震災15年
震災15年に向け、TVなどで特集やドラマが続いている。
風化させてはならないということが、改めて感じられる。だから、とにかく今日は書けることを書いておこう。本当は書くべきことがたくさんあるはずだが、それは多くの人が今日は書いているだろうから、ここには僕自身への忘れないための戒めとして、とりとめがないけれど書いておこう。
普段の生活の中で、毎日、神戸の街を通勤で縦断していながら、改めて当時の記憶が自分の中で風化していることを痛感する。
TVは断片的にしか見ていないが、自分自身の体験したことが断片的に思い出されてくる。
幸い、僕自身の直接の知人では亡くなった人はいなかったし、僕の家は西区の端で、我が家も近所でも家屋が損壊するような被害はなく、けが人もいなかったようだった。
だが、当時は実家が中央区にあったので、唯一通じていた山麓バイパスを通って何度も往復したときの記憶や、神戸の街中の様子、JR、バス、阪急などを乗り継いで何時間もかけて大阪まで往復した記憶もずいぶんと曖昧になってしまっている。
おそらく神戸に関係した人で直接被害を受けなかった多くの人も同じ思いを持ったと思うが、何もできないで自分が残っていることへの後ろめたさがずっとあった。
僕は中途半端な神戸っこで、中学二年に引っ越してきた神戸の学校は全く好きになれなかったが、その後の高校も大学も神戸で、それなりに神戸の人間になったようだったが、結婚して東大阪に住み始めてからは、すっかりそんな気持ちもなくなっていた。
その後、また神戸に引っ越したとはいっても、西区の果ては神戸というよりは明石あるいは東播磨、神戸とは名ばかりの田舎で、勤めはずっと大阪だから、神戸市民という意識も薄かった。
しかし震災で自分がやはり神戸と深くつながっていたことに驚きを覚えた。
しかしそんな気持ちもまた薄れてしまっていた。
もう一度、しっかりと思いだそう。
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コメント
こん**は。私も最も被害のひどい地域で長く暮らしたり仕事したリしていたのに当時は北区でしたので、何もできない自分にとてもいらだち情けない思いをしました。ただ、風化させてはいけないというものの、やっている事や新聞の報道がどうしても情緒に流れていくのが気になります。どう伝えていくのかが今後の課題でしょうね。
投稿: ゆうけい | 2010/01/18 09:10
ゆうけいさん、コメントをありがとうございます。
おっしゃる通り、報道関係は情緒に流れるきらいがありますね。だから断片的にしか見ていないのですが。
マイミクの方が当時は六甲に住んでいて小学生だったそうですが、その方の日記には報道には現れない子供の目から見た大人たちの姿が書かれていました。
それを読むとやはり私自身、外からあるいは一方向からしか見ていないのだと痛感します。報道が情緒的になるのも同じ原因なのではないかと思います。
投稿: taki | 2010/01/19 01:05