルールだというForresterに、Jamalが理由を説明しつつ、多くの作家が無視していると反論する。大文字、太字で書いてあるところは強調して話している箇所で、お互いに会話を接続詞でわざと始めて強く発音している。

(F) Paragraph three starts with a conjunction “And”. You should never start a sentence with a conjunction.
(J) Sure you can.
(F) Oh, no. That’s a firm rule.
(J) No, no, no. See, it WAS a firm rule. Sometimes if you use a basic conjunction at the start of a sentence, you can make it stand out a little bit. AND that may be what the writer’s trying to do.

「接続詞で始めると、その文は少し目立つが、それが作家のしたいことだ」 "stand out"も覚えておきたい表現。字幕では「めりはりがつく」となっていた。
youはもちろん、Forresterのことではなく、一般論としての主語。trying to doはtrynna doと聞こえる。

(F) And, what is the risk?
(J) Well, the risk is doin’ it too much. It’s a distraction and it can give you a piece run-on feeling. BUT, for the most part, the rule on using “and” or “but” at the start of a sentence is still pretty shaky. Even you know it’s still taught in too many schools by too many professors, some of the best writers are a bit ignoring that rule for years, including you.
(F) You’ve taken something, which is mine, and made it yours. That’s quite an accomplishment.
(J) Thank you.
(F) The title is still mine, isn’t it?
(J) I guess.

こういうところに"risk"という語が来るのが面白い。字幕では「注意することは?」となっている。
"distraction"は"tract"(道)から来た語と思うが、"attract"や"concentrate"の反意語で「気がそれる、散漫になる」。転じて「気を紛らす」、さらには「乱心」という意味もある。訳は「気になる」
"traction"は「静摩擦、牽引、気を引くこと、魅力」などの意味があるが、distractionは人の状態を主に表すようだ。
その昔TVの英会話のスキットで、ある男性が訪問先の女性が美人だったことを思い出していう台詞、”I was distracted."を"I was destructed."=「僕は自爆した」と聞き違えて意味不明だったことがある(最近の日本語ではそういう表現もあるかもしれないが、英語では意味をなさない)。英会話のインストラクターに聞いたら、身体を揺らして"Bomb!"とかいいながら「それは"distracted"だ」と教えてくれた。「うわの空だった」というところかな。
"run-on feeling":run onは「ダラダラと続く」という意味だから「冗長になる」という訳がついている。
"still pretty shaky":stillがつくから、「それでもなお(ルールは)揺れる=当てにならない」。字幕は「間違いだ」と断言しているが、ちょっと言いすぎではないかな。
最後に、Forresterから「私から吸収し自分のものにしたのは大したものだ」と誉められる。この誉め言葉"That's quite an accomplishment."はちょっと固い表現ではなかろうか・・・というのも、全体にForresterは文章の先生として固めの表現が多いのではないかと思うからだが、実際のところはよく知らない。
「しかし表題はまだ私のもののままだね」と言われて、Jamalの"I guess"というのは"I guess so."だが、しぶしぶ認めているという感じだろう。訳は「そうだな」。

少々長いが、もう少し続けよう。何故外出しないのかというJamalの問いに対する会話。

(F) Well, it was a neighborhood that changed, not me.
(J) (?And please?), I ain’t seen nothing changed.
(F) “Ain’t seen nothing”? What the hell kind of sentence is that? When you’re in here, don’t talk like you do out there!
(J) I (?wasn’t meant what you mean.?) It’s a joke.
(F) (sigh) (やれやれと言う雰囲気でため息をつく)
(J) Go ahead, I wanna hear about neighborhood back (when) people were still reading your book.
(F) What did you say?
(J) Nothing.
(F) You said, “back when people were still reading my book”, didn’t you?

「変わったのは自分ではなく、周囲だ」というForresterに対するJamalの返事が典型的なEbonics。二重否定だから「変わらないものは見たことがない=全て変わる」だが、この場合は二重否定にならず「何も変わってないぜ」という意味になる。R&Bやロックの歌詞なんかではよくあるような気がする。
それに対しForresterが「そんな言葉はここでは使うな」と叱っているが、それに対する返事が聞き取れなかった。"I wasn't meant...."は「自分はそういう運命にはない」というようなちょっと大袈裟な表現のようだが、聞き取りが正しいとすると「あんたの意味するようなことであったのではない、そんなつもりじゃない」という意味か?
その後のJamalの台詞は「みんながあんたの本をまだ読んでた昔の頃の近所のことを聞きたい」という意味になるのだろうが、それに対しForresterは「まだ読んでいた」というところに反応して「何だって?」と聞き返しているようだ。多分、Jamalの言葉が「今はあんたの本は読まれていない」と暗にほのめかしていることに気分を害したのだろう。だからJamalは口が滑った、という雰囲気で"Nothing"と答えている。ここはForresterがゆっくり繰り返して言ったので、聞き取りができた。字幕は「昔は皆 あんたの本を読んでたんだって?」となっているが、意訳して分かりやすくしたのだろう。

Forresterは、Jamalが接続詞の使い方に薀蓄を傾けるほどに進歩したことを「吸収し自分のものにした、大したものだ」などと随分と誉めているが、それはあくまで技術的なことではないだろうか。文の内容がどうであるかということが本筋だと思うが、この映画ではその辺りが抜けている気がする。

イメージはIMDbから。 次回 III に続く。

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2006/08/03

Finding Forrester I

Blogに英語学習と書きながら最近はとんとサボっているので、たまにはDictationをば・・・本当はPart Vの映画の話題にしようと思ったんだけど。

Forrester 題材はショーンコネリーが出ているので見たという"Finding Forrester"(邦題「小説家を見つけたら」)。CATV MoviePlusの予告から、英語文章の書き方などが勉強できるかという期待もあったのだけど、残念ながらほとんどなかった。とはいうものの、多少はそんなシーンもあったので、その辺りを聞き取ってみた。でもEbonics(黒人英語)があったり、ショーンコネリーも訛りがあったりで聞き取れないところも多い。

ストーリーは、NY ブロンクスの黒人街の真ん中で隠遁生活をする作家William Forrester(Sean Connery)が若干16歳ながら小説の天賦の才能がある黒人少年Jamal Wallace(Rob Brown)に文章の書き方を教授する話を中心に展開する。(?)のあるところは不明な部分です。

---words you write for us, (?ours), are always so much better than words you write for others.

 「自分のために書く文書は、他人のために書く文章よりも常によい」

最初の方は全く聞き取れず・・・blogもどちらかというと自己満足のために書いてるようなもんだが、Forresterの言う通りならいいけどね。

so much betterという強調がポイントかな。soを強調に使うのは意外と多いんだけど、意外と学校ではあまり教わらなかったと思う。

大西先生風に言えば、「自分のために書く文はそ~んなにいいんだけど、それは他人のために書く文よりもず~っとよいということだよ」という "so" だね。ここではsoが暗示する対照が後ろに明示されている(than...)けど、後続の文がなくても、soはthat節などで説明したくらいに、というニュアンスを含んでいる、ということで、veryよりも強い(ここではveryは使えないが)

次は、Forrester(F)がタイプライターに向かって、とにかく何でもいいから書け、とJamal(J)に言うシーン。Jamalが書けずにじっとしているので、Forresterがもう一台のタイプライターを打ち始める。

(F) Go ahead.

(J) Go ahead what?

(F) Write!

(J) What’re you doing?

(F) I’m writing, like you’ll be, (then) start punching those keys.

    Is there a problem?

(J) No, I’m just thinking.

(F) No, no thinking, that comes later. You write your first draft with your heart, and you rewrite with your head. The first key to writing is, “Do write, not think.”

"I’m writing, like you’ll be"="I’m writing, like you’ll be writing"ということだろう。同じように書け(打て)と催促しているのが分かる。それから「タイプを打つ」は"punching those keys"というのだね、日本語がそのまんまだ。

 

まずは考えずにとにかく心で書け、そして校正は頭で、ということで、まぁ尤もなことだが、よく読むと、ピュリッツアー賞を取った作家という話にしてはちょっとありきたりの台詞のようにも思える。その辺りはPart Vでまた書いてみたいが、少々以前にNHKでみたモーツァルトの作曲についての話を思い出した。モーツァルトは短い生涯に膨大な曲を残しているが、彼の一日のスケジュールと曲数を考えると、楽譜を書くときはほとんど考える暇なく書かないととてもあの数にはならないのだそうだ。つまり瞬間的に曲想はできあがり、後はただそれを譜面に書き出すだけに時間を費やす、ということらしい。実際に出演していた作曲家(お名前は失念)も、あの年数であの曲数のペースというのは信じがたいほどの量なのだそうだ。

 
その証拠として、モーツァルトの自筆譜とベートーベンの自筆譜を見せたのだが、モーツァルトの譜面には訂正というものがほとんどなく、きれいに書かれているのに対し、ベートーベンの方は何度も書き直した痕がある。
どちらも天才だが、天才にも色々なタイプがあるものだ。

 

文章を書くことも同じじゃないかな。僕なんかはblogを書いていてもまずfirst draftに随分時間がかかるし、それをまた何度も校正して、アップしてからもまた訂正したりして、一つの文に随分時間がかかってしまう。しかし恐らくモーツァルトタイプの人なら、瞬間的に内容は出来てしまい、あとはそれをタイプするだけ、という人もいるのだろう。

 

では今日はここまで。

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