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2010/07/04

「風の歌を聴け」を読んで

このところ、村上春樹、村上龍、両氏の本を続けて読んでいる。W村上などというらしいと最近知った。

村上龍
 悪魔のパス 天使のゴール
 半島を出よ (上、下)
 わたしは甘えているのでしょうか? 27歳・OL

村上春樹
 風の歌を聴け
 走ることについて語るときに僕の語ること
 螢・納屋を焼く・その他の短編(以前に読んだ短編集とほどんどダブっていた)

それ以外にも色々読んではいるが、ラリー・ニーブンの「リングワールドの子供たち」は相変わらず摩訶不思議で雄大な世界で、日本語で読んでもよく分からないところがあるが、やっぱり面白い。

今日の話題は、「風の歌を聴け」 村上春樹

村上春樹処女作は図書館でいつも貸し出し中で、なかなか読むことができなかったのが、やっと借りることが出来たのだけれど、何だかぴんとこなかった。だからというわけではないが、内容よりも背景、風景について書いてみる。

1970年の夏の話というから僕が高校のときなわけだが、作者の作品からいつも受ける印象通り、日本が舞台という感じが希薄で、ましてや僕が高校生でウロウロしていたときと同時期という感覚がほとんどわかなかった。そうした予想と違う雰囲気が、ぴんとこなかった主な理由だと思う。

映画化されたというのも知らなかったのだけれど、ネットを検索すると小説や映画の舞台を歩くという情報があちこちにあるのだから、きっと芦屋から神戸が舞台に違いないのだけれど。

女の子がレコードを売っていたのが映画では元町のヤマハらしいけれど、それも全然雰囲気が合う気がしない。ヤマハは楽器店で比較的大きくてきれいな店だ。

翌日の朝、僕はその真新しいチクチクするTシャツを着てしばらく港の辺りをあてもなく散歩してから、目についた小さなレコード店のドアを開けた。

レコードを売っている店というと、他にも元町商店街入り口には国際楽器があったし、三宮センター街にはジャズや輸入盤が充実したAOIというレコード専門店もあった。それ以外にも数件あったはずだ。何しろ当時はお金があれば三宮から元町のレコード店をぐるぐると回っていたのだから確かだが、AOIにはドアはなかった。

そうだ、ドアがある小さなレコード店というと、センター街の裏通りにあった「ワルツ堂」ではないのかな。ここはジャズとクラシックが中心だったはずだ・・・でもそうすると、ビーチボーイズなんて置いてなかったかもしれない。

ワルツ堂は大阪に本店があるレコード店だが、神戸の店は小さくて古い木製の硝子戸を開けて入る、暗くて怪しげな店だった。ワルツ堂はその後閉店し大阪の店も倒産したらしいが、Walty堂島として復活しているらしい。

僕のお気に入りはAOIで、高校から大学、勤めだしたころまで結構足しげく通って、店のお兄さんとも顔なじみになったので、ECM(トリオレコード)のサンプルLP(Conference of the Birds/Dave Hooland 邦題「鳩首会議」というのがおかしかった)をもらったり、ヴィブラフォンのLPをよく買ったので、これはどうですかとわざわざ珍しいLPを取り寄せて紹介してくれたこともある。一時期はジャズ中心の支店が三宮駅前にあった。

AOIで最後に買ったのは、ECM原盤の「In Concert, Zürich, October 28, 1979/Chick Corea & Gary Burton」だった。その頃にはジャズよりもロック系にシフトしていて、その後は通うことはなくなった、っていっても発売された1980年に結婚して大阪に引っ越したから仕方がない。AOIレコードは今でもセンタープラザ内にあるみたいだ。

小説に戻ると、先月、暑い中を歩いた芦屋川沿いは何となく雰囲気がわかる。あのあたりはゴミゴミした感じがあまりないし、海が近い。あちこちに建つマンションも当時はなかったはずだ。

川沿いにあったテニスコートが小説に出てきたものだというウワサだが、まぁ、そうなのか。今はあんまり金持ちがテニスしているような雰囲気はないが、当時はもっと違ったのかもしれない。今は何となく街全体が裏さびれた感じがしていた。

ビーチボーイズの"California Girls"がキーとなる歌として出てくるが、その歌の雰囲気のように、日本のごちゃごちゃした都会よりもアメリカ西海岸のどこかの港街のように感じる・・・といってもサンフランシスコしか知らないが、アメリカの現代文学が村上氏のベースになっているということだろう。

これまたネットで読んだのだけれど、庄司薫の影響だとかいう話があるのだが、それは違うだろうと思う。読んでいて浮かんだのは、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だ。むしろそうしたアメリカ文学の影響がもろに出ているのだと思う。だいたいが、庄司薫の「赤ずきんちゃん」自体がサリンジャーのパクリだという人も多いくらいだから、共通項があるということは確かだろうけど、まぁ、どうなんだろう。

「走ることについて語るときに僕の語ること」の中でも、この本について記した件があるが、小説としての完成度は満足できるものではないのだそうだ。

・・・基本的には、書くという行為を楽しむために書いた作品であって、出来そのものには自分でももうひとつ納得できないところがあった。

それで新人賞をとってあっという間にファンがついて、世界の村上になってしまうのだな。

先にも書いたけれど、村上氏の作品は空間に広がりがあって、というよりアメリカのようなスカスカした空間が感じられて、あまり日本的ではないというのが僕のとらえ方で、とにかく1970年当時の神戸は僕の記憶の中ではこの本のようではなく、もっと汚らしくてごちゃごちゃしてせせこましくて保守的だったのだ。あえていえば、神戸よりは村上氏の住んでいた芦屋の方が近いのではないかと思う。

YWCAの描写が出てくるが、これもいかにもNYCにでもありそうな描写ではなかろうか、と勝手に思っている。僕の実家(当時)から坂を下りて西灘(現在は王子公園駅)に行く途中にYWCAがあった。それはYWCA分室らしいけれど、小説の方は生田川の方なのかな?

とにかく、小説の舞台を今の神戸で考えると全然違うのは確かで、動物園だってもっと小さかったし、海の方へ行けば神戸製鋼所などの工場地帯に突き当たって薄汚れた海しかないし、山から海を見ればスモッグで大阪方面なんかは全然見えないし、というのが実態だったのだ。ずいぶんと変わったものだと思う。

まぁ、フィクションの舞台をあれこれと詮索しても仕方がないが、あそこかな、などと想像してみるのも楽しいものではあります。

またW村上については書いてみたいと思うが、今日はここまで。

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コメント

こん**は、私もあれはワルツ堂だと思って読んでいました。

投稿: ゆうけい | 2010/07/04 21:26

ゆうけいさん、コメントをありがとうございます。

ワルツ堂をご存じとはさすがですね。少々マニアックな気がしますが(笑。

本を読むまではすっかり忘れていましたが、考えていると色々と思い出してなつかしいですね。

投稿: taki | 2010/07/04 23:24

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