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2009/01/11

最後の国境への旅

*本記事は他所で2007年8月に書いたものを移動してきたものです。

51snja6g1zl__ss500_ 「最後の国境への旅」を著したリービ英雄については、もう20年くらい前か、雑誌か何かに四畳半に住んで日本語で小説を書く(変わった)アメリカ人として紹介されていたのを見て、頭の片隅にはずっと残っていた。

しかし実際に彼の本を読もうとまでは思わず、そのままになっていたのだが、二年余り前のNHK教育の「日本語なるほど塾」で出演していたのを見て、また関心を持つようになった。そのときのことは以前に書いている

それ以来、彼の本を読んでみようという気はあったものの、相変わらず読む機会はがないままになっていたのだが、先月(2007年7月)、いつも本を借りている稲美町の図書館で偶然見つけて読んだのがこの本だ。

さて、何の予備知識もなくこの本を日本人が読んだとしたら、一体誰がアメリカ国籍の白人が著者だと思うだろう。そのくらいにすばらしい、そして読みやすい日本語で書かれている。

アメリカ人が日本語の小説を書くということについて、日本人が英語の小説を書くよりももっと、相当に珍しいことだろうとは思うものの、自分が英語をマスターしたいとずっと思っていたこともあって、逆に日本語をマスターしようと考えたり、日本語で文章を書こうとする外国人がいてもおかしくはないだろうし、そこらの日本人よりずっとよい日本語を使える外国人がいてもおかしくはないだろう、というのが最初に書いたリービ英雄の紹介記事を読んだ時から思っていたことだ。

英語を学んでいたり、仕事にしている人の中には、日本人の英語はどう転んでもネイティブスピーカーにはかなわないと考えている人が結構いる。これは英語関係のMLやら昔のパソ通の英会話フォーラムで、相当に英語に堪能な日本人がそういっていたことなのだが、僕はそうは思わない。

確かに会話ではそれはある程度真実かもしれないが、書き言葉となると話は別だろう。大体が、日本人でもまともな日本語で文章が書けない輩をたくさん見てきた。彼らは単に日本語ネイティブという以上には日本語が上手とは思えない。

むしろ日本語を言葉として学んだ外国人のほうがずっと正しい(という言い方がよいのかは別にして)日本語を知っている可能性が高いと思うのだ。

殊に日本語は難しい言葉で、外国人がマスターするのは非常に難しいかほとんど不可能と思っている日本人は多いのではないかと思うが、実際の話、リービ英雄の小説ほどの日本語をきちんと書ける日本人がどれだけいるといえるのだろうか。

逆に言えば、英語を学んだ日本人の方が正しい英語を知っていることだってあるわけだ。実際に英語関係の学者なら日本人でもすばらしい英語ができる人は結構いるだろう。それは話せるという意味ではないかもしれないが、正しい英語、あるいはきれいな英語が書けるという意味での話だ。

以前、英語関係のMLにしばらく出入りしたことがあり、ネイティブの参加者のコメントを何度も読んだが、スペルのいい加減さにはあきれることが多かったし、文法的には正しいとは思えない文章もあった。ただ文法問題については、話し言葉は生きた言葉であり、文法通りにすればいいというものではないことは分かっている。自分が日頃話している日本語だって、、文法もへったくれもない、非常に感覚的なものだというのは確かだ。

だが、そうした話し言葉は別にして、書き言葉となると、やはりきちんとした言葉としての文章になっていないネイティブの文章は、英語でも日本語でも実に多いのは事実だろう。

さてはて、本題のリービ英雄の「最後の国境への旅」を書くつもりがちょっとわき道にそれてしまった。

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コメント

日本語は「気」を伝える言語ですが、英語にはそういう側面はなくて、「オレとお前の関係性」を記述する言語のような気がします(これでは全然いい足りてないことも認識してます)。

英語って、日本語の漢字の部分しか翻訳できないような気がするんですね。ひらかなで書かれた「地」の部分を全て訳そうとするとくじけてしまう。

最近気がついたことなんですが、日本語では「だよね?」「でしょ?」とか相手に同意を求める会話が多いんですが、英語ではそういう相手に寄りかかるような会話はないと思います。

やはり、言語が人間関係をつくるのか、あるいはその逆なのか、というところでしょうか(・・・と中途半端にまとめてしまう)。

投稿: PICKS CLICKS | 2009/01/13 18:35

・・・しかも、BLogの主題とはかなりずれている・・・。

投稿: PICKS CLICKS | 2009/01/13 21:12

どうも、どうも。いつもネイティブと接している方に生意気なことをいうようですが:

>日本語は「気」を伝える言語ですが、英語にはそういう側面はなくて、「オレとお前の関係性」を記述する言語のような気がします(これでは全然いい足りてないことも認識してます)。

どういうことなのかよく分かりませんが、そうなんですか?

>英語って、日本語の漢字の部分しか翻訳できないような気がするんですね。ひらかなで書かれた「地」の部分を全て訳そうとするとくじけてしまう。

うーん、「英語では不可能」ということではなくて、訳す人の力不足と言うことですか?

>最近気がついたことなんですが、日本語では「だよね?」「でしょ?」とか相手に同意を求める会話が多いんですが、英語ではそういう相手に寄りかかるような会話はないと思います。

また、うーん、you know(?)とか、right?とか、as you knowとか、結構あるみたいに思うんですけど。語尾を上げる話し方(valley talk)なんかは語彙ではないですが、常に相手に同意を求めているように思いますが。

英語と日本語では、内田樹氏が面白いことを書いているのを見つけました。

マンガ脳
http://blog.tatsuru.com/2008/06/18_1048.php

これが正しいかどうか分かりませんが、面白い考えですね、ただ日本人を特別視するのはどうも苦手です。

投稿: taki | 2009/01/16 01:22

こんばんは。
マンガ脳については、以前ネット上で話題になったことがあるのですが、あまり感心できるエントリーではないと思います。
特に「画力のあるマンガ家は、話も面白い」という言説に至っては、あまりにおかしいと思います。画力があっても、話しの面白くない漫画家もいるでしょう。
英語と日本語の部分についての記述はなんともいえませんが、マンガについての考察を読む限り、眉につばつけたほうがよいかもしれないと、懐疑的に思っています。

投稿: corvo | 2009/01/16 03:23

corvoさん、コメントをありがとうございます。

内田氏のエントリーについては私も信用しているわけではありませんが、学生時代からの友人のPICKS_CLICKSさんのコメントに、おもろいことを言っている人がいるよ、という程度であまり深い考えもなく書いてしまいました。

言葉についてはずっと興味があるので、内田氏のエントリーも色々な考え方の一つとして参考にはなりますが、日本人は特別のような考え方には賛同していません。
マンガに関する部分はあまり興味がなかったので読み飛ばしていましたが、改めて読んでみると、全体に話の前提におかしいところが感じられます。

もう少しよく考えてから書き込まないといけませんね。ご指摘をありがとうございました。

投稿: taki | 2009/01/17 12:56

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