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2012/07/22

風の歌を聴いてください

蒸し暑い日が続きますね。

ヨーロッパの都市には噴水が多いのですが、夏は暑くても湿気が低いので水が涼しさを感じさせるのだそうです。一方で日本の夏は湿気が高いので噴水なんかはかえって蒸し暑さを助長させるくらいで、風の方が涼を呼ぶのだそうです。

そういうわけで、風の歌を聴いてください。少しは涼しくなるでしょうか。

The Singing Ringing Tree is a wind powered sound sculpture resembling a tree set in the landscape of the Pennine mountain range overlooking Burnley, in Lancashire, England.(Wikipedia)

Singing_ringing_tree_3
もう少し音楽的な和音や音階のような音を期待してたんですが、ひたすらうなりですね。画面は早送りになっているようです。

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2012/07/21

高橋由一展 - 東京藝術大学美術館

先月の6月21日、仕事で東京藝術大学を訪れた際に校内にある大学の美術館で開催されていた「高橋由一展」を見てきたことを書こうと思いつつも、そのままになっていた。

Yuichi高橋由一については以前に書いたことがある。といっても半分以上はこの美術館の創設に尽力され美術館長を務められたこともある歌田眞介氏の言葉の引用だが。

歌田先生には、1999年にお会いしたことがある。何度かこのブログでアメリカからのお客様として登場している取引先のCEOの方(当時は社長)が、初めて東京藝大で講演をされたときに、ヘボ通訳として同伴したときのことだ。もちろん先生は覚えておられないに違いないが、その後も文化財保存修復学会で何度かお見かけしたことがある。

ということで、手抜きとのそしりを免れないが、引用を含めて以前に書いた文を若干の修正を加えて再掲することにした。

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倉敷で雑知識 & 高橋由一作品 中野で発見(2011.5.11)

絵画修復家には女性も多い。展示ブースに来てくださった女性修復家の方から聞いた話だが、日本の絵画の修復ではアクセサリーとかちょっとでも尖ったもの、画面を傷つけるようなものは身につけてはいけないそうだ。日本画の画面は膠で顔料をくっつけているだけだから、弱いのは確かだと思う。しかし日本の油絵も画面が弱いものが多いのだそうだ。

それに反して本場の油絵は丈夫にできていて、イタリアの女性修復家などはチャラチャラのアクセサリーや尖ったものでも身につけたままで平気で修復をするそうだ。

41v0marbqjl__ss500__3 その辺りのことは「油絵を解剖する/歌田眞介」に詳しく書かれている。この本の帯には「高橋由一の魅力と黒田清輝の不手際」とある。
現在の日本洋画の基礎を築いたといわれる黒田清輝だが、それは同時に形だけを取り入れた西洋絵画でもあったようである。

次の文は検索で見つけた、東京藝大のアーカイヴにあった歌田氏自身による本書紹介文である。

歌田眞介(名誉教授)
『油絵を解剖する』
油画科には、十五世紀以降のヨーロッパの油画技術情報があるに違いない、
と考えていたのが誤解であった。私の入学当時何も無かった。卒業後、絵画組
成研究室(現、油画技法・材料研)に助手(非)としてかかわっていた頃、先生方
の油画を修復する機会があった。乾燥剤の使用過多、溶き油に揮発性油しか
用いないなど、油画材料の性能の限界を越えた使い方をしていることがわかっ
た。
その頃、高橋由一展(神奈川県立近代美術館昭和39年)があり、数点の
洗浄を研究室の仲間と実施した。由一作品に技法的欠陥は無かった。時代が
降るにつれて技術が低下したのは何故か。明治初期、特に由一の技法はどん
なものだったか。先進国の文化受入にあたり先輩達の試行錯誤、すなわち、何
を入れ何を排除したか等々が研究テーマとなった。
本書は、幕末以来約130年の油画移入史のうち、技法や材料の扱い方を検
討してその問題点を明らかにしたいと願って書いた。
(2002年11月教官アーカイヴ展に寄せて)

続いては、本書にある著者の言葉:

旧派の絵は脂っぽくて古い感じがする。しかし、技術面から見ると油絵具の特色を生かした緻密な絵肌になっている。新派は明るく清新な作風だが、絵具の固着力は不充分である。黒田の先生であるラファエル・コラソの絵具は漆のように丈夫である。黒田の油絵はそれほど堅牢ではない。
石油系の弱い溶剤に一部溶けてしまうことがある。新派の連中は師の画風は真似ても技術面の研究はしてこなかったらしい。新旧両派の方法や考え方を高い次元で統一でぎると、すばらしい油絵がでぎるにちがいない。

旧派とは高橋由一など幕末から明治にかけて西洋絵画を学んだ人々のことであるが、本格的な西洋絵画技法を探求し非常に堅牢な画面の油絵を残している。

しかしその後、明治政府がフェノロサ-岡倉天心らの日本伝統絵画重視路線を採用したことにより洋画は美術界の中心から追い出されてしまう。

その洋画界の窮状を救ったのがフランスから帰国した黒田清輝だが、しかしそこでは歌田氏が指摘するように、高橋由一らが培ってきた材料や技法の探究心は軽視され、規則に縛られない自由な描写をよしとする風潮がそのまま現在まで続くことになる。旧派は伝統的な日本画の学習法である模写を取り入れ画力を磨いたが、新派は模写を否定し手順による描画を嫌う。

その頃の状況を森鴎外が嘆いた文が残されているらしい。

*************

Sake高橋由一を知らなくても、鮭の絵はどこかで見たことがある人が多いと思う。今回、本物を見て思ったのは、思ったより大きい絵であることと、写実とはいえ、近づいてみると意外と緻密ではなく大雑把な描き方で真に迫る表現をしているということだった。由一とされる鮭の絵はいくつかあるらしく、ここでは3点が展示されていた。これについては、オフィシャルサイトで、ギョギョッ!の”さかなクン”が熱く語っているので詳しくはそちらをご覧いただきたい。

ギョギョッ!高橋由一☓さかなクン

由一の有名な絵がいくつも展示されていて、それがいずれもよい状態で保存されている。日本の油彩画黎明期の作品をこのようによい状態で観ることができるのは、その後の日本油彩画の変転を考えれば僥倖といってもよいことだと思う。

まぁ、とにかく僕がとやかく書くよりもオフィシャルサイトに詳しい解説があるからそちらを読んでいただいた方がよいのだが、その中に「鮭」について次のような文がある。

みどころ・作品紹介

さらに重要なことは、このような特徴をもつ作品はヨーロッパを探してもないということだ。モノマネではないところに生まれた極めてユニークな芸術的価値が近年とみに見直されている。

Sibaura今回、「花魁」、「鮭」、「山形市街図」などの有名作品を見ることが第一ではあったが、それに加えて「芝浦夕陽」などの風景画に出会えたのはそれ以上のうれしさと驚きであった。

以前から、日本人が描いた油彩による日本の風景画には、ヨーロッパを描いたものにくらべて何だか無理して日本の風景を書いたような、とってつけたような不自然さを感じることがよくあった。

ヨーロッパの風景はどこを描いても油彩画として成り立つというのは歴史的な必然があるのだろうが、日本の風景画の場合そのような必然性がないところで、日本人の画家としてなんとか日本の風景を同じように油彩で表現しようとしつつも結局は成功していないからではないかと思う。

ところが皮肉なことに、そうしたヨーロッパの本格的な洗礼を受ける以前の由一の油彩風景画にはそのような不自然さがまったく感じられない上に、オフィシャルサイトの解説にもあるように独自の世界観を見ることさえできる。

おそらくは江戸末期という時代にはじめは日本画家として、そしてその後は様々な経緯をたどりつつもほとんど手探りで油彩画家としての道を探し求めていったことが、本場の先入観のない独特の世界を作り出したのではないかと、勝手な想像ながら思ったことだった。

黒田清輝により復活した日本の油彩画ではあったが、その末路の一端が由一展に先立つ5月に芦屋市立美術博物館で見た吉原治良展だろう。

芦屋市立美術博物館 - 吉原治良展は夢の跡

状態のよくない作品の多くは油彩画とされていたが、きっちりした油彩画ならばここまでひどいヒビ割れや剥落は起きないと思うのだが、一体どういう描き方をしたのだろうかと思う。でなければ、よほどひどい扱いを受けたのか?

表現に傾注するあまり、材料や将来の保存性に気を配らない作品が近代日本美術作品には多いとは聞いていたが、その末路を見る想いの展覧会だった。

100年を超える由一の作品の半分にも満たない年月しか経ていない戦後期の作品群が、ひび割れ、剥落が著しかったのもこれまた皮肉な話である。

Nanban_2さらにいえば、それに先立つ4月に神戸市立博物館で開かれた「南蛮美術の光と影」で見た数百年前の、イエズス会修道士の指導のもとに描かれたと思われる日本人による西洋風絵画も、おそらくは修復されているとはいえ、非常によい状態であるのはもっと皮肉である。

さて、せっかくの由一展だったが、仕事が控えていて1時間ほどしかなかったため、最後に展示されていた大量の風景スケッチはほとんど走るように駆け抜けてしまったのは残念だった。時間があれば、秋の京都展(京都国立近代美術館)にも行きたいものだ。

Berlin仕事が終わったあとは台風の接近もあって早々に帰路についたのだが、若いころのように気力、体力があれば西洋美術館で開催中だった「ベルリン国立美術館展」も見てくるところだ。しかし現実はマルティン・ルターに睨まれながら真珠の首飾り少女の横顔を横目にみてそそくさと通り過ぎたのだ。年はとりたくないものだなぁ。

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2012/07/08

Bradbury & Voneegut after 1Q84

レイ・ブラッドベリが先月亡くなったことは、ゆうけいさんのブログで知って、またPICKS-CLICKSさんも記事にしていて、どちらにもコメントを書いたのだけれど、僕はFacebookに萩尾望都の「ウは宇宙船のウ」の表紙画像とともに書いたのだった。

R_is_for_rocket

Mr. Ray Bradbury passed away this month. His novel "The October Country" is one of my best favourite books.
The image is a cover of a comic book of "R is for Rocket" by Moto Haghio, Japanese comic artist.

そしたら高校の先輩から「たんぽぽのお酒」についてのコメントをいただいたのだが、高校から大学にかけてブラッドベリの本は割りと読んだものの「たんぽぽのお酒」は読んでいないと返事したら「オヤ、残念!」といわれてしまったので、例によって図書館で借りてきて読んでいる。

Facebookのコメントにも書いたのだが、学生のときに原書を買って読もうとしたものの、当時の英語力ではまるで歯が立たずにすぐに挫折したために読んでいなかった。なぜ訳本を読まなかったのかと考えてみたら、この本は単行本しか出ておらず値段が高いのでそれでためらっていたところに、どこかの本屋で原書が割りと安く売っていたので一度は挑戦してみようと買ったのだった。結局読まず終いだったけど。

現在、3/4ほどまで読み進んだところだが、読み始めてしばらくはストーリーが頭に入らずに何を読んでいるのかよく分からない状態でなかなか読み進めなかった。しばらくしてやっとこれは詩を読むようなつもりで読むとリズムがとれることが分かって、それからはどんどんと読み進むことができるようになった。

というところで本当に文庫本が出ていないかどうか、アマゾンで調べてみたら、書評に☆一つというのがあったのでどういうことかと読んでみたら、原書は素晴らしいが訳が悪いのだそうだ。

「何かが道をやってくる」(以下「何かが~」)に関して”NYC’s no lark”様がレビューを寄せられており、「原作は星5つ、翻訳は星1つで、総合評価3」と評価されています。全く同感。

翻って、この「たんぽぽのお酒」、訳書のカバー(旧版)には、『特に若い世代のために書き下ろされた』とのコメントが付されていますが、まずは、本国である米国を始めとして、「本作を、そのように位置付けている国は、日本以外には無い」ということを、指摘申し上げたいと思います(勿論、ブラッドベリ先生自身も、そんなつもりで執筆されたのではありません)。

我が国では、出版以来、米国で謂う処の、いわゆる「 ”young adult” 向け」の本 (我が国の風習に照らして喩えるならば、「文部科学省推薦図書」)の如き位置付けをされ、翻訳者の方も、出版社の企図に沿ってでしょうか、「子供向け」の文体で統一し、訳出されておりますが、原典から入った人間(或いは、将来的に、原典から本作に触れる方々)にとって、これ程、違和感のある翻訳はありません。(後略)
(ByRBファン)

僕は読んでいてあまり違和感はなかったのだけれど、う~む、こうなると原書を探しだして再挑戦してみないといけないかなぁ、などと思ったりするが、まぁとりあえずあと1/4しかないのでこれを読み終えよう。僕にはこの訳が悪いとはあまり思えないのだけれど、読んでいて宮沢賢治をかなり意識した文体ではないかと思ったりはする。

といいつつ今日は図書館に行ったら突然カート・ヴォネガットの名前を思い出して、とりあえず一番薄い「追憶のハルマゲドン」を借りてみた。カート・ヴォネガットはまた例によって村上春樹の本に出てきた作家だ。

Armageddon今日は梅雨時とは思えないほどあざやかに晴れわたった空に湿気のない風のおかげであまりに気持ちがよかったので、図書館からの帰路、家内が買い物をしている間にマーケットの日陰にあるベンチにすわってヴォネガットを読み始めてしまった。

この本はヴォネガットの死後に出された本だけれど、しばらく読んでいる内に「あぁ、なるほど確かにこれは村上春樹が影響を受けた作家には違いない」と思ってしまった。けれど村上春樹のようなスノブな感じはしないかな。まぁ、本当は原書を読んだ上でそいうことをいうべきなんだろうけど。

村上春樹については話題作の「1Q84」を含めて何冊か続けて読んだけれど、その後に叙情的なブラッドベリを読んでしまうとちょっと村上さんはもういいや、というよりはもううんざりしてきて当分は読まないだろうと思う。以前にも同じようなことがあったから、そのうちにこの村上病とでもいう症状も治まるとは思うけど。

「1Q84」はぐんぐんと惹きつけて読ませる本ではあるけれど、うーん、何だかなぁ・・・。

村上氏がオウム問題について周到な調査を行って書いたという「アンダーグラウンド」や「約束された場所」を僕は読んでいないので軽率なことはいうべきではないのだろうけれど、そのような調査の上に書かれた本であることを別にしたとしても、明らかにオウムを思わせる宗教団体とそのリーダーがあの扱いのままで終わってしまってよいものなのか。

う~む、こうなると村上病を押してでも「アンダーグラウンド」と「約束された場所」を読んでみるべきかなぁ。

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2012/07/05

In & Out, On & Off

久しぶり、かな? Facebookからの画像紹介。

Krillin こういう発想は日本人にはなかなか出来ないね。

Facebookをみていると、日本のアニメは本当に世界中に広がっているのがわかるけど、中南米にも結構ファンがいるみたいだ。

Amazon 次は発想は似ているといえるけれど、こちらは冗談ではすまない話だ。添えられていた原文もご紹介。

70% of cleared Amazon rainforest is used for ranching – for the grazing of hamburger cattle – while most of the remaining 30% is used for growing soya for animal feed. According to the United Nations, "The livestock sector emerges as one of the top two or three most significant contributors to the most serious environmental problems. Raising animals for food is a primary cause of land degradation, air pollution, water shortage, water pollution and loss of biodiversity."

ranch:牧場、牧場を経営する
graze:家畜に(生えている草を)食べさせる
cattle:畜牛、cow:雌牛、bull:去勢されていない雄牛
ox:去勢された雄牛または牛の総称、calf:仔牛
livestock:家畜、biodiversity:生物多様性

アマゾンで破壊された熱帯雨林の70%がハンバーガー用(とは限らないと思うけど)の牛の牧場で、残り30%の大半は飼料用大豆生産のために使われる。牧畜が環境に与える影響は甚大ということだが、生物多様性にも大きな影響を与えるというのも深刻な問題だ。

健康志向で野菜を食べようみたいな話もあるけれど、実際には肉の消費量は世界的には増加しているんだろうなぁ、なんせ人口は増えているんだから。

だからといって、魚ばかり食べれば魚が減っていくわけだし、養殖もおそらくは家畜と同じような問題をはらんでいるのだろうし・・・。

最近のTVはやたらと食べ物の番組が多いように思うけれど、飽食文化から脱皮してそこそこに抑えるわけにはいかんのかね、どうも困ったものだ。

Binbowa 最後はまったくのお笑いだけど、実際にあるお店なんだろうな、どこにあるんだろう?

Facebookでついた海外のコメントをみると、日本と中国の区別がつかない人って結構多いみたいだ。でもそれだけではなくて、中国=コピー商品というイメージからこの写真からは日本よりも中国を連想する人も多いということもあるみたい。喜んでいいのかな?

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