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2013/01/27

East of the Sun

これは昨日の夕方、犬の散歩に家内と出かけたとき。

Sakura 風が強くてめちゃくちゃに寒かった。手がかじかんでほっぺたに当たる風がいたい。

でも、この感覚はなつかしいなぁ。

子供の頃はそういえば、これと同じ冷たさを感じながらも外で遊んでいたんだ。

今の子供は、なんていいたくはないが、こういう冷たさの中でも当たり前のようにみんな遊んでたんだなぁ、と感慨にふけるにはちょっと寒すぎる散歩だった。

Cats これは家内が手なづけた野良猫。いつもはもう一匹、黒猫がいるんだけど、昨日は現れなかった。我が家の犬をみても怖がらなくなっているどころかどうも自分のほうが上と思っているみたいだ。

家内は動物と仲良くなるのが特技だ。

Sun 帰りがけ、西には沈む太陽、東には昇る月。

Moon そういえば、East of the sun, west of the moonというのは、ちょうど自分のいる位置がそうなんだと気がついた。

太陽は東から昇るからその太陽の向こうの東、それに語呂合わせでwest of the moonといっているだけかと思っていたんだけど、ちょうどこんな位置関係で自分たちのいるところっていう歌詞だったのかな。

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Snow Mozart

1月27日はモーツアルトの誕生日だそうで。

Mozartなかなかと、 しゃれていますねぇ。

最近はFBとネタがかぶってるんで、両方見てる人にはすんません。

Yupica ところで今日は家内と久しぶりに小野市にある温泉「ゆぴか」に行ってきたんですが、帰り、外へ出ると雪がちらちらしていて、あ~、ここはやっぱり山だからねぇ、気をつけて帰らないと、といっているうちに加古川沿いに来るとほとんど降ってなくて道も濡れていないので、山の上だけだったんだ~、とかいっているうちに、稲美町に入るとどんどんと雪が降りだして、これはもう横殴りの風に雪が舞い散るなんてんじゃなくて流れるようで、ワンボックスだからよけいかもしれないけれど、風で横滑りしそうなくらい、おまけにビカッと雷まで光り出し、信号で止まっているとワイパー早送りしないとフロントガラスに雪がたまってくるし、発進するときにはスリップするし、視界は10mくらいに雪が降りしきるし、もうたいへん。Snow

Home でもって路面はすっかり真っ白でギヤをローにしてこわごわ家の前まできたら、もう雪はほとんどやんでいて、しばらくしたら星空が晴れわたって、月明かりに映える青みがかった雪景色がきれいでした。

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2013/01/20

読書覚書

この数ヶ月で読んだり、途中で放り出したりした本のリスト。「カンガルー日和」以外は図書館で借りた本。

歴史の世界から/司馬遼太郎
歴史にからめてのエッセイ集。いろいろな時代の断片を切り取ってのエッセイだが、やはり司馬氏の実体験である戦争にからめた話が面白い。また鹿児島(島津)、土佐についての時代背景や人々の気質が描かれていて、日本人といえども様々に異なることがわかって面白かった。西郷隆盛についてもあまり知らなかったことが多かった。

ライン/村上龍
一つの話ではなくて、ある人物についての短編があり、その中の主人公以外の誰かが次の短編の主人公となるという一応はつながっていく小説。何となく一貫性がなく登場人物それぞれが異常な人物ばかりなので、途中でうんざりしてきて読了せずに返却してしまった。

櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている/村上龍
割りと新しいエッセイ集。いつもながらのちょっと違った視点。以前に触れたかな。

夢の通い路/倉橋由美子
倉橋由美子の小説は、学生の頃にPicks-Clicksさんから勧められたように思うが、その時に読んだものはもう一つピンとこなかった。図書館で作者名をみかけたのと西行法師が登場するらしいというので挑戦してみたが、やはりもう一つピンとこず、これも読了することなく返却した。この前に読んでいた「西行/白洲正子」に同じく、和歌がポイントになっているが、白洲正子ほどには引きつけられるものが見いだせなかった。

はじめての文学/山田詠美
「はじめての文学」シリーズ。全然知らない作家なので読んでみた。それなりに面白かったと思うが、もうほとんど忘れてしまった。

はじめての文学/吉本ばなな
同じシリーズ。僕が読んだ限りでは、吉本ばななという人は常に死を題材にしているような気がする。これもそれなりに面白かったが、もうほとんど忘れてしまった。本当に物覚えが悪い。

糸杉の影は長い/ミゲル・デリーベス
たまたま糸杉という文字が目について、ゴッホを思い出し手にとって見たら、スペインの小説だった。まぁ、これも何かの縁と思って借りて読みだしたのだけれど、淡々とした描写が延々と続くので、なかなか読み進めないうちに返却期限が来てしまったので、とりあえず返してしまった。またそのうちに借り直すかもしれないが、当分は他の本に目移りしているので、いつになるかわからず。この小説とその舞台について書かれたブログがあった。後半に粗筋が書いてあるので、そこは読んでいないが、このブログを読むだけでも、小説の雰囲気が伝わってくる。

カンガルー日和/村上春樹
高校のプールが出てくるので買ってみた、という初期の短篇集。大半の短編は他の短篇集に再録されており、半分以上は既読だった。読んでないと思ったものも、ちょっと見なおしたりしているうちに既に読んでいたような気になってしまい、どれがはじめて読んだのかわからなくなってしまった。最近の小説に比べ、初々しさがあり文が活きいきしていると思う。

シールド/村上龍、はまのゆか(絵)
子供向けの絵本。自分を守るシールドとは何か、二人の主人公の人生を対比させて、一応は子供向けに描かれているが、それなりに考えさせる内容だった。

一生に一度の月/小松左京
小松左京の長編は何となく敬遠してしまう。そこで短篇集を読んでみた。1970年前後の時代背景から予想した未来図が多く描かれているが、それから40年あまりたった今から見ると、未来予測というのがいかに難しいものかというのがよくわかった。ただ、当時の未来像というものを自分も同じように見ていたことを懐かしく思った。

風塵抄/司馬遼太郎
今、読んでいるエッセイ集。エッセイは作者の生の考えが吐露されているように思えてよく読む。関西の話が多いので身近に感じられるので読みやすいということもある。

キャンバス/サンティアーゴ・パハーレス
キャンバスというタイトルが目についたので手に取ってみた本。画家に関するスペインの小説らしい、という以外は全然わからないが、「糸杉の影は長かった」に再挑戦しようという気力がないので、代わりに同じスペインだからと借りてみた。まだ全然読んではいない。

これ以外に村上春樹の文庫本を数冊買ってあるが、「カンガルー日和」以外は全然読んでいない。買った本だからいつでも読めると思うと、ほったらかしになるものらしい。

以上、自分のためのメモ

追加:夢で会いましょう/村上春樹、糸井重里
以前にも書いたけれど、糸井さんの話はつまらないものが多すぎる

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加古川でギグ

今日は加古川にあるダイニングバー「スカーレットの小鳥」でギグしてきた・・・、セッションともいう。

Scarlet 東京のFirst StageでPicks Clicksさんに案内してもらってセッションに参加してから既に3年以上経っている。それ以前は30年以上したことがなかった。自分の楽器を運んでセッションに参加したのは1970年代後半以来、あ、いや結婚式で弾いたから1980年以来か。

昼過ぎに2階に置いていたヴィブラフォンを分解して階下におろし、とりあえず一度組み立て練習。

その後、また分解して車に積み込むが、思った以上にでかくて予定していたような入れ方ができず、少々苦労した。しかし、まぁ、何とか安定した入れ方を工夫して、5時半頃にでかけた。

Fisrst Stageのようにその日に来た人が適当に組んでどんどんするというのは、東京のように人口の多い所では可能だと思うが、加古川ではそこまでは人は集まらないので、ハウスバンドのピアノトリオがリードしてセッションをする。

僕がした曲は、Bye Bye Blackbird、 If I were a Bell、ジャズ・サンバ、夜は千の目を持つ(夜千)など。夜千は途中で何度もずれてしまった。それ以外にもミスはしまくったけど、まぁ、本当のホントに久しぶりだからね。

曲は、先週の3連休辺りからちょいちょいと練習して、平日の通勤電車でKieth JarretttやらGary Burtonやらの演奏を聴いて感覚を慣らしていたのがちょっとは役に立ったかも。特に聴いていたのはこのDave Friedmanのソロ、もちろんこんなに弾けないけどね。

参加したのは、常連さんが数人(ピアノ・トリオ)と、関東からたまたま出張で里帰りしていたドラマー、学生のギターにドラマー、女性ヴォーカルが二人と、何と三線を弾く女性の方々などで、とても楽しかった。

いつもは家で近所の耳が気になるので、強く叩いてもそこそこだったのがよくわかった。思いっクソ叩いてちょうどいいくらいだ。

マレットを三種類もっていったけれど、練習用のソフトタイプでは音量が足りないし、ミディアム程度は強く叩くと音がキンキンしてしまうので、結局、赤松さんも使っているバートンモデルで通した。こういうのは実際にやってみないとわからないものだ。

最後はBags Grooveでおしまい。

みなさん、ありがとう。また次回!

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2013/01/17

18年

阪神淡路大震災から18年、ゆうけいさんがBlogに、「あの年に生まれた方ももう高校三年生、時の流れの早さを感じます。」と書かれていたのを読んで、改めて月日の経ったことを思います。

昨年のクリスマス連休に高校を訪れたことを書いていたことが何だか因縁めいているようにも思えますが、自分の高校時代に比べて今の彼らの将来を考えると、申し訳ないような気持ちになります。

Rokkoこの写真はFacebookで紹介されていた、神戸市広報課のサイトに掲載されている1970年頃の阪急六甲駅です。1970年は大阪万博の年、僕はちょうど高校3年で、翌年、運良くここから坂を登った大学に入り、それから実に7年間、この辺りを行ったり来たりしたのでした。明日になればもっとよくなる、将来に向けての不安などほとんどない、幸せな時代でした。

私たちの時代と彼らの時代はまるで違った価値観の世の中になるでしょう。本当に自力で生きて行かなければならない、しかしそれも儘ならないような大変な時代だと思います。

取り留めのないことを書いてしまいましたが、阪神淡路とともに、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福と逸早い復興をお祈りします。またこれからの時代を生きていく若い人たちに幸あることを願います。

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2013/01/16

Historia de la Musica

これは秀逸、卓越、抜群、素晴らしい、抜きん出ている、出色、逸品、卓越、え~、他にないか。このブログでは右端が切れてしまうので、是非、画面上のタイトルをクリックしてYouTubeサイトに飛んで見てください。フルスクリーンで見る価値あり。

 

 

 

 

最後で、あっと驚きですね。

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2013/01/14

ドップラー効果

Trombone Alpine Skiing

 

 

So what? と言いたくなるけど、ドップラー効果で間が抜けてくるところがいいね。オクターブ下げてるからよけいかな。

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2013/01/13

クリスマス三連休 二日目 -9 バス通り - 喪失と安心

去年の話の続き、神戸高校を後にしてバス道を歩きます。

高校編は考えていた以上に長くなってしまいました。必要以上に思い入れが強いのが自分でもわかるのですが、その理由がどうやらこの辺りにあったようです。

Path1 このバスは三宮神社行きとなっていますが、昔は三宮のそごう前と阪急六甲を往復するだけでした。阪急六甲からは阪神御影行きのバスが別系統で出ていたんですが、今は直通もあるようです。

Path2 僕の通学路は神戸高校前の交差点からこのバス道に沿って西方向に向かいます。10分も歩くかどうかという距離です。

Shouin かつての実家に近づいてきました。この辺りは昔とほとんど変わっていません。左手に見えるのは神戸松蔭女子校です。以前は中学、高校、大学とありましたが、大学は今は六甲の方に移っているはずです。

Wagasi 松蔭の向かいにある和菓子屋さんは神戸に引っ越してきたときからあり、姿も変わっていません。それどころか店内に見えたおばさんは、僕が高校の時にいた人です。あの頃から既におばさんだったんだから、今はおいくつでしょうか。外から見たところではほとんどお変わりないように見えました。

夏休み中、クラブ練習が終わっての帰り道、よくここで箱入りアイスを買っては1人で全部食べたりしたものです。懐かしいので、よほど店に入って挨拶でもしようかと思いましたが、予定が遅れてしまっているので、やむなく写真だけ撮って通り過ぎました。

Aotani 和菓子屋さんの先の交差点からバス道は斜めに海方向へ降りますが、その道をはずれて真っ直ぐ行くと青谷ルーテル教会があります。かつての我が家はもうすぐ近くです。

House2 教会の角を海側に折れて数メートルのところにある、西側に入る小路をいけば、かつての実家があります。

この日、昼過ぎに横尾忠則現代美術館を出て、坂を登り、高校を経て、もとの実家までの道を歩いている間、自分が育った街にしてはなぜかずっとよそよそしさを感じていました。

かつてここで生活し、そして独立した後もずっとここに実家があるのが当然のはずだったのが、今は事情があってその家は人出に渡り、もうここには自分が帰るべき場所がないということが、かつての実家の前にたった時にやっと実感できました。頭では理解していても、体の感覚がついていっていなかった、それがよそよそしさの理由だったのだろうと思います。

Hs3 実家がなくなったその喪失感の一方で、高校はかつてのままにしっかりと存在しているという安心感が、高校、特に校舎のファサードに対する思い入れを予想以上に強くしたのだろうと思います。

もし高校のファサードが取り壊されていたら、あるいは高校がもっと離れたところにあったら、それほどの思いはわかなかったかもしれません。

あのファサードは、神戸に移り住んで思春期から成人になるまでの多感な時期を過ごした街の、僕にとっては最大の象徴であるように思います。

都会育ちの僕には故郷と呼べるところがありませんが、あえていえば、この高校を中心とした辺りがそうといえるかもしれません。

 -二日目-10に続く予定-

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2013/01/10

KOBE Beefの謎

今日は思いの外、遅くなってしまった。

電車は座れたから、衝動買いした「夢で会いましょう/村上春樹、糸井重里」を読んでいたら、村上さんはいつもの村上さんというかまだ若い頃だけど、糸井さんは読んだことがなかったから初めてだ。

なんだこれ、出来の悪い伊丹十三じゃないか、と思った。

面白いのもあるけれど、腹の立つほど面白くないのもあった。

キャンプファイアというのは面白かった、笑った。出来のいい伊丹十三だ、でもこういう難癖つけてうんちく傾けるのは伊丹さんにまかせておけばいいのだ、といっても無理か、だからイトイさんか。

ならば糸伊丹緒とか名前変えたらどうかなんてつまらないですね。

お腹がすいた。

村上さんが「神戸といえば、なんてったってビーフ・カツレツと相場が決まっている」と書きだしている。腹が減った。

この人の食べ物の描写を読んでいると、グルメというよりは自分でトントントン、さささっと作ってしまいそうなくらいテンポがいい。実際つくってしまうんだろうな。

神戸ビーフはアメリカでも有名なのか。アメリカからきたお客さんが「KOBE Beef」っていったから、神戸にビーフなんかない、っていってやった。特に理由もないけど、えらくなったような気がした。

うなぎの寝床のような狭いところに住宅がひしめいて山が迫っているところに肉牛の牧場なんてあるわけがない、見たことないし、多分、確かめてないけど。

六甲山牧場はQ・B・Bチーズだ。乳搾りの終わった乳牛が神戸ビーフなんて話はぞっとしないですね。

まじめな話、神戸牛ってどこからくるんだろう?

家に帰ったら、鍋焼きうどんが三つ指ついて待っていた、いや湯気を立てていた。

う~、ビーフカツレツサンド、って思ってたら、地元の店ではお昼におばさまたちが楽しむB級メニューであるんだよ、と家人がいっていた。

食後はピーナツ・ブックのドーナッツでおしまい。

PS. 糸井さんファンのかた、すみません。いい過ぎましたかも。

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2013/01/07

クリスマス三連休 二日目 -8 神戸高校-6

三連休・高校編は今回でやっと終わりです。

Gr1 思い出深いプールを後にしてまた東側の通用門から戻り、本館前を通って第一グラウンドに降りて行きます。グラウンドの左端に見えるのは運動部のクラブハウスで、僕は入ったことはないんですが、外から見てもいかにもすごい状況というのは昔も今も変わりないようです。

Gr2 そうそう、雪が降ってグラウンド一面が真っ白になったとき、グラウンドに出て、でかでかと何かを書きだした生徒が2~3人いました。確か、ある先生の名前と「自習」という文字だったと思います。3年生は3学期になると授業って殆どなくなってたはずですが、何かカリキュラムが残ってたんでしょうか、その先生の授業も自習にしてよ、という意思表示だったんでしょう。本館校舎からみんながみていて、大笑いした覚えがあります。

Hs8校庭では週一回、自治会(生徒会)による朝礼がありましたが、横文字にすればいいってもんでもないでしょうに、なぜかアセンブリーといってました。

自治会長は選挙で決めるわけですが、僕らの学年では立候補者がなくて、多分、見るに見かねて立候補した女生徒が高校史上初の女性会長になりました。頭の硬い先生の中には女が会長になるとは、なんてことをいう人もいました。まだそんな時代でした。まぁ、今でも日本の女性進出率は先進国中で最下位クラスですけどね。

そんなこんなで、僕らの学年は程度が悪くなったとか、気風が失われたとか、色々といわれました。それとは違いますが、修学旅行で事故があったことは、このブログを始めた頃に書きました(雪渓崩落)。

Court2 第一グラウンドの南端中央には硬式テニスのコートと武道体育館のある第二グラウンドへ降りる階段があります。ここから見る港の眺めも絶景です。

Court3 硬式テニスのコートも藤棚(藤ではないかも)をはさんで4面あります。最初に紹介した軟式テニスが使っているコートは第三グラウンドです。ですから軟式と硬式をあわせるとテニスコートが8面もあることになります。藤棚のところにいるのは硬式テニス部員でしょうね。

Hs9 これは先ほどの階段より西側にあるもう一つの階段からみた武道体育館です。昔の第二体育館はもう一回り小さかったと思います。

こうして見ると、運動部の設備もかなり充実しているのが改めて感じられます。当時は、バドミントン部がインターハイに出たり、硬式テニスもインターハイはどうだったかな、でもかなりなところまでいったり、県高校総合体育大会で総合優勝したりしました。ならば水泳部は、というと、お荷物部員がいうのもなんですけど残念ながら低迷していました。

Hs10 武道体育館から第一体育館へ抜ける道には「KOBE HIGH SCHOOL」と刻まれたアーチがありました。昔はなかったと思います・・・「思います」が多いのは、何しろ昔のことで記憶が曖昧だからです、すみません。

Hs12 この後、結婚披露宴をした同窓会館をちょっと覗きましたが、そこも改装されていて随分と新しくきれいになっていました。

第一体育館の前、高校の入り口部分には神戸高校の校風を表した「質素剛健」、「自重自治」を刻んだ大きな石が あります。これも昔はありませんでしたが、その上で子どもたちが遊んでいますね。少年野球の選手たちが試合を終えてここで解散したようです。

Hs11 最後にもう一度、地獄坂を見上げると、生徒たちが降りてきました。これから三宮へでも繰り出すのでしょうか。

坂は今も昔も姿変わりなくあります。40年あまり昔の自分の姿が重なりました。

 -二日目-9に続く、かな?-

PS. 正月休みに書きためたものを小出しに毎日投稿してきましたが、これで種切れ、更新はまたスローペースになります。

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2013/01/06

クリスマス三連休 二日目 -7 神戸高校-5

三連休・高校編、なかなか終わりませんが、今回とあと1回で終わります。

以前にこんなことを書いていますが、その秘密が明かされます、ってなほどのもんではないですが。

それから高校時代の倶楽部のなかまと久しぶりの会合。なんの倶楽部かっていうと、それは秘密・・・。
 
お盆休みは終わり

Bk4 東端の科学館前から本館の方向をみたところ。小さな広場が整備されています。広場は昔からあったのかもしれませんが、この辺りの様子はどうだったか、今一つ記憶が定かではなく、本館校舎と迫る山の樹々に挟まれた薄暗いイメージしか残っていません。

Bk5 ベンチに座っていた女生徒は発声練習をしていました。もう一人男子生徒も早口言葉を練習していたので、演劇部だと思います。

演劇部はよく屋上で発声練習をしていて「あえいおきこかこ、たてちとつとたと」というのが今でも耳についています。僕の所属していたクラブはもうすぐ出てきますが、この場所から東側にあってこの発声練習がよく聞こえました。クラブなかまがこの発声にあわせて大声で「アッホー」とちゃかしたら、屋上からも「アッホー」と返されていました。

広場から階段を降りる際、ちょうど通りかかった女生徒に「何回生ですか」と聞いたら「66回生」といわれてびっくり。「僕は23回生」といったら相手もびっくり。実に43年の差があるのでした。

Hs6 階段を降りて本館の裏手から正面東側に出てきたところです。外観のイメージは改築前とあまり変わった感じはしません。きれいに改築されていますね。

Hs7 本館の東側に小さな通用門があり、そこを出ると高校の敷地に沿って川が流れています。この川沿いに少し下ったところに、今はありませんが木造のオンボロな鵬雛寮という合宿所がありました。この坂をロマンス坂と呼ぶ人もいたようですが、なんか恥ずかしいので僕の周囲でそんなことをいう生徒はいませんでした。ロマンスというよりは、部活が終わった後、疲れきってだらだらと下る坂でした。

坂を降りてバス通りにでた向かいに小さな駄菓子屋さんがありました。多くの生徒が帰宅前に立ち寄る店で、セカンドと呼ばれていました。セカンドとは、本館にあるホール=食堂に対して二番目に飲食できる場所という意味です。ただし本館ホールをファーストとは呼びませんでしたが。なんといっても大容量のチェリオが一番人気でした。今はコンビニになっているようです。

Pool1 さて、写真にある橋をわたったところに私の部活動の場、プールがあります。このブログでは高校の部活を話題にしたことはないんですが、かつては水泳部だったんですよ、ほんま、今はなんにもしてないですけど。 種目は背泳でした。

実は僕は高校に入るまでまったく泳げなかったのですが、高校に入ってどうしようかと思っていた時、たまたまこの東側の通用門からプール掃除をしている水泳部員の姿が見えて、突然、「泳げるようになりたい!」と衝動的に水泳部に入部したのです。

Pool2 もともと運動神経のない身体で運動部に入ること自体に無理があったんですが、3年の間、退部していく仲間もいる中でよく3年間続いたなと、昨年久しぶりにあったクラブ仲間にもいわれました。

記録はお粗末の一言、競技会は常に予選落ち、続けることに意義があったというか・・・。でも3年間続けたということには充実感があり、また今でもその仲間に会えることはとても良かったと思います。

このプールは3代目になります。今はコースが東西方向ですが、以前は南北方向でした。また東側に柔剣道場があり、1人だけ女性剣士がいて美人だったのでみんなの憧れでした。その柔剣道場は今はなく、武道体育館に移転しています。(プール越しに見える建物は高校とは関係ありません)

Facebookに招待制の高校水泳部のサイトがあるんですが、村上春樹氏がノーベル賞を逃したとき、「カンガルー日和」という短編集に収録されている「1963/1982年のイパネマ娘」に高校のプールが登場していることが話題になりました。僕は別の短篇集で読んだように記憶します。

”高校の廊下のつきあたりにはドアがあって、ドアの外にはあまりぱっとしない25メートルプールがあるだけだ。”

すでにお分かりのように、ドアを開けてすぐにプールがあるわけではなく、川をはさんだ向こう側です。ここでいうプールは初代のもので、コンクリートむき出しの粗造りだったようです。だから「あまりぱっとしない」というのは「きわめてほめ言葉」と当時の先輩がコメントしていました。

いつ頃からあったのかは不明ですが、旧制中学がこの地に移転してきた昭和13年にはすでにあったらしく、それを中学のPTAが買い取ったという話です。僕が入部したときはそれが前年に改築されたばかりのきれいな青いプールでした。その新品の青いプールが古くなって7年前に改築されたということですから、それだけ年を食ったということですねぇ。

Pool4 さて、当時はプール北側にクラブハウス兼倉庫のコンクリート造りの無骨な建物があり、一年の真夏の合宿がそのクソ暑い建物の2階だったので閉口したものです。その建物も今はなく、写真のようなきれいな更衣室兼部室になっています。その向こうに見える建物が本館と科学館です。

プールの南側には楠薫園という、園芸部だったか生物部だったか、小規模な園芸場がありますが、今は柵で囲まれて草茫々でした。

Pool3 これはプール東側にある急な階段です。冬季には泳げないので学内外を走るか筋力トレーニングばかりで、これも運動苦手な僕には辛いところでした。坂道には事欠かない土地ですから、坂を利用したトレーニングも多く、この階段もその一つです。

この階段を降りずに左手=東方向に行くと、摩耶山に登るケーブルカーの駅、「摩耶ケーブル下」があります。その駅からはまた急な坂があり、市バスが登ってくるのですが、その坂を一部では地獄坂に対して極楽坂と呼んでいました。両脇に桜並木がある坂で、春は満開の桜のアーチができて、それはきれいです。

Pool5 というわけで、以前に淡路島での臨海合宿はお茶の子さいさいと書いたのは、まさに文字通りでした。暑苦しい夏の合宿が終わった直後が臨海合宿だったのですが、いくらなんでもその頃にはそれなりに泳げましたし、部活に比べれば臨海学校の水泳訓練が楽なのは当たり前の話です。写真はプールの東端からみた神戸港風景です。

ちなみに高島忠夫氏は水泳部の先輩です。

 -二日目-8に続く-

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2013/01/05

クリスマス三連休 二日目 -6 神戸高校-4

Bk1 さて、エントランスホールを抜けて渡り廊下を抜けると、ホールの窓から見えた北側にある各種施設の建物があります。ここは僕の在学中とはまったく違った様相をしています。 西端の建物は二階建てで、2階が講堂、1階は各種実習室だそうです。陶芸もできるらしい。ファサードを意識したデザインですね。

僕が入学したときは、ここに新館と呼んでいた校舎があり、そこが僕の最初の教室でした。ベビーブーム時代に本館だけでは足りなくなって増設されたものと思いますが、何となく寒々とした、いかにも足りないからとりあえず作りましたみたいな建物で、1階に図書館、2階が教室、3階が確かLL教室だったと思います。ひょっとしたら2~3階が教室で4階がLLだったかも、どうだったかな? 初めての高校生活の場所だったので思い出深い場所で、教室の前には満開の桜の木があってきれいでした。

当時、LL(language lalboratry)があった高校はかなり珍しかったと思います。簡易なイヤフォンによるhearing (listening comprehension)をしました。英会話まではしませんでしたが、しゃべる方も多少はしていたと思います。出来合いの教材ではなく、英語の先生がアメリカ人の知り合いに頼んで作っていたと思います。だから話題も三宮でどうとか、地元ネタでした。まぁ、神戸ですからネイティブのボランティアには不足はしなかったと思います。そういえば、文化祭のときにESS(英語クラブ)がたまたま入港していたアメリカ海軍の水兵さんを招待して英会話体験教室を開いていました。

1970年頃は一学年が400人以上いましたから、教室を増設しないと間に合わなかったのでしょうが、その後の少子化で新館は不要になったのだろうと思います。そしてその跡地に色々と設備をつくったのでしょう。

Bk2 講堂の上に塔が立っています。あまり役に立つとも思えないんですが、神戸の学校は小学校でも塔があったりするので好きなんでしょうね。ちょっとしたシンボルでしょうか。

この時は知らなかったので写していないのですが、塔の右に端っこだけ写っている建物が芸術館だそうで、高校ホームページによると設備が充実しているようです。

1階には,美術教室・書道教室・芸術小教室・陶芸小教室があります。
2階には,音楽教室・アンサンブル室・記念音楽室およびホールがあります。

最近の事情は知りませんが、昔は合唱部が優秀で全国大会で何度か金賞を受賞していますし、オーケストラ部とブラスバンド部もありました。今もあると思います。伝統的に音楽教育には力を入れていると思いますし、音楽家になった卒業生も結構いるはずです。年末に音楽会を三宮の国際会館で行なっていたのですが、そのときにオーケストラ、ブラバン、合唱部、音楽クラス生徒で、ヘンデルのメサイア(ハレルヤコーラス)をしました。高校生がハレルヤを演奏したということで話題になったんですが、その後、他の高校でも演奏されるようになったようです。ただし高校生だけではちょっと無理なところもあったので、トランペットなどはOBが参加していました。音楽会ではクラス対抗合唱コンクールなどもありました。

ブラスバンドは僕の頃は女人禁制とか時代錯誤なことをいっていて男ばかりでしたが、今はどこの学校もむしろ女子ばかりのようですね。そういえば、大学の軽音楽部でもサックスがやりたいという女の子がいたんですが、他の部員から変な目でみられるというので退部してしまったことがありました。そういうところは、どうしようもない世代でしたね、すみません。

ちょうど芸術館のあるあたりに、木々にかこまれたこわれかけたような古臭い音楽堂があり、音楽の授業と合唱部の練習に使っていました。ブラバンは本館にあった講堂とか屋上で練習していたように思います

Koudou これは本館にあった昔の講堂のスケッチで、どういう位置にあったかよく覚えていないんですが、とにかく最上階でした。

Bk3 芸術館の隣にある5階建ての建物は科学館だそうで、これもいろいろ設備が整っているようです。この辺りに旧体育館があったと思います。

昔に比べると、いっぱい施設が増えていて、今時の高校にはもったいないくらいのお金のかけ方のようにみえますが、バブル以前のまだ景気のよい時代に建てられたようです。時代がよかったんですね。高校生がどこまで使いこなせるのかという疑問がないではないですが、有効に使ってもらいたいものです・・・、というか、まずは優秀な先生がいないと宝の持ち腐れでしょうね。

  -二日目-7 に続く-

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2013/01/04

クリスマス三連休 二日目 -5 神戸高校-3

正月も3が日が終わりましたが、今年もゴロゴロとなんということなく過ぎています。その代わりにこの神戸高校編を書いているようなものですが、自分で思っていたよりも思い入れがあるのか、長くなってしまっています。

さて、学生が出入りする校舎の通用口が開いていたので中に入ってみます。誰もいません。無用心だなぁ、もう!

坂道の建物にはよくあることですが、この入口のある階は地階になり、食堂なんかがありました。今もあるみたいです。僕の頃、当時の高校としては珍しかったと思うんですが、コーラなどの自動販売機が食堂の横にありました。今は当たり前のようにありました。

Hs4 この写真は階段を上がった1階の校舎内で、多分、職員室などがあるんじゃないかな、わかりませんけど。

Hs5 これはもうひとつ上がって2階になり、廊下の右(南側)に教室が続いています。

この二枚の写真は、保存されたファサードと建て替えられた校舎の境目辺りから校舎内の廊下を見たことになります。教室も廊下もすっかり新しくなっていますが、外観はほぼ建て替え前のイメージを残していると思います。

Rouka 建て替え前の廊下はファサードと同じく古くて薄暗く、教室の窓は昔の鉄製の観音開きで錆び付いていたりしていました。

Class 昔の校舎のスケッチを掲載している卒業生のサイトがあり、卒業生は自由に使ってよいとのことですので、紹介します。左上が昔の廊下、右が教室内で、机と椅子が一体になっています。当時は冷房はもちろん、暖房もなかったと思います。今はアルミサッシの窓に冷暖房も完備しているようで、ウラヤマシ~。

Hall1 ここは通り道でしかなかったファサード内のエントランスホールです。なかなかと立派な造りですが、カメラが勝手に明るさを調整してしまったので、実際には写真よりもっと薄暗いところです。なぜか知りませんけど、この時はマスクをした女生徒が1人、幽霊のようにウロウロしていて、ちょっと不気味でした。

Hall2 これは生徒通行禁止の玄関を中から見たところです。とても暗いのがよくわかります。この横に事務室(受付)の窓口と部屋があります。

三年生の二学期も後半、受験勉強にますます打ち込まないといけない時期に盲腸炎にかかり入院してしまったことがありました。その際にここの受付嬢に電話で伝言を頼んだのですが、担任の先生に伝わらず、クラスでは僕が1週間ほど行方不明となっていたということがありました。一部では登校拒否とか受験ノイローゼとかのウワサもあったとかないとか・・・、とうとうクラスメートが心配して自宅を訪ねてくれて真相がわかったという結末。伝言はちゃんと伝えて欲しいなぁ、もう。

Hall3 上の写真にあるエントランスホールの階段を登ったところにある窓から北側の建物を見た写真になります。薄暗いのでよく見ないとわかりませんが、窓の左側に鐘がぶらさがっています。窓から見える北側のきれいな建物は僕の在学中にはなかったものです。

旧制中学時代は授業の時刻をこの鐘を鳴らして知らせていたそうです。僕のころは、ファサードのいわゆるロンドン塔の上のほうにあった自動パイプオルガンのような機械から短い旋律を流して知らせていました。曲は菩提樹だったように思います。それと新世界の例の旋律だったかな。なかなかと優雅なものでした。

しかし僕の在学中にこのオルガンもどきの機械は雨がふるたびに調子が悪くなり、ふんが~と苦しげな音しか出ないようになってきていました。なんとか修理しようと先生方が奮闘されていましたが、寄る年波というのか、結局再生できず、チャイムかなにか(そういうのは覚えていない)ありきたりなものに変わりました。一時、ファサード内の鐘を使おうとしたこともあったと思いますが、校舎の端までは音が届かず、使い物になりませんでした。本当に昔は使ってたのかね?

  -二日目-6に続く-

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2013/01/03

改めて謹賀新年

もうすぐ正月三ヶ日も終わりですが、例年のごとくゴロゴロしています。

主にしたことといえば、思い込みの激しい高校についてのブログ書きくらいかな。まぁ、でも自分の原点の一つを再考するという意味で、しつこいですが、もう少し続きそうです。

さて、例年、年賀状のデザインは娘にしてもらっているのですが、今回も頼んだものの、結局出来上がってきたのが12月30日でとっても間に合いませんでした。

それと今回は家内がそのデザインはどうも気に入らないから自分で描くとかいいだして、う~ん、面倒だなぁ、なんて思っているうちに年が明けてしまいました。

何が面倒っていうと、スキャンして年賀状に印刷できるように編集(というほどのもんではないですが)するのは僕の役割なんで、家内のデザインを待つことになってしまったのでした。

2 というわけで、今回はデザインが二種類あります。まずは娘のデザイン。いつものようにマンガチックながら個性的だと思います。仕事の合間に描いたということで、原画は黒と赤の2色しかなかったのが、家内が気に入らなかった点だったようです。僕も同じことをいったら、「パソコンで好きなように色つけたらええやん」といわれてしまったので、色は僕がつけました。だから配色はよくないかもしれませんが、娘は、「可愛いかわいい」といってくれました・・・2回続けていうのはどうでもいいってことかもしれませんが。

Ss こちらは家内のデザイン。年賀のデザイン本をみて描いたからか、無難にまとまっているけれど、まぁ、個性的とはいえないかな。

大方の人には例年通り娘のデザインで送りましたが、その後に家内から自分のデザインを大量に印刷しろといわれて、しかし余ったら困るから使いなさいといわれて、どないしろっちゅうねん、ということで、遅れて出した方には家内のデザインが届きますでしょう。

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クリスマス三連休 二日目 -4 神戸高校-2

僕には旧体育館という方が馴染みのある武道体育館からまた少し登ると、第一グラウンドへの入り口にある、おおとり(鳳)門があります。

Gate この門は戦前の旧制中学時代からあった100年位上前のもので、移築、復元を繰り返してきたのだそうですが、阪神淡路大震災のときに倒壊してしまったものをまた復元したのだそうです。ということは白洲次郎の時代には既にあった門ということですね。ただし当時は校舎は現在の場所ではなく、生田川の方にあったということです。

ただ、この門が開けられることって、ほとんどなかったように思います。出入りはいつも右横の小さな門からしていました。今日もそちらは開いているようですね。

Hs2 さらに坂を登ると、正門と校舎正面(ファサード)が見えてきます。この道路をはさんで左(西側)には天理教の大きな施設があり、たまに天理教のあのどんどんという太鼓の音が聞こえたように記憶していますし、バスを連ねて信者さんがやってくることもよくあったと思います。おそらく今も同じでしょう。

Kobehs さて、これが神戸高校の真髄といってよい建物、校舎本館です。高校の校舎とは思えないような造りになっていますが、昭和13年に建てられたということです。市内の保存近代建築物の一つとしても有名です。

入学時に校舎の由来は聞いたような気もしますが、世の常として高校生はそんなことには関心がないので、よく覚えていません。検索してみたら、近代建築Watchというサイトに解説がありました。以下、長いですが引用します。

この校舎は近年に建て替えられたのですが玄関を含む一角は創建時の建物がそのままの形で残されています。昭和13年築(平成13年改築) 設計:兵庫県営繕課
高校(開校時は旧制中学校)の校舎なのですがまるで西洋の城郭を連想させるデザインです。(在校生には実際にロンドン塔と呼ばれていたそうです。)
三連のアーチが連なる玄関入口や3階の大きなアーチ窓、両サイドや塔屋に張り出した小塔など中等学校の校舎とは思えない豪奢で凝った造りです。
神戸高校のホームページ(このリンクは今は切れています)によると同校が理想としたイギリスのパブリックスクール精神を体現する為にあえて城郭の様なデザインとしたそうです。

老朽化したこの校舎の修復を巡っては建替え・保存の両面が検討されました。
震災で大きな被害を受けた兵庫県としては古い建物に対して慎重な態度をとらざるを得ないのでしょう。耐震強度が疑わしい物は建て替えてしまう方が確実で間違いがないとの判断で当初は取り壊し案が優勢でした。大勢が利用する学校施設なのでより神経質になった様です。実際に検証してみるとコンクリートの強度は現在の規格を上回る丈夫さを示し補強で充分対応が可能とのことから最終的にこのような形で部分保存されました。
しっかりと造り込んだ当時の施工業者の腕の確かさが実証された形となりました。

Hs3 そういえば、そんな話だったような気がします。ロンドン塔という呼称も記憶していますが、まぁ、生徒はそんなこっ恥ずかしい言葉を使うことはほとんどありませんでした。このファサードの辺りは学生生活とはほとんど縁のない場所で、校内を通るときの通路以上の意味もなかったので、少なくとも当時の僕にとってはどうでもよかったんですね。

加えて、不文律ではありますが、この正面玄関は生徒の出入りが禁じられていました。生徒がここを通るのは卒業式のときに見送られて出ていくときだけということになっています。それ以外で玄関を通ると大学受験に失敗するというジンクスもありました。まぁ、本気にしている生徒がいたとも思えませんけど。

建て替えについては、卒業生から猛反対が起こり、反対運動がありました。僕のところにも反対の署名と寄付の依頼だったかがきました。署名はしたと思いますが、寄付はどうだったか?でもしばらくの間、反対運動の会報が送られてきてました。マリンバの佐藤先生も運動代表者に名を連ねていました。

近代建築を保存しようとする人たちや近隣の人達の協力もかなりあったと思いますが、卒業生という立場だけでなく、近代建築文化的遺産としての保存という意味でも取り壊されなくてよかったと思います。

同じ旧制中学を引き継いだ高校が兵庫区と長田区にあり、それぞれに伝統的な建物だったということですが、神戸高校の改築話が出る以前に取り壊され新しい建物になってしまいました。兵庫高校とは何かにつけて交流があったのですが、兵庫高校の卒業生たちからも、同じような運命にならないよう、神戸高校の校舎は残して欲しいという応援のあったことが反対運動の会報に書いてあったと記憶しています。

Ground1 校舎の前からグラウンドを眺めた風景です。野球部が練習をしていました。ここではそれ以外にサッカーやラグビー部も練習をしているはずです。ここのサッカーとラグビーはかつては栄光の時代があったそうですが、僕の時代には既に過去のものとなっていました。

写真では小さくてよくわかりませんが、グラウンドの向こうには港を一望に見渡すことができます。

 -二日目-5に続く-

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2013/01/02

クリスマス三連休 - 二日目-3 神戸高校-1

地獄坂をえっちらおっちらと登って、やっとバス通りに出ました。ここが神戸高校前の交差点です。

Hs1 僕の通学路は、この交差点から西へ向かう横方向の道なので、これまでの坂は登る必要はありませんでした。ただ、ここはまだ高校の入り口で、校舎はまだ坂を登った先です。つまり僕にとっての地獄坂はここからだったので、トカゲの尻尾程度しかなかったんですね。

ではこれから、村上春樹や小松左京が通った神戸高校とはどんな高校か、といっても主として外観の話ですが、ご紹介いたします。小松左京氏は戦中戦後の時代なので僕の世代とはまたかなり状況が変わりますが、村上春樹氏は4年先輩というだけですから、それほど変わりはないと思います。ちなみに僕は1968年4月入学、1971年3月卒業です。

Saka3 交差点から海側を臨むと、なかなかと迫力のある坂道の先に神戸港が見えます。坂の上にある高校なので港が一望のもとに眺められるのですが、それが当たり前の街に住んでいたあの頃はそれがどうという気持ちはありませんでした。

Seiyouken 交差点の東側にレストラン神戸精養軒が今もあります。僕が在学中にできたように記憶しますが、当時としてはちょっと洒落たレストランでした。もちろん高校生には縁のないレストランです。まぁ、40年以上前の話ですから、今はどうなのか知りませんけどね。

Gym12 高校の南端、坂の始まりにあるのが体育館で黄土色の建物です。入学当時は新体育館とよんでいて、もっと明るい色だったように思いますが、その後、改築されているようです。高校の体育館としては割りと大きめではないかと思います。バスケットコートが二面かそれ以上あってまだ余裕があったと思いますし、小さいながらも観覧席もあります。

Gym1 体育館の右側(南側)の木に隠れている建物は同窓会館で、また僕の結婚披露宴の会場でもありました。式にはあまりお金をかけずに、新婚旅行と生活が始まってからの家具購入等にお金をまわそうと二人で相談し、お金のかかる披露宴はこの同窓会館ですることにしたのです。卒業生ですから使用料は只みたいなもんです。料理はその向かいにある神戸精養軒に頼み、司会進行やバンドは大学時代の軽音楽部の仲間に頼んだりしたので、内容に比べるとかなり安く上がりました。それにすべて自分たちだけで企画したので、とても楽しい思い出です。ただし式だけは家内のこだわりで生田神社で神前結婚をしました。藤原紀香を遡ること、25年以上前の話です。

Gym2 新体育館は新というだけあって比較的新しいものでした。そして新という以上、当然、旧体育館があって確かもっと上の校舎の北側で木造だったと思います。老朽化していたので在学中にぐんと南に下って新体育館の北側にあった第二グラウンドに移転改築され、真新しく生まれ変わりました。ここはバドミントンとか卓球部が使っていたと思います。だから当時は新体育館と旧体育館の2つがあって、旧の方が真新しいということで、新体育館を第一、旧体育館を第二と改めたようです、よく覚えていないけど。右上写真が今の様子ですが、再度改築されて二階建ての武道体育館となって、1階が剣道場、柔道場、2階が体育館となっているそうです。

Court1 これはその武道体育館と道をはさんで西側にあるコートです。軟式テニスとバレー部が使っていました。バレー部は今は大きい方の体育館で活動しているようです。

右手にあるコンクリートの建物(一誠館)は当時はなくて、コンクリートの段々があり、観覧できるようになっていました。奥のほうはまだ古い段々が見えます。当時はこの右手奥に岡崎記念館という小さな建物があって、そこではオーケストラ部が練習していましたが、この3階建ての建物に建て替えられ、中には会議室やトレーニングルームに、ソニー創業者の井深氏を記念したホールがあり、合宿もできるそうです。

高校のホームページを見ながら今と昔の状況を比較しているんですが、昔もかなり恵まれている方だとは思っていたんですが、今は至れり尽くせりのように思えます。
チッキショー!

  -二日目-4に続く-

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クリスマス三連休 - 二日目-2 美術館アーカイブルームから地獄坂へ

正月2日の今日は、朝から天気がよかったので初詣と車の厄除けを兼ねて近所の神社に行きました。その後は、買い物をしている間に雲行きが怪しくなりパラパラと雨が降ったかと思うとまた陽が射して、帰宅後しばらくしたら本格的に雨が降り出して洗濯物を取り入れたり、という内に今はまた陽が射して、猫の目のようにくるくると変わる天気です。

さて、来年のことをいうと鬼に笑われる、去年のことをいうと鬼が笑われる、とかいいますが(いわないか)、正月早々ながら去年の話の続きです。

Museum1_4横尾忠則公開制作の見学後は、開催中の「反反復復反復」を見るために美術館に入りました。内容については美術館サイトに詳しいので省きますが、大きな作品が多くそれぞれに強烈な個性を発散していました。タイトルからわかるように、同じテーマを年月を経て繰り返し描くのが横尾氏の一つの特徴ということですが、その違いを見るのはとても面白いものでした。

Kobe その後、4階のアーカイブルームに上がって窓からの景色を眺めました。これは西の三宮方向の風景です。

Museum5 あまり余裕がないので、アーカイブルームの資料(PCで閲覧ができる)は見る時間がありませんでした。

Museum4 以前にも書きましたが、僕の育ったのはまさにこのアーカイブルームから山のほうを眺めたあたりになります。無粋な線を入れていますが、これからこの経路を通って、摩耶山の麓にある僕の出身高校を目指します。レンガ造りの文学館は今回も時間がないので中に入る余裕はありませんでした。また次の機会に。

Kobe2 文学館の東側と北側は王子動物園になっています。右に見える三角屋根は動物園の鳥の放し飼いだったかな。その北側が弓道場、そのまた北側が市営プールでしたが、弓道場はもっと北側に移転したようです。プールには大学の頃に時々泳ぎに行きました。その他、陸上競技場、テニスコート、体育館、武道場など、この辺り一体には神戸市では一番多くのスポーツ施設が集中しているのではないかと思います。

文学館の向かい、坂の左側はマンションになっていますが、以前はYWCAがありました。働き始めてしばらくした頃、短期コースですが社交ダンスを習いにいったことがあります。コース最終日にお別れダンスパーティーがあったんですが、習いに来ていた女性は1人もこず、男ばっかりでフルーツポンチを飲んでいたというわびしい思い出があります。

Fukiai 少し上がって左にあるのが市立葺合高校です。昔から割りと自由な校風が評判だそうで、60年代末だったか、学生運動の影響もあったと思いますが制服廃止なんてこともありました。野坂昭如氏の出身校と聞いていますが、途中で大阪に引っ越したとか新潟だったとか諸説あって、実態はよくわかりません。それから知らなかったんですが、小曽根真氏もここの出身だそうです。

Sports その向かいには体育館があります。この中には武道場があり、かつては週2回、合気道を習いに来ていました。はるか彼方の話で、今はもうそんなことはとても出来ませんけどね、ははは。その頃は大阪の大東市に住んでいて、守口の杖道教室に週1回、梅田の英会話学校に週1~2回と、1週間のうちの4~5日は習い事をしていました。若かったのに加えて、のんびりした時代でもあったと思います。

Kaisei1 この坂を登ったところに神戸海星女学院があります。とてもきれいな建物で、幼子イエスを抱いたマリア像がシンボルです。右の写真はアーカイブルームからズームで撮ったものです。マリア像が有名ですが、坂をもう少し登ったところの正門から見える、チャペルと周囲の樹々が校内の照明に照らされた夜景はとても美しいです。典型的なお嬢様学校で、もちろん部外者は絶対に入れません。

Kaisei 幼子イエスは両手を上に向けて開いていますが、大学に入った頃、このイエスが夜になるとおいでおいでをして手招きするという噂があり、夜中にみんなで見に行こうという話がありました。僕も自宅から5分もかからないところなのでもちろん参加したのですが、当たり前ながら手招きはしませんでした。

この海星女学院の北側には神戸松蔭(女子高校)、そして西に行くと塩原女子高校があります。塩原は今は共学の神戸第一高校になっているそうです。これだけ女子高が固まっているのも珍しいと思いますが、高校~大学を通じて何の縁もありませんでしたねぇ(嘆息)。

マリア像の十字路をそのまま上がってバス通りを左に折れると、かつての僕の実家があるのですが、今日は十字路を右(東)に折れてしばらく歩き、それからまた坂を登って高校を目指します。

Sakaこれが地獄坂と呼ばれる高校に至る坂です。ぱっと見にはただの道路ですが、両脇の家の土台と道路のなす角度を見ていただくと、かなりの坂であるのが分かると思います。灘駅あたりからこの坂を登ってくる通学生にとってはかなりハードな坂なので地獄坂という名がついたのだと思います。つまり一般名称ではなくて、学内での呼称でした。坂の向こうに見える山は摩耶山です。

ではその坂に挑戦して登ります。

 -二日目-3に続く-

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2013/01/01

初詣

みなさま、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

大晦日、紅白歌合戦は昔に比べると随分と工夫があって面白くなってますね。特に今回はMISIAのアフリカ・ナミビア共和国にあるナミブ砂漠からの中継は歌も情景も素晴らしいものでした。あのような色彩の風景はテレビでも見たことがありません。あれだけでも紅白をみた価値はあったと思います。

さて、紅白が終わった後は例年通り、近所にある常光寺というお寺に初詣に行きました。毎年、お寺では婦人会の人たちが、ぜんざい、うどん、そば、甘酒を無料で振る舞ってくれます。

しかし今年は風もなく比較的寒さも厳しくなかったためか、例年よりもかなり多くの人出で、ぜんざいは終了していましたし、おそばもかなり並ぶ必要がありました。

今回はまた動画を撮ってみたので、YouTube経由でアップします。これは本堂の様子。

そしてこちらは、除夜の鐘。誰でもつくことができるので、多分、108以上の鐘がつかれていると思います。こちらも例年以上に多くの人が並んでいました。

鐘をつくときも本堂でもう出るときも、僕はいつもあまり具体的には願いを祈りません。ただ手をあわせて無心になるように務めています。

どうか平穏な年でありましように。

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