父兄?
イタリア旅行記が進まないので、場つなぎの話題というのか・・・、暑い!
最近はめっきり読書をしなくなった。
というのも、万灯祭のために練習したり通勤電車では曲を繰り返し聴いたり楽譜(タブレットに入れている)をみたりと、読書に割く時間をとってないのだ。
とはいえ、ひさしぶりに読みかけてほったらかしていた「職業としての小説家(村上春樹)」をまた読みなおしている。
とはいえ、以前に読んでいたところがどこまでだったか記憶してなかったので、結局はこれはもう読んだな、というところばかりだった。
で、気になったのは、章によるけどやたらと「思います」、「したいと思います」が目についたことだった。
こういう婉曲な表現は村上さんらしくないように思ってたけど、そうでもないのだな。しかしちょっと鬱陶しい。
それから「父兄」という言葉も使っているが、これはずいぶん以前から死語のはず。
今は、というかもう20年以上前から「保護者」という言葉が一般的だ。ウチの子らの学校では父兄なんて言葉は聞いたことがない。もちろん、「父兄会」ではなくて「保護者会」だ。
戦前の家父長制を引きずったようなこの言葉は、僕が小学校の頃はまだ使われていたが、それでも子供心になんで「父兄」、特に「兄」が出てくるんだと違和感を感じていたものだ。
子供がいない村上さんはこういう言葉に疎いのかもしれないが、しかし言葉を使う小説家がそれでいいのか!、それも「職業としての小説家」なんて本に使っていていいのか! といいたい・・・、いいたいと思います(^_^;)。
村上さん自身が父兄という言葉自体に違和感がなかったのかと思うし、また編集者がこういう言葉をそのまま残しておいたというのも間抜けな話だ。
で、終わり。
| 固定リンク
コメント