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2017/12/24

マルタ考-1 マルタ語

今日は本当はイタリア旅行記の続き-ヴェローナの巻を書くつもりで写真を整理していたんだけど、途中でちょっと引っかかっていたマルタ~クレタに寄り道したのが、そのままBlogネタになってしまった。

で、も一つ気になっていたことがマルタ語なんで、これもついでに。

Facebookで旅行最終日に写真をアップしたとき、たかけんさんから、現地の人達の言葉はなにかとコメントをいただいて、マルタ語と英語で、マルタ語はラテン系にアラブ系が混ざったような言葉らしいなんて適当な返事をしてしまったんだけど、実際にはアラビア系にラテン系が混ざったという方が正しいようだ。

ゴゾ島観光で道路工事で通行止めになっているところにバスが突き当たった時、運転手とそこにいた工事の人が、なんやかや(たぶん、どないなってんねん、こっちは通れるんか、なんて話だと思う)話していた言葉は、ラテン系というよりはエミレーツ航空の機内で聞いたアラブ系の言葉に近かった。その時以外はほとんど英語しか聞く機会がなかったけど。

Aimg_7993

で、今読んでいる「ローマ亡き後の地中海世界/塩野七生」でそのあたりの背景が何となくわかる。

5世紀に西ローマが滅び、東ローマも衰退していく7世紀にはイスラム勢力が地中海の制海権を握るようになって、9世紀にはシチリアが征服されるから、この頃にはマルタも完全にイスラム圏に入っていたのだろう(本にはマルタのことは書いていないが)。

Mapsicilia

その後、南イタリア勢やローマ法王が11世紀にノルマン人の助けを借りてシチリアを奪い返すまでの200年以上はイスラム支配下にあったわけだ。

そして面白いのは、その200年間、シチリアのイスラム支配者はキリスト教徒に対しては、税金をとるとか身分を低くしておくという政策で、無理に改宗させることをしなかったので、キリスト教徒も存続していたこと、そしてその後にシチリアを統治したノルマンの王ルッジェロもすでに住み着いていたイスラム社会とは融和的な政策をとったので、イスラム文化も継続していたことだ。

マルタは十字軍で有名であるにも拘らず、言語はアラビア系だというのも納得できる、というか、まぁ、あの辺りの人達はいろんな言語が同時に使われることが日常的な歴史を持っているということなんだろうな。

というようなことを考えてみたけど、このYouTubeの映像でもっと詳しく解説されていた。

文法的にはアラビア語であるけれど、語彙はアラビア語が1/3、1/2がイタリアあるいはシチリア、残りの大半はフランスと英語から入った言語という、相当に複合的な言語ということだ。

映像は英語で、英語の字幕もあるし、設定で「翻訳→日本語」にすれば、変な日本語でわかりにくいけど大まかには理解できるので、興味のある人はどうぞ。

んで、こちらはマルタ語でインタビューしているらしい(たまに英語が入る)映像だけど、このコメント欄には、サウジアラビアやモロッコの人が「70%くらいは言ってることがわかる」と書いてる。でも上の映像によると、チュニジア辺りは相当にイタリア語が入り込んでいると解説している。その辺はローマ帝国の名残なのかどうかはしらんけど。

カトリックの地で話される言葉がアラブ系というのは、僕には(日本人といってもいいかも)かなり驚きだけど、歴史的に見ればそういうことなんだろうな。

一方で、街中の看板などは見た限りではすべてが英語で、観光客相手は英語が普通に使われているから、生まれたときからバイリンガルなんだね~。スーパーの店員さんも当たり前のように英語で対応してくれたし。

Aimg_7859

これは滞在したホテル近くの繁華街、St. Julianの入口あたり、歓楽街というべきところかな。看板はみな英語。

でも、まぁ今の日本をみれば、英語の看板というのも珍しくなくて、それを大方の人は理解しているわけだから、日本も、というか世界的にも今は大なり小なりそういう傾向はあるといえそうな。

-後半に続く

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