先日の日曜日は、毎度のショーファー&図書館通い。
読みかけの「坂の上の雲-7巻/司馬遼太郎」を借り直して、ゆうけいさんがブクレコで書評を書かれていた「うらなり/小林信彦」を借りてきた。
「うらなり」はとても読みやすくて、家内が買い物をしている間に半分以上は読んでしまった・・・、僕の読むのが速いのか、家内の買い物が時間がかかりすぎるのか、まぁ、それはおいといて。
「坂の上の雲」は名作には違いないが、兵士が当たり前のように消費されていく戦争に気が重くなっていたので、ここしばらくは6巻でちょっと休憩して、以前に高校で同級生だった山村君から勧められて買ったものの、読まずにそのままだった「何でも見てやろう/小田実」を読んでいた。帰りの通勤電車内でしか読まないせいもあって、これは結構時間がかかった。
「何でも見てやろう」は、前半は楽しく読めるが、後半、中近東からインドにかけての貧困は重苦しい。西洋社会に搾取され騙され続け、人を信用しなくなった人々から、やがて現在のテロリズムにつながっていくのだということが今さらながら、この本から感じられた・・・わかったとはいうまいが。
1950年代後半の貧乏世界旅行記は、確かに昔の話だろうが、多くは今も一向に変わっていない。まるで現在の旅行記を読んでいるようだった。この本については、一杯考えることがあるが、全然まとまりそうにない。
「何でも見てやろう」を読み終えた後は「坂の上の雲」の続きを再会していたものの、借りたばかりの「うらなり」にちょっと目を通しているうちにどんどんと読み進んでしまった。
「うらなり」は、夏目漱石の「坊っちゃん」に登場するうらなり先生を主人公として、物語を脇役側から眺め、さらに「坊っちゃん」では途中で延岡に転任して消え去った先生のその後の人生を描いている。
延岡に転任後、舞台はどういうわけかすぐに姫路に移り、神戸も出てくる。
姫路は車で1時間もかかるかどうかの距離で、お城や美術館もありちょくちょく訪れていて馴染みがあるので、それも読みやすい要因だろう。
しかし姫路城が修理中(明治の大修理)とあると、去年見にいった平成の大修理のことを思い出してしまったり、現在の姫路や神戸を思い浮かべてしまったりと、イメージが少々頭の中でちぐはぐになる感はある。かえって舞台を知らないほうがいいのかもしれない。この本は結局、その日のうちに読み終えてしまった。
「坊っちゃん」の裏に隠れた面があぶりだされてきて、この小説に対する見方が変わるのもこの「うらなり」の面白さといえる。
う~ん、ゆうけいさんの書評にくらべると、まったくまとまりのない文章になってしまったが、まぁ、これが僕のレベルだから仕方がない。
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