うずまき猫の遠泳
「1Q84」第一巻を図書館に返したものの、第二巻は貸出中で借りることができない。やっぱり人気のある作品だからね。とりあえず予約だけはしておいたけど、いつになることやら。
連休前に借りていた本は未読もあるけれど、全部返却してしまった。というのも、このところ、「イビサ」とか「女たちの遠い夏(遠い山なみのひかり)」とか、わりと重たい小説が続いたし、借りていた他の本もシリアスそうな感じがしたのでとりあえず返却して、図書館のサイトで検索して見つけていた軽そうな本を借りてきた。どちらも村上春樹著だけど、どうやら紀行文らしく読みやすいだろうと思ったから。
「うずまき猫のみつけかた」
「辺境・近境」
図書館の帰り、家内がショッピングセンターで買い物をしている間に読んでいるうちに、「うずまき猫」は1/3以上読んでしまった。おなじみ安西水丸氏のイラストと村上氏の奥さんによる写真が入った楽しい本だ。
今まで知らなかったんだけれど、村上氏はかなりの偏食みたいで、肉はほとんど食べず、菜食魚食主義者、特に中華料理はまったくだめなのだそうだ。
まったくといっても少しくらいなら我慢してと思うところだけれど、それこそ本当にまったくだめなのだそうで、ギョーザもだめ、「中華街どころかシューマイの匂いをかぐのが嫌で横浜駅を下りたくないというかなり重度のアレルギー」だそうで、ラーメンも食べたことがないそうだ、ちょっと信じがたいけど。
「ねじまき鳥のクロニクル」の取材で中国からモンゴルに行ったときの悲劇的体験記は他人ごとだから面白おかしく読めるけれど、ご本人は死ぬほどの思いだったのがよく伝わってくる。
「ねじまき鳥のクロニクル」にこんな裏話があったことを知っていたら、笑うような小説ではまったくないのに読みながら取材の様子を思い出してニヤニヤしてしまったかもしれない。まだ読んでいない人は、「うずまき猫」は後で読むことをお勧めします、いや本当の話、でもこのブログを読んでしまったら同じ事かもしれませんが。すみません。
ついでながら、「辺境・近境」もつまみ読みしたんだけれど、この中で瀬戸内海の無人島でキャンプする話がある。
水泳をしようと海に入ったらクラゲが出ていてあきらめた話があるんだけれど、そこに「高校生のとき、遠泳をやっていて、クラゲの群れの中に入ってしまったことがあって、その時は心臓が止まるかと思った。」という文がある。
村上氏のマラソンは有名だから、高校の時に遠泳をするのもうなずける、さすがだ、と思う人もいるかもしれないが、いくら瀬戸内の阪神間で育ったからといって、1960年代の都会の高校生がわざわざ遠泳をするのは尋常ではないというか、普通の高校生はわざわざ自分から遠泳なんかしないだろう。村上氏が普通の高校生だったかどうかは別の話だが、これは多分、臨海学校の話だ。
今はなくなってしまったようだけど、当時は夏休みに入ると、一年生は強制的に淡路島に送られ、タコ部屋のような粗末な宿舎に放り込まれて、鬼の指導員である大学生の先輩に指揮、監視されて毎日水泳の特訓でしごかれる恐怖の臨海学校があったのだ。文武両道、質素剛健、粗末な食事、早朝から夕方まで昼食時以外は海から出ることを許されず、泣き言などいおうものなら岸壁から跳び膝蹴りで海に突き落とされる・・・、というのはもちろんウソだけど、一年生全員による淡路島の江井での臨海合宿があったのは事実。ただし一年生全員が一斉にするのは無理なので、4つくらいのグループに分けて順に合宿していた。
江井には高校の臨海学舎があって、先輩方の「ありがたいご指導」のもとに毎日水泳の特訓をしたのは事実で、多くの生徒にとってはそれなりに恐怖の合宿だった。この臨海合宿を経ることで本当の文武両道、質素剛健の高校生精神が叩き込まれる、とかなんとか、ほんまかいな。(写真は検索で見つけた江井の様子、同窓生と思われる方のブログからいただきました)
一週間くらいだったのかもう少し短かったのか、あまりに昔過ぎて何日間の合宿だったのかすら忘れてしまったけれど、その締めくくりとして最終日に参加生徒全員による遠泳があったのです。
おそらくこんな合宿は村上氏の最も嫌うところだったのではないかと思いますが、どうでしょうか。
え、私はどうだったかですか?まぁ、私にとってはこんな合宿、お茶の子さいさい、屁の河童、平気の平左衛門でございましたよ、ははは(^^;;)。
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