村上龍を読んだ
また更新が滞っているけれど、別に何が何したとかいうわけではなく、更新を怠けたのがそのまま怠け癖になっているだけです。
ということで、今日はひさしぶりに小野市の白雲谷温泉「ゆぴか」に家内と行ってきた。
朝のうちは雲ひとつない快晴で、暑くはあるものの湿気がなくて快適だったけれど、昼頃からは雲は少し浮かびながらも厳しい残暑となった。
まずは稲美町の図書館(写真左上)に寄って借りた本を返して、読み終わっていない本はまた借りて、さらにまた別の本を借りたので、多分、返却期間内には読みきれないだろうな。
最近は村上龍の本を続けて読んでいた。
ハバナ・モード
すべての男は消耗品である Vol.4
すべての男は消耗品である Vol.5
すべての男は消耗品である Vol.6
希望の国のエクソダス
共生虫
最初の4冊はエッセイ集だが、やたらと日本の悪口とか批判が多い。ただ、よくある根拠が明確でなかったり思い込みに基づいたりするのではない、客観的な分析を背景にした意見であることが感じられることと、自分自身の生き方と矛盾をさせていないというか、他人事に終わらせない言葉に説得力がある。事象を客観的に観察する目と、非常に明晰な分析力を持つ人だと思う。
恐らくは一番いいたいことは、日本人の危機に対する意識の低さだろう。後の二冊はほぼこのことをテーマに上げているといってよいと思う・・・が、まぁ、平和ボケした日本に生まれて幸せだなんていっている僕がどうこう言える立場ではないから、やめておこう、というか、面倒なだけですが。
ところで「共生虫」は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を踏襲していると思う。途中で気がついたのだが、戦争、穴(井戸→防空壕)という類似の道具を意識的に使ったのは明らかだと思う。ただ、村上春樹は毎度のことながら現実世界と異次元空間の行き来のようなSFチックな筋立てなのに対し、村上龍はあくまで現実ベースであるということだろう。
比較してみると、村上龍は現実の危機がせまり来るのではないかという脅迫感はあるし、テーマを明確に意識しやすいが、読み終わった後にはちょうどジェットコースターの恐怖のようなもので、危機意識も霧散してしまいやすいように思える。
一方で村上春樹はあくまで小説という世界での出来事であって現実感はあまり伴わず、その分、テーマを明確に把握することが難しいが、じわじわと残るような気がする。
村上龍の特徴は、現実のデータ分析に基づいた設定を大切にしている点だとは思うが、ただ、「希望の国のエクソダス」も「共生虫」も、現実にはそんなにうまくいかんだろうという、喩えれば理想状態での反応理論のようなストーリー展開なのは残念なところだ。ただ文章力と構成力で、そうした疑問点もそれほど気にせずに読ませるのも事実である。
あ、温泉に行った話を書くつもりが村上龍の話になってしまいました。
ついでながら、もう一冊。
ストレイト・ストーリー
村上龍:著、はまのゆか:絵、Ralph F.MaCharthy:翻訳(英訳)
これは同名の映画を村上龍が文章に書き起こした絵本だ。ご丁寧に巻末にはその日本語を英語に訳したものが載っている。内容は、映画そのまんま、丁寧に文章化されている。普通ならアメリカ人が英語で文章化してそれを日本人が日本語に訳すところだろうけど、逆になっているのが面白い。日本語と英語を対照させてみると面白いのだけれど、面倒なのでちょっとしかしなかった。隠居したらまたやってみようと思う。
ついでながら、今日、借りた本は横尾忠則の二冊。
病の神様 横尾忠則の超・病気克服術
ぶるうらんど
横尾氏の本はこの二冊しか棚になかったので借りたのであって、特に選んだわけではないのだけれど、「病の神様」はこれからの生き方について参考になるような気がする。「ぶるうらんど」はどんな本なのか全く分かりません。
それから少し前から読み出したのが、また塩野七生で「ローマ人の物語<1>」。半分を少し超えたところだが、いつもながら塩野さんは実に面白い。
「ハリーポッちゃん最終巻」は少し読みかけたのだけれど、またほったらかしになってしまっている。
あ、結局、当初の予定だったはずの高村薫氏の本はすっかり探すのを忘れていた。また今度かいつか、探すことになるのでありやなしや・・・
ということで、最後は温泉「ゆぴか」から出てきたところで終わります。
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