« マルタ考-1 マルタ語 | トップページ | 2018 謹賀新年 »

2017/12/29

マルタ考-2 Torre Saracena

マルタ考-2 中世の海賊

「ローマ亡き後の地中海世界(上)/塩野七生」に次のような文がある。

サラセンの海賊の脅威にささされつづける沿海の住民たちにとって、希望はどこにもない。彼らができた自衛の手段は、広く海を見渡せる地を選んで塔を立て、海賊の襲来を一刻でも早く見つけ、住民たちに逃げる時間を少しでも多く与えることだけであった。これらの塔は「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)と呼ばれた。

地中海沿岸とか、イタリア内陸部でもそうだけど、町がやたらと峻険なところにあったり、道路が狭くて入り組んでいるのは、サラセン(イスラム教徒)が海賊行為を聖戦(異教徒征伐)としてイタリアからフランス沿岸を中世全般を通して荒らし回ったために、住居を極力近寄りがたいところに移すとともに、戦のあるところはどこでも同じだけど、敵が簡単に侵入できないように道路を狭く見通し悪くしたこと、そしてそれをその後も変えなかったということのようだ。

「暗黒の」、と形容される中世は1000年くらいあるが、地中海沿岸は北アフリカのサラセン(イスラム)海賊が跋扈して略奪、拉致(奴隷)を繰り返して荒らしまわった時代でもあり、イタリア沿岸の住人、とくに下層階級の庶民にとっては本当に暗黒の時代だったとある。

そして当然ながら、イスラム化されていなかった時代のマルタ島にも数多くの塔が作られたことは容易に推察できる。

というより、エルサレムから追い出された聖ヨハネ騎士団がキプロス、ロードスなどを経て流れ流れてたどり着いたのがマルタ島であり、対イスラムの拠点となったわけだから、見張りの塔があるのは当然だ。

Aimg_7990

これはゴゾ島の海岸近くにあった塔だが、マルタ観光ではこのような塔をいくつも見かけた。

Aimg_8615

これは息子が滞在していたSt. Paul's Bayにあった塔。壁面がきれいなのはこちらの面が修復されたかららしく、反対側はまだ凸凹の崩れた痕があった。

去年行ったアマルフィも、本の中では海賊に荒らされた地域であり、またイタリアで最初の海洋都市国家でもあったと紹介されている。そういえばアマルフィも、なんでこんなところに住んでいるんだろうというくらいに峻険な断崖絶壁に街があった。

Aimg_2466

ならば、サラセンの塔らしきものが写っていないかと見直したら、ちゃんと写っていた。

Aimg_2495

これではわかりにくいけど、海に張り出している小さな半島の上に見張りの塔がある。

Aimg_2493

ズームでも撮ってあった。

Wikiの「中世」には、ゲルマン民族の大移動とかノルマン人による征服などという書き方はあるが、サラセンによる地中海制覇の影響については書かれていない。

僕のイタリア旅行記-10(ナポリ帰還)では、11または12世紀にはノルマン人に征服されたと書いていたが、本では、当時の地中海、あるいはイタリアにとってはサラセンから国を守るために、彼らの援助を乞うた結果という書き方がされている。

ナポリの巻で紹介した卵城も本ではサラセンの塔の一つとして写真が掲載されていた。

Aimg_2530

この本が出版されたのは2008年だから、著者は現在のイスラム過激化(原理主義者)を意識せざるを得なかったんではないかという気がする。

イタリア、カトリック贔屓という面もあるだろうけど、サラセンはのことはあまりよくは書いていなくて、1000年ほども続く中世の時代、ひたすらイタリアを荒らしまわり、略奪と拉致を繰り返したことが強調されている。

まだ下巻をやっと読みだしたところだし、ローマ教皇にイタリア各国、ビザンチン、現在のドイツやフランス、スペイン、北アフリカのイスラム勢力などなど、様々な勢力が入り乱れた時代な上に、残る資料も少ないらしいから、あくまで本を読んだ感想でありますが、塩野七生の本にからめて、マルタ旅行もちょっとだけ紹介できたからよかったかな。

Aimg_8289

これは首都ヴァレッタの裏道。

狭い坂道は神戸の裏道を思い出してなんとも身近に感じたんだけど、同じことを村上春樹もギリシャの港町で感じたと「遠い太鼓」の中で書いている。

それからシチリア滞在時にはマルタに旅行したことも書いてあった。

すぐ近くだから行って当然ですわね。

この考は面白いから、また気が向いたら書くかも・・・、どうかな(^_^;)。

蛇足1:本では、トッレ・サラチェーノ(Torre Saraceno)と書いてあるんだけど、検索してみたら、Torre Saracenaとしかでてこない。Torreは女性名詞だから、Saracenoは間違いということになる。

一方で、Torre del Saracenoというのは出てくる。

英語でいえば、Saracenic TowerとTower of the Saracenの違いだが、塩野さんが間違えるとも思えないしな~。中世では違ったのか、それとも日本語では、サラチェーナよりもサラチェーノの方が馴染むと考えたんだろうか?

蛇足2:Wikiによるとマルタ騎士団は今でも存続しているんだそうで、ちょっとびっくり。

蛇足3:海賊を表す欧米語には2種類ある。英語ならpirateとcorsair。

pirateはいわゆる海賊で、簡単にいえば私利私欲で動く犯罪者と同じだが、corairは公的な裏付けを持つ。

サラセン海賊はイスラムの教えに従って異教徒(ここではキリスト教徒)を襲う。時代によってはオスマントルコの後ろ盾を持っていた。だから、キリスト教徒がイスラムに改宗すれば襲わないし、奴隷にもしない。

一方で、聖ヨハネ騎士団もキリストの教えに従いイスラム側に海賊行為を働いていた。

ということが「ローマ亡き後の地中海世界」に書いてあった。

日本ではcorairにあたる海賊がなかったようで、だからそれに相当する語がないということで、どちらも海賊と訳される、らしいです。

今のイスラム原理主義者も、彼らにしてみるとCorsairということなのだろうが、それは中世から今に続く長い因縁があるのだね。

|

« マルタ考-1 マルタ語 | トップページ | 2018 謹賀新年 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マルタ考-2 Torre Saracena:

« マルタ考-1 マルタ語 | トップページ | 2018 謹賀新年 »