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2012/02/19

With Love (下)

昨日は寒さもひとしおで、珍しくこの辺りでも雪が少々ながら積もったけれど、今日は晴れて日差しも暖かく、ほとんど溶けてしまって日陰に僅かに残る程度だった。

Ts3p0054s昨日は雪の降る寒い中を出掛ける気もしないので、家でヴィブラフォンを練習したり読書をしたり(写真は夕方、犬の散歩に行った時の近所の風景)、今日は家内と買い物に出かけても買い物には付き合わずに車の中で読書の続きで、「未亡人の一年(下)/ジョン・アーヴィング」も、もう少しで読み終えるところまできた。

推理小説のような話も解決し終盤に入ったのだけれど、中盤でのオランダの執拗な描写に比べると、何だか作者がさっさと終わらせたいのかと思うほどにあっさりと話が進んでしまい、先も見えてきたようで少々物足りなさを感じている。

さて昨日、尻切れトンボで終わった"With Love"についてだ。

「未亡人の一年(下)」の初めの方に、三人目の小説家がヨーロッパから絵葉書を何枚か送るのだが、その最後に、友人と恋人宛ての文の最後に「愛をこめて」と書いている。特に恋人宛てには何度かだしていて、いずれもその言葉で終わっているのだが、原文はおそらく"With Love"だろうと思ったのだ。

なぜそんなことに引っかかったのかというと、アメリカの小説なのだから、まぁ、それでいいのだろうけど、日本語で読んでいて何度もこの言葉が繰り返されると、どうしても不自然に思えてしまう。英語の"Love"と日本語の"愛"ではかなりニュアンスが変わってしまうのだと思う。

というようなことが頭に残っていた昨日の朝、たまたま見たNHKの「課外授業 ようこそ先輩」で、翻訳家の鴻巣友季子さんが、夏目漱石とご自身の"I love you."の訳について話していたので、この偶然にびっくりしてしまった。

番組の最初で、夏目漱石は英語の授業で生徒に、"I love you."の訳として「今夜は月がきれいですね」という日本語を例示したという話があった。あの時代では「愛しています」などという表現は日本語としてはとても不自然だったということだ。

そして鴻巣さんの訳例として、ベトナム戦争時の小説で出征する兄に弟が、"I love you, brother."という場面で、「兄貴、死ぬんじゃないぞ」と訳したことを話していた。

だからというわけではないが、絵葉書の最後に、「愛をこめて」というのはどうもすっきりしない。ではどう訳すのかと言われると困ってしまうけれど。

もともと日本語に「愛をこめて」という表現はなかっただろうと思うが、僕の記憶にあるのは、映画「007ロシアより愛をこめて」だ。この原題は"From Russia with Love"だが、これ以前に「愛をこめて」という訳があったのかどうか知らないけど、この映画の影響はかなり大きかったのではないかと思う。しかしだからといって、「愛をこめて」という日本語が絵葉書などの最後に普通に書かれることは今でもないだろう。特に友人宛には。

Loveについては、安藤邦男氏(僕は知らなかったけれど有名な人らしい)が欧米と日本の違いについてもう少し詳しく書いているサイトを見つけた。

愛を口にする英米人、口にしない日本人

「課外授業 ようこそ先輩」では、小学生たちが英語の絵本"The missing piece"を訳すのだが、彼らの訳が本当に素晴らしかった。こうした授業が本当に生きた授業だと思うけれど、彼らの訳をもう覚えていないので具体的に書けないのが情けない。

ところで、「ロシアより愛をこめて」の映画が日本で封切られたのは1964年ということだから、僕は小学生で映画も見ていないのだけれど、やたらとそこら中でこの主題歌がかかっていたし、ラジオでも「ロシアより愛をこめて、マットモンロー」というのを繰り返し聞いたので、メロディーも歌手の名前もよく覚えているのだが、マットモンローはこの曲以外にヒット曲はあったのだろうか。

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With Love (上)

もう昨日になってしまったが毎日新聞朝刊のトップは、「大阪市職員調査を凍結」だった。橋下市長が市職員の思想調査のようなことを記名でさせようとしたことが不当労働行為に当たると組合側が申し立てたことから、法的な結論が出るまで凍結ということだ。橋下という人は革新的なのかもしれないが何となく胡散臭さも感じて、閉塞感にあふれた世情では、それがファシズムの方向に行かないか心配な気がしないでもない。

そして大阪市の記事の横はJR西明石駅構内での事故の記事だ。

Jraccident_217日午後4時50分ごろ、兵庫県明石市のJR山陽線西明石駅構内の関係者専用踏切で、倉吉(鳥取県)発京都行き特急「スーパーはくと10号」(5両、乗客146人)が、印刷会社「エムステージ」(大阪市北区)の2トントラックと衝突した。列車の窓ガラスが割れ、乗客8人が軽いけがをし、トラックの運転手(25)も胸を打って軽傷。県警明石署によると、運転手は「警報機は鳴っていた」と話しているといい、業務上過失傷害などの疑いもあるとみて捜査、JR西日本の安全対策に問題がなかったかも調べる。(記事、写真とも毎日新聞サイトより

実はこの事故のせいで、JRで帰るはずが振替えで阪急、山陽を乗り継ぐことになってしまった。阪急の特急はそれほど混んではいなかったし、以前と違って十三、西宮北口に加えて夙川、岡本にも停まるので途中で降りる人が多く、三宮に着くまでに随分と人が減ってしまうのだ。しかし高速神戸で山陽に乗り換える時には、プラットホームは随分と人で一杯で、構内放送が「次に来る姫路行き直通特急は満員ですから、各停をご利用ください」というので、ちょうど折り返しで来た高速神戸発の各停に座って帰ることにした。でも次の新開地で大量の人が乗ってきてすっかり満員になってしまったから、幸運だったといえる。

そこで乗ってきた若い女の子たちがキャピキャピ騒いでいたのだけど、誰かオッサンの声で、「静かにしような、みんな我慢しているんだから」という声がして、彼女たちも静かになった・・・、まではよかったが、その注意したオッサンと恐らく同僚らしき人の声が「こうなったのはJRが悪い」とか「これだけ混んでると痴漢がどう」とか長々と喋り出した。

若い娘の声は気にならないけど、オッサンの声は耳についてうるさい、「おら、オッサン、お前がだまれよ!」と、きっとみんな思ってたに違いない、誰も言わなかったけど。

しかしJRのせいで遅れ気味になった山陽の各停でゆっくり座って帰ったおかげで、今読んでいるジョン・アーヴィングの「未亡人の一年(下)」を随分と読み進むことが出来た。

先週のエントリーで書いたように、上巻では三人の小説家のそれぞれを中心にした物語が順に巡り、終盤では三人目と二人目に関るとても感動的な話があって、思わず何度もその部分だけを読み返してしまった。読んでいる途中で何度も読み返すなどということは、今までした記憶がないけれど、まぁ、見方によってはいわゆる「泣けるいい話」かもしれないが、これだけでもこの本を読んだ価値はあると思える。

上巻は恋愛、セックス、家族などにまつわる話なのだがしかし、それが下巻に入ると話は三人目の小説家を中心にまるで違って社会問題を含んだ推理小説のような展開になる。またその中で上巻と同様、物語内物語も二度ほど出てくる。

推理小説のような、というのは僕は推理小説を読まないので、「のような」としか言えないからなのだが、僕が勝手に刑事コロンボスタイルと呼んでいる、最初からネタは分かっていて、それをいかに突き止めていくかというスタイルになっている。

今は下巻の半ばを過ぎたところだが、話は小説家からまた別の人物、それも警察巡査が中心となっていていかにも推理小説風だ。一体話はどうまとまっていくのだろうかと思う。話の中で三人目の小説家が、「小説は次に何が起こるのかという期待を抱かせ続けなければならない」、というようなことを言っているのだが、そういう意味ではあらゆる小説は推理小説の要素があるのかもしれない。

さて、というところでタイトルの"With Love"なのだが、ちょっと長くなったのでその話は次にしたい。

With Love, Taki

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2012/02/12

未亡人、攻防記

音楽ネタばかりだけれど、本もボチボチ読んでいる、といっても図書館で借りるばかりだけど。

Irving今読んでいるのは、ジョン・アーヴィングの「未亡人の一年(上)」、何ともいえない題名だけれどまだどこら辺が未亡人なのかよく分からない。

ジョン・アーヴィングの名は多分、「翻訳夜話/村上春樹、柴田元幸」に出てきたのだと思う。これまで読んだのは「第四の手」だけだ。

村上春樹、村上龍、塩野七生辺りから離れられない僕の狭い読書範囲で、村上春樹つながりから読んできたアメリカ文学も、図書館にあるもので興味を引きそうな本は大体は読んでしまったと思うのだけれど、ジョン・アーヴィングは「第四の手」しか読んでいなかった。

なぜかというと、図書館にあるアーヴィングの他の本がすべて上巻、下巻という長編ものばかりなので、ちょっとしんどいかなと思って避けていたのだけれど、読んでみようかという本が思いつかなくなってきたので、とうとう手に取ったということだ。

「第四の手」はずいぶん前に読んでいて、手の移植手術を受けた主人公がどうこうというくらいしか覚えていない。ちょっとネットで検索して多少思い出したけれど、まぁいいや、面倒くさい。

シリアスなところとドタバタした喜劇とが交錯するのがアーヴィングの特徴かと思う。「未亡人の一年」もそんな話で、どこが未亡人なのかまだ分からないけれど、一人の小説家の周りから始まって、やがて小説家が二人増えて、物語の中に彼らが描く物語が出てきたりした辺りを読んでいる。

そういうとポール・オースターの小説みたいだけれど、オースターとはまた物語の交錯の仕方が違う、・・・といってもなんか違うかな、という程度の感覚でしかないけれど。

やっと上巻を8割くらい読んだだけなので、これからどうなるのか分からないけれど、最初に児童小説作家を中心に周っていた話が、やがてその周辺人物に中心が移り、また別の人物が脇役から表に出てきて・・・、というような登場人物と時間の移り変わりが面白い。

話は1958年から始まるので、せいぜい60年代までの話で終始するのかと思っていると、いきなり1990年まで飛んでしまったりして、その時間の跳躍感も心地よいが、ここで物語中物語になったところが少々中だるみしたように感じて、若干読み進む速度が落ちてしまった。

まだ下巻があってこれからの物語の方が長いわけだから、一体どうなるのかと期待したいところだ。アーヴィングの作品の中でも絶賛された物語と裏表紙の裏の紹介にあるから期待外れにはならないとは思うけれど、多少不安がないでもない。が、それは長い小説を読み進むのが面倒臭くなっているという忍耐力の衰えがあるのかもしれない。

ところで三人目の小説家となるのは、一人目の小説家の娘なのだけれど、彼女は僕と近い年頃で、その価値観などに親近感を覚える、といっても同じというわけではなく、自分の世代が経てきた同じ時間を生きてきているという共通認識みたいなものだ。

アーヴィングが1942年生まれ、僕より10歳年上で、今のところ一応主人公といえそうな二人目の小説家と同い年になり、三人目は僕より2歳年下というところだ。

話は元に戻るけれど、物語の最初、1958年は、世の中がもっとシンプルでよき時代の雰囲気が感じられるけれど、その後、60年代から70年代にかけての価値観の転換が、いきなり1990年まで飛んで過去の話となってしまうのが、何だか自分の今の心境、これまで何やってきたんだろう、という過ぎてしまった時間感覚と重なって笑うしかない。

まぁ、何書いてるんだか分からなくなってきたけれど、しばらくはジョン・アーヴィングの本が続きそうだ。

Constantinople話は変わって、最近読んだ本は、塩野七生の三部作、「コンスタンティノープルの陥落」、「ロードス島攻防記」、「レパントの海戦」だ。

オスマントルコによる東ローマ帝国の滅亡から、最前線に残されたキリスト勢力のヨハネ騎士団の衰退によるトルコ帝国の隆盛、そしてそのトルコもやがて衰退へとつながるレパントの海戦、それは同時にヨーロッパの歴史が地中海から大航海へ移る時代までを、恐らくは史料の原典と現地を詳細に調査した上で、実に活き活きと描ききっている。戦争を描くことを主題としているとか、塩野氏は書いていたように思うけれど、人間の歴史は領土拡大とそれに伴う戦争とともにあったということを生々しく描いている。

かつて攻防を繰り返していた現代の先進国間ではこうした抗争は今はないが、しかしまだまだ世界には戦いが続いていることから、いかに人間が進歩していないかと思えて仕方がない。

何だか話題がずれてきてしまったので、ここでお終い。

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2012/02/05

ゴヤ 光と影

最近のこのBlogの話題はFacebookつながりばかりで、おまえはFacebookオタクかと言われそうですが、週一回くらいは更新しようと思いつつも時間が思うように取れないので、ついついFacebookに転がっているお手軽なネタを拾って簡単にすませてしまいがち、特に音楽関係ならYouTubeなんかでごまかせるので、・・・、でもたまには他の話題を、ということで「ゴヤ展」です。

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Ts3p1078sゴヤ展自体は先月で終了していますが、1月25日に上野で仕事があってそれが3時半には終わったので、同じ上野にある西洋美術館で開催されていた「プラド美術館蔵 ゴヤ 光と影」を見てきました。

平日の夕方にかけての時間のためか、「ゴヤ!」という割には人が少なく、5時半の閉館までゆったりと見ることが出来ました。

目玉は「着衣のマハ」で1971年に「裸のマハ」とともに来日しているそうですが、そういえば大学に入ったばかりの時、クラスメートが大学生協に貼ってあったゴヤ展のチラシを見て蘊蓄を傾けていたのを覚えています。彼はゴヤは好きではなかったらしくけなしていましたが、理系にしては珍しく美術に詳しいんだな、と感心したことが印象に残っています。私自身はゴヤの名前は中学の美術で習ったかなという程度でしたし、その頃は美術館に絵を見に行くことなど全く興味はありませんでした。自分が将来、こうして美術館で熱心に絵をみる姿など想像もできませんでしたから、人間、変わるものです。

さて前回のゴヤ展のことは知りませんが、今回の展示では大半は着彩のない小さな素描や版画でした。油彩画もあるもののちょっと中途半端な感はありましたが、震災(余震)、原発(放射能・・・本来は放射線ですが)といった問題を抱えた今の日本にこれだけの作品が来るだけでも感謝すべきなのだろうと思います。

しかし平日とはいえ、会期末の25日にもかかわらず人が多くないのは、思ったほどの人気にはならなかったのかとの印象を受けました。大きな油彩画よりも、地味ともいえる素描や版画が大半を占めることからかと思いましたが、しかし美術館のサイトによると来館者は30万人を超えたようですから、僕の思いすごしなのでしょう。

まずは自画像、あまりPortrait_3大きい作品ではありませんが、一瞬、レンブラントを思い出しました。射すくめるような視線は人間の様々な面を見てきたことを伺わせます。

1:かくある私―ゴヤの自画像
2:創意と実践―タピスリー用原画における社会批判
3:嘘と無節操―女性のイメージ:〈サンルーカル素描帖〉から私室の絵画へ
4:戯画、夢、気まぐれ―〈ロス・カプリーチョス〉の構想段階における自由と自己検閲
5:ロバの衆:愚鈍な者たち―〈ロス・カプリーチョス〉における人間の愚行の諷刺
6:魔物の群れ―〈ロス・カプリーチョス〉における魔術と非合理
7:「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」―心理研究としての肖像画
8:悲惨な成り行き―悲劇への眼差し
9:不運なる祭典―〈闘牛技〉の批判的ヴィジョン
10:悪夢―〈素描帖C〉における狂気と無分別
11:信心と断罪―宗教画と教会批判
12:闇の中の正気―ナンセンスな世界の幻影
13:奇怪な寓話―〈ボルドー素描帖G〉における人間の迷妄と動物の夢
14:逸楽と暴力―〈ボルドー素描帖H〉における人間たるものの諸相
 (弐代目・青い日記帳より)

正直なところ、ゴヤの絵というのはもう一つよく分からないところがあります。

Pic_06 宮廷画家となる以前と思いますが、展示の最初の辺りにあるタペストリー用の原画として描かれた一連の絵は、そうした用途だからかどうかわかりませんが、ぬぺっとした着彩で、悪くはないですが、ゴヤ!というには少々期待はずれでした。

Pic_08
しかし宮廷画家となってからの肖像画はさすがに素晴らしいものがあります。それぞれの人柄を存分に表して余すところがありません。

20111023215805b12特に気に入ったのは、「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラの肖像」でした。何故か下半身や腕が下塗りのみで仕上げていないのが不思議でしたが、これは「カルロス4世の家族」の下絵だそうです。下絵にもかかわらず王子としての気品と幼いながらも威厳が感じられました。

「着衣のマハ」は目玉ですから、特別に場所をとって展示してありました・・・、が、これも正直なところ、圧倒されるか魅惑されるかという期待とは裏腹に、何だか随分と普通な絵というのが第一印象です。確かに白い衣装、特に足にかけての描写は素晴らしいとは思うものの、顔の描写は随分と平板的であまり陰影のないのっぺりした表情は何だかアニメか何かのようです。ただ印象に残る絵ではありますが、これも有名だからという先入観があるからと言われると、そうなのかもしれません。

Pic_09さて、上に書いた作品展示タイトルをみると、何だか不思議なものやひねくれたものが多いのが分かりますが、その辺りがゴヤの真髄なのかもしれません。

2011102322021093ds素描や版画による、フランスによるスペイン侵攻の鬼気迫る描写や人間の表裏を風刺したようなロス・カプリーチョス(気まぐれ)などの作品群は、油彩画とは全く違った世界でした。

Goyalos_caprichosいつもは壁にある解説などはあまり読まないのですが、ゴヤはこうした解説つまり背景を知ると知らぬでは随分と見方が変わると思います。ただそうした背景は私がここで書くにはあまりに複雑で多様です。だから書きません、というか書けません。

0013840003mm_2一連の魔物か化け物かよく分からない絵からは、ルドンの不可思議な世界を思い起こしました。

0060400002mmルドンは「ゴヤ賛」というリトグラフを残している(右:西洋美術館蔵)ことから、影響を受けたことは確かだと思います。

まぁ、しかし一筋縄では全くいかない画家でありました。もっと書くこと、紹介すべき絵があるのですが、とても頭が回りませんので、ここで終わります。

2今回は閉館ぎりぎりまでゴヤ展を見ていたので、ここに来ればいつも会っていた彼女には残念ながら会うことはかないませんでした(マリー・ガブリエリ・カペ自画像:常設展示)。いつになるかわかりませんが、次回こそは会いに行きましょう。

閉館時間を過ぎた美術館を出て振替えると、お気に入りの王子が大きくTs3p1080s_2
貼り出されていました。やはりみんなのお気に入りなのでしょう。

Ts3p1079s_2
外に出ると、上野の空はもう暗くなっていました。

最後にもう一つのお気に入り「猫の喧嘩」、これも人間の内面の風刺なのでしょう。

20111023215838933s

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