グルメ漫画
雑誌ビッグコミックに「華中華」という料理漫画がある。
この手のハシリはかの「美味しんぼ」ではないかと思う。1983年開始というから、バブルに突入しようという時代だ。
「究極のメニュー」を軸に話が進むが、当時は結構興味を持って読んでいたものの、今考えてみると「究極の・・・」というのは、あり得ないものなのだね。メニューというのは前後関係があって成り立つのだし、絶対的な味覚なんてものはあり得ないのだから万人が認める究極のメニューなんて成立するわけがないのだ。それに「究極」が本当に達成されてしまえば、それはもう進歩がないということになるのだから、それではつまらないし、やはりそんなことはあり得ない。必ずそれを超えようという者が現れるものだ、と、内田樹調に断定してみる。いえ、内田氏が嫌いなわけではありません、面白いですし。
まぁ、しかし究極を探求していく過程がストーリーの面白さになるのだろうから、「究極のメニュー」が究極的にどうなるかは問題ではなかったのかもしれないよね。
ところで僕は比較的初期のうちにこの漫画には疑問を感じで読まなくなってしまったのだ。それは反捕鯨に対する、ステレオタイプ的白人の描写に嫌気が指したからだ。いってみれば戦時中の鬼畜米英みたいな、逆人種差別のような表現に馬鹿馬鹿しくなったためだ。
捕鯨問題についてはセンシティブな問題ではあるけれど、僕自身は別にやめてもいいんじゃないの、というスタンスである。別に鯨肉が食べたいとも思わないしねぇ。近所のスーパーにも山岡と海原の絵に、鯨料理は食文化とか何とかと書いたポスターが貼ってあったけど、時代と共に消える文化は他にも色々ある(あった)し、捕料理が殊更に保存されなければならないものなのだろうか。仕方がないんではないのかなぁ。
ということではあるけれど、その後バブルがはじけてからは「究極のメニュー」も訴求力がなくなって「美味しんぼ」もずいぶんと方向転換したようなことが、ネットをちょっと見ていると書かれている。まぁ、そうでしょうね。
あれあれ、話題がそれてしまった。
ということで、最近のグルメ漫画は割りと手の届くような庶民的なのが人気があるんではないか、という典型が「華中華」ではないかな。
少なくとも初期の「美味しんぼ」の究極メニューでは庶民がおいそれと検証できるようなものは少なかったように思うんだけど、「華中華」はメニューがチャーハンに限定される上に、家庭で簡単に検証できるものばかりだから、毎回メニューを考え出すのは大変ではないかと思ったりする。
そんな人が我が家にもおりまして、というか家内ですが、少し前の「華中華」にあった「新じゃがチャーハン」を美味しくいただきました、というのが今日の話題。は~、前振りが長くてすみませんでした。
ところで、「美味しんぼ」全話のあらすじを掲載している「美味しんぼ塾」というサイトがあるんですねぇ、ちゃんと原作者の許可は取っているそうです。
さらに、毎度ながら赤松氏のBlogですが「美味しんぼ」の究極体験談「バブルの遺産・・・かな?」には大笑いしました。身につまされるというか、といってもこうした体験はないんですが。
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