2025/02/11

Harry Potter and Chess

Facebook「今日の思い出」から、どうでもいい話。

この思い出は2013年だからもう12年前だ。当時は定年になって1年弱、まだフルタイムで働いてた頃だな。今では会社勤めなんてどこか他所の世界のような気がするけど、寝る時間を除けば人生の半分以上が会社関係の時間だったんだねぇ。

*****FB思い出-2013.2.11******

 最近、笑った話。

会社の歓送迎会にて、男性社員Aと新入女子社員Bの会話で、将棋が話題になった場面:
A:将棋、知っとお?
B:知りません
 (中略)
A:チェスは知っとおか?
B:知りません
A:チェスも将棋と一緒や。王さん取られたらおしまいや。
B:・・・、おっさん?
A:おっさん!? おっさん取ってどないすんねん!王さんや、キングや。ナイトやビショップやゆうて、クイーンの隣におっさんが並んどるチェスってどないやねん、お笑いか!

女子社員Bが真面目な顔して控えめに「おっさん?」と聞いた声がたまりませんでした。ちなみに私も将棋やチェスのことはほとんど知りません。

***********

チェスというとハリー・ポッターを思い出す。

3人とも幼くて可愛いね~。

邦題「ハリーポッターと賢者の石」はハリポタ第1話で原作初版は1997年、翻訳本は1999年、映画は2001年だそうだからずいぶんと前なんだね。

このBlogで最初にハリポタを取り上げたのは2004年9月(不死鳥の騎士団/2004.9.4)だからBlogを始めて2ヶ月目だ。

「不死鳥の騎士団」は原作が2003年、映画は2007年だから、第1話はそれ以前から読み始めたには違いないが、話題になってしばらく経ってからだったから2000年頃だったのかな?・・・と思ってアマゾンの購入履歴を見たら、2001年に第1~3話まで米国版と日本語版をまとめ買いしてたんだ。

アマゾンさん、なんとも親切なことだが個人情報ダダ漏れだね(^_^;)。

米国版の第1話のタイトルは「Harry Potter and the Sorcerer's Stone (Harry Potter, 1)」となっていて英国版の「the Philosopher's Stone」とは違ってたんだ。

第4話はアマゾン履歴にはなくて紀伊国屋のカバーがついてたんで会社帰りに梅田の紀伊国屋書店で買ったんだろう、覚えてないけど。

2003年の第5話からは初版が出ると同時にアマゾンで英国版を買ってたようで、履歴にも2003年2月に第5話購入となっている。これが最初にBlogで取り上げた「不死鳥の騎士団」だ・・・、買ってから読み終えるまで1年以上かかってる(^_^;)。

だから第5話~最終7話まではすべて英国の初版本だ(^^)v。

といっても大量に出回ってるだろうからプレミアがつくとも思えないが、アマゾンの現状を覗いたら新品が¥3,555、古本は¥100円~だったといふ。

でもeBayによると、海外では英国初版本は¥換算で¥1万~¥3万円の間になってるぞ!

メルカリでは何版かわからないけど¥1,200円で出てるから、英国初版本といえばそれなりの値段で売れるのかな?

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英国版はハードカバーだけど、米国版は安価なペーパーバックで紙質も悪いから写真には並べなかった。

*翌日追記:第4話以後は初版発行部数が膨大なので(eBayとは矛盾するし20年以上前の記事だけど)あまり価値はないらしい。

あなたのハリポタ原書はいくら?

第1話はタイトルからして違ったけど、英国版を読み始めたら結構見たことない単語があったりで戸惑った覚えがある。といっても覚えているのは、「I think...(米)」が「I reckon...(英)」になってたくらいだけど。reckonなんてこの時に初めて見た単語だけど、英国では普通に使うようだ。

でも小説も映画も不朽の名作だね。先日も地上波、CATVどちらでもやっていて久しぶりに楽しんだ。

久しぶりに色々検索したら、ハリポタ出演者再会の映画があったんだね。

J.K.Rolling以外が執筆した番外編みたいなのもあるようだ(ハリー・ポッターと呪いの子)。

ということで、「王さん~おっさん」の笑い話からハリポタなつかし話になってしまったけど、文頭の会話のA君は今は会社のエライさん、新入社員Bさんはとうの昔に退社している。

月日が経つのは早い!

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2024/10/16

趣味としてのBlogger、そして20年

すっかり忘れていたけど、このBlogも2004年に始めてからこの7月で20年経ってたんだ。

初めての記事:blogだ - 2004.7.18

始めた頃は当たり前ながら今より20歳(!)も若かったから先のことなど漠然としたイメージしかなかったし、Blogがいつまで続くかなんてことも考えもしなかったけど、なんだかあっという間だね。

というよなことを2019年に下書きしてたのをまた発掘して記念としておこう。2019年は15周年ということで書きかけたままだったらしい・・・5年もほったらかしてたんだ・・・自分で書いたのに記憶がない(^_^;)。

まぁ、小難しいことをとりとめもなく長々と書いてて自分で読んでも退屈なんでお読みにならないほうがよろしいかと(^_^;)。

じゃぁ、なんでアップするんだよってことですが、あくまで自分用の記念として。

テキストだけでは愛想なしなんで、数日前の夕焼け写真でも。我が家のあたりは標高70mくらいの台地に田畑が広がっていて空が広いし夕焼けがきれいなんだね。

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2019.7.11(加筆修正-2024.10.16)

「職業としての小説家/村上春樹」を読み終えたのは3月初旬だった。

最近は読書があんまり進んでなくて、この本も発売後ほどなく買って第八回「学校について」あたりまではわりとすらすらと読んだんだけど、その後はあまり身が入らなくてずっとほったらかしだった。

だから9月に買って3月にやっと読み終えたということだけど、本来はそんなに日数のかかる量では全然ない。

で、その後、買ってあったMONKEY Vol.7掲載の「村上春樹インタビュー」を読んだ。何でかっていえば、このインタブーは、ぶーじゃない、ビューだ、とにかく先の本をベースにしたビューだから先に読んじゃったら駄目でしょ、ということで。

で、それで思ったのが、なんで僕はBlogなんて書いてるのかという、前から持っていた疑問だ。本からそれに関連した言葉を適当に挙げてみた。

「小説を書きたい」という強い個人的な思いがあるからこそ、・・・

僕はおおむね自分が「気持ちよくなる」ことだけを意識して小説を書きました。

またそこには「自己治癒」的な意味合いもあるのではないかと思います。なぜならあらゆる創作行為には多かれ少なかれ、自らを補正しようという意図が含まれているからです。つまり自己を相対化することによって、つまり自分の魂を今あるものとは違ったフォームにあてはめていくことによって、生きる過程で避けがたく生じる様々な矛盾なり、ズレなり、歪み形を解消していく-あるいは昇華していく-ということです。(職業としての小説家/村上春樹)

Blogを書くのに「書きたいという強い個人的な思い」なんて全然ないけれど、自分が気持ちよくなるというのはおおむねそうかもしれない。

しかし、3番めの指摘が一番あたっていると思うのだ。

このところは音楽活動が「創作行為」あるいは「自己治癒」の中心になっているので、Blogを書く意欲が下がっているのは確かだ。

ま、それはそれとして本の話題に戻ると、村上さんが「風の歌を聴け」を書くときに、最初は日本語ではうまく行かないので一旦英語で書いてそれを日本語に直して、という話がある。そこで英語で書くときに極力簡単な言葉でいいたいことをパラフレーズしてとかなんとか書いているんだけど、これは僕が昔通っていた英会話学校で会得した最大の成果と同じだと思う。

僕が通っていた英会話学校は以前に書いたような気もするけど、90分授業で僕は上級クラスだった。そして当時は上級クラスの生徒がほとんどいないために、授業は大半が90分のマンツーマンだった。

だから何かしゃべり続けなければならないわけで、そうなると限られた語彙を使っていかに相手に自分のいいたいことを伝えるかということを必然的にするようになったのだ。

だから普通ならこみいった日本語で表現するようなことでも、なるべく頭のなかにあるごく基本的な単語を使っていいかえて表現しようとなるわけだ。

むずかしい単語や豊富な語彙で流暢に話すよりは、簡単な単語でいかにパラフレーズして伝えるかという技術、これはちょうど村上さんが小説を書くときに行ったことと同じだろう・・・、しらんけど(^_^;)。

英語が話せないという人は、あるいは日本語でもうまくコミュニケーションがとれない人は、おそらくこのパラフレーズがうまくできないのだろうと思う。

そういう意味では、このBlogも比較的簡単な言葉でなんとか表現しようとしてると思うんですけどね。

もう一つは言葉のリズムだ。

小説を書いているとき、「文章を書いている》というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。(村上春樹)

声には出さないものの黙読で文のリズムが悪いのはどうも気にいらない。

おまえの文章がどれほどのもんだい?ということはあるけれどなるべくリズムのよい文になるように心がけているつもり。

というところで、もう一度、創作行為と自己治癒ということに関連してBlogのことをダラダラと書いておこう。

今は音楽活動がメインということなんだけど、以前はどうだったかというと、なんやかやいいながらも仕事、会社、社会のしがらみにからまれて音楽活動に注力するという状態じゃなかったということだろうなぁ。

音楽というのは僕の中で結構大きな比重があるので、ある程度の集中力を持たないと継続できないというか、まぁ、逆に言うと好きな割にはレベルが低いのでやっても不満しか残らないからやらなかった、ってことだな。

しかし定年過ぎて仕事関連の責任を後進にゆずった後は本当に自分のやりたいことを楽しもうという気分になったわけだ。

一方、読書や美術や映画鑑賞などはわりと心構えなしに単発的に楽しめるのでそれをBlogの話題にしてたけど、気分的に音楽が支配的になった分、音楽以外の割合がぐんと下がってしまって書こうという意欲が希薄になったかな。

その反面、音楽関係の話題ならそれが今の主題になっているから書こうと思えばあれこれ書ける。

でも、FBで音楽関連は簡単ではあるけどそれなりに消化してしまってるので、本当のところはBlogでは以前のように色々な話題をとりあげたいんだけど、まぁ~、なんというか、FBを覗いたり、楽器を鳴らしたりする方に気がいって、ついついほったらかしなのだねぇ。

しかし月例セッションのあった加古川のスカーレットの小鳥さんが店じまいしてセッションもなくなってしまって、定期的に行ける慣れた場所がなくなってしまったので、音楽活動も岐路に立っている・・・、というほど大袈裟なもんではないか。

セッションに行けるところは他にもあるからぼちぼちとは行ってるけど、この3年ほどバタバタとしてきた自分の音楽活動を再検証するにはいい時期かもしれない・・・、って、何を言ってるのか自分でも分からないけど(^_^;)。

まぁ、セッションや高砂万灯祭、親子ジャズなどなど、人前で演奏する機会があって、自分の音楽の技術的な問題点を考えたことからカホンやドラムを習ったりとか刺激も多かったので、それをなんとか活かせるようにしたいものだ。

*************

以上、5年前に書いてたんだけど、まぁ小難しいことをいってるねぇ(^_^;)。

しかしこの翌年にはコロナ禍で世界が一変してしまった上に世界での紛争の激化もあったりで、Blogを始めた頃に漠然と持っていた将来像からはかけ離れた世界になってしまった。

僕個人は、コロナ以後は音楽活動はほぼ休止状態になってしまった一方で、杖道、居合道を始めたのと年齢的にも体のことを考えるようになったので、武道やらストレッチやらなんやら僕の関心もずいぶんと方向転換して話題も様変わりというか・・・、

まぁ、そういうことでとりとめのないことですが、

20周年! でした!

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2024/06/22

描く人、安彦良和

近畿地方もとうとう梅雨入り、例年より2週間位遅かったらしいね。

梅雨に入ったところで珍しく美術関係。

梅雨入り前の一昨日、木曜日に兵庫県立美術館で開催中の「描く人、安彦良和」展を見てきた。

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家内と息子の3人で車で行ったのは、西区の果の我が家からだと3人分の電車賃より高速代/ガソリン代/駐車料金の方が安いから。

美術館の駐車場は公営とは思えないぼったくりなんで、近くのK's電気に停めた。1000円以上の買い物すれば3時間は無料、それを超えても安いからね。

さて簡単にまとめておこうか・・・、というかFBに自分のみ公開で書いてる日記の加筆修正だけど。

安彦良和展-手塚治虫、横山光輝の影響、カラーのポスター等は生頼範義、武部本一郎の影響がありそうな。絵柄は御厨さと美を思い出したし、なんとなくシティハンターとも類似点がある気がした。

登場人物のスケッチは衣服のデザインも含めてファッションデザイン画のような美しさがある。

とにかくデッサンの正確さ、精緻なことは比類ない。

ジブリ等のアニメの背景画家として有名な山本二三展を先月に六甲アイランドの神戸ファッション美術館で見たんだけど、山本二三の作品が前景を食わない建築パース的な抑制的な画風であくまで背景に徹していたのに対し、今回は前面の人物等を描く人として背景も一体として描かれていた感じ。

ガンダム等アニメ関連の展示は始めは興味深く見たが、とにかく数が多いのでだんだんと疲れてきた。

しかし後半の日本の歴史関連-古事記等古代から近代に至る漫画にはまた興味が湧いて、目が覚めてきた。

日本の歴史ものってあんまり読んでないから読んでみたいかも、とは思うけど、文庫本かKindelしかないんだよね。この人の絵の精緻さを味わうには文庫本は小さすぎるし、Amazonの書評を見るとKindle版は解像度が低くて画質が悪いらしい。

最後にあった新しいガンダムのアニメは今のCGを駆使していて、やはり昔のアニメより画質が大幅に向上しているが、マニアは昔がいいのかもしれないね。

美術館サイトに作品構成といくつかの作品例があるので興味のある人はどうぞ。

描く人、安彦良和-展覧会構成

ということで展示会場を出たけど、同じ入場券で美術館のコレクション展が見れるので。

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白髪一雄生誕100年展・・・ロープにぶら下がって足で描いたりしてたのをずいぶんと以前(たぶん氏の生前)にTVで見て、けったいな人やな、こんな絵のどこがオモロイねんと思ったことがある。今はオモロイと思うけど。

作品の制作は足だけではなさそうだが現代美術のユニークな面白さが感じられた。

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久しぶりに広々として天井の高い展示室の明るい照明の下で現代絵画大作品の醍醐味を味わった。コレクション点は撮影OKだからね。

「猪刈り」は猪の毛皮を使ったトンデモな絵だったけど、大きな額縁に入っていて自分の姿も映り込むような反射があったので撮っていない。

ナウム・ガボの作品(下の写真)もあった。ずっと以前、アメリカから毎年来ていた会社の取引先のCEOさんが絵画保存修復の講演で話題に出していた作家だ。この作品は金属製で保存性はよいのだろうけど、講演ではなにか劣化が激しい作品の例だったと思う。

これはずいぶん以前のホイットニー美術館展のときにも見た覚えがある。

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ホイットニー美術館展は2006年のことだけど、そうえいば翌年にアメリカ出張があってNYに行ったときにホイットニー美術館にも行ったのだった。なつかしいね。

コレクション展は2階もあったが息子がもういいというのでやめたけど、後で美術館サイトをみたら2階は小磯良平等の具象的な絵だったらしい。コレクション展も構成といくつかの作品例が美術館サイトにある。

2024コレクション展

最後は美術館のカフェで一服後、駐車したK’s電気でストックの切れている電球を買って、超過駐車料金は500円也で帰宅。

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なかなかと充実した一日だったね。

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2024/02/19

小説「リスボンへの夜行列車」から

表題の小説で気になった文章をBlog用にメモしたのが3年半くらい前(2020.8.19)、それを投稿しようと下書きしたのが2023年の11月で、またほったらかしだったのをやっとアップします。最近では珍しく本の話題、といっても引用の羅列だけど。

リスボンへの夜行列車/パスカル・メルシェ著/浅井昌子訳(Amazonリンク)

以下、それぞれに含蓄があると思った文章をメモしたもの。ただ図書館で借りて読んだのがもう3年半以上前なので、そのときに何を思ってメモしたのか覚えていないが、単なる抜粋では著作権上の問題もありそうだから読み返してみた感想みたいなものも付け加えておこう。

この本を読んだことは2020.10に書いていた。

最近借りた本など(2020.10.12)

その時にもアップしたけど、映画になったときの予告編を再掲。

以下、小説からの抜粋と感想:

あることがらを表現するとは、そのことがらの力を保存し、そこから恐怖を取り除くことだと思う(ペソア-ポルトガルの詩人)

表現が「力を保存」というのはわかるが、「恐怖を取り除く」ということになるのか?、そういうこともあるかもしれない、考えたことのない視点だな。

ファラオが強情に意思を曲げないといって、神はエジプト人に罰を与えたんだぞ。
だけど、ファラオをそういうふうに創ったのは神自身じゃないか!それも、神の力を誇示するために、そう創ったんだ!なんといううぬぼれた、わがままな神だ!なんという威張り屋だ!

神道や仏教に馴染んでいる日本人からみると「それはそうだよねぇ」と納得できる気がするが、ヨーロッパ的思考の中ではこういう発想は少数派なんだろうな、しらんけど。

残された人生の時間がわずかになると、規則などはもう通用しなくなります。そうなると人は、まるで理性を失って、精神科病院に放り込まれてもおかしくないかに見える。でも、根本ではまったく逆なんです。精神科病院に入るべきなのは、時間がわずかになっていくことを認めたがらない人たちです。まるでなんでもないと言うように、それまでどおりに生きようとする人たち。

そうなのか?、僕は今のところ「なんでもないと言うように」生きているような気がするが。それまでどおりというのがどの時期を指すかわからんけど、定年後やコロナで退職後はそれまでどおりではないかな。でも少なくとも「理性を失って」とはなってないと・・・、しらんけど(^_^;)。

Facebookで横尾忠則氏をフォローしてるんだけど、以前から死についてユニークな視点での投稿をされている。最近、「死後を生きる生き方」という本も出された。横尾氏のサイトからだとサイン入りが買えるらしい。買ってないけど。

僕も同じような人生の時間帯になってきたけどあんまり考えてないな。横尾氏のご意見もコピペしておこう。

まあ、人間は全て死にます(生物も)。だから死ぬことを知っている人が読んでくれているんですよね。死は特別のものでも、なんでもなく、生きていることと同じです。(横尾忠則)

年と共に怠け者になっていきます。この方が健康です。怠けることは自由への入口です。(横尾忠則) 

横尾氏の視点からだと、「理性を失って」とは正反対な生き方だろうねぇ。

また「リスボン・・・」に戻って:

マリア・ジョアンはわたしを見つめ、微笑んでくれた。
自覚的に生きる人生という広大な草原から来る微笑みだった。

「広大な草原から来る微笑み」という表現が美しいね。

瞬間を生きる-あまりに美しい響きだ。
だがそうしたいと願えば願うほど、それがどういうことなのか、わからなくなる。

なんとも哲学的?な。

時間が静止している。いや違う、静止してはいない。だが、時間は、その流れにグレゴリウスを巻き込まず、グレゴリウスを未来へと連れてはいかない。ただ無関心に、無関係に、傍らを通り過ぎていくだけだ。(グレゴリウスは小説の主人公)

そうだよな~、結局はダラダラと時間が過ぎていく毎日、って違うか(^_^;)。

つまり私は、一カ月という時間で人は自分のためになにができるだろう、と尋ねるべきだったのだ。このひと月は完全に自分のものだったという印象を持つのは、どんなときなのだろう、と。

上の文と同じく、だなぁ。

引用は以上だけど、こうした細々と綴られた哲学的(たぶん)な思索が映画で表現できたのかと疑問が残るわけで。

書き改めたのが11月初旬でまだまだ暑かったから、"Summertime by イタリアのVib奏者Giovanniさん"を埋め込んだけど、今はもう2月だ、やれやれ。

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2023/04/21

あとで見る音楽メモなど

タイトル通り、YouTubeで見つけたりFBで紹介されていた音楽関連動画だけど、まだ見てなくてそのうちにみようという自分用メモ。

ブラウザでブックマークしておいてもごちゃごちゃして結局見ないのと、ブックマークだとYouTubeサイト視聴でCMが入ってウザいけど、Blogに埋め込むと何故かCMが入らないという利点もあるし。

まずは、一向に進展しない音感関連。

『絶対音感(もどき)』になる方法を東京藝大卒が教えます

まぁ、東藝卒から「私は大したことない」みたいなこといわれてもねぇ、ってとこだけど紹介されているアプリがVibistのJohn Mark Piper氏の音感訓練テキストと似た手法なんで、これをiPadでやってみようと。

Piper氏の音感トレーニング(Ear Training)のことは去年の11月に書いてたけど、英語テキストだけで地味な訓練ってのはやっぱりねぇ、なかなか手つかずでねぇ(^_^;)。

次は同じ人による耳コピの仕方。まぁ、楽器を使えば耳コピはかなりできる方なんで、もっと音感がつけばなんとかなると思うけど一応のメモ。

『耳コピ』のやり方を東京藝大卒が教えます

最後はトレーニング関連ではなく、ジャズベーシストのBill Crow氏のドキュメンタリー動画。FBフレンドでマリンバ奏者のMika StoltzmanさんがFBでシェアしてたけど、1時間以上あるのでボチボチ見ようと。

Bill Crow氏というと、村上春樹訳の「ジャズ・アネクドーツ」とか「さよならバードランド」など、ジャズ裏話的な?、著書が有名だ、っていうか、実はしらんけど、ってしらんのかい!!

・・・っていうレベルだけど、いつも行く隣町の図書館にどちらもある(あった)ので借りたことはあるけど、ちょっと読んだところであんまり面白くなかったのですぐ返してしまった本だ。

面白く感じなかったのは僕がジャズをリアルタイムで聴き出したのが1971年以後、しかし本はそれ以前の話で、それ以前のジャズには一部を除いてあまり興味がわかないってのが大きいんだろうなぁ。

ところがいつだったか「さよならバードランド」が図書館の無料リサイクル本に出されていたのでもらってきて持っているのだ、まだ全然読んでないけど。

Abill-crow

ドキュメンタリーを見れば本の方にも興味がわくかもしれない・・・、と期待しよう。

とはいえ、今は5月7日の全剣連居合道初段の昇段審査に向けて稽古しないといけない、にもかかわらず4月は9日と今度の23日は選挙で小野の体育館が使えないので稽古がない上に、稽古があった16日から昨日の20日まで沖縄ツアーに行ってきたりで、稽古が全然出来てないからそっちに集中しないといけないのだった!

旅行のことはそのうち書こうかと・・・、とかいっても結局書かずじまいが多いなぁ(^_^;)。

・・・では愛想なしなので、美ら海水族館に行く途中で立ち寄った古宇利大橋から見た古宇利ビーチの写真を一枚だけ。

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偶然ながら結婚式の写真撮影に出会った。新郎新婦と撮影班しかいないので前撮りなのか、それともCM用かも。

黄砂のため空があまり澄んでないし遠景もかすんでいるけど、海の美しさはさすがに沖縄だ。

最後に付け足し:

相対音感鍛える方法(イヤートレーニング)

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2022/11/30

読書 -「 ローマ人の物語」などなど

塩野七生氏の名前をこのBlogで最初に書いたのはいつだったかと検索したら、2008年4月(水辺の里公園)で、ヴェネツィアの歴史に関する「海の都の物語」だった。たぶん新婚時代に旅行したヴェネツィアの印象が強かったので選んだ本で、これが最初だったと思う。旅行のことは2007年に書いていた。

Venezia, 1982
A Foggy Day in Vanezia, '82
Il Canal Grande

その後、図書館にある塩野さんの本は「ローマ人の物語」以外は全部読み尽くしたけど、今年になってどうやら塩野さんの文庫本がほとんどリサイクルに出されたようで、今は一冊しか見当たらず、「海の都の物語」ものなくなってしまったのが残念。知っていたらお持ち帰りしたのに。

さて、今読んでいるのは「ローマ人の物語第9巻/賢帝の世紀」だが、「ローマ人の物語」を読み始めたのがいつだったかとこれも検索してみたら、2009年9月(村上龍を読んだ)だった。3巻目までは割りとすんなりと進んだものの、4巻目のユリウス・カエサルの時代に入ったところで中だるみして、何年もブランクの時期があった。

そしてコロナ禍で自宅待機になった2020年4月からまた借りて読み出したものの、借りては読みきれずに返してまた借りてというのを繰り返してやっと9巻目だ。実に13年もかかりながらまだまだ読み終えられなのは、それはそれで先が楽しみではあるけどね。

ということで読書感想でも書くのかというとそういうわけでは全然なくて、イタリア、塩野七生氏といえば月初の投稿でも書いた通り、ヤマザキマリさんを思い浮かべるので、この2人になにか関連はあるのかと検索してみたら、という話。

どうも塩野さん側からは何の結果も得られなかったが、ヤマザキさんはやはり後輩として意識しているようで、ご自分のBlogでこの9巻とその中で登場するアルカンタラの橋のことを書いていた・・・、というだけのこと。

アルカンタラの橋/ヤマザキマリ-2007.12.13

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これは「ローマ人の物語」で「アルカンタラの橋」のことが書かれている頁だ。ヤマザキさんはこれを読んでスペインまで行ったということだね。

実際の橋はどんなんかなと、Alcantara Bridgeで検索してみつけたのが次の動画だ。ヤマザキさんがお昼を食べようと立ち寄ったというアルカンタラの村も見える。ちなみにヤマザキさんによるとAlcantaraはアラビア語で「橋」を意味するそうなので、Alcantara Bridgeっちゅうたら、「橋橋」ですな(^_^;)。

 

しかし一度は壊れて修復されたとはいえ、1900年前の基礎が未だに生きているというローマの土木技術には脱帽ですな。

ついでながらトレドにも同名の橋があるらしい。

 

トレドは2019年4月のスペイン旅行で行ったよな~、しかしなんか見覚えがあるような~?、と思ったら、渡ってはいないけどバスで前を通ったときに写真を撮ってたんだ。奇遇だね(^^)。

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さて本に戻ると、最初の賢帝トライアヌスは数え切れないほどの公共工事を実施したという話の中にあるオスティアの港の地図が下の写真だが、地図の左上にある「現レオナルド・ダ・ビンチ空港」は新婚旅行の最初の訪問地、すなわち生まれて初めての海外の地ローマに行くときに降りた空港なので懐かしい。

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本には「港はローマ滅亡後は放置されて六角形の池でしか残っていない」と書かれているが、六角形の池というのが面白い。空港近くにこんな池があったんだ、どんなんかな~?、とGoogle Mapさんにお尋ねしたが、どうも本の地図のような海岸近くには見当たらない。

Lago-traiano

よ~く見るとMapの中央から少し左に確かに六角形の池があったが、本の地図と比べるとずいぶんと内陸部にある。どういうことだろうと、ちょいと検索してみたらありがたいことに再現CG動画があった。なるほどねぇ。

Mapにはトライアーノ湖(Lago Traiano)とあるが、かつての港が港湾工事をさせたトライアヌス帝にちなんでトライアヌス港と呼ばれた名残りだろうな。

さて、以下は2008年に下書きしたまま忘れていたカキコ、古代ローマ遺跡発掘とは比較にもならないけど埋蔵発掘投稿であります。

塩野七生さんの本としては珍しい小説形式の3部作を借りたときの下書きだが、3冊ともリサイクルに出されたようで今は稲美の図書館にはないのが残念。

 **2008.5.3***

緋色のヴェネツィア-聖マルコ殺人事件
銀色のフィレンツェ-メディチ家殺人事件
黄金のローマ-法王庁殺人事件

51a5sq9ytbl__ss500_ 塩野七生のイタリアを舞台にした三部作というようなことを、数か月を要して読み終えた「海の都の物語」の後書きか解説で見た覚えがあって、だから次はこの3冊を図書館で借りて読んでみることにしたのが、先週の日曜日だった。

タイトルを見れば、それぞれの都市を舞台にしたサスペンスかと思うが、それぞれの都市にふさわしい色の名がついているのが、心憎い。

だから、という先入観からか、それぞれが独立した小説だと思われた。

そこで、ちょうどヴェネツイア共和国の千年に及ぶ歴史を描いた「海の都の物語」を読んで、かつて訪れたヴェネツィアにノスタルジックな想いを馳せていた僕は、ではヴェネツィアは最後にして、ローマから読んでみよう、ということにした。

「海の都の物語」には、ヴェネツィアの地図が載っているのだが、これは全くと言っていいほど、役に立たなかった。というのも、ほとんどが、いかにヴェネツィアが制海権を確立し、維持し、また他国との関係をどう保ったかという歴史なので、地中海を中心とした地理が必要なのだが、そちらは中途半端な地図がところどころに差し込まれているだけで、これも今一つ役に立たなかった。

 *****

という実に中途半端な下書きですが、実は連作なのでヴェネツィアから順に読まないといけなかったんですな。

この埋もれていた下書きを掘り起こすついでに、今読んでいる「ローマ人の物語」のことを書き足していたら、本題がそっちに移ってしまったのでした。

2008年はまだ塩野さんの本を読み始めたころなので地中海の地理はほとんどわからなからなかったけど、その後、地中海に関係のある塩野さんの本は全部読んだと思う。

ローマ人の物語-全15巻(まだ9巻目)
ローマ亡き後の地中海世界-全4巻
十字軍物語-全4巻
ギリシア人の物語-全3巻
コンスタンティノープル陥落
ロードス島攻防記
レパントの海戦

これらに加えて、イタリアにも行ったし(2016年)、ドバイ~クレタ島経由でマルタにも行ったし(2017年)、スペインにも行った(2019年)ので、今なら結構分かると思う、たぶん。

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2022/11/10

塩野七生-読書雑感

またしても「Facbook思い出」の加筆修正投稿 - 2019.11.10というから、ジャズフリーペーパーVoyageへの寄稿のためにジャズの歴史に関連した資料をあさっていた頃の投稿で、中でも中村とうよう氏の本は大いに参考になった。ただし中村とうよう氏は最初に名前が出るだけ、氏とは全然関係のない内容で、バッハのマタイ受難曲からの派生投稿。

ネタもヒマもあるけどなかなか書かない怠け者というのもあるけど、書いたものがFBに埋もれてしまうのも勿体ないというところで・・・、とはいえ最近はFBにも投稿しなくなっているので、FBネタもなくなりそうな(^_^;)。

マタイ受難曲については、2012年、10年あまり前に書いているので、興味のある方はどうぞ。今回の内容とダブってるのはご容赦m(_ _)m。

マタイ受難曲(2012.3.26)

**Facebook 2019.11.10******

マタイ受難曲第一部終曲(J.S.バッハ)

 

中村とうよう氏はその著作から知る限りクラシック嫌いが徹底しているが、このような素晴らしい音楽のよさがわからない人だったのだろうか?ほんまに?といいたくなる。

高校のときにカール・リヒター率いるミュンヘンバッハ管弦楽団、合唱団が来日し、マタイ受難曲を始めとするバッハの作品を多く演奏していった。

NHKで放映された公演を、高校入学祝いに買ってもらったオープンリール4トラックテープレコーダーに録音してよく聴いたし、その後もArchivのLPボックスセットやら他のバッハの曲など色々買っては聴いていた、若い頃の記憶はいつまでも残る。

バッハの音楽はプロテスタントだけど、ずっと塩野七生のカトリックを中心にした中世前後のヨーロッパ世界の本を読んでいると、キリスト教社会の功罪が実によく分かる。

今は「フリードリッヒ二世の生涯-下巻」を読んでいる(2019.11の話)。これで図書館にある塩野七生の本は残すところ、「ローマ人の物語第IV巻」のユリウス・カエサル以後だけ、といってもまだ相当にあるが(2022.11現在では、やっと第IX巻「賢帝の世紀」を読んでいるところ)。

高校のときは世界史が嫌いだった一方で、日本史は担任の先生が人柄も教え方もとてもよくて面白かったので、その後は日本の時代小説を読んだ時期があるが、今はもっぱら塩野七生の本ばかり(歴史関係ではという意味、ギリシャ時代からローマ帝国~中世~ルネサンスあたり、一部ナポレオンあたり)。

新婚旅行で初めて土を踏んだ海外の地がローマ、その次の年にはローマ、ヴェネツィアの旅をして、それから幾星霜(大袈裟か)、数年前からまたイタリア、マルタ、アイルランド、スペインと観光旅行ではあるが、塩野七生の本を読んでいなければ、旅の面白さも半分といったところではなかったかと思う。

とにかく多文化、多言語、多民族、多国家がいりみだれての権力、領土、宗教の争いはすさまじい。

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・これはFBではアップしてなかった新婚時代の写真、色あせてるけどバチカンにて。

歴史は繰り返すというが、現代の感覚とは違うとはいえ、ギリシャで起こった民主主義から衆愚政治へと堕していったギリシャ世界の衰退は今の世界をみているようだ。

民主主義の衰退期には、将来への不安を煽る扇動者がリーダーとなり、今で言うポピュリズムによる衆愚性が顕著になるが、将来への道は示されず不明瞭なまま社会は衰退していく、というのがアテネのたどった道だ。

またローマ法によるローマ帝国の法治国家は中世になると忘れ去られ、それを復活させようとするフリードリッヒ二世に対するローマ法王庁の妨害による再度の法治国家の衰退、そしてルネサンスによる発展とまたしてもの衰退と、形を変えながら、また技術革新による社会構造の変革はありながらも、結局は人間の根本はギリシャ時代から一向に変わっていないか、あるいは退化しているのか、というのが正直な感想だ。

イスラムの寛容という言葉があるが、むしろシチリア~南イタリアにおけるノルマン統治の方がさらに寛容であったようだ、とはいえそれ以前のイスラムの寛容があったからこそ、とはいえるだろうが、今は寛容の幅がずいぶんと狭くなったと感じるこの頃。

塩野七生は最新作「ギリシャ人の物語」(2017年)をもって文筆活動は終えたとのことで残念だが、80歳のお歳までよく書いてくださったと感謝に堪えない(2022年の今年は御年85歳)。

*****

というようなことを書いていた2019年には想像もできなかったコロナ禍、そしてロシアのウクライナ侵攻と、まだ2019年のころが懐かしく感じることばかりの世の中、これから一体どうなるやらだが、「ローマ人の物語」を読んでいると、人間のやっていることは、テクノロジーとか人権問題とか進歩していることもあるが、大局的には何ら変わりがないと思えるこの頃だ。

しかしイタリアと言うと今は映画「テルマエ・ロマエ」で一世を風靡したヤマザキマリさんだろう。漫画だけでなく、TV出演やら毎日新聞での人生相談やら、イタリアを含む海外生活やらなんやらを執筆したりとか、特に若い世代には塩野さんよりも有名だろうと思う。

イタリア歴史ものとして、とり・みき氏との共著「プリニウス」はそのうちに読んでみたいと思うが、アマゾンの書評では賛否両論でちょっと腰が引けてしまうところだ。

まぁ、まだ塩野さんの「ローマ人の物語」がやっと半分くらいだし、買うだけ買ってほったらかしの本やら図書館のリサイクルでもらってきた本やらと、未読が結構あるから、いつになるやらの話ではあるけどね。

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2022/05/07

ギターをひこう

ことの発端はAlexandraさんの演奏動画をYouTubeで見ていたとき。

2月にAlexandraさんの支援プログラムPatreonについて書いてた(Patreon/Alexandraさん)けど、結局そのすぐ後にAlexandraさんアレンジの楽譜が無料でDLできるという$10/月ランクに参加して、めでたくMy Funny Valentineの楽譜をゲットした。

しつこく演奏動画ご紹介、楽譜はD minorだけど演奏はカポタストをつけてEb minorで演奏しているのは、なんかそんな気分だからだそうだ。なんとなくわかるような気もする・・・、しらんけど。

ただし楽譜の一部に明らかなミスがあって、それはコードや音楽理論をある程度知っていないとわからないかもしれない。まぁ、動画の演奏と違うし響きがおかしいので、わかるやろ~、っていいたいところだけど。

今のところアレンジ譜はこの曲しかないそうで当初の目的は果たせたので、4月からは最低ランクの$3/月に変更した(以前は$5だったけど値下げしたらしい)。最低ランクでも毎月アップされるPatreon会員限定のレッスンや演奏の動画が視聴できるので、しばらくは継続してみようと思う。

その会員限定演奏(限定なのでアップできません)を見ていたときに画面右におすすめで出てきたのが、ポーランドの女性ギタリスト Ilona Skowrońskaさん、女性ギタリストのチェックは必須ですからね、当然視聴しまいた(^_^;)。

Villa-Lobosの前奏曲1番は中学のころだったか、イエペスの楽譜付きLPに入っていたので弾いたことがあり今でもかなり覚えている・・・、若い頃の記憶は未だに残ってるんだねぇ、今はなかなか暗譜ができないけど。

で、さらにまた右横に出てきたのが小原聖子さん。

小原聖子さんはギタリスト小原安政氏のご息女で、1970年代のNHKの「ギターをひこう(Wikipedia)」の講師をされていたが、たぶんその時の映像だと思う。どうみても手が小さいのに、よくもまぁ、これだけ弾けるものだと驚いてしまう。小さい手用の特注ギターという話もあるらしいが、それでも手が小さく見える。

「ギターをひこう」の前身である「NHKギター教室」については以前に書いた(NHKギター教室/2013.11.21)。

番組開始当初はわりと地味な番組で講師もどちらかというとベテランというか年配の方々だったが、ポピュラーになったのは1974年に当時の若手ギタリスト荘村清志氏が講師になってからだと記憶する。なんせ若いし、今風にいうならバリバリのイケメンだからね。

その後、同年齢の渡辺範彦氏、芳志戸幹雄氏と講師が変わった当時のテキストがこちら。

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荘村さんのときから大判のテキストになったと思うが、残念ながら荘村さんのテキストは持っていない。その代わりLPを2枚、「アルハンブラの想い出」と「ポンセ、テデスコを弾く」を持っているし、神戸でのコンサートにも行ったことがある。

右のLPに入っているポンセの曲は学生時代に平島先生の教室に通っていたときに習ったが、なかなかものにはならずのうちに就職してそれっきり~、最近になって再挑戦したことはあるものの~~(^_^;)。

余談ながら、写真の右にある「ラガ/ル・クレジオ、管啓次郎訳」は図書館から借りた本で、ヴァヌアツを中心とした南太平洋の島々の歴史と伝承を物語を交えて書かれている。これらの島々でも奴隷制度(名目上は契約だが実質は奴隷)があったのは知らなかった。左の楽譜はGary Burtonや小曽根真がよく演奏していたSwallowの"Ladies in Mercedes"、たまたま引っ張り出してテーマだけ弾いてたので意味もなく並べてみた。

杉並区公式チャンネルに荘村さんの紹介動画があった。

40代に行き詰まった原因が力み(りきみ)で、それから姿勢矯正と脱力で奏法も音楽も変わったという話があるが、荘村さんほどの人でもそうなんだとびっくりした。

僕にしても、と比べるのもおこがましいが、脱力はカホン(ドラム)レッスンで先生から教わってから意識したからもう還暦過ぎてからだ。

ドラムの先生のことは去年に書いた(ドムレッスン卒業、そしてダブルストローク)が、僕よりも30歳以上も若いものの、学びや成長が得られるなら年齢に関係なく師と呼べると思う。教わったことはVibやギターの奏法にも大いに役立ったし、杖、居合でも役立っている。

渡辺範彦さんが講師のときのソノシートの動画があった。そういえば販売されてたかな~、僕は買ってないけど。

芳志戸幹雄さんの演奏-芳志戸さんはどちらかというと地味な演奏なのであまり評価しない人もいるけど、堅実で誠実な演奏だと思う。音質がよくないのが残念。

渡辺さんも芳志戸さんもすでにお亡くなりになっていて残念だが、最後に荘村さんと村治さんの共演動画があったのでご紹介。これもNHK「趣味ゆうゆう」の一コマらしい(NHKだからそのうちに削除されるかも)。

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2022/03/05

ホドロフスキー~DUNE

最近は音楽か武道かストレッチか、と話題が偏ってるけど今回は珍しく映画と小説関連。

ホドロフスキーのことは全然知らないんだけど、高校時代の友人Y君がFacebookで紹介していた横尾忠則氏の書評が面白かったので、それに関連して今回もまたYouTube動画の羅列~映画予告ですが。

Y君が紹介するだけあってなかなかの内容にもかかわらず短いので、ぜひ下記リンク先をお読み下さい。

サイコマジック 魂と魂が交流する芸術のように(横尾忠則)

「サイコマジックとはホドロフスキーが考案した心理療法である」なんだそうです。

書評の中に「ホドロフスキーのDUNE」と書いてあったので新作映画製作かと思ったら、かつて実現しなかった企画を記録した映画のようだ。

"DUNE"については以前に書いたことがある(下記リンク)から省くけど、僕が妙ちきりんなタイトルで書いてたのが下記のリンクでありまふ(^_^;)、もしご興味があれば。ほぼ14年前だ。

あれまーず(2008.4.25)

あじゃぱーず(2008.4.27)

第一部にあたる「DUNE 砂の惑星」はハヤカワから新訳版が3部構成で出ているのと、旧訳版文庫本4部もまだ出ているものの、第二部以後は絶版なのか、ユーズドが結構なお値段で出ている・・・、僕の持っている本も結構なお値段で売れるわけだ、売らないけど・・・、2008年の投稿では「屋根裏の物置を探してみよう」と書いてたけど、結局探してなかった(^_^;)。

リンチ監督の1984年版は封切り時に映画館で見たが、まだ大阪に住んでた頃で懐かしい。

原作は1965年発表ですでにエコロジー、環境問題を扱っている点で先進的だったという点が大きく評価されていたと思うが、映画ではそうした面があまり見られなかったのは時間的制約やらStarwarsの影響やら、かと思う。

次が新作「DUNE 砂の惑星」予告・・・、去年、いつの間にか封切りになっていつの間にか終わってたみたい。新作製作中というウワサは聞いてたけど、その後は全然知らなかった、ということはあんまり話題にならなかったのかな?・・・第一部だけでも翻訳本で3部とか4部(旧)になるほどの大作を映画一本に収めるっちゅうのも無理がありますわね。

ジョージ・ルーカスがStarwarsでDUNEの世界をパクりまくった上に超娯楽大作にしてしまったんで、今さら感があるのかもしれない。そのうちにTVで放映されたら見てみたいものだが。

インタビューなど・・・、途中までしか見てない、ってのはやはりあまり関心が持てないってことだねぇ。そのうちに見ると思うけど。

風の谷のナウシカもDUNEをベースにしてるってのは宮崎駿自身がどっかで語ってたと思う、というのも2008年に書いてた。

付け足し:ナウシカの実写版があるらしい。

ついでに2008年の投稿で書いてた「トレマーズ」の予告。

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2021/09/17

Grant Greenの墓

またまたFacebookに書いてた古い日記をひっぱりだしてきて更新しようとしたのが、2019.9.17で下書きのままになっていたのを再度発掘してやっとアップしようと。

***** -2014.9.17のFB日記(非公開)- ****

なんやかやのなりゆきで、村上春樹の初期作品を読み直している。
今日は処女作「風の歌を聴け」を読み終えた。

未熟だから翻訳を許可していないという話のとおり、生硬で角をつつくと崩れそうは危うさがないとはいえないが、長年、何も書かない間に貯めていた独創性ときらめきが、薄く覆った土塊の間からかいま見える、なんてね、ベタな評論家気取りだ。

さて、本の最後に、村上氏がもっとも影響を受けた作家デレク・ハートフィールドの墓を訪ねてアメリカまで行く話がある。

NYからグレイハウンドに乗ってはるばる訪ねて行くというこの話を読んで、ふと思い出したのが、パソコン通信のNiftyServeにあったジャズフォーラムでの話だ。

村上氏の話は、作者あとがきといいながら、いまだ虚構の一部で騙されてしまうが、ジャズフォーラムの話は事実だ。

日本から一人ではるばる、ジャズギタリストのグラント・グリーンの墓を訪ねて旅するという話だった。僕が以前に出張でカンザスシティーに行った思い出を投稿したときに、フォーラムメンバーからいただいたコメントの話だ。

日本で調べた墓所がどこにあるかわからず、カンザスシティーからミズーリへと現地の人たちに助けられながら、とうとう辿り着いたという話だ。

最初はカンザスシティーにあるかと訪ねたが、街なかや観光案内で色々聞いても誰も知らず、それからやっとミズーリ州の方らしいということで、最後にはたどりついたのだった。

改めて検索してみると、グラント・グリーンはGreenwood Cemeteryに埋葬されているということだが、Google Mapでみるとミズーリ州には3箇所あって、いずれもかなり離れている。

一つはカンザスに近い。カンザスシティーはちょうどカンザスとミズーリの州境にあって二分されているので、紛らわしい。

なんとか見つけることができた、それまでの間、色々な現地の人に助けてもらったおかげで、現地の新聞にも取り上げられ、カビの生えたような古くて陳腐な言い方をすれば、東洋の島国からはるばると、アメリカのジャズギタリストの、それも誰も知らないような墓所を探してやってきた、ということで、大きく写真入りで掲載されていた。

そのころ、たぶん2000年を過ぎていたと思うので、すでにネット新聞も出ていて、そこに掲載された記事を読んだのだ。

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Grant-green

以上が2014年に書いてた日記で、ニフマン(Nifty Manager)の過去ログを読めばもっと正確にわかるはずですが、Win98かXPの時代でWin7や10では読めないので曖昧な記憶です。

出張でカンザスに行ったことはここでも2005.7に投稿(The Plaza, the first shopping center)しています・・・記事をかいたのはもう16年前だ、っていうかカンザスに行ったのは1992年だから29年前だ!

再度改めて検索してみたらGreenのお墓はミズーリ州セントルイスのGreenwood Cemetaryにあるようです(下記リンクおよびGoogle Map)。

Find A Grave - Grant Green

Greenwood-cemetary

次は、探しに行ったけど見つけられず、偶然、Greenの幼い頃の知人に会って、「見つけられたくないってこともあるさ」みたいなことを言われて、なんだか納得したという話が2019.9には下記リンクにありましたが、2021.9現在ではリンクがなくなってしまって読めず。

The Misplaced Grave of Grant Green

ちなみに、アメリカ出張時に現地で知り合った人はセントルイスとは発音せず、さんるうぃ~、みたいにいってました、フランス風発音なのかな?

とはいえ、僕はGrant Greenてほぼ聴いたことないんだよな(^_^;)。どれが代表的なのかわからないので、適当にYouTubeのを埋め込んでおきます。

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