« パーカッション映像など | トップページ | Exeter School of Samba »

2011/08/16

時間は問題ではない

盆休み中の日曜日、珍しく一人で図書館に行った。

Ts3p0967s 貸し出し期限が来ていた本を家内の分も含めてまた借り直すのと、村上春樹の「海辺のカフカ」上巻を読み終えたので下巻を借りるのが目的だ。

左写真は図書館内部。館内にある二階読書室のガラスに丸天井の照明が映り込んで不思議な模様が面白い。

村上春樹の小説はしばらく遠慮しているのだけれど、小説ではない「雑文集」で「海辺のカフカ」のことが触れられていて興味がわいたのと、図書館で「雑文集」を返した時にたまたまその上下巻が揃って本棚にあったからだ。

ただ上巻しか借りなかったので下巻を借りに行ったついでに、珍しく一人で暇もあったので涼しい図書館で読み始めたら、ついつい一時間くらいもいてしまった。

その時に気がついたのが、あぁ、時間はゆったりと使うものだということだった。

別に目新しいことではないのだけれど、いつも何かに追われたような毎日を過ごして、その中で時間がもったいない、時間の使い方を有効に、とか、ちょっとした強迫観念の中で過ごしてきたことが、実は逆に自分をしばっていたのだと思う。

「海辺のカフカ」でも、時間は問題ではないとか、人生なんてどうせクズだ、とか意味なんかない、とかのセリフがあったけれど、あくせくと考えることが却って足枷になってるんだなぁ、と思い始めたら、何だか肩の荷が下りたような気分になった。

歳をとってくると、これから何年、自分の人生はあるのだろうか、その使い方を無駄にしないようにしたいとか考えがちだったのだけれど、むしろこれからの先は死ぬまで時間はたっぷりあって、それにいちいち意味だの有効活用だのと考える必要はなくて、子供のように(死ぬまでは)無限に時間があると思ってしまえば、あくせくする必要もないのだなぁ、と思えてきた。

まぁ、今年のお盆の収穫かな。

で、空いた時間にぽつぽつと下巻を読んでいたら翌日には読み終えてしまった。電車の中での読書っていうのは案外と効率が悪いのではないかと思う。速読ではないけれど、ある程度集中して読めば結構早く読めるものだ。

だから今日は家内と一緒に図書館に行って下巻を返し、今度は村上龍の「歌うクジラ」と「長崎オランダ村」を借りてきた。でも村上春樹訳の「世界のすべての七月/ティム・オブライエン」がまだ1/3くらい残っていて、ついでに明治の人の格式高い文章に触れてみたいと思って井伏鱒二の本も借りたりしていて、あちこちと目移りしながらの読書が続いている。

「雑文集」は面白かったので、アマゾンで安い古本が出たら買ってみようと思う。「海辺のカフカ」も村上春樹の小説としては珍しくまた読んでみたい気がしたので、古本で安く買おうかと思っている。

Ts3p0974s 「海辺のカフカ」の感想としては、うーん、後半がちょっと読むのが面倒くさくなるところがあったけれど、内面に入りこんでいくところがもう一度読んで考えてみたいところかな。相変わらず会話は予定調和というか、あらかじめ気のきいたセリフを作って会話してるようなところが気にはなったけれど、これはクラシック音楽的なのかと思ったりする。

右上の写真は帰りに寄った、家内とよく行くレトロな喫茶店。空調のきいた中では、窓から射す夕方の光は秋のような色合いだったが、外に出ると真夏の蒸し暑さの現実に引き戻される。

|

« パーカッション映像など | トップページ | Exeter School of Samba »

コメント

「海辺のカフカ」私も読んだことあります。感想は???でした。でもこのすっきりしない感が村上春樹にはまる人たちの求めるものなのかしら?

そういいながらも、『ねじまき鳥クロニクル』も読破しました。そして、相変わらず迷宮へ足を踏み入れたようなもやもや感。

そしてまた次の本は...あれ?はまってる??(笑)

投稿: Tomomi | 2011/08/17 10:36

Tomomiさん、コメントをありがとうございます。

もやもや感というのはよくわかります。非現実的な事柄が現実と錯綜して、もやもやっとして、なんとなく終わってしまうところが特徴だと思います。
「海辺のカフカ」は、まだ予想よりは終わりがまとまっていたように思いますが。

投稿: taki | 2011/08/17 19:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時間は問題ではない:

« パーカッション映像など | トップページ | Exeter School of Samba »