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2013/07/28

We're All Pillar of Fire

蒸し暑いとなにかと気力が失せて、Blogの更新も滞る。去年も夏はあまり更新してなかった。

そこで、以前に書きかけてほっていた記事をアップしてお茶を濁す。これは5月頃の記事。

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村上春樹の「をたないつくると、のの」を読み終えた。

読んでいる間は結構考えながら、じっくりと読んだのだが、読み終えてしまうと、うーん、ストーリーとしては普通の小説という印象かな。村上春樹であるという必然性があまり感じられない。

震災と原発事故を受けて何かを書こうと思ったと、海外メディアのインタビューに答えていたようだが、その結果というのがこの小説なのだといわれると、どうも納得しにくいところだ。読み込みが足りないのかもしれないが。リンク先には次のように書かれているが、うーん、そうなのか?

「原子力発電所の事故そのものを描くよりは、もっと内的なもの、心理的なものを描くほうが大事なんじゃないかという気はしています。日本人が分かれ道にいる大切なときであり、それにふさわしい小説を書かなくてはいけないでしょう」

そして、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋)が出来た。過去に心の傷を負い、死ぬことだけを考えながら生きていたことのある主人公が、自分を取り戻すために巡礼の旅に出る物語だ。村上氏はつくるの生き方を通じて、日本人の置かれているいまを表現しているようにも見える。

ところで、海外インタビューを日本語に訳すことを許可しないというのはどういうことなのだろうか。何だか二枚舌というか、海外向けと国内向けの顔を使い分けているようで、かなりがっかりした。そういえば、国内ではサインは絶対にしないが海外ではすると、自分でもどこかに書いていた。何だかなぁ。

リンク先には「相手が誰であろうと臆することなく物を言う村上氏の姿勢」なんて書いてあるが、それならば堂々と日本語に訳したらよいのではないか。次の言葉が白々しく感じるのだが。 

「自分の仕事は書くこと。だが、外国に出て語ることも僕の責任だと思っている。そういうところで発言できる日本人は限られている。だから、きちんと意見を言いたい」

さて、小説としては文章がずいぶんと洗練されているように思う。あちらこちらに散りばめられた情景描写や心象描写の比喩的表現はいつもの村上氏独自のものではあるけれど、とても詩的で自然だ。文章が美しいと思う。

今日(5月のこと)は「をたない」を読んでしまったので、読みかけたままにしていた1980年代の短篇集「パン屋再襲撃」を読もうとしたのだけれど、同じような比喩表現があってもずいぶんと荒削りで何だか不自然な感じがして読みづらかった。

話は30代になった主人公たちの高校時代から現在までのことで、これを過去をふり返る話とみる向きもあるようだけれど、僕はむしろ作者が60代なかばになったからこそ書けた話のような気がしないでもない。過去をふり返りながらも、最終的には未来に対する選択肢の問題のように思える。

60代になれば、未来に対する選択肢はとても限られてくるが、この主人公の選択肢もとても限られた設定になっているところが、何だか30代の話とは思えなかった。

なんというか、昔の村上作品でよくある若い世代の小説とはちょっと違って、見方によってはずいぶんと年寄りくさいような気がする。全体に通奏低音のように静かに流れる諦観があるのではなかろうか。

ただ、諦観を今の日本の状況にあてはめてしまうと、それはそれで困ったことなので違うのかもしれないが。

Pillaroffire1961 ところで、表紙のMorris Louisによる"Pillar of Fire"は後から誰かがつけた俗称なんて以前に書いたけれど、ネットで見てたら、Louisの生前にタイトルがついていたような話があった。ただしLouisがつけたわけではないようだ。

Pillar of Fireという言葉についてはこちらに解説があるが、キリスト教では特別な意味を持つようである。村上作品は西洋思想やキリスト教がベースにあるような気がするから、その辺りからこの絵が選ばれたのかもしれない。

一方で色彩のアカ、アオ、シロ、クロについて、庄司薫の赤ずきんちゃんシリーズの色との共通性から、「赤は朱雀、黒は玄武、白は白虎、青は青龍」、そして陰陽五行説とのからみを書いている人もいる。

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Scarlet1 さて、先週は、FBには書いたけれど、第三土曜は加古川の「スカーレットの小鳥」セッションの日、6月は社内旅行で名古屋方面に行っていたので参加できなかったが、二ヶ月ぶりの参加だった。

Scarlet2 レパートリーが全然増えていないので、また以前と同じ、If I were a BellとかBye Bye Black Birdなんかで済ませてしまったけれど、今回も楽しかった。

ただ、ファンのモーターをつけてたままだったので、その分が結構重い上に持ち運びのバランスが悪くて難儀した。前回は、はずしたままだったのだ。

M551 モーターは本体に木ネジで止めてあるのだが、これを簡単に着脱できるようにしたい。写真は、家に運びこむ前に重いモーターを取り外そうとしている所。

Motor 色々と探してみたら、ハンガーボルトというのがあったので、これに蝶ネジなんかで着脱可能にして、運搬時は外していくことにしたい。まぁ、ヴィブラートは普通は使わないのでモーターなしでもいいんだけど、曲によってはヴィブラートをかけてごまかそうかと・・・

その後は1週間、なんとか置き場所の二階にまで運んだものの、組立て中途半端でほったらかしていたのを、今日、やっと組み立てて練習したのは、Boz Scaggsの"We're All Alone"、これは赤松さんの初期のアルバム「アンファンIII」にヴィブラフォンソロで入っているので、真似をしてみた。曲自体は割りとシンプルなので、まだ何とかなりそう。

こちらは小曽根真トリオ。ソロもあるそうで、かつては楽譜も出ていたらしい。

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