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2012/05/20

女たちの遠い夏 (A Pale View of Hills) 雑感

「1Q84/第一巻」を木曜日に読み終えたけれど図書館に行くのは日曜日なので、続いて1/3まで読んでいた「女たちの遠い夏/カズオ・イシグロ」を読んだ。(題名は後に原題に近い「遠い山なみのひかり」と改められたようだ)

偶然を符合と感じるかそのまま見過ごすかは自分の考え次第ということを以前に書いたような気がするけれども、これもまた偶然のなせる技かもしれない。

読む気のなかった「1Q84」に興味を持ったのは、英語Q&AサイトのQuoraでこんな質問があったからだ。

I've been reading 1Q84 and listening to the Wind-Up Bird Chronicle (both in English). There is something otherworldly about the style of his writing, but I can't quite put my finger on it. To make a comparison, I've heard people say that you can't fully "get" Pushkin unless you read him in his native Russian. I wonder if it's a similar story with Murakami. True, he doesn't write poetry, but the enigmatic nature of his prose makes me wonder if reading his work in its native Japanese adds an extra dimension of meaning that is lost when you read his work in English.

"put fingers on it"というイディオムは知らなかったけど感じはよく分かる。要するに英語で「1Q48」を読んでももう一つ良くわからないのだけれど、日本語で読んだら英語に訳されたことで失われたものがわかるんだろうか、という質問だ。

何人かからあった回答は概ね、日本語で読んだとしても背景にある文化や習慣がわかっていなければ同じだし、特に細かなニュアンスなどは日本人の間でもとらえ方が異なる、というようなところだ。

こうした回答は予想できたこととはいえ改めて考えてみると、原書で読む意味というのは何だろうかと思う。

僕が原書で読んだのは、「ハリーポッター」シリーズ、日本語訳本が絶版となっている「砂の惑星」の後半、「リングワールド」くらいなものなのでえらそうなことはいえないが、細かなニュアンスや文化的背景があまりよくわからないのに原書を読むよりは、そうしたことを考えぬいた翻訳者が訳したものを読む方がいいのかもしれないと思う。言葉のリズムや雰囲気などは原書と訳ではずいぶんと違うかもしれないが、全体としての文脈は変わりがないだろう。

「1Q84」についてはまだ一巻しか読んでいないからまたの機会にしたいと思うけれど、例えば、ある程度の年齢の人がこの本を読めば日本で起こった事件がベースにあることはすぐに分かるが、海外の人が読んだ場合、それに思い当たるかどうか。また「1Q84(ichi-kew-hachi-yon)」というタイトル自体が日本語の語呂合わせだから英語になったらそのままでは意味をなさないのは明らかだ。

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、海外でも話題になった作品をそんなことを考えながら読むとまたちょっと違った面白さがあるなぁ、などと思って「1Q84]を読んだ後に続けて読んだ、カズオ・イシグロの「女たちの遠い夏」は、日本生まれとはいえイギリスで育って日本語はほとんど話せない日系人の作者が、戦後の日本を主要な舞台にして英語で書いた小説を、日本人が日本語に訳したということだから、内容も知らずに借りた本にしてはこれはまたおかしな偶然、奇妙な符合だと思ったわけだ。

カズオ・イシグロは村上春樹が注目し新作が出れば必ず読む作家なのだそうだが、一般にはそれほど人気が高いわけではないようで、いつもの図書館には3冊しかない。残りの二冊は「夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」と「わたしを離さないで」だ。

「夜想曲集・・・」は楽しく読めたが、名作といわれる「わたしを離さないで」はいつまでも重苦しいことと、登場人物たちのそれぞれの意味がある程度推測できること(本当は違うかもしれないが)から、途中で投げ出してしまって読了していない。

「女たちの遠い夏」も決して明るい話ではないが、まだそれほどの重苦しさはない。

この本は会話が多いが、それらの会話を読んでいるとなんだか戦後の古い日本映画を観ているような気分になる。ある意味、不自然な会話だ。

戦後の映画をまともに観たことはないので、あくまで断片的な印象でしかないのだが、僕は勝手になんとなく芝居がかった、やけに丁寧な語り口があの頃の映画の特徴のように思っている。本の中の会話がまさにそんな感じだ。

そうした語り口は、当時の日本を表しているかというと決してそうではないという気がする。なんとなく東京近郊の、育ちのよい人たちの家庭かもしれないが、それ以外の日本の多くの地域とはずいぶんと違うものだと思う。

特にこの本の舞台は戦後の長崎である。長崎といえば村上龍の「長崎オランダ村」とか佐世保を舞台にした「69」の、地元の言葉をふんだんに使った小説を読んでしまった後では、これらの育ちのよさそうな丁寧な日本語の会話はどうしても素直には受け入れにくくなってしまう。

ただ、だからといって小説がつまらないとかそういうことではなくて、この本の持つ特殊性のようなものを強く意識してしまったということだ。

そのあたりのことは訳者である小野寺健氏のあとがきを読んでやっと納得できた。

もともとカズオ・イシグロという人は小津安二郎などの日本映画に強く影響されたのだそうである。そう思えば、断片的に観たことしかないけれど小津映画の印象そのままの会話であり、その意味では小野寺氏の訳は成功というべきなのかもしれない。小野寺氏は会話の部分で特に苦労されたたようだ。

舞台はあらかた日本であり、登場人物もニキ以外はそろって日本人と言ってもいいから、会話のニュアンスや微妙なかけひきもよく理解できるだけに、英語の表現はかなりくどく、日本語のそれが省略の多いのに改めて感嘆した。だが二か国語の相違につよい印象をうけ、細部までよく理解できたと思ったわりには、訳了してみると、予期したほどなめらかな行文にはならなかった。それは、訳者の日本語力を別にすれば、著者のイシグロ氏が五歳でイギリスに渡り、教育はすべてイギリスで受けて、ごくやさしい漫画程度のものを除くと日本語が読めないという事情と、無関係ではないだろう。
(訳者あとがき)

このことを承知した上で思い直してみれば、なるほどと納得したのだ。

ストーリーの背景はかなり省略されていて、読後にあれこれと考えさせられるところは村上春樹の小説と似ているかもしれないが、村上小説の持つ軽さとはまったく異なる重厚さがイシグロ小説の特徴かと思う。

一方で、もしこの小説を佐世保生まれの村上龍が訳していたら、一体どうなっていただろうと思って少々愉快な気がした。それをまた英語にしたなら一体どんな文章になるのだろうかと思うが、そればかりはとても予想できない。

戦後の女性たちの生き方の変化を主題としているといえる小説だが、小野寺氏もあとがきで指摘しているように、日本人から見るとその時代としても少々古い日本像だと思える。しかし淡々としながらも決して軽くはないストーリーは、じっくりと腰をすえて読んでみる価値はあると思う。僕は通勤電車とか医者の待ち時間とかでしか読んでいないから、うそ臭い感想かもしれないが。

「女たちの遠い夏」という題名は原題とは随分と違う。これはこれでよいと思うが、しかし「遠い山なみのひかり」という新しい題名で全体像を思い出してみると、前の題は内容と接近しすぎて直接的なのに比べて、新しい題名は一歩しりぞいた客観的視点から全体を見る立ち位置になって随分と印象は異なってくるので、やはり題名の影響は大きいと思う。

もう一つの符合・・・つまらないことだけれど、この本が出版されたのが1982年で、内容はその30年ほど前の1950年代初頭の日本が舞台であり、日本語訳が出版されたのが1984年、この本の前に読んだ「1Q84」は2009年から2010年にかけて出版され、30年には満たないがそれよりは過去である1984年を舞台にした小説だった。二巻、三巻の舞台がどの時代になるのかはまだ僕は知らない。

読書の感想は、読んで損はしない本でした、という以外はまとまった考えがないので書きません。だから今回のタイトルも「雑感」としました。

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コメント

こん**は。「女たちの遠い夏」は日本語版しか読んでないのですが、確かに原節子のような語り口を感じさせるところがありますね。著者、訳者とも小津を意識しているが故なのでしょうが、個人的には心地よい訳だと思いました。まあ、英語で書かれた文章を村上龍ばりの長崎弁に置き換えるのはかなり困難でしょうね。

投稿: ゆうけい | 2012/05/20 10:32

ゆうけいさん、コメントをありがとうございました。

読まれたのは初期の単行本でしょうか。私は1994年に発行された文庫本ですが、文庫化に当って全面的に手直しをしたと小野寺氏が文庫本あとがきで書いています。また、登場人物の「緒方さんなど、笠置衆のイメージそのものである」とも書いています。私は晩年の枯れ切ったような笠置衆しか知らないので、緒方さんのイメージは少々違いましたが。

そのうちに時間があまるようになれば、原書にも挑戦してみたいと思いますが、今のところは図書館にある本(日本語)が精一杯です。

投稿: taki | 2012/05/20 11:15

>読まれたのは初期の単行本でしょうか

私も文庫本の方です。原書は三宮まで出かけてもなかなか見つからないんですよね。「わたしを離さないで」は映画化された事もあり、比較的簡単に見つかりました。土屋政雄氏の高雅な香りさえする邦訳と随分雰囲気が違って戸惑いました。最後に泣かされるのは同じでしたけどね(苦笑。

投稿: ゆうけい | 2012/05/20 17:04

本屋で本を買うことはずっと怠けています。本当はその方が楽しみはあるんですが、西区の果てでは結局アマゾンで買ってしまいます。

通勤が大阪経由なんで梅田の紀伊国屋とか旭屋とか昔は寄ったりしていたんですが、ここ15年くらいは行ってないです。考えてみるともったいない話ですね。まったく無精者になってしまいました。

「わたしを離さないで」はまた読みなおしてみようとは思っていますが、図書館で借りたい予定リストに他の本がまだあるので先の話になりそうです。

投稿: taki | 2012/05/20 18:00

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