« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007/04/30

The Zozo Sisters

Linda Ronstadtネタが、どんどん発展してきた。もともとそんなにファンだというわけではなかったのだけど何だか面白くなってきたので、しばらく続きそう・・・です。

Zozo 例の「このおばさんって、誰よ赤松氏blog風)」のヴィデオは幸いにしてVectorでフリーソフトのレコーダーを見つけたので、音声だけは取り込むことが出来た。ヴィデオキャプチャーのフリーソフトもあったけど、こちらはうまく行かなかった・・・が、画像は別に欲しくはないからいいのだ。

ということで、久しぶりに英語聞き取りに挑戦してみよう。ある程度聞き取れたところを書き出してみたが、よく分からないところはカッコにしている。書いたところ以外は何をいっているかほとんど分からない。分かる方、教えてくださいねm(_ _)m。

前回、彼女たちの音楽をCajun Musicと書いたが、インタビューの中では違うといっている。(BM: Bill Mahr(司会), LR: Linda Rondstatd, AS: Ann Savoy)

BM: So you did so many different kinds of music, so why Cajun now?
LR: Well, I, we're not, we don't really think it Cajun. Ann sings Cajun music. You know people kind of think the South is kind of one big lamp of (Bob-hood).
BM: Right. I know, I do.  (AS: Wait a minute.)
LR: In fact...the South has a lot of cultural diversity. And one of them, the crowning point for me is the Cajun culture, and there're million French-speaking people there, and Ann and her family have a band....

Bob-hoodと聞こえるのがよく分からないが、Bobというのはありふれた名前の代表らしいので、「南部は皆同じと考えているでしょうけど」というような意味ではないかな。hoodというのは、ロビンフッドでおなじみだが、「不良」とか「ならず者、ギャング」という意味がある。
その昔の英会話学校での話だが、「子供のころ」というと学校では、"in my childhood"と習ったと思うが、少なくともアメリカ人はこうはいわない。"when I was a child"というのが普通だそうだ。そしてついでに、とインストラクターがいったのは:

Don't say "child HOOD", "child hood" means something different.
  In my child hood....俺の悪ガキのころ・・・

しかしカナダではなくアメリカの中に(日常的に)フランス語を話す人たちがそんなにいるというのは全く知らなかったね。

BM: I know it's a lot of people, since Katrina, (while) musicians go down there and perform with the local musicians. Is it really a good music, (or ?) we just feel sorry for them (cause they're) flat.
AS: Well, that's a good question, the land where Jazz came from and, you know, I think a lot of musicians have left the area, which is the saddest part, and I think that any help, that kind of, you know, people come down to New Orleans and will make 'em come back and encourage a little bit, and that are, yeah, it's a great music and every (?front down....)
BM: You guys are the Zozo Sisters?
AS: It's not a Cajun record, though. I mean we have two Cajun songs.
LR: Ann has never recorded in English. She's only recording in French, and I've always...
BM: Traitor?

Katrinaというのは、もちろん例のハリケーンのことだ。BMが何をいいたいのかよく分からない(聞き取りも自信はない)が、「Katrina以来、多くのミュージシャンがニューオリンズに行って地元ミュージシャンと共演しているが、彼らの音楽が本当によいのか、それとも彼らが打ちのめされている(flat)から単に同情しているだけなのか」ということではないかな。

VOA Special English/American Mozaicで彼女たち(The Zozo Sisters)のアルバム紹介があったのは既に書いたが、偶然ながらちょうど今週のAmerican MozaicではAnn Savoyの息子であるWilson Savoyが参加しているThe Pine Leaf BoysのCDが紹介され、一部だが曲も聴ける。
音楽はモロにC&Wのように聞こえる(本当は色々とスタイルがあるのだろうが)。ここまでベタだとちょっと遠慮したくなるが、しかし確かに英語ではないねぇ。こういう音楽がアメリカにあるというのだね。
前にも書いたけど、ここでも女性相手に"You guys"と呼びかけているね。guyは男とは限らないということだ。
最後の"Traitor"というのは、Cajun MusicianであるAnn Savoyはフランス語でしかレコーディングしないのに、今回は英語で歌っているから「裏切り者」というわけだろう。

ところでSavoyはサヴォワと発音するのだ。そうするとStompin' at the Savoyは「サボイでストンプ」ではなくて「サヴォワで・・・」と言うべきだろうか? しかしこの曲の邦題をつけた人は何の工夫もないね。ストンプでは何のことか分からん人が多いだろうに。

- To Be Continued -

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/25

Cajun-Pop Tunes

リンダ・ロンシュタットで思い出したのだけど、随分、以前にどこかで彼女が歌うSkylarkを聴いてそれが欲しくなり、探したけれどこれも見つからなかったことがあった。
"What's New"は買ったのだけれど、結局Skylarkが入っているアルバムはそれ以上探さずじまいだったことを思い出した。

Linda2 しかし、メディアプレイヤーの画面から彼女のアルバム一覧にリンクできるので、見てみると1969年からもうアルバムを出していたんだねぇ、ってことはもういい歳ってこと? そうか、目のくりくりして髪がふさふさの美人顔のイメージしかなかったけど、いいおばさんの歳になってるはずだ。

僕が唯一持っている”What's New"は2002年にEnhanced版が出ているようで、リドル・オーケストラとのVideoや画像、歌詞が追加されているらしい。ちょっと欲しくなるところだが・・・、いやいや。

ま、それはいいとして、面倒だからgoogleで"linda ronstatd skylark"と検索してみて・・・わぉ!

Linda Ronstatd and Ann Savoy Performs Cajun-pop tunes

このおばさんって、誰よ、って、おいおい、そうなのかぁ?

いやぁ、ここまでおばさんとは思わなかったなぁ。かなりショック。

・・・・・・(しばし無言)。

しかしアメリカのアマゾンはサービスがいいね、ちょっとしたプロモーション程度かと思ったら、まるまる2曲とインタビューを見ることができる(ヴィデオを全部みて、2曲聴いて、ちょっと気を取り直す、僕もオッサンだからね)。

しかし、インタビューは全然分からん。司会者はまだはっきりした発音だからある程度(それでもある程度)分かるけど、特にリンダはほとんど聞き取れない。ジョークが結構あるみたいだけど、何で笑っているのか、くやしいねぇ。音声だけでも取り込んで聞きなおしたいところだ。

ヴィデオの中で、Cajunという言葉が出てくる。ケイジャンのように聞こえるが、その言葉で思い出した。英語勉強のためにいつも聞いているVOA Special English "AMRICAN MOSAIC"で、彼女のCajun Musicのアルバムを紹介していたのだ。

Cajunというのは、アメリカ南部の音楽だそうだ。インタビューの中でも、リンダが、Cajunは南部の音楽といっても、あなた方は南部はみんな一緒くたに思ってるでしょうけど、すごく広くて、色々あるのよ、とか何とかいって、司会者は、僕もそのクチ、とか言ってるらしいが、VOAによれば、ルイジアナ州のフランス語を話す人たちの音楽だそうで、デュエットをしているAnn Savoyはいつもはフランス語ばかりで歌っているとか何とか、これもインタビューで言っているようだった(部分的には聞き取れたのだけど、大半は分からん)。

"What's New"でのリンダは、かなり抑えた素直な声で歌っているが、こちらのヴィデオでは本来の彼女の歌い方なのだろうが、張りのあるカントリー風な声だ。こういう声って、ディクシーチックスも同じだけど、結構好きだね。

ところで、上のイメージがアルバム"Lush Life"だが、日本のアマゾンでは品切れになっている。アメリカのアマゾンには$18.98であるようだから、どうしようかな、送料が結構かかるからな。

・・・と思っていたら、HMVで売っていたので注文してしまった。

しかし、1970年のアルバムジャケットは可愛らしいね、ちょっとまとめてオトナ買いしてしまいそうな気になる。

ところで、当然予想されたことだけれど、アメリカでは、リンダ・ロンスタートだね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/22

Boston '91 -Newbury Street

Fh010010 Boston, 1991、再開です。Fh010011

ホテルや見本市会場の周りをウロウロした写真の紹介。何となくどうでもいいっぽい場所に壁画があったりするのは、そういう文化なのか落書き防止なのかはよく分からないが、ついついもの珍しいので撮ってしまう。 この壁画の最近の写真がこちらにあるのを偶然見つけた。随分と薄汚れて見えるけど、そのまま残っているのだね。

Fh010014 Boylston Streetの記事にあった壁画のある大きな白い建物は、調べているうちにBoston Architecture Centerで、建築大学であることが分かった。なるほど、だから壁面一杯に建物が描かれているわけだ。
前回はBoylston Street側から見ていたが、今度はNewbury Streetから見たところが右の写真。Newbury Streetは繁華街で様々なお店が並んでいる・・・らしい。よく覚えていないが検索してみるとそんな説明が多かった。

Fh010018 左はちょっと目に付いた看板を撮ったものだが、JOHN FLUEVOGという文字が見える。検索してみたら、米国各地にお店をだしているJohn Fluevog Shoesという靴屋さんだった。確かに階段の前にある壁の絵を良く見ると、天使の下に靴を作っている(または直しているのか)男性の絵なのが分かる。何も知らずに写したのだけど、「そうだったのか!」と今更気がつくのだ。Google Mapで検索すると、右上の写真にある建築センターの向こうの隣のブロック(東)にある。

Fh010015 右は、Newbury StreetからBoylston Streetに戻ってずっと東に行ったCopley Squareにある、Trinity Church。よこにガラス張りでそびえ立っているのは、John Hancock Tower・・・John Hancockというと、シカゴにあるJohn Hancock Centerの方が有名で、これも同様にそびえ立つ摩天楼だ。教会の向こうに見える中位のビルが実はオリジナルのJohn Hancock Towerで、今はBerkley Buildingと呼ばれているそうだ。
歩いている人たちの姿は、真冬のようなコート姿の隣を、半袖、半パン姿で歩く女性と、この辺りの彼らの感覚がどうなっているのかと思ってしまうが、冬から春に移り変わる時期だからということだろうね。

新しい、といっても1976年に建てられたガラス張りのタワーは、建築当初から風や熱による収縮膨張のためにガラスが次々と落下し、実に1万枚もの窓ガラスのうちの多くが落ちたというから、恐い話だ。Wikipedia USAにはその当時、落下した窓にベニヤ板を貼り付けた哀れな姿の写真もある。「ベニヤ板宮殿(Plywood Palace)」とか「世界一高いベニヤ板ビル(the world tallest plywood building)」と茶化す人が多かったとか。

というようなことは、なーんにも知らずにウロウロしていたころの写真でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/19

What's New?

ゆうけいさんに頂いた話題が続いております。めずらしく連続更新!

Photo リンダロンシュタット/ネルソンリドルのアルバム"What's New"は彼女の最高傑作という評もあるほどですが(アマゾンでの評)、ネルソンリドルというというとやはりフランクシナトラとの共演が有名ではないかと思います、といってもシナトラのアルバムは持ってないんですが、リンダの方は持っています。

1920~1940年代の古いバラードばかり集めたアルバム、この話題の発端となった「グレートギャツビー」の時代に重なりますね。しっとりと歌い上げる、ちょっと鼻にかかった声がビジネスで乾ききった心をうるおしてくれます。

What's Newという曲は想い出のある曲でして、学生時代、一時期バンドに女性のヴォーカルがいたころに取り上げた曲でした(ヘレンメリルの話題を取り上げた時に"It Don't Mean A Thing"を一緒に演ったという人です)。

だから結構歌詞も覚えていたんですが、1980年代半ば、英会話学校に通い始めたころ、インストラクターがいつも最初に呼びかける言葉が、"Hey, guys. What's new?(またはWhat's up?)"でした。

そんなことから、"What's New"っていう歌があるね、There's a song titled "What's New"、と僕が言い出したところ、偶然ながら他にもこの歌を知っている生徒さんがいたので、うろ覚えの歌詞をホワイトボードに書き出してみんなで歌った想い出があります。インストラクターはリンダに多少似ていなくもない美人の、シカゴから来たKityという人でした。

それからはクラスが始まるとこの歌を歌ったりしていたのですが、しばらくすると学校のBGMにこのリンダロンシュタットの歌が流れるようになりました。マネージャーが気を利かせてくれたんですね(単に気にいっただけかもしれないけど)。

聴いているうちにこのアルバムが欲しくなったんですが、当時はまだネットショップなんてないし、CD店にあるアルバムしか手に入らない時代、このアルバムがなかなか見つかりませんでした。結局、15年以上経ってから思い出したようにアマゾンでみつけて買ったのでした。

What's new?
How is the world treating you?
You haven't changed a bit
Handsome as ever, I must admit

どうしてる?
うまくやってる?
全然変わらないのね
くやしいけど、相変わらず素敵だわ

いい加減な訳ですが、しっとりしたいい歌ですね。

そうそう、その後、アメリカへ仕事で行くことが続いたとき、客先を訪問した際に途中で電話がかかってきて、その方は電話を取ると"Hi, what's cooking?"っていってました。これもWhat's newと同じですね。

それから、英会話学校でインストラクターがいつも言っていた"Hey guys."という呼びかけですが、guyというと男と思いがちですが、「さぁ、みなさん」という程度の意味でも使うようです。遠足で自由の女神見学にきた小学生たちに先生が呼びかける時にも使っていたのを、TVの英会話教室で見たことがあります。

最後に、蛇足ながらリンダは、Handsome as everと歌っていますが、男性が歌う場合は、Lovely as everとなるようです。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007/04/18

Sport!

昨日の記事で、グレートギャツビーについて書いていたとき、実は村上氏の訳者あとがきは途中までしか読んでいなかったで知らなかったのだが、最後の方に"Old Sport"の訳のことに触れている。

"Old Sport"というのは、当時の英国風な表現でアメリカ人はこの表現は使わないらしい。そうすると、映画「真夜中のサバナ」でなぜケヴィンスペイシーが"Sport"という語を使っているのか、ますます気になるところだ・・・つまり監督のイーストウッドがギャツビーを意識していた裏づけではないかと、さらに疑ってみたりするのだが、ネットで検索してもそんなことを考えている人はいないようだ。

Midnight_in_the_garden_of_good_and_evil_ ということで、DVD録画していた「真夜中のサバナ」をもう一度みてみたら、"Old sport"ではなく、単に"Sport"といっていた。これは僕の勘違いだが、まぁ、どちらにしろアメリカ人があまり使わない表現という点では大きな違いはないと思う。

もとは実話を基にしたベストセラー小説だそうだが、WikpediaUSAによるとイーストウッド監督は映画化に際しかなり話を変えたらしい。だから小説ファンには不評で興行的にもあまり成功しなかったらしい。

早送りでざっとみて筋を思い出したが、確かに実話に基づいているだけに「グレートギャツビー」とは話は随分と違うのだが(主要テーマは殺人事件の謎を解く一種の探偵あるいは裁判物)、主人公は成金でパーティーが好きで一見紳士風というところなどは類似点がある。

また語り手になる記者(ジョンキューザック)はニューヨークからジョージア州サバナに取材に訪れるというところは、グレートギャツビーでキャラウェイが西部からニューヨークに来る点をひっくり返したようで、これもちょっと面白いし、ジョーダンとは性格がちょっと違うが、キューザックと仲良くなるジャズシンガーの女性が登場する(イーストウッドのお嬢さん、アリソンイーストウッドが演じている)。原作では記者はゲイで女性との恋愛はないらしいのだが、映画ではキャラウェイとジョーダンのように恋愛があるのも、うーむ、やっぱり・・・という気がしてしまう。

ところで、映画ではジャズ好きなイーストウッドらしくたくさんのスタンダードナンバーが出てくるのだが、テーマになっているのはこれもスタンダードな「スカイラーク」だ。そしてこの曲を作曲したのは、舞台となったサヴァナ出身のジョニーマーサー、そして映画の中でスペイシーが住んでいる家はジョニーマーサーがかつて住んでいた家というから、なかなかと凝っている。そして歌っているのは、K.D.ラング・・・割と最近にトニーベネットとのデュオで僕は知った歌手だが、随分以前から活躍していたのだね。WikipediaUSAのページを見てみるとサウンドトラックにはトニーベネットもあるんだけど、何とケヴィンスペイシーやクリントイーストウッドの歌も入っているようだ。そうそう、先月CATVで見た映画では、ケヴィンスペイシーは歌手のボビーダーリンの伝記映画を作って歌も踊りもこなしている(Beyond the Sea)。

末尾だけれど、グレートギャツビーを読むきっかけになったのは実はゆうけいさんの記事だったことを、コメントをいただいて思い出したので、改めて御礼申し上げます->ゆうけい様(パソ通風な書き方だね)。

グレートギャツビーに関してはてゆうけいさんはもう一つ記事を書かれているのだけれど、そのコメントを読んでちょっと面白かったのは、映画「華麗なるギャツビー」の音楽を「演奏はリンダ・ロンシュタットとの共演で有名なネルソン・リドル・オーケストラ」と紹介されているけど、僕なんかはネルソンリドルといえば「フランクシナトラのバックで有名」といってしまうところで、世代の差を感じてしまいました。

などなど、ということなのだが、肝心の録画DVDは15分くらいのところでエラーを起こしてかなりの部分が消えてしまっている。結構気に入っていた映画なので、残念なのだが画質ももともとあまりよくないし、ちょっとアマゾンを覗いてみよう・・・ということで見てみるとユーズドなら800円からあるではないか。

という訳でまた衝動買いをしてしまった・・・ただし、一番評価がよかったところにしたから、\980+送料\340ということになったが、これもオトナ買いというのかな?

イメージはWikipediaUSAから、映画の冒頭と最後にも出てきたと思うが、サバナの墓地にある像だったと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/04/16

Old Sport!

随分以前から図書館で、借りては読まずに返してまた借りて、を繰り返していた村上春樹訳「グレート・ギャツビー」をやっと読み終えた。

Gatsby_1 読み始めた理由は、有名な本だし村上氏があちこちで触れていたようなので、それからしばらく前に村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んだから、とか色々と理由はあったが、その割には物語りに入り込むまで随分時間がかかった。というよりまとめて読む時間が昨日、やっと取れたからというのが本当の理由だが、それと共にやたらと装飾をちりばめたような文体に馴染むのにも時間がかかったこともある。

村上氏のあとがきによると、本当は英語で読むのがいいらしいが、同時にちょっとやそっとでは取り付けない英語でもあるらしい、だから、いつか隠居したら読むことにしようかとも思うが、そういうことは大体が実現はしないだろうね。

さて、興が乗って読み出したところで、どうもデジャブーな気分、それが何か分かったのは、ギャツビーがやたらと人のことを「オールド・スポート」と呼ぶ場面だ。

Old sportは普通の英語ではお目にかかることはほとんどないと思うが、辞書を見ると"sport"の後の方に「(呼び掛けに用いて)君.*old ~! 君.」というのがある(研究社中辞典)。

この語が何故「でじゃぶー」なのかというと、"Old sport"はクリント・イーストウッド監督のアメリカ南部を舞台にした「真夜中のサバナ(原題"Midnight in the Garden of Good and Evil")」でケヴィン・スペイシーが盛んに使っていた言葉だから、そしてその言葉の正体がなかなか分からなくて、ヴィデオを何度も聞きなおしたりしたからよく覚えているのだ。

Savannah 映画ではケヴィンスペイシー扮するジムウィリアムズが南部エリート風な軟らかい物腰で「オールスポー」と、語り手である記者ジョンケルソー(ジョンキューザック)にいつも呼びかける。意味は場面からすぐに分かるが「スポー」と聞こえる単語がなかなか分からない。まさかスポーツと同じ語だとは思わなかった、そんなたった一語だけのことからグレートギャツビーを読むにつれて、「真夜中のサバナ」がますますオーバーラップしてしまった。

小説の舞台は東部、ニューヨークにも拘らず、なんだか南部のような印象がどうしても拭えなかったのは、そんな映画のイメージがちらついたから。それに舞台が1920年代ということや、ニューヨークといってもマンハッタンが主舞台ではないから僕の知っているニューヨークとは雰囲気が違うということなのかもしれない。

小説について語るのはなかなかと難しい。いい小説だと思うし、村上訳も素晴らしいと思う。ハリウッド映画風な物語ばかりに慣れると、こんなアメリカもあるのだと改めて実感するが、1920年代のアメリカだから、今ひとつイメージをどう捉えていいかが分からないところもある。特に村上氏自身、現在に生きる人々として訳したかったといっている面がその1920年代という舞台をぼやけさせている面もあるような気がする。まぁ、それは村上氏の望んだことだから仕方あるまい。

小説はそれとして、非常に強く感じたのは、クリントイーストウッドは「真夜中のサバナ」の制作に当たって絶対に「グレートギャツビー」を意識していたに違いないということだ。「真夜中のサバナ」は実話に基づいているとか、舞台は南部でもっと現在に近い時代だとか、登場人物の背景なども違いがあるとか、色々とあるのだが、それを超えて非常に共通した点を多く感じる。

むしろ事実を元ネタに利用してイーストウッドが「グレートギャツビー」をリメイクしたのではないかとも勘ぐったりする。小説のグレートなギャツビーと彼に相当する映画のウィリアムズの人間性はかなり違うのだけれど、それに対応するキャラウェイとケルソーという人物設定は類似点が多いと思う。

まぁ、これは僕のひねくれた見方に過ぎないのだけれど、グレートギャツビーが好きな方は、一度「真夜中のサバナ」を観てみると面白いかと思う。「どこに共通点があるの!」ッていわれるかもしれないが、それとは関係なく見て損はしないと思うお勧め映画ではあります。主役を食ってしまう強烈なスターも出ます。

グレートギャツビーの最後にキャラウェイが語る言葉は何だか「風とともに去りぬ」のスカーレットオハラの最後の台詞 "Tomorrow is another day."を思い出させるのだが、これがやはりアメリカらしい結末なのだろうな。

冒頭のイメージは図書館で借りたものだが、アマゾンなどにある表紙とは違うのだね。愛憎、いやいや愛蔵版なので付録がついている。その付録「『グレートギャツビー』に描かれたニューヨーク」をこれから読もうと思う。

映画の「華麗なるギャツビー」は観たことはないけど、ネットでの評価は分かれているようだ。観るべきか、迷うところだな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/04/09

Don't Explain

To Come Home to、如何なりしや?

Helen_m 歌の歌詞やタイトルをコネコネと説明するのは野暮というもの、Don't explain・・・、なんだけれど、まぁ、乗りかかった船だから最後までお付き合いください。

NiftyServe、パソコン通信の英会話フォーラムからのrephrase等を挙げてみます。

You'd be so nice to come home to.

1. You are the nice one who I wish I could come home to.
 (You are the nice one to whom I wish I could come home.)

whoは本来はthat/whomだが、口語ではwhoあるいは省略。come home toの後には名詞が来る。ここでは関係代名詞につながっている。この文を関係代名詞のところで二つの文に分けるてみると(英語の問題によくありましたね):
   You are the nice one.
    I wish I could come home to the one (=you).

2. You (are the one that) would be so nice to come home to.

「しみじみと胸に応える」という成句であるかどうかのポイントは、come home toで成句なのではなく、come home to somebodyで成句だということだ。だからtoの後に何が来るかで意味が変わってしまうことは前回に書いた通り

さて、最終的にはネイティブスピーカーがどう感じるかであるが、その点についても「英会話フォーラム」で答が出されていた。この曲名をみて、第二外国語として英語を教える資格を持ちある大学で教えている米国人は次のように話したそうだ。

"It would be nice to come home to you."と"You would be nice to come home to."は意味は同じだが、"You would ..."の方は非常に悪い文で、通常はこのような文は書かない。
「悪い文」というのは、フォーマルな例えばビジネスレターではこのような文は悪いとされるという意味だが、会話ではごく普通に使われる。何故このような語順になるかといえば、会話は頭に浮かぶ考えがそのまま言葉になるので、計画的に作る書き言葉とは違うということだ(つまりはまず一番重要な語が来てその後に説明がついてくるようなことが良く起こるので、まず頭に浮かんだ"You"が語頭に来てしまったということになる)。作者のコールポーターは話し言葉の語順にすることで、暖かみのある会話的な表現にしたかったのだろう。また歌詞がYou で頭韻を踏むためという理由もあるだろう、と説明している。

結局のところ、米国人は"It would be so nice to come home to you."と同じ文であると感じているのだから「僕が帰っていく先である君は素敵だろうね」というような意味になり、「しみじみ胸に・・・」の意味はどうもなさそうな感じだなぁ。

Murakamisan ついでながら村上春樹の「そうだ、村上さんに聞いてみよう/朝日新聞社」にもこの歌の題について触れられているというコメントがあったので、図書館で早速借りてみた。
残念ながら本文中の282の質問にはなくて、巻末の特別付録「歌詞の誤訳について」の中で簡単に触れられているだけ、そしてやはり「(仮定として)あなたは帰っていくべき素晴らしい存在となります」となっている。
でも村上さんは「『帰ってくれれば嬉しいわ』とヘレンメリルが色っぽく歌った方が、歌の雰囲気としてはいいような気がしますね。」とも書いている。

ところで村上さんはこの歌が「『帰ってくれれば嬉しいわ』とか『恋人よ帰れ』とか訳され・・・」と書いているのだけど、後者は聞いたことがない。ひょっとして「恋人よ我に帰れ」="Lover Come Back To Me"、通称"ラバカン"(ちょっと品がない言葉だね)の間違いではないのか・・・、と思って調べてみたら、ビリーワイルダー監督の"The Fortune Cookie":邦題「恋人よ帰れ、我が胸に」の中でこの曲が使われているということらしい。

さて、冒頭の写真は僕が持っているヘレンメリルのLPを並べてみたもので、左から"The Nearness of You"、"The Feeling is Mutual"、"Helen Merrill with Cliford Brown"、"A Shadow of Difference"、そして上に乗っているのが先日衝動買いをした"The Feeling is Mutual"のCDだ。CDジャケットはメンバーの写真だけになって少々つまらない。"The Nearness of You"はビルエバンスが共演していることで有名だ。
右端の"A Shadow..."は"The Feeling..."と同じメンバーで吹き込まれたアルバムだが、やはり二匹目のどぜうはいなかったという・・・、残念!ちなみにラバカンが入っています。
そして今回のタイトル"Don't Explain"は、"with Cliford Brown"、"The Feeling is Mutual"のどちらにも収録されている曲のタイトルで、ビリーホリディの作曲です。

最後にアメリカ人のご意見を引用しておきます。ただし意味ではなく文法的な説明です。

  "You'd be so nice to come home to"
I think it is only a “bad expression” in the context of highly formal written English in which strict grammatical rules are applied. However, such expressions are used frequently in casual spoken English, and they don't sound at all "bad" or strange to the native speaker listener. This difference between written and spoken is really a difference between planned and unplanned discourse. When we write, we have the luxury to plan what we say before we write it and even correct our writing if we notice a mistake. In conversation, we often speak as a thought comes to us, and thoughts do not always occur to us in the arbitrary sequence which any particular language tries to impose. Thus, why did Porter use this expression? After all, he had the luxury of writing the lyrics before singing them.  I think using the unplanned, spoken form gives his song a warmer and more conversational feel.  Also, there may have been a poetic reason (e.g., perhaps other lines in the song begin with "you").  Song lyrics, just like movie scripts, are first written but their goal is to imitate real speech.  In my opinion, this is exactly what Porter has done.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/04/06

L'Annunciazione, 1981

To come home, or not to come home, that is a question....、てな話はちょっと置きまして、先日、新日曜美術館(NHK教育)は、今、東京で展示されているレオナルドダヴィンチの「受胎告知」の特集だったが、このところ続けて画像アップをしていた81-82年のイタリア旅行の際に、フィンレンツェのウフィツィ美術館で見たのが、左の写真。

Dh000130 古くてすっかり変色してどうにもならない。どうも室内で光が足りず色が再現できないようで、それにかなり呆けてしまっている。先日のTVではもっと鮮やかだったから、その後修復したのかもしれないが。

ダヴィンチの完成作品はほとんどなくて、現存する数少ない作品の大半はモナリザも含めて未完成なのだそうだ。その中でも最も若い時期に描かれた「受胎告知」は数少ない完成作品とのこと。この時、すでに数々の革新的な技法が使われているとか、当時としてはあまりに革新的過ぎてあまり話題にならなかったことなどが、TVで解説されていた。

Dh000134_1 右は同じくウフィツィ美術館にある、ライヴァル(だったかどうか知らないけど)のミケランジ ェロによる「聖家族」。こちらの写真はまだ状態が比較的良かったようだ。

ところで「受胎告知」の原題、L'Annunciazioneは伊和中辞書(小学館)によると「聖母マリアへのお告げ、(美術品などの)受胎告知」という特別な意味がある古い言葉で、Annunziataというのが現代の相当する言葉のようだ。頭についているL'というのは女性名詞に着く定冠詞Laの省略形だから、英語の定冠詞と同じく、特別な告知であることを意味している。この語の動詞形は annunziare(知らせる、告げる、annunciareとも書く)、annunziatoreは男性アナウンサー、女性アナはannunziatrice、とたどっていくと、そうか、英語のanouncementと同じ語源の言葉なのだね。
GARZANTI DIZIONARIO(伊英/英伊辞典)によるとanouncementはannuncioとあるな。でも伊和中辞典では-cioはなくて、annunzioとなっている。綴りの違いは編纂者の見解の相違なのかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/04

So Nice to Come Home to

Mutual ここしばらく、頭の中で"You'd be so nice to come home to"というフレーズがグルグル回っている。

前回のエントリーで書いた"You'd be so nice when I come home to you."という書き換えは間違いではないかもしれないけど、違っていた(要するに間違っていたのかい)。正しくは次のようになる。

It would be so nice (for me) to come home to you.

"It's nice (for me) to talk to you."→"You are nice to talk to."と言い換えられるのと同じこと。

ここで面白いのは、検索してみると"It's nice to talk to you" より"It's nice to talk with you"が圧倒的に多いのに、"You are nice to talk with"は一例しかなくて "You are nice to talk to"が多かったことだ。感覚的には分かるんだけど説明は難しいね。

ということで、You'd be so nice to come home toの後に続くのはやはりmeではなくyouというのは変わらない。

"come home to" が「君の元に帰る」と「しみじみ胸に応える」というdouble meaningsかどうか、となると、それ以前に英語でその区別が明確にあるのかどうかが問題。というのもcome homeという言葉自体が、単に「家に来る(行く)」という以上の意味合いを持っているかもしれないからだ。"Home Sweet Home"、"home country"などというようにかなり深いニュアンスを持った言葉だと思われるからだ。

だからもし区別がそれほど明確でなければ、ニュアンスとしてどちらでもよいことになる。ただし方向性が違ってくる。

「胸にしみじみ応える」と言う場合、「応える人」はto が指す人になる。

You'd be so nice to come home to.
あなたは(私にとって)しみじみ応える人。

という解釈なら、to come home to meである。これを書き換えてみると:

It would be so nice (for me) to come home to me.

これはどうみても「あなたは(私にとって)しみじみ応える人」にはなり得ない。「(私にとって)私の元に帰ってくることは素敵だ。」というような意味にしかならない。無理に訳そうとすると、「私の胸にしみじみ応えるということは素敵なことだろう」ということになって不自然だ。

再度この解釈の上で、"You'd be so nice to come home to (you)."とするならば、「あなたにとってあなたはしみじみ胸に応える人」という少々不自然な(ナルシスト?)意味になりそうだ。

You'd be so nice to come home to.
1. It would be so nice to come home to you.
2. To come home to you would be so nice.
3. To be with you would come home to me.
4. Coming home to you would come home to me.

少々怪しげな書き換えをしてみた。3,4は無理して「しみじみ」を入れてみたがどうも不自然だ。こうしてみると、元の題名にあるcome homeを「あなたは私にとってしみじみ」という意味に取るのはやはり無理がありそうだなぁ。

さて、以上の議論は"You'd be so nice...."が"It would be so nice...."と書き換えられるという前提で進めてきたわけだが、「書き換えはできない、"You'd be so nice...."はその文体でこそ成り立つ文だ」という論も出てきそうだ。その辺り、NiftyServeパソコン通信のログを調べてみたら、色々と出てきたので、次回はその議論をしてみよう。

ところで冒頭のイメージは、ヘレンメリルのアルバム"The Feeling is Mutual"、僕は実はクリフォードブラウンとのアルバムよりこちらの方が好きだ。エリントンの"It Don't Mean A Thing, If It Ain't Got That Swing"が入っているが、この編曲を借用して学生時代に定期演奏会で演奏したことが懐かしい。あの時のヴォーカルは嫁いで四国に行ってしまったが、今でも歌っているだろうか。

ということで、アマゾンで検索してみたら、このアルバムは廃盤なのかMarket Placeしかない。LPは持ってるんだけどねぇ。仕方がないので注文してしまった・・・衝動買いだね。

イメージはMicrogroove.jpからいただきました。このサイト、なかなかと面白そうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/01

You'd Be So Nice To Come Home To

"You'd be so nice to come home to"というと、ヘレンメリルとクリフォードブラウンの共演で有名なスタンダード曲だが、日本で定着している「帰ってくれれば嬉しいわ」(あるいは「帰ってくれたら嬉しいわ」)というタイトルは誤訳というのも有名な話。

Come_home_to そもそもこの誤訳をしたのは、かの大橋巨泉がジャズ評論家だった頃だそうだ。しかしさすがの巨泉氏、誤訳に気づいたものの、時既に遅く、このタイトルが定着してしまったらしい。

「帰ってくれれば嬉しいわ」とすれば、語尾の"to"が不要ということはさておき、"to come"の主語は"you"ということになる。

これまた古い話だが、パソコン通信時代の英会話フォーラムでもこれが話題になり、その時にプロの翻訳家の方が説明されたのが、comeの主語はyouではなく、"I"ということだ。

ログを調べなおすもの面倒なのでいい加減な記憶なのだが、分かりやすくすると、次のような文章ということだったと思う。

You'd be so nice when I come home to you.

最初に"you"が出てくるので、"come home to you"の"you"が省略されるというか、頭に戻るということだったと思う。「(私のもとに)帰ってくれれば」ならば、"to me"の"me"は省略されないというような、何か文法的な説明もあったような気がするが忘れてしまった。

そして、この歌が流行ったのが第二次大戦中、戦場にいる兵士たちが残してきた恋人を思う気持ちにぴったりだったという解説をされた方もいた。ちょっと調べてみたら1943年の映画の歌ということだ。

定着してしまった誤訳のタイトルだけど、その翻訳家氏はさらに続けて、歌の訳はイメージが大切、「帰ってくれれば嬉しいわ」は素敵なタイトルだから、それでいいのだ、というご意見だった。そんなものなのだね。

というようなことで納得していたのだけど、もっと簡単に解決してしまったのが、たかけんさん

"to come home to"って「胸にしみじみこたえる」って成句(慣用句)だったのだって。知らなかったなぁ。慌てていつもの電子辞書を検索してみたら、ありました、研究社リーダーズ+プラスV4の中にありました。

come home to sb: しみじみと人の胸にこたえる, はっきり理解される

なるほどねぇ。いざというとき意外と役に立つがミスも多いことで有名な英辞郎では例文や他の用法もあって分かりやすい。ごく一般的な辞書の研究社新英和・和英中辞典には、類似の成句が載っていたが、"come home to"は載っていない。

bring … home (to a person)
(〈人〉に)〈…を〉しみじみ訴える, 〈…を〉(〈人〉に)深く悟らせる, 強く思い知らせる

ふむふむ・・・ふむ? いや、ちょっと待てよ。そうすると"so nice to come home to sb"のsb=somebodyは"you"ではなく"me"ではないのか?

ちょっと調べた範囲では、"I want you to come home to me"というような用例は確かにたくさんあるが、"You are nice to come home to me"という例は見当たらないし、この場合は成句というよりそのまんまの「(家に)やってくる(戻ってくる)」という意味になりそうな気がする。例えば次のような例があった。

"But it's so nice to come home to him, or to sit and wait for him to come home to me, you know?"
"I wouldn't know. It doesn't work that way for us. We go to work together and usually come home together. "

でも、彼の家にいったり、彼が私の家に来るのをじっと待っているのって素敵よ、そうでしょ?
さぁ、どうかしら。私たちはそんな風じゃないのよ。一緒に仕事に出るし、大抵は一緒に帰るから。(拙訳)

僕の訳があってるかどうか分からないけど、英辞郎の用例を引用すると、どうも何か違うようだ。

The fact that I had a family came [hit] home to me at that time.
実は、あの時は家族がいることをしみじみありがたいと思った。

訳の「実は」というのは余計な気がするが、事実とか物などが"come home to me"の主語にならないと、この成句の意味にならないような気がする。

やはり語尾が"to"で切れているところがポイントだと思う。もし成句としての意味だとすると、"You'd be so nice to come home to"は「君は、しみじみと僕の胸にこたえるほどに素敵だろう」という意味になるのかなぁ(結果の不定詞というやつか?)。

実のところは、検索してみるとこの歌はやはり最初の"You'd be so nice when I come home to you"という解釈が主流のようだ、というのが僕の結論である。たかけんさん、ごめんなさい。

You'd be so nice to come home to
きみが待っていてくれるのなら、うちへ帰るのはさぞや楽しいだろうな
訳詞 村尾陸男( ジャズ詩大全 第4巻 )

関連エントリー
- You'd Be So Nice To Come Home To
- So Nice to Come Home To
- Don't Explain

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »