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2012/08/05

白洲正子と夏模様

暑いですね。

とはいえ、まだ夏バテはしていないようです。

前々回の高橋由一展の記事でちょっと気負いすぎて気が抜けてしまったようで、しばらく更新していませんでした。

Sirasu
まぁ、内容が気負ったと言うよりは文体で気負ってしまったということだけれど、これはその時に読んでいた「白洲正子 自伝/白洲正子」の影響が多大ではある。

この自伝を書いた時に白洲正子はすでに80歳を過ぎていたようだが、とてもそうは思えない鋭さと、今時の文章ではお目にかかれない気品とか格調の高さがある。

塩野七生にも通ずるところがあるかと思う。白洲正子の方がずっと年上だし、明治生まれの人だから、言葉そのものははるかに洗練されていると思うが、原典にあたり、現地に足を運び、その中から本物だけを絞りだしたような文を書き出すところは共通のものがあると思われる。

村上龍とか村上春樹のエッセイを色々と読んでいると、金と時間のある人の話だなぁ、と思うところが多分にあるが、それはあくまで小説家としてデビューしてからの話で、失礼とは思うが、所詮は成金的なところがまったくないとは言い切れない。

しかし白洲正子の場合は、華族の家に生まれ、歴史上でも有名な祖先を持ち、連綿と続く富と歴史の中で生まれ、本物の中で育った生い立ちの差は歴然としている。

子供の頃、広大な邸のなかの広い食堂でおつきの人が二人ついて、正面の壁に掲げられた黒田清輝の「読書」とにらめっこしながら食事をしたとか、しかし父親のつきあいが松方一族や三井・三菱関係の人なので、自分の家はとても貧乏だと思っていたとか、6万坪ある富士の裾野の別荘に昭和天皇になる前の皇太子が遊びに来たとか、祖父が皇太子の養育係だったとか、こう書くと嫌味にしか聞こえないが、読んでいるとそれがごく当り前のように自然に描かれているし、決して嫌味には感じられない。もう比較とかなんとかいうレベルとは違う次元に生きていた人だといえる。

こういう人は恐らくは富が集中し、格差の激しい社会でなければ生まれない人なんだろうと思う。今の時代でも、たとえば元首相の細川護煕なんかはそうした境遇に近いのかもしれないけれど、明治の人のような、これだけの根性の座った人間とは思われない。

能、歌舞伎、和歌など、半端な知識と体験では書けない内容だろう(実際にはよく知らないから勝手な思い込みではあるけれど)。そうした意味で塩野七生に通ずるものが感じられる。

しかし一つ一つの言葉がしっかりとした隙のない日本語の構造を形作っている。見慣れない漢字使いや言葉が出てくるけれど、たとえば今の作家ならそうした言葉を調べて意味を把握して使ってみるとかするのかと思うが(そうではないかもしれないけれど)、白洲正子の場合は、あらゆる言葉が自家薬籠中の物、なんて使い慣れない言葉を使ってみたくなるほど自然に使いこなされているところが、現代の文筆家とは異なる点だろう。

もちろん、現在の文筆家は現代の世相を反映した文となるのは当り前で、言葉自体が変化しているのだから、昔の文体をわざわざ使う必要性はないわけだけれど、やはり現代調の文体ではない、しっかりとした美しい文章には憧れる。

もともと白洲正子に興味があったわけではなくて、一時期ブームとなった白洲次郎からのつながりなのだけれど、白洲次郎本人はほとんどの資料類を墓場に持っていったとかで、本人が直接書いたものとか喋ったものはほとんど残っていない。

今あるものは誰かが伝聞的に書いたものばかりだから、あまり読む気になれない。読んだのは一応は白洲次郎著となっている「プリンシプルのない日本」だけである。

一方でその夫人である白洲正子は色々と書いたものが残っているので、それで数年前に読んでみたのが「道」という本だった。なかなかとっつきにくい本ではあったけれど、品格のある文が印象に残っていたので、図書館で自伝を見つけた時にはすぐに読んでみようということになった。一億総中流といわれてからすでに数十年の日本も、かつてはこうした時代があり、借り物、まがい物でない世界を生きていたひと達がいたということを知っただけでも価値のある本だったと思う。

自伝といえば、今読んでいるのが、姜尚中の「在日」である。これは在日韓国人である姜尚中の自伝である。

こうした本を読みたくなったのも、韓国になんとなく興味があるところもあるけれど、自分の生い立ちを他人の自伝に重ねて思い出したりするという年齢的なものもあるかと思う。

無理なこじつけではあるが、白洲次郎も村上春樹も高校の先輩ということになる。そして1950年生まれの姜尚中は僕の年齢に近いし、村上春樹と同じ頃に早稲田大学に在学している。そうしたところに自分のアイデンティティーの源泉を少しでも見いだせないかというさもしい心のなせる技かもしれない。

まぁ、ということで、夏といえばこの歌かな。子供の頃、決していいことばかりではなかったはずだけれど、それを懐かしい思い出にくるんでくれる歌ですね。

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