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2007/02/25

Boston '91-Boylston Street

Fh010002 バークリー音楽院を眺めた後、ホテルへの帰り道が左の写真風景かと思う。車道も広いが歩道も広いのがアメリカの都会らしい。

真ん中辺りが白っぽいのはどうもネガが変色を起こしているらしい。古いネガで空が大きく写っているものは大体がこんな風になっていて、古くなると黄色っぽくなっていくようだ。均一な変色ならソフトで修正が簡単なんだけど、これはどうも対処しようがない。

Boston2 どこなのか気になるので、Googleのマップ検索で航空写真(左)を見ていたら、音楽院からBoylston Stを東に向かって撮った写真であることが分かった(赤のX印から右に向かって)。写真にある三角屋根のレンガ造りの建物が航空写真の中央やや右上に見える(白い楕円)。音楽院は左下中央よりにある。こんなことも簡単に調べられるというのは、本当に便利になったものだ。

Fh010003その奥に見える白い建物に壁画が描いてあるので近づいてみたのが右の写真だが、何の建物かな。
手前に階段が見えるが、地図によるとその降りたところに"Institute of Contemporary Art"があるようだ。せっかく前を通りながら知らなかったとは、まったく迂闊だったなぁ(今は移転して新しい建物になったらしい)。

Fh010004 さて、見本市より早めにボストン入りしたために、ホテルでは高層階の広い部屋に案内されたのだが、エレベーターに近いために少々うるさい気がした。だから静かな部屋に変更しくれないかと要望したところ、中層階のアメリカでは普通サイズの部屋になってしまった。
といっても日本のホテルに比べればずっと広いから贅沢はいえないが、変えなければよかったなどと少々後悔したものだった。その部屋から見た風景が左の写真で、団地らしき建物が見える。画面が汚れて見えるのは、窓が汚れていたから。地平線はほとんど起伏がないが、わずかに山のようなものが見える。これも何となく空が白く変色しているようだ。

Crystal_silence この地平線を見ていると、Chick Corea/Gary Burtonの初めてのデュオアルバム"Crystal Silence"のジャケット(右)の地平線に何だかすごく似ている気がして懐かしい気持ちになった。それ以来、このアルバムといえばボストンの地平線を思い出す。

アマゾンにあったジャケット写真は黄色く変色しているので、これも「色褪せ修正」したら、昔のイメージに戻ったようだ。ECMのジャケットは変色するものがよくあるようで、CDにする際に変色したままのものが発売されているようだ。どうも素晴らしいジャケットを作ってきた企業にしては、意識が低いような気がする。不思議だ。

今週はちょっと忙しかったので、ここまで。

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2007/02/20

Meeting a 1970's Rocker

今日は仕事で某所に行ったのだが、実はそこの社長は大学時代の軽音楽部の後輩なのだった。

200702201420000 それを知ったのはもう10年も前、業界の視察ツアーでドイツはニュルンベルグからフランスはパリに行った時のこと、たまたま話をしていたら、大学が同じ、同じクラブだったということが分かり、びっくりだ。僕はボサノヴァ&ジャズ、彼はロックでジャンルが違うとあまり交流はなかったし、3年ほど後輩なので互いにほとんど記憶にはなかったのだが、それが縁でパリでは一緒にオペラ鑑賞に行ったりもした。

その後、同じ業界なので何かの折に噂には聞いていたし、オーナー経営者の息子ということで当時から役員という僕とは全然違う境遇ではあったのだが、いつの間にか社長になっていたとは。

ということで、実務は担当の方との話なのだが、社長が来られますので、しばしお待ちを、・・・久しぶりだからと挨拶に来られたのだった。

最初は「お久しぶり」、「ヨーロッパに行った時にご一緒で」とか話をしていたのだが、「この人は僕の大学の先輩で」とかの話から、まだヴァイブは弾いてられますか、いや何とか細々とです、今でも演奏されてるとか、いやいや私も今はしていません、弟ですわ(弟さんは常務)、あいつはバリバリで、私も卒業後はしばらくはしていたんですけど、メンバーが転勤してからはしません、そうですか、私は一人でしてね、しばらくは習いに行ったりもしてたんですが、その後はとんと。

となりに座った担当さんは、また社長の話が始まったという感じで、ついて行かれへんわという顔つき、その彼に向かって、ヴァイブを弾いてられたんだよ、ヴァイブっていってもわからへんやろ、はぁ、知りません、鉄琴や、木琴とか鉄琴てあるやろ、ヴィブラホーンというのを略してヴァイブっていうんやで、そうなんですよ、私もそういう話になると説明するのが面倒で、とかどんどんと話は脱線する。

聴くほうはずっとしてるんですよ、私もロックといってもフュージョンだったから今はジャズをよく聴くんです、とかいってる内にマイクマイニエリの名前が出てきたのは少々びっくり、とはいえ、マイニエリはフュージョンでは有名だからな、と思っていたら、ボビーハッチャーソンはヴァイブでしたかね、あ、そうですよ、よく知ってますね、という展開にはかなり驚いた。

あれもフュージョンですからね、という話から、そうか、僕が知っているのは70年代以前のハンコックなどとの共演だけど、70年代は何だかよく分からない路線に走っていて興味がなかったからほとんど聞いていないけど、フュージョンっぽいLPを一枚持ってたな、社長さんにとってはハッチャーソンはフュージョンなんだ、などと考えていると、彼の演奏も聴きにいったんですけどね、けったいなおっさんでしたねぇ、何かちょこまか歩き回って、ニワトリが歩き回ってるみたいでしたよ、いや、ほんまにけったいなおっさんやで(と、隣の担当さんに話しかけても、彼は、はぁ・・・)、そうですね、私もブルーノートに聴きに行きましたよ、などと話はとんでもない方向に。

弟はギターコレクションがすごくてずらっとあってね、今は昔のビンテージものがすごい値段だったりするんですよね、何とか(忘れてしまった)のレスポールモデルは3000万円もするんだそうで、(横の担当氏に向かって)家が建つよね、私もね、知り合いがソルトレークシティーって、あるんですけど(私も行ったことがあるが、社長さん、興に乗っているので黙っていた)そこで仕事してたんで、ギター(型は忘れた)を頼んでいて、買ったんですよ、弟のところに預けてますけど、今は450万円だそうで。(はぁ、金のあるところには集まるもんだねぇ)

ビンテージものの相場は、アメリカにその手の卸が2つくらいあって牛耳っているらしく、例えばクラプトンが何とかのギターをどのアルバムで弾いたからとか、何らかのきっかけがあるとその業者が相場をぐーんと上げたりとかするらしいとか、何だか、仕事にきて社長にお会いしたという場面とはかけ離れた話になってしまった。

何だか一方的なので、僕も赤松氏のblogで仕入れた、PSE法のためにヴァイブが輸入できなくなった話で何とか対抗しようとしたら、そうそう、フェンダーローズが駄目だそうで、と切り返され、まぁ、やはり社長だけあって話が上手ですな、完全に負けました、って勝負しにきたんやないやろ!

今でも東京に行ったらよく聴きに行かれるのだそうで、ピットインが閉店になってから、スイートベイジルにプレイヤーが流れているようで、そちらに行くんですよ、とか。
こちらは噂には聞いているけど、まったく縁がないなぁ。

いいなぁ、こんな人が社長だったら、楽しいんだけどねぇ。

社長さん、一通り話をしたら「では、よろしく」と席を立たれた。何の話に来たのやら。

まぁ、こんな話はあの方もめったにできないから、久しぶりに羽目をはずしたのでしょうね、僕もこんな話をする相手はほとんどいないからねぇ、あ、一人だけ、営業に変人扱いされてるロッカーがいたな、今度、この社長さんの話をしてやろう。

冒頭の写真は、その道すがらに撮った風景。本当に暖かい一日だった。

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2007/02/18

Boston '91 -Berklee College of Music

前にも書いたが、ボストンといえばバークリー音楽院のあるところ、そしてジャズヴァイブのゲーリー・バートンである。

Fh010025 大学の軽音楽部でボサノヴァやジャズをしていたころ、渡辺貞夫が"Jazz Study"というジャズの音楽理論の本を出版し話題になったのだが、内容はナベサダがバークリーで習った理論を中心に書かれている。その頃からジャズといえばバークリーというくらいに名前だけは知られていた。
また同時期にマリンバの佐藤先生にヴァイブを習ったのだが、先生の弟さんである大島正嗣氏がちょうどバークリーを卒業されて一時帰国されたこともあり(大島氏については以前にここでも書いたことがある)、バークリーは何となく憧れを持っていたわけだが、当時は自分がアメリカに行く可能性さえも想像できなかったくらいだから、バークリーもはるか彼方の話だった。

Map だからボストンに来た以上は、是非その姿だけでも見に行かねばと、仕事の合間に出かけた。どうやって行ったのか記憶にないのだが、Googleの地図検索をしてみたら、ホテルのあったCopley Placeから西にほんの500-600mほどの近くだ(右の地図のA、B)。当時は今のように日本にいる時に簡単に場所を検索することなどできなかったから、恐らくホテルにおいてある地図でも見たか、ホテルで聞いたのだろうと思う。

Fh010001 とにかく近くまで行って写真を撮るだけで満足して帰ってきたことだけ覚えている。周囲には楽器店やレコード店(中古LPが一杯並んでいた)が当然ながらあったが、ゆっくり見て回るまではしなかった。時間がなかったのか、前まで行っただけで満足して帰ったのかは覚えていない。前に書いたとおり、とにかくあまり学校らしくない目立たない建物だったのが、とても印象に残っている。

残念なのはボストンまで来ながら、ボストン美術館に行かなかったことだが、地図を見たら、音楽院からさらに500-600mのところにあった。上の地図で左端中央のやや下に"Museum of Fine Arts"がある。実に悔しい。

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2007/02/17

理解不能

今朝の毎日新聞、トップの見出しが目に入ったものの、よく分からないから記事を読んだら、何だい、これは?

届け出た母親起訴
離婚300日以内出生→前夫の子
大阪地検取り消し
規定理解不足

Mainichiさて、これを読んでどう理解するだろうか。僕なら、離婚後300日以内に生まれた子を前夫の子として届け出た母親がいたが、彼女は規定理解不足だった。そのために大阪地検が届出を取り消し、起訴した、ということかと思う。だから届出が間違いだったから起訴されるのか、大変だなぁ、などと考えてしまった。

あるいは、出生届けを出した母親が前夫を起訴したが、何か理解不足があって地検が届出を取り消したのだろうか。

そこで記事を読んでみると、母親は生まれた子供を前夫の子として届け出たが、実は交際相手との間に生まれた子であった。そこで大阪地検は公正証書偽造の罪で起訴した。しかし民法772条では「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定」という規定があり、母親はこの規定に従っていた。

つまり地検の理解不足であったということで、地検が起訴を取り消した、というのが真相だった。

やれやれ、新聞社は正確な情報を正確な日本語で伝えるのが仕事でしょう。特にトップの見出しは大切だよ。

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2007/02/12

Boston '91 -Driving Around

Mansion ビジネスの後は、ホテルまで送っていただいた後、夜に片山氏宅の夕食に招待していただくことに。当時はまだ、ボストンに日本人が訪ねて来ることは珍しいことだそうで、だからうれしいからとご招待してくださった。左は、片山氏のお住まいのご近所、大邸宅街を通った時の写真。いわゆる英語でいうマンションだ。

やがて哀しき外国語/村上春樹著」では、白人インテリの間でのあからさまな人種差別はないが、地域的な区別による厳然とした差があるという話があり、rough neiborhoodという英語が出てくる。ボストンでもそれが厳然としてあるというお話をこの時に片山氏から聞きながらの車窓風景である。

地名は覚えていないが、この地域は金持ちか何らかのステイタスのある白人しか住めないのだそうだ。いくらお金があっても黒人は不動産屋が仲介や紹介をしないのだそうだ。片山氏は非白人ではあるものの、日本人でハーヴァードの教授というステータスがあるためにここに住むことが可能だったという。

途中で黒人街、いわゆるrough neiborhoodに近い辺りも通ったが、やはり日本の建売住宅のような庭もほとんどないこじんまりした家ばかりで、何となく雑然とした雰囲気があった(とはいっても日本の都会にある建売よりは大きかったように思う)。

Monument 右は何の建物だったか(駅だったかもしれない)の前にある、片山氏の作になるモニュメント。通り過ぎしなに説明されて慌てて撮ったので、あまりよく写っていないが、中央辺りにある丸い彫刻がそれ。

Work1 一旦ホテルに帰ってから、夕方にまた片山氏が車まで迎えに来てくださったと記憶している。その夜はちょうど生徒さんの作品がカーペンターセンターで展示されるので、見ていきましょう、ということでまた一旦センターに寄る。
左上は日本人生徒によるセンターの地階を目いっぱい使った大きな作品で、確か卵をイメージしたものとお聞きしたように思う。手前下のベンチと比較すると、その大きさが分かると思う。
Work2 右は黒人の生徒の作品、というかセンター全体をカラフルに照明してダイナミックな作品に仕立ててしまったもの。確か、昼間にその生徒さんが来ていたか何かで、彼はちょっと悩んでいて相談に乗っているんだよ、というようなお話をされていたと思う。
こうした作品は、抽象画に多少なりとも関心が出てきた今なら面白いと思うだろうが、当時は「へぇー・・・、でもよく分からん」というのが正直な感想だった。

Weber 次の写真は出入り口の辺りに飾ってあったような気がする。何だったのか分からなかったが、絵の上にある"Idelle Weber"を検索してみたら、彼女のサイトがあり、経歴を見るとハーヴァードで教えていたことが分かった。おそらく片山氏が同僚の絵として紹介してくださったものだと思う。サイトにある作品は色鮮やかな植物などだが、残念ながらこの写真は写りが悪いようで、Paint Shopで調整してもきれいにはならなかった。

Katayama 最後は片山氏のお宅での記念写真。左から片山利弘氏、奥様、そして同僚のモデュロール・セールスマン氏(私人が写っている写真なので小さくしています)。家はその辺りでは大きなものではないが、白くてモダンな建物で、いかにも芸術家の家という雰囲気がした。左の壁に黒っぽく見えるのは、片山氏の作品がかけてあるものだ。

この時は、ボストン名物のロブスターを御馳走になったが、当地ではバターなど油っこいソースで食べるのが一般的だが「これはあっさりと醤油味でいただく方がおいしいんだよ」というのが片山氏のご意見。
この後、ダウンタウンでロブスターを食べたこともあるが、確かに奥様の作られた醤油味のソースでいただいたロブスターが一番おいしかった。

食事の後は、色々な話を伺ったと思うがもうあまり記憶にない。印象的だったのは、ちょうど湾岸戦争の直後だったこともあって、アメリカの世界に対する警察というような意識の高さを話され、それに対する日本人の自覚の低さを嘆いておられた。
連合赤軍のときだったか、総理大臣が「人の命は地球より重い」とか発言したことを馬鹿げた話だとおっしゃっていたが、当時は日本はそんなレベルだったのは確かだ。
先年の自衛隊イラク派遣や日本人が過激派の犠牲になったことなど、今はどう思われているだろうか?
それから、地名に大袈裟な名前をつけることが流行っていて、お宅の前のごくありきたりな通りも「こんな通りまでStreetでなくて、Avenueなんていうんだ」とおっしゃっていた。

とにかく、先日のNHKでの石井裕MIT教授もすごかったが、片山氏は高卒でデザインを中心に芸術界に入り、実力でスイスのガイギー社のデザイナーからハーヴァードの教授にまで昇りつめた方だから、並大抵の苦労ではなかったろうと思う。それを感じさせる明瞭な姿勢と、やや傲慢とも思えるほどの自己主張が感じられたことは覚えている。

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2007/02/11

Boston '91, Modulor

Fh010022_1 フォッグ美術館で時間をつぶした後、カーペンターセンター(右写真)に片山利弘氏を訪問した。前々回にも書いたように、センターはル・コルビュジェの設計である。

Corbusier コルビュジェについては、’91年当時は名前を知っている程度だったが、TV番組「美の巨人たち」で一昨年に取り上げられていたので、今は多少の知識ができた。右の写真は確か片山教授の部屋に飾られていた、コルビュジェの版画。
多分、片山氏に説明を受けたと思うのだが、その後その意味するところはすっかり忘れていた。これは人間の寸法を元に建物を設計するという、コルビュジェ独自の思想を表したもので、人のシルエットが単位になったモジュロールが描かれている。

コルビュジエは20世紀の建築を大きく変えました。「住宅は、住むための機械である」という思想、直線と直角のフォルム。設計の際には独自の美の基準、モジュロールという寸法体系を用いました。これは人間の体型、プロポーションから家の寸法を決めるものです。(「美の巨人たち」より引用)

この文を書いているうちに、版画にある人型のシルエットの横に寸法線が入っているのを示しながら片山氏がそのモジュロールの説明をされたことを思い出した。写真をクリックして拡大すると分かるが、左右にある赤や緑、茶色の模様は単なるデザインではなく、そこに体の部位に相当する線が描かれていることから、これが設計上の基準になる寸法であり、それをデザイン化していることが分かる。

Modulor そこで右の奇妙な写真だ。これと同じような写真がもう一枚あるのだが、ネガをCDに焼いた際にこの写真を見て、確かに写した覚えはあるものの、何故こんな写真を撮ったのか思い出せず不思議に思っていたのだ。
しかし、やっと謎が解けた。これは片山氏から版画の説明を受けたことに触発された同行の営業担当氏がモジュロールのマネをしているのだ。場所は多分、センターの出入り口辺りかと思う。ただコルビュジェのモジュロールは身長180cmくらいが単位になっていたように思うから、平均的日本人では少々寸足らずではないかと思われるが。

Drive 話は変わるが、「美の巨人たち」ではこのときにモジュロール兄弟というちょっとユーモラスなキャラクターを作り出し、その後建築関係のプログラムではよく出てきていたが、昨日の「フランク・ロイド・ライト-落水荘」ではそういえば出てこなかった。スポンサーがエプソンからキリンに今年から変わったから、方針も変わったのかな。

Business さてこの後、地元の業者を紹介していただくために、片山氏の車に乗せていただいたのが右上写真だが、当日はあいにくの雨模様だった。ただ残念ながら以前にも書いたとおりビジネスとしては実らなかった。左の写真は交渉相手の会社に到着し、車から降りた片山氏(左)とモジュロール・セールスマン氏(右)。

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2007/02/10

Boston '91, What a Coincidence!

偶然というのは良くあることかと思うが、それを単に偶然と思う人もいれば、僕のように何かの縁と思う人もいる。

先月末に古いネガをCDに焼いてもらったことから、1991年の米国訪問記を始めたのだけれど、その動機は懐かしい写真が出てきたことと、たまたまJazMys氏がblogで続けているNY訪問記をマネしようという単純なものだ。

Gaikokugo それとは何の関係もなく、先週は家内につきあって借りていた本を返しに図書館へ行き、何となく村上春樹の本を読んでみようと思いつき、でも「ノルウェイの森」のような粘っこいのは遠慮したいからと、図書検索で見つけた「やがて哀しき外国語」というのを借りた。
借りた理由は、タイトルから僕の関心事である語学的な内容だろうと思った(村上氏は翻訳もしているし、「翻訳夜話」という本も出ている)からだが、読んでみるとそんな内容もなくはないが、大半は氏が米国に移り住んでの体験をつづった随筆集だった。
そして読んでみると偶然にも内容は氏が1991年から米国にプリンストンに移り住んでからの話が書かれている。だから、その年に湾岸戦争があったことなどをこの本から思い出したことを、2/4のblogに書いた。そしてこの本は、氏がボストンに引越ししたところで終わっている。

というわけで、今、僕がこのblogで書いている訪問記は1991年のこと、そしてその中心はボストンだから、まぁ、言ってみれば「何気なく借りた本の何と奇遇なことよ」と言えなくもない。

Berkleeさらに言えば、ボストンといえばバークリー音楽院だが、バークリーといえばジャズヴァイブでは知らぬ人はいないであろう、ゲーリーバートンが学長を勤めていた(今はRoger Brownという人らしい)。
僕もヴァイブを弾いていた(過去形ではいかんのだが)のは何度かここでも書いているのだが、大学に入って軽音楽部に入り、ギター以外の楽器をしようと考えていた時に、ヴァイブとゲーリーバートンを勧めてくれたのが、先輩であったJazMys氏である。だから、これも言ってみれば「まぁ、何と奇遇なこと」ではある。

そして91年といえば、初めて大阪ブルーノートに行った年で、出演はゲーリーバートンのグループだった。この時は無理を言って楽屋におしかけ、バートン氏と短いながらとにかく会話をしたのだ。ずっとファンであること、僕もヴァイブを弾いていたこと、ちょうどその少し前にボストンを訪問し、バークリーの前まで行ったことなどを話したら、「次に来た時には是非、中に入りたまえ」なんてことを言われた。
それは単なる社交辞令だとずっと思っていたのだが、バークリーでは連日のように一般向けの無料コンサートをしていることを、日本の代表的ジャズヴァイビストである赤松氏のblogで知り、バートン氏の誘いは本気だったと知ったのはつい昨年のことだ。赤松氏はもちろん、バークリーでバートンに教えを受けているし、時々、blogにボストンでの生活などを書かれている。

などというようなことを考えながら、この木曜日に何気なくTVを見ていたら、NHKのプロフェッショナルという番組で、ボストンのMITで教鞭をとる石井裕氏が登場し・・・と、これはあまりにこじつけ過ぎだな。でも前回の話題に登場していだいた片山利弘氏もハーヴァード大学に招かれ教授にまでなった方ということで、つながりはなくもないかな。(石井教授が「ハーヴァードで教鞭」と誤記していたので訂正しました)

写真は、「1991年、僕はバークリー音楽院の前まで行きました」という証拠写真から、入り口部分を拡大したものだが、有名な音楽院とは思えないほど目立たない。
クリックして拡大すると、入り口に屯(タムロ)している楽器を抱えた学生たちの姿が見えます。

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2007/02/09

Boston, 1991 -Fogg Museum

Fh010022ボストンをこの年に訪れたのは、業界見本市がありNYの代理店(といってもおば様が一人)が出展するので、そのコマ立ちと、同時開催の技術会議出席のためだった。
それに加えて勤め先がかつてお世話になったデザイナー、画家、そして教育者でもある片山利弘氏を表敬訪問し、なおかつ現地の業者を紹介していただくという目的もあった(結局、ビジネスの話は実らなかったが)。そのため、見本市が開かれるより早め、2日ほど前から現地入りしていたと思う。

Fh010001_seated_bather_1 ボストンに入った翌日に片山氏を訪問したのだが、氏は当時、ハーヴァード大学のCarpenter Center of Visual Arts(カーペンター視覚芸術センター、右上写真)のマネージャーをされていた。だからハーヴァード大学に行くことになった。そう、あのハーヴァードだ。
この僕の生涯で、形ばかりの訪問とはいえまさかハーヴァード大学に行くなど思いもよらないことだったが、本当に世の中、何が縁で何が起こるか分からないものだとつくづく思う。
とにかく初めてのことなのでホテルからタクシーに乗ってセンターまで行くことにした。Quincy Streetという地名を覚えていたのだが、地図で確認してみるとセンターはまさにこの通りに面している。ということは、上の写真の手前がそのQuincy Streetということだ。Fh010002_mardi_gras_on_the_boulevards

Fh010003_the_rehearsalカーペンターセンターは、20世紀を代表する建築家であり、絵画や家具のデザインなどでも有名なル・コルビュジェ(片山氏はコルブジエというように発音されていた)の設計だ。
もともと片山氏はコルビュジェに傾倒していたそうで、偶然からこのセンターに招かれることになったという、これも不思議な縁の話だ。

Fh010004_selfportrait_dedicated_to_paul_さて、何といってもあのハーヴァード大学であるから、結構緊張して行った記憶があるが、実際に行ってみると大学が大きすぎるのか、周囲との境界がはっきりしていなくてどこからどこまでが大学なのかよく分からず、学内に入ったというより普通の街中を歩いているのとあまり変わらなかったという印象が残っている。

Fh010005_mother_and_child_1時間に余裕をみて出かけたため約束の時間にはまだ間があったから、学内にあるフォッグ美術館に入って見ることにした。広い学内で何故、そしてどうやって美術館を見つけて入ったのか、今になると不思議に思っていたのだが、ハーヴァード大のサイトで検索してみたら何のことはない、カーペンターセンターの隣にある。ということは、とりあえずの時間つぶしに入ったという程度のことだったのだろう。最初の写真で左奥に見えるのが美術館ということが検索してみてやっと分かった。

Fh010006_the_hangover_suzanne_valadon フォッグ美術館のサイトを見ると相当な量のコレクション、それも非常に質の高いもののようだが、当時はまだまだ美術に対する知識も僅かなものだったし、時間も限られていたので、ざっと見ただけだった。だから、館内の記憶はあまりない。
そのざっと見ただけで撮影した写真が左右にベタベタと貼り付けている今回の画像なのだが、いずれもどこかで見た記憶がありそうな有名な絵画ばかりというところがさすがにハーヴァードの美術館だと感心する・・・というよりは、見たような記憶のある絵の写真を撮ってきたという方が正しい。 Fh010007_still_life_with_commode

Fh010010_odalisque_with_a_slave どれもフラッシュを焚いていなかったのでそのままでは色合いが黄みがかってよくないし、画像もかなり呆けている。ところが、Paint Shopで色あせ調整をしてシャープにしたらすっかり鮮やかに復元したのには驚いた。ただし、色調整は美術館の"Collection Onlie"の画像を参考に調整したものの、十分にはできていない(僕に出来るわけはないが)。
ただゴッホがゴーギャンに捧げたという自画像だけはどうもフラッシュを焚いたようできれいに写っていた。画像は上から順に次の通り。タイトルはそれぞれ美術館のその絵の頁にリンクしている。邦題は調べていないので分からない。Fh010008

Seated Bather/Renoir
Mardi Gras on the Boulevards/Pissarro
The Rehearsal/Degas
Self-Portrait Dedicated to Paul Gauguin/Gogh
Mother and Child/Picasso
The Hangover (Suzanne Valadon)/Lautrec
Still Life with Commode/CezanneStill Life with Commode
Odalisque with a Slave/Ingres

最後はPaul Kleeの作品かと最初は思ったが、Joan Miroだろう。いずれにしろフォッグ美術館のサイトで画像確認ができなかったので、タイトルは分からない。
ピカソは典型的な青の時代の絵と思われ、美術館の画像ではプルシャンブルーで全面が染まりついたように青く見える(プルシャンブルーの顔料は年月と共に周囲に浸透して全体を青く染めていくといわれている・・・真偽の程は知らないが)。
画像がすっかり呆けているピサロの絵はモンマルトル通りということだが、これとよく似た絵が他にモンマルトル通りのシリーズとして4枚ほどあるようだ。

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2007/02/04

Boston, 1991 -Arrival

最初の写真は、NYからボストンまで乗ったPan Americanのプロペラ機。今でもファンが多いという青いロゴと地球のマークが素敵だ。

Fh030020_11991年の渡米は5月頃だったが、この時、すでにパンナムは破産が決定しごく一部の国内線が残るだけだったらしい。同行した営業の同僚が記念に乗ってみようと予約したような記憶がある。この写真も最後の記念にと、慌てて撮ったことを思いだす。
1987年からの年一度の渡米でアメリカ国内の空港はいくつか見たが、パンナム機を見かけた記憶はほとんどなく、乗ったのは当然ながら、このとき限りだ。1970年代からすでに経営悪化、縮小をしていたらしい。破産、消滅したのはこの年の12月だそうだから、まさに風前の灯火の飛行機に乗ったわけだ。
その後、ブランドだけ冠した航空会社が再生を試みたらしいが、今は全く噂にも聞かないところを見ると、また消滅したのだろう(調べてみたら、1998年に経営破綻している)。
NY-Boston間は2時間程度のフライトだったと思う。プロペラ機は初めてだったが、とにかくプロペラ音がうるさいしよく揺れるので、乗り物には強い方の僕も到着する頃には少々気分が悪くなってしまったことを覚えている。
NY-Bostonはアムトラックでも日帰り旅行できる程度の距離らしく、ホテルから空港の時間などを考えると飛行機が有利ともいえないようだが、最後のパンナムに乗れたのは貴重な体験だから、同僚に感謝しなくてはいけない。

Fh030021 ホテルまではタクシー、航空機事故で一時期有名になってしまったポトマック川の下を抜けるトンネルを通ったと思う。
右の写真はホテルの窓からみた光景。市内を流れるチャールズ川を臨む高層にある部屋に案内されたから眺めは抜群だ。ホテルの名前は忘れていたが、検索してみるとMarriott Boston Copley Placeだったらしい。当時はまだバブルの余韻が残る時代、旅の目的であった見本市の主催者指定高級ホテルに泊まることもできたのだ。

Fh030025 左と右下はホテルから出てぶらぶらと散策したボストンの街中の風景。ボストンは米国内の他の地域と違ってヨーロッパ的な雰囲気が色濃い街という印象が強い。またアメリカの都市ではどこでも道端にゴミが落ちているのが当たり前だったが、ボストンはそうしたことを全く見かけず、とても驚いた覚えがある。後で聞いた話では、頻繁に清掃をしているということらしかったが、これは後日談があって、1週間近く滞在した途中にはさんだ日曜日にランチをとりに街中に出たら、ゴミが道に散乱していて、びっくり。休日なので清掃業者も休み、ということか。

Fh030026 さて、今、読みかけている村上春樹の「やがて哀しき外国語」によると、91年は湾岸戦争の年なのだが、そんなことはすっかり忘れていた。
そういえば、僕は見本市に加えて同時開催の技術会議に出席していたのだが、その前年に僕の研究成果を学会で発表しないかという話が議長からあったものの、会社が旅費を出すわけがない上に湾岸戦争の動きもあってそのままになったことを思い出した。折角の機会だったが、しかしまぁ、学会で発表できるほどには英会話力があったとも思えないから、それでよかったかもしれない。
村上氏の滞在もちょうどこの年からだそうだが、本には戦争中のプリンストンでの愛国的な運動と、戦争終結後のジャパンバッシングなどが書かれている。それに対して僕がボストンに行ったのは戦争が終了して2ヶ月ほどのころだったせいか、湾岸戦争もバッシングも感じられないちょうど良いタイミングだったように思われる。案外、ボストンという土地柄のせいだったかも知れないが。

Image1 左はチャールズ河畔風景の一部を拡大したイメージだが、対岸のやや左に見える丸いドームがかの有名なMIT(マサチューセッツ工科大学)、理工系技術者としては憧れの場所だね。
川には優雅にヨットが漕ぎ出している姿も見える。
まだ日本はバブルがはじけたといっても景気はそれほど悪化はしていないころ、対するアメリカはまだまだ不景気な時期だが、こんな風景を見るとやはり彼我の豊かさの差を感じる。

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