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2012/07/21

高橋由一展 - 東京藝術大学美術館

先月の6月21日、仕事で東京藝術大学を訪れた際に校内にある大学の美術館で開催されていた「高橋由一展」を見てきたことを書こうと思いつつも、そのままになっていた。

Yuichi高橋由一については以前に書いたことがある。といっても半分以上はこの美術館の創設に尽力され美術館長を務められたこともある歌田眞介氏の言葉の引用だが。

歌田先生には、1999年にお会いしたことがある。何度かこのブログでアメリカからのお客様として登場している取引先のCEOの方(当時は社長)が、初めて東京藝大で講演をされたときに、ヘボ通訳として同伴したときのことだ。もちろん先生は覚えておられないに違いないが、その後も文化財保存修復学会で何度かお見かけしたことがある。

ということで、手抜きとのそしりを免れないが、引用を含めて以前に書いた文を若干の修正を加えて再掲することにした。

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倉敷で雑知識 & 高橋由一作品 中野で発見(2011.5.11)

絵画修復家には女性も多い。展示ブースに来てくださった女性修復家の方から聞いた話だが、日本の絵画の修復ではアクセサリーとかちょっとでも尖ったもの、画面を傷つけるようなものは身につけてはいけないそうだ。日本画の画面は膠で顔料をくっつけているだけだから、弱いのは確かだと思う。しかし日本の油絵も画面が弱いものが多いのだそうだ。

それに反して本場の油絵は丈夫にできていて、イタリアの女性修復家などはチャラチャラのアクセサリーや尖ったものでも身につけたままで平気で修復をするそうだ。

41v0marbqjl__ss500__3 その辺りのことは「油絵を解剖する/歌田眞介」に詳しく書かれている。この本の帯には「高橋由一の魅力と黒田清輝の不手際」とある。
現在の日本洋画の基礎を築いたといわれる黒田清輝だが、それは同時に形だけを取り入れた西洋絵画でもあったようである。

次の文は検索で見つけた、東京藝大のアーカイヴにあった歌田氏自身による本書紹介文である。

歌田眞介(名誉教授)
『油絵を解剖する』
油画科には、十五世紀以降のヨーロッパの油画技術情報があるに違いない、
と考えていたのが誤解であった。私の入学当時何も無かった。卒業後、絵画組
成研究室(現、油画技法・材料研)に助手(非)としてかかわっていた頃、先生方
の油画を修復する機会があった。乾燥剤の使用過多、溶き油に揮発性油しか
用いないなど、油画材料の性能の限界を越えた使い方をしていることがわかっ
た。
その頃、高橋由一展(神奈川県立近代美術館昭和39年)があり、数点の
洗浄を研究室の仲間と実施した。由一作品に技法的欠陥は無かった。時代が
降るにつれて技術が低下したのは何故か。明治初期、特に由一の技法はどん
なものだったか。先進国の文化受入にあたり先輩達の試行錯誤、すなわち、何
を入れ何を排除したか等々が研究テーマとなった。
本書は、幕末以来約130年の油画移入史のうち、技法や材料の扱い方を検
討してその問題点を明らかにしたいと願って書いた。
(2002年11月教官アーカイヴ展に寄せて)

続いては、本書にある著者の言葉:

旧派の絵は脂っぽくて古い感じがする。しかし、技術面から見ると油絵具の特色を生かした緻密な絵肌になっている。新派は明るく清新な作風だが、絵具の固着力は不充分である。黒田の先生であるラファエル・コラソの絵具は漆のように丈夫である。黒田の油絵はそれほど堅牢ではない。
石油系の弱い溶剤に一部溶けてしまうことがある。新派の連中は師の画風は真似ても技術面の研究はしてこなかったらしい。新旧両派の方法や考え方を高い次元で統一でぎると、すばらしい油絵がでぎるにちがいない。

旧派とは高橋由一など幕末から明治にかけて西洋絵画を学んだ人々のことであるが、本格的な西洋絵画技法を探求し非常に堅牢な画面の油絵を残している。

しかしその後、明治政府がフェノロサ-岡倉天心らの日本伝統絵画重視路線を採用したことにより洋画は美術界の中心から追い出されてしまう。

その洋画界の窮状を救ったのがフランスから帰国した黒田清輝だが、しかしそこでは歌田氏が指摘するように、高橋由一らが培ってきた材料や技法の探究心は軽視され、規則に縛られない自由な描写をよしとする風潮がそのまま現在まで続くことになる。旧派は伝統的な日本画の学習法である模写を取り入れ画力を磨いたが、新派は模写を否定し手順による描画を嫌う。

その頃の状況を森鴎外が嘆いた文が残されているらしい。

*************

Sake高橋由一を知らなくても、鮭の絵はどこかで見たことがある人が多いと思う。今回、本物を見て思ったのは、思ったより大きい絵であることと、写実とはいえ、近づいてみると意外と緻密ではなく大雑把な描き方で真に迫る表現をしているということだった。由一とされる鮭の絵はいくつかあるらしく、ここでは3点が展示されていた。これについては、オフィシャルサイトで、ギョギョッ!の”さかなクン”が熱く語っているので詳しくはそちらをご覧いただきたい。

ギョギョッ!高橋由一☓さかなクン

由一の有名な絵がいくつも展示されていて、それがいずれもよい状態で保存されている。日本の油彩画黎明期の作品をこのようによい状態で観ることができるのは、その後の日本油彩画の変転を考えれば僥倖といってもよいことだと思う。

まぁ、とにかく僕がとやかく書くよりもオフィシャルサイトに詳しい解説があるからそちらを読んでいただいた方がよいのだが、その中に「鮭」について次のような文がある。

みどころ・作品紹介

さらに重要なことは、このような特徴をもつ作品はヨーロッパを探してもないということだ。モノマネではないところに生まれた極めてユニークな芸術的価値が近年とみに見直されている。

Sibaura今回、「花魁」、「鮭」、「山形市街図」などの有名作品を見ることが第一ではあったが、それに加えて「芝浦夕陽」などの風景画に出会えたのはそれ以上のうれしさと驚きであった。

以前から、日本人が描いた油彩による日本の風景画には、ヨーロッパを描いたものにくらべて何だか無理して日本の風景を書いたような、とってつけたような不自然さを感じることがよくあった。

ヨーロッパの風景はどこを描いても油彩画として成り立つというのは歴史的な必然があるのだろうが、日本の風景画の場合そのような必然性がないところで、日本人の画家としてなんとか日本の風景を同じように油彩で表現しようとしつつも結局は成功していないからではないかと思う。

ところが皮肉なことに、そうしたヨーロッパの本格的な洗礼を受ける以前の由一の油彩風景画にはそのような不自然さがまったく感じられない上に、オフィシャルサイトの解説にもあるように独自の世界観を見ることさえできる。

おそらくは江戸末期という時代にはじめは日本画家として、そしてその後は様々な経緯をたどりつつもほとんど手探りで油彩画家としての道を探し求めていったことが、本場の先入観のない独特の世界を作り出したのではないかと、勝手な想像ながら思ったことだった。

黒田清輝により復活した日本の油彩画ではあったが、その末路の一端が由一展に先立つ5月に芦屋市立美術博物館で見た吉原治良展だろう。

芦屋市立美術博物館 - 吉原治良展は夢の跡

状態のよくない作品の多くは油彩画とされていたが、きっちりした油彩画ならばここまでひどいヒビ割れや剥落は起きないと思うのだが、一体どういう描き方をしたのだろうかと思う。でなければ、よほどひどい扱いを受けたのか?

表現に傾注するあまり、材料や将来の保存性に気を配らない作品が近代日本美術作品には多いとは聞いていたが、その末路を見る想いの展覧会だった。

100年を超える由一の作品の半分にも満たない年月しか経ていない戦後期の作品群が、ひび割れ、剥落が著しかったのもこれまた皮肉な話である。

Nanban_2さらにいえば、それに先立つ4月に神戸市立博物館で開かれた「南蛮美術の光と影」で見た数百年前の、イエズス会修道士の指導のもとに描かれたと思われる日本人による西洋風絵画も、おそらくは修復されているとはいえ、非常によい状態であるのはもっと皮肉である。

さて、せっかくの由一展だったが、仕事が控えていて1時間ほどしかなかったため、最後に展示されていた大量の風景スケッチはほとんど走るように駆け抜けてしまったのは残念だった。時間があれば、秋の京都展(京都国立近代美術館)にも行きたいものだ。

Berlin仕事が終わったあとは台風の接近もあって早々に帰路についたのだが、若いころのように気力、体力があれば西洋美術館で開催中だった「ベルリン国立美術館展」も見てくるところだ。しかし現実はマルティン・ルターに睨まれながら真珠の首飾り少女の横顔を横目にみてそそくさと通り過ぎたのだ。年はとりたくないものだなぁ。

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