2021/04/08

My Mix List / YouTube - Vibraphone

ダラダラした毎日、YouTubeを見ることも多い(大体がFacebookからの情報)。

それをどう選択しているのか知らないけど、YouTubeが勝手にMy Mix Listなるものを作ってきたので、その中でも気になるのを並べてMy Listにしておこうという、YouTube動画ばっかりのメモ。

まずはVibで、Steve ShapiloによるCountry (by Keith Jarrett)。JarrettのアルバムMy Songに入っているきれいな曲で、僕もやってみたいと思いつつそれっきりだ。楽譜はどっかて手に入れたのがある。

Steve Shapilo氏は電気/電子系に強い人らしく、Vibにピックアップをつけても、音質を損なうことなく増幅できるとかなんとか語っている動画もあった。この演奏でもアンプを通して処理していると思うけど、いわゆるピエゾピックアップの音とは違うのは確かだ。バーの下についている横に長細い箱のようなのからバーにつながっているコードがピックアップだ。

 

Morgan Walbridgeは全然知らない人だけど、FBのVibraphoneグループで紹介されていた。ジャズ系ではないようで、インプロはしていない。

 

同じくMorganさんによるMallteKATを活用した多重録音、見習わなくてはと思いつつケースに入ったまま(^_^;)。

3番めは日本のプレイヤー、YUKARIさんのデビューアルバムのプロモーションビデオ。赤松さんプロデュース&共演。

YUKARIさんは2018年9月に湯郷温泉一泊旅行を兼ねて行った、岡山の奈義美術館での赤松さんのコンサートのときに共演されていたし、それ以前にもマリンバの松島美紀さんのアルバムMarimba Sensation(2014年、赤松さんプロデュース、共演)でも共演している。

アルバムはYUKARIさんのサイトから直接購入したので、サイン入り、お礼の手書きコメントもいただいた。Music around My Lifeと題した今の僕のFBのカバーに使っている写真にアルバムを入れている。

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写真右の「ギターソロのためのブエノスアイレスの四季/ピアソラ」は楽譜・・・、また弾けもせんくせに買ったんかい(^_^;)。それに加えて右上はEd Saindon氏の「Voicing Concept for the Jazz Vibists」で、Voicingの勉強をしようと買ったもののこれもいつものごとく・・・。

楽譜とYUKARIさんのCDの間には、やっと購入したCoreaの名盤"Now He Sings, Now He Sobs"、LPは持ってますた。

左にある「スペイン音楽の楽しみ」はVoyage原稿でジャズの歴史を調べているうちにスペイン音楽に興味を持って探した本。著者の濱田滋郎氏は音楽を含むスペイン文化の権威だそうだが、残念ながら最近お亡くなりになったそうだ。

  合掌(-人-)

その下の「シルクロードと世界の楽器」は図書館から借りた本で拾い読み程度、期待した内容とはちょっと違った。

ついでに書いておくと、マレットの下は「Stick Control」、そのまんまなスネアの定番教本、その上にあるのは「Baden Jazz Suite/Jiri JIRMAL」はバーデン・パウエルをたたえたギターソロの楽譜(相当以前に購入してたんでありまふ)、左上は何度かここでも書いた「Texas Hoedown/David Friedman」でVibソロ楽譜、まだ途中から進まず、というかもう忘れかけてる有様(T_T)、その下は「ギターのための12の歌/武満徹」で楽譜(これも相当以前に・・・)。

右に少し見える「想いの軌跡/塩野七生」は音楽と関係ないけど、塩野氏の過去のエッセイを集めた本だ。まだ途中だがさすがに塩野さん、快刀乱麻を断つの筆致で実に面白い。

Andrei Pushkarevは室内楽団Kremerata Balticaのメンバーとして来日もしているようだけど、残念ながら聴きに行ったことはない。たかけんさんが以前に来日公演に行ったことを日記に書いておられたと記憶。

Andreiさんは2007年8月の投稿(饅頭こわい)で触れているけど、この頃はCocologには動画埋め込み機能がなかったのでリンクだけだった(確認したら13年近く前の投稿なので再生不可やリンク切れが多かった)。

次は前々回にもアップしてた、イタリアのFrancesco Pinetti氏の珍しいハーディ・ガーディとの共演。Branle des chevauxは中世のダンス音楽のようで、検索するとダンスの動画や楽譜も出てくるから興味のある方は検索してみてください。

 

最後はVibじゃなくてマリンバで、Return to Bahia/Mika Stoltzman。

一昨年に購入したMikaさんのアルバム「TAPEREBA」の録音風景で、Steve Gaddが4本ブラシだが、これは画面でないとちょっとわからないね。音の厚みを出すためだろうと以前のドラムの先生はおっしゃってた。

まぁ、本当はもっとあるけど、今日はこのくらいにしといたろ(^_^;)。

Vibraphone編という以上、まだ続きますの予定、しらんけど。

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2021/02/28

Anthem by Ralph Towner - free sheet

最近、図書館から本を借りてもダラダラしているうちに返却期間がきて読みきれず、というのが続いている、ヒマなのに!

で、最近借りて面白かったのが昨年出版されたばかりの「旅ごころはリュートに乗って-歌がみちびく中世巡礼/星野博美」だ。

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リュート、中世、といえばギター/古楽好きとしては見逃せない、とはいえそれほど期待もしてなかったが、Jordi Savallで知ったスペイン・モンセラートの朱色の本とか、コンスタンチノープルの陥落なんて話題があるとこれは、古楽に加えて塩野七生の世界に通じるので俄然面白くなってきた、という辺りで前回は期限切れで返却・・・、で、昨日また借りてきた。

最初はリュートや古楽のことが続くけど、途中から中世の歌つながりで、コンスタンチノープル、イコン、東西ベルリンなど、音楽から美術、歴史、現代までそれがつながりつつ実に面白い。

今読んでるのはベルリンの壁が破壊された前後のベルリンの混乱に伴う東欧からの正教会イコン画の流出なんて、全然知らなかったことが書かれている。

東西ドイツ統一というと、民主化による混乱は多少聞いたような程度の認識しかないが、資本主義の欺瞞に反抗して西ベルリンに来ていた若者が、東西統一後は旧東ドイツ人に対して、その資本主義的欺瞞を無自覚にあからさまに示す欺瞞とか、その辺りも実際にその前後に滞在した筆者の話はなかなか一般には知られていなさそうなことばかりだ。少なくとも僕は全然知らなかった。

という読書のBGMに、Ralph TowmerのAnthemをかけていて、Anthemはなんか面白いけど弾けるんじゃね?、なんて軽い気持ちで検索したら出てきてしまったんですな・・・、話題が飛びすぎだろ(^_^;)。

Anthem by Ralph Towner(pdf直リンク)

この演奏は楽譜と同じではないが、ECMの同タイトルCDの演奏がほぼそのままに採譜されている。

これはclassclef.comというサイトからDLしたもので、ギター譜が5000以上フリーで公開されているようだ。TownerアレンジによるGlorias Stepなどもある。他にもたくさんありすぎて困るくらい。

TAB譜もついているから人によっては便利だろうけど、僕はTAB譜は苦手でかえって邪魔なんで、PDFからJPGにオンラインサイトで変換してから、Win付属のペイントでタブ譜を消去し、できた余白を詰める修正作業をしてから、またPDFに変換しなおして保存している。

PDFからJPGのオンライン変換は下記サイトで。

PDF-JPG変換

JPGで修正後はページごとにWinのMicrosoft print to PDFに印刷出力してから、昨日の投稿で紹介したPDFescapeでオンラインで一冊にまとめた。

で、弾くんかい?、というと、まぁ、そのうちいつか(^_^;)。

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2020/10/30

常設展示室/原田マハ

最近は読書はメモ程度しか書いてなかったけど、珍しく一冊を取り上げてみよう。

「常設展示室/原田マハ」

大人のラノベなんていう人もいる、っていうか僕もそう書いていた原田さんだが、美術に関連するとさすがと感じさせる短編集。まぁ、突っ込んでみたくなるところはなきにしもあらずだけど。

以前に「ジヴェルニーの食卓」を読んだときの感想にも書いたけど、原田さんは短編の方がよいと思う。

それぞれに一枚の絵画を絡めた話になっていて、美術館員とかギャラリー勤めとか美術教授とか、すべて美術に関係している女性が主人公になっている。

・群青(The Color of Life):盲人の食事/ピカソ(美術館サイトの画像と英文リンク)

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NYのメトロポリタン美術館に勤める日本人、徐々に失われる視力、似た境遇の絵画好きの子供との出会い、そしてピカソの絵で締めくくる。

美術館で開かれる子供向けのワークショップでピカソの絵の説明とか子供たちの言葉が出てきて、それに対する主人公の思うところが少々ひっかかった。

描く対象に深く寄り添った画家の心が見えるようだった。ピカソは、恵まれない人をそっくりそのままキャンバスに写し取りたかったわけじゃない。励ましたくて、この絵を描いたのだ。

最後の「励ましたくて・・・」っていうのが、ほんまかいな?っていうのと、なんか小学校の模範解答みたいな~(^_^;)。美術専門家にとやかくいうのもなんだけど、この辺が原田さんらしいのかな?

美術館サイトの英文解説は簡潔すぎてよくわからないが、描かれているパンと壺はキリストの肉と血を表し、キリストの恩寵を表す(現代的な意味合い?)らしい。ピカソ自身の手紙に「左手にパンを持ち右手はワイン差しを取ろうとしていて、彼を見つめる犬を描いた」とあるそうだが、左下にいたその犬は後に塗りつぶされて今の構図になっている。一種の宗教画といえそうだ。

それから、かつての画材専門家として引っかかるのは、タイトルの「群青」だ。

ピカソの青の時代の青はプルシアンブルー、和名は紺青で合成のフェロシアン化鉄、北斎も愛用した青色顔料だが、群青は一般的にはウルトラマリンでアルミやナトリウム、ケイ素、硫黄などを含む合成青色顔料、天然ものはラピスラズリだ。だからピカソの青の時代は群青ではない(一緒に使ったかも知れないがメインではない)。

絵画の専門家であった原田さんがこうしたことを知らないとは思えないので、あくまで創作のタイトルとしたのだろう(小説の中では顔料には一切触れていない)が、知識のない読者はピカソの青の時代を群青、そしてラピスラズリと誤解するだろう。絵画の専門家がそういう誤解を招くタイトルにするのはな~、と思うわけで。

NYは何度も出張で行っているので、メトロポリタン美術館も2回以上は観に行っているが、作品が多すぎて本作品を観たかどうかも覚えてないのが残念。

とまで書いたところで、一冊取り上げてみようといったくせに書き疲れてしまったのと、本の返却期限が来たので、あとはタイトルと題材の絵画を羅列しておこう。それぞれに一般受けしそうな感動物語でありながら、TVドラマみたいな作りすぎも感じさせなくて楽しく面白く読めた(結末がだいたい途中で読めるとか、ストーリー的に突っ込んでみたいところはあったりしたけど)。

・デルフトの眺望(The View of Delft):/デルフトの眺望/フェルメール

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・マドンナ(Madonna):大公の聖母/ラファエル

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・薔薇色の人生(La Vie en Rose):薔薇/ゴッホ

ゴッホの薔薇はいくつかあるが、内容から上野の西洋美術館の常設展の作品だろう。

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・豪奢(Luxe):豪奢/マティス

この絵かどうか、文章となんか合わないんだけど、「豪奢、マティス」で検索するとこの絵ばかりが出てきたので一応。

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同日追加訂正:どうやらこちらの絵が小説内容とあっているが、所蔵はパリのポンピドーセンターではなく、コペンハーゲンのNational Galleryであるらしい。

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・道(La Strada):道/東山魁夷

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最後の話の「道/東山魁夷」は何処かの展覧会で見た気がするけど記憶が曖昧。

話はイタリアの大学で美術教授をしていた主人公(日本人女性)が日本の美術展審査員とし招かれてなんやらかんやらという話で、審査場面があるが、これで思い出したのが、毎年アメリカに出張していた頃に出席していた画材関係の専門家会議の議長さんがアート・バーゼルで審査員をしたという話だ。

アート・バーゼルはスイスのバーゼルで開かれる世界最大級の現代アートフェア(Wiki)だが、フロリダでも開催(Art Basel in Miami Beach)されている。

その議長さんはフロリダのアート・バーゼルでの審査員となったので、大量に出品され展示されている絵画を見て回ったために、目がとても疲れてたまらんという話を専門家会議のメールの中に書いておられたのを思い出した、というだけの話。

小説の主人公は審査には一点に3分あれば十分といっている(普通はもっと長いらしい)。アート・バーゼルに行ったことはないが、会場がやたらと広くて出品数も大量で、ただ見て回るだけでも大変らしいから、審査に3分としてもそれぞれに3分集中していたら目も心身も相当に疲れるだろうということは容易に予想できる話だと思った次第。

アメリカ出張は1987年から1996年まで毎年行っていた。このBlogを始めて間もない頃だったかに何度か旅行記を書いたが、その頃よりもう少し後の話だったと思う。その会議については、Blogを始めてすぐの頃(2004.9.23)に触れている

その議長さんもだいぶ以前にお亡くなりになったし、会社に僕が保管していた当時の記録書類なども退職のさいにすべて廃棄(PCに読み込み登録したものは残っている)したし、みんな過ぎ去っていくのだな。

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2020/10/12

最近借りた本など

最近の読書事情メモ:

今借りている本

ボルジア家風雲録(上:教皇一族の野望)
ボルジア家風雲録(下:智将チェーザレの激闘)
 (アレクサンドル・デュマ、吉田良子訳)-読了
いわずと知れた三銃士などのデュマによる、ボルジア家の歴史小説で、軽快痛快、人物や事象を切り刻むように進める筆致は塩野七生に通じるものがあり、だから塩野先生はデュマを参考にしたのではないか思わせる。
ボルジア家に関してはずいぶん以前に「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷/塩野七生」を読んでいたが、こちらはボルジア家全体について描かれている。とはいっても概ね、教皇アレッサンドロ6世とチェーザレ・ボルジアが中心だ。
ただし、やたらと登場人物名が多く、その関係もそれほど詳しくは説明されないので相互関係がわかりにくいとか、華麗な場面があるとその描写にやたらと力を入れているので読むのが面倒になる。だがその辺りは適当に読み飛ばしていけば、痛快な歴史小説だ。
塩野七生は、チェーザレの歴史的役割とかイタリア統一の夢に焦点を当てていて(たぶん、もう記憶曖昧)、イタリアの織田信長のような印象だったが、デュマはあくまで冷酷、冷徹に自家の繁栄のためだけに物事を進めたボルジア家という書き方だ。ただデュマもチェーザレのイタリア統一の夢というのはごくわずかながら触れている。
解説によると、ボルジア家は陰謀、欲望、堕落、淫欲、その他諸々の諸悪をなしたとそれまでは思われていたが、デュマがそれだけではない歴史的な面に目を向けた最初であるそうだ。最近の研究では堕落、淫欲、近親相姦というような面はかなり否定されているらしい。

ボローニャ紀行(井上ひさし)
只今読書中、さすが井上さん、軽妙な語りが面白い。ボローニャが世界一古い大学を有することからどのような文化を育んできたかが、べた褒めな調子で語られる。べた褒めなんで、実はその裏になにかあるんじゃないかい?、と疑ってしまうのは文化的貧乏性なのか?

以下の本はまだこれから。

冬の日誌(ポール・オースター、柴田元幸訳)
図書館にあるオースターは全部読んだと思ってたら、なぜか数冊がアメリカ文学とは違う、その他の海外文学みたいな離れた棚に置いてあったのを見つけたので。また数冊分は楽しめそう。

プラハの墓地(ウンベルト・エーコ、橋本勝雄訳)
ウンベルト・エーコは上記のボローニャ紀行でボローニャ大学出身者と紹介していたのと、前に読んだ1冊がそれなりに面白かったので借りてみた。

常設展示室(原田マハ)
原田マハはお気楽に読めるかな、というライトノベル感覚と、専門の美術分野らしいから楽しめるかも。
少し前に「奇跡の人/原田マハ」を読んだが、まぁ、読ませる構成力とかお涙頂戴・感動物語の要素はあったものの、ヘレン・ケラーの日本焼き直し版、だからどうした?、ってとこはあって一時の楽しみ以上ではなかった。

巨大なラジオ/泳ぐひと(ジョン・チーヴァー、村上春樹訳)
アメリカ文学の棚のチャンドラーの横にあって村上さんの訳だったのでなんとなく、というのと短編集なんで読みやすいかな。チャンドラーは読んだことはない。

すでに返却した本:

リスボンへの夜行列車/パスカル・メルシェ、浅井晶子訳
これは改めて書いてみたいくらいに深さのある本だったが、深すぎて理解し切れない本でもある。作者は哲学者だそうで、そういう面での哲学的掘り下げには多いに惹かれるが、なかなかしんどくて読み終えるまでにかなりの時間がかかった。哲学好きには面白いだろうが、そうではない人には面倒くさくて読めねぇよ!、ってな本だろう。とはいえ僕も哲学に興味があるわけではないが、色々と思索させてくれる本は好きだ。映画になったらしいけど、原作をどこまで再現できたのだろうか?
スペインもそうだけど、舞台のポルトガルにも弾圧とレジスタンスの歴史があったことを知った本でもある。

誰もいないホテルで/ペーター・シュテム、松永美穂訳
スイスの作家による、ちょっと変わった雰囲気の短編小説集。表題作は印象に残ったが、他の短編は忘れてしまった。

どこか、安心できる場所で/パオロ・コニェッティ、他
本邦初の21世紀イタリア短篇アンソロジーだそうだが、あれ、どんなんだったか覚えてないな。

とるにたらないちいさないきちがい/アントニオ・タブッキ、和田忠彦訳
イタリア作家による短編集、表題作は読んだものの、今ひとつな印象でそのまま返却してしまった。またそのうち気が向いたら借りるかも。
タイトルが全部ひらがななので、最後の4文字がどうしても目につく(^_^;)。

というようなところで、他にも借りた本があったような気がするけど、以上。

上記の本のタイトルリンク先は、稲美町立図書館の詳細情報ページです。

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2020/10/06

黄河決壊事件に、BLMとVoyage7号

今回は、2013年に書きかけて下書き保存していた記事をこの5月に発掘して追記しかけたものの、またほったらかしていた話題です。

なんだか難しいことを書いてたんだな(^_^;)。

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PICKS-CLICKSさんが、「幸せの総量に悩む」と題して、中国事情について書いているので、少し前(2013年)に読んだリービ英雄の「大陸へ」に書かれていたことに触れてみよう。めずらしく音楽以外のネタです、読書関連ではありますが。

リービ英雄による彼の国(中国)関連の本を何冊か読んだが、彼の国では人民、特に農民は消費資源と考えられているのではないかと思える。

「大陸へ」には「花園口」について書かれている。

1938年に、黄河の北の岸まで日本軍が迫っていた。日本軍が中国の北半分を既に占領していた。中国の南半分への唯一の「防壁」として残っていたのは、黄河だった。数週間でも時間を稼ぎ、日本軍の進行を何とか食い止めて中国の南半分を救おうと、蒋介石が、ここ、花園口において、黄河の堤防を爆破した。
 黄河が南の陸へ一挙に氾濫した。
 数時間のうちに、八十四万人の農民が溺死した。
それが「花園口」の入場券に書かれている、「世界史的に有名な悲劇」なのである。

日本が中国を侵略したことや、日本軍による残虐行為について否定するつもりはない。特に残虐行為については、子供の頃に、酔った父から実際に自分の部隊であった事件を聞いた鮮烈な記憶が残っている。

しかしそれとは別な面もあったことがWikipediaには書かれていて、なんでも一面的な見方をすることは出来ないと再認識する。もちろんWikipediaにしても、所詮は二次、三次といった資料の引き写しであり、どこまでが本当かなどわかりはしないが、少なくとも現在の中国政府も黄河決壊事件は蒋介石軍が行ったことを認めているのは事実なのだろう。

彼の国では、「人の命は地球より重い」などという台詞は笑い話にもならないだろう。

「大陸へ」では、中国の状況と対比して、アメリカの奴隷制度に言及している。奴隷は商品であり、消耗品であり、人間とはみなさなかったという点では類似性があるということらしい。

オバマが大統領になった、ということよりも、むしろファーストレディーが黒人になったということの方に意義があるという見方もあるのだそうだ。ただ、そのようなアメリカのトラウマは克服されたようにみえても実は根深く残っているのが実情のようである。

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以上が、2013年に書いていた内容、なんと7年前だ。

花園口については、こちらに写真入りで訪問記が書かれていた。

黄河決壊事件 花園口現場へ(2018.7.1)

最後のアメリカの奴隷制度については、コロナ禍にBLM(Black Lives Matter)運動が起こって世界的な問題として再認識されているが、アメリカでの黒人奴隷が商品でしかなかった、というのはDickensも「アメリカ紀行(1842年)」の最後の方で鋭く糾弾している。

「アメリカ紀行」は、Voyage7号の原稿を書いているときに読んだ(全部は読んでない)のだが、そのDickensの英国からの移民がアメリカ国民の半数以上を締めていた(1790年資料-アメリカンミュージック再発見/中村とうよう)とか、リヴァプールが奴隷貿易から発展していった港町だったとかを見ると、Dickensの正義感も何をか言わんや、というところはある。

とはいえ、「アメリカ紀行」では当時の新聞に載った奴隷に関する記事などを引用しており、それは非人道的、といより動物以下、当時の白人が奴隷を物としてしか扱っていなかったことを遺憾なく伝えており、それはそれは凄惨なものだ。

というようなことで、Voyage7号の原稿ので出しでは:

「スウィングしなけりゃ意味がない」とはいうものの、かつてのスウィングジャズが白人のためのダンス音楽だったのなら、スウィングは黒人のビートなのだろうか?

という文で始まっていたのだが、最終原稿を出した後にBLM運動が起こったため、編集長より「白人のための」と「黒人のビート」いうところがBLM的にどうか?、という提議があり、僕も確かに引っかかると思ったので削除して次のように訂正した。

「スウィングしなけりゃ意味がない」とはいうものの、かつてのスウィングジャズがダンスのための音楽だったのなら、その起源は何なのだろうか?

また、以前にも書いていたArt BlakeyのModern Drummer誌でのインタビューの和訳も、Rhythm & Drums Magazine誌の日本語が変なので拙訳にしたが、これもまた訳し方次第で実に微妙な内容のため、編集長提案で英文そのままに変更した。

僕自身は最終稿を提出した後は、BLMと自分の原稿の関係などまったく頭に浮かばなかったので、そういうところまで気が配れるというのは、さすがに編集長だと思った次第。

国内のローカルなフリーペーパーでそこまで考える必要はないのでは?、という意見も他からあったが、筆者である僕が「言われてみればなるほど」と引っかかってしまったのだから訂正は致し方ない。

今回は少々硬い話題でありました。

次の動画は、BBCの2020.6.8の記事「イギリスで人種差別に抗議続く、奴隷商人の像を引きずり下ろし」から。

 

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2020/06/25

読書記録に職場復帰-長文

COVID-19自粛解除、移動解除となっても、東京方面は相変わらず感染が続いているが、いよいよ明日から復職、また朝早くから起きて出勤だ。

ただし終了時間定時17:15を16時までとして、早めに、混雑しないうちに、明るいうちに帰るという条件、で、また第二波が来たら自主隔離する可能性ありという条件もだしたので、とりあえず6ヶ月、今年いっぱいという契約になった。日数は以前と同じく11日/月、だから2~3日/週というところ、逆に言えば週休4~5日だ。

3月末で自主隔離したころは世界的に大流行、どんどん事態は悪くなり、国内も増加、そして緊急事態宣言となったわけだけど、今は感染防止には何に気をつけるかとか、感染しやすい条件などもある程度はわかってきたので、以前ほどには恐れなくても通勤、勤務も可能かと思う。

とはいえ、世界的にはまだ感染者増加の傾向はおさまらずだし、本音としては出勤はご遠慮申し上げたいところだけどね、ってそれは早く隠居したいという意味でもあるけど。

というのが、将来のためのメモ、以下は以前に書いてたのもあってダブってるし、まとまりなくダラダラと長いですが読書メモ。

ダブリはこちら 大海の鯛、琵琶湖を知らず

・明日は遠すぎて/チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ (著), くぼた のぞみ (翻訳)
ナイジェリア出身、アメリカで活動している(らしい)女性作家
ナイジェリアで高等教育を受けてアメリカに留学した女性のストーリーで、アフリカの現在というのが実感が全然なかったし欧米とは違う視点が新鮮だった。ナイジェリアはアメリカとのつながりが大きいらしい。
人種差別というよりは国籍差別とか、親の世代の古い価値観との衝突とか描写されていたと思うものの、もう記憶の彼方だ。
ただ高等教育を受けた人の話なので、当然ながらナイジェリアの一般的な状況が描かれているわけでないと思う。でも読んで損はない本だった。

・ヤマザキマリ 3冊 息子がファンで持っている本。
返してしまったから、タイトルがなんだったかな?、要は文化の違い。
ヤマザキさんにイタリア人の旦那さん、息子さんの家族が世界のあちこちに移動しての異文化体験談で、面白いけど、3冊だとダブった話も結構あった。文章は軽妙ではあるけど軽いという点では、同じイタリア在住の塩野七生とは比較にならない。
一家はシカゴに住んだりシリア?だったっけ、あちこち移動しているので、それぞれの地の面白さはある。
旦那さんはシカゴ大だったかに招かれて教鞭をとったものの、アメリカのエリート社会は過当競争、ストレスにさらされる社会で、それに耐えられずアメリカを去ったというのは、アメリカの一面をみた気がした。息子さんもアメリカの学校には馴染めなかったらしい。

・バースデイ・ガール(村上春樹)
軽い短編。FBに書いてたので、それを少々変えて再掲。
車の点検でディーラーに行った時の待ち時間を利用して読んでたけど、短くてすぐに読み終えてしまった。
ヒマなんでまた読み直したら、最初には気が付かなかった文が目についた。

「窓の前に大きな仕事机があり、机のとなりに小振りなソファセットがある。老人はそのソファの前のテーブルを指差した。細長くて丈の低いデコラばりのテーブルだった。
 ・・・・
彼はきれいに磨き上げられた黒い革靴を履いていた。サイズの小さな、とてもシックな革靴だった。お洒落な人なのだ、と彼女は思った。その年配にしては姿勢もいい。」

デコラ?

そのとき僕の表情は、アメリカのジャズファンが、Kenny Gの名を聞いた時のようだったかもしれない。

Kenny-g  

以下はFBには書かなかった重箱の隅突き。

デコラ(Wiki)って、僕が子供の頃、アメリカから技術が伝わってきた頃は新しい素材で高級っぽいイメージがあったけど、使っているうちに表面のデコラがめくれ上がったり擦り傷で白ボケたり色あせたりと、ずいぶん前から高級品というイメージはなくなったと思うんだけど、それがお洒落な紳士のオフィスにあるという描写がなんともいえない。村上さんがどういう意図でデコラを選んだのかわからんけど。

仕事関係で高級家具類はよく見たので重箱の隅を突くようになってしまうけど、デコラの化粧合板テーブルはこの場面にはそぐわないと思う。無垢材の家具とかせめて高級無垢材の突板(薄板)を貼った合板、あるいはもっとモダンなデザインのテーブル(ガラストップとか)でもよさそうだけど、デコラ、っていわれるとね~(^_^;)。

同じような話で、僕が会社に入った頃だから1978年くらいだけど、同期入社の人がなんかの話で「デコラだから高級ですよ」っていったので、周囲にいた者はみな上の写真のディカプリオのような顔をしていたのを思い出してしまった。

・アンデスのリトゥーマ
ペルーのノーベル賞作家マリオ・ガルバレス=リョサの作品。山間部の警備に派遣されるという貧乏くじを引いた主人公とその助手が、極左過激派センデロ・ルミノソやそこに住む人々と織りなす物語。
厳しい自然と危険な、いつ死ぬかわからない毎日という、先の「明日は遠すぎて」とは正反対(真逆という言葉は使いません)で、平和な日本からは想像しにくい世界の物語。
かなりハードだけど意外な結末で、ノーベル賞作家もこんな終わり方するんだ、っていっても、どんでん返しではありませんが。

・ヴェネツィアの出版人
なんだったかな、あまり面白くなくて途中で止めてしまった本。

・Novel 11、Book 18/ダークソゥルスター(村上春樹訳)
村上さんが惚れ込んだという割にはそれほどのもんではなかった。 

・サウスポイント/吉本ばなな
あんまり印象に残っていない、まぁ、普通だったかも。

・陽気なお葬式、子供時代-リュドミラ・ウリツカヤ
ロシアの昔の田舎の生活を思い出す物語だったと思う。ノスタルジーで書いたって感じの本だったと思うが、まぁ、フツーだったかな?

・移民たち-四つの長い物語:W.G.ゼーバル
物語の途中に挿入されている写真と一緒に話が進む、から写真はその実在かと思うと実は関係ないということらしい。まぁ、わりとよかった。

・国語教師:ユーディト・W・タシュラー
昔の恋人だった二人が別の道を進んで、やがてまた出会う運命という、ありがちなストーリー、終わり方もヨーロッパ的かな。そこそこ。

・ブダペスト/シコ・ブアルキ
どんなんやったかな(^_^;)、悪くはなかったような。

・アンダルシア/真保 裕一
スペイン旅行した後だったので、タイトルだけで借りた本。邦画になってるらしい。
それなりに面白いけど、推理モノに疎い僕でも、そんなんかよっていうようなオチとか、最後はTVドラマのウケ狙いみたいな作り過ぎの終わり方とか。
まぁ、そういうのが日本人受けするのかもしれないけど、エンディングを作りすぎってのは百田尚樹の「永遠のゼロ」でも感じたな~。

 

・ギリシャ人の物語I、II/塩野七生
これはいつも通り内容の濃い塩野さんの歴史物語、ただ以前に比べると説明の繰り返しが多いけど、年取って記憶が怪しい読者にはそれはそれで助かる。アテネにおける民主主義の発展と衰退は今の世界にもあてはまりそうだ。

以下、FBに書いてた塩野七生の描く世界についての長文をコピペで終わります。
(2020.7.3追記:下記の途中までは以前にアップしていたのでし^_^;)

*********
高校のときは世界史が嫌いだった一方で、日本史は担任の先生がとても人柄も教え方もよくて面白かったので、その後は日本の時代小説を読んだ時期があるが、今はもっぱら塩野七生の本ばかり(歴史関係ではという意味、ギリシャ時代からローマ帝国~中世~ルネサンスあたり、一部ナポレオンあたり)。

新婚旅行で初めて土を踏んだ海外の地がローマ、その次の年にはローマ、ヴェネツィアの旅をして、それから幾星霜(大袈裟か)、数年前からまたイタリア、マルタ、アイルランド、スペインと観光旅行ではあるが、塩野七生の本を読んでいなければ、旅の面白さも半分といったところではなかったかと思う。

とにかく多文化、多言語、多民族、多国家がいりみだれての権力、領土、宗教の争いはすさまじい。

歴史は繰り返すというが、現代の感覚とは違うとはいえ、ギリシャで起こった民主主義から衆愚政治へと堕していったギリシャ世界の衰退は今の日本や世界をみているようだ。

民主主義の衰退期には、将来への不安を煽る扇動者がリーダーとなり、今で言うポピュリズムによる衆愚性が顕著になるが、将来への道は示されず不明瞭なまま社会は衰退していく、というのがアテネのたどった道だ。

またローマ法によるローマ帝国の法治国家は中世になると忘れ去られ、それを復活させようとするフリードリッヒ二世に対するローマ法王庁の妨害による再度の法治国家の衰退、そしてルネサンスによる発展とまたしてもの衰退と、形を変えながら、また技術革新による社会構造の変革はありながらも、結局は人間の根本はギリシャ時代から一向に変わっていないか、あるいは退化しているのか、というのが正直な感想だ。

イスラムの寛容という言葉があるが、むしろシチリア~南イタリアにおけるノルマン統治の方がさらに寛容であったようだ、とはいえそれ以前のイスラムの寛容があったからこそ、とはいえるだろうが、今は寛容の幅がずいぶんと狭くなったと感じるこの頃。

「ギリシャ人の物語II 民主政の成熟と崩壊」に関するFBメモ

政体がどう変わろうと、王政、貴族政、共産政と変わろうと、今日に至るまで人類は、指導者を必要としない政体を発明していない。
この事実が示すように、民主政でも衆愚政でも、リーダーは存在する。ただし、性質は違う。
民主政のリーダー-民衆(デモス)に自信を持たせることができる人。
衆愚政のリーダー-民衆(デモス)が心の奥底に持っている獏とした将来への不安を、煽るのが実に巧みな人。
前者が「誘導する人」ならば、後者は「扇動する人」になる。
前者は、ブラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となると、マイナス面をあばき出すことで不安を煽るタイプのリーダーになる。ゆえに扇動者とは何も、政治家とはかぎらない。
今日ならば、デモの指導者もマスコミもウェブも、自覚していようがいまいがには関係なく、立派に「デマゴーグ」(扇動者)になりうる。

説得力とは、他者をも自分の考えに巻き込む能力である。他者の意見を尊重し、それを受け入れ歩み寄ることによって、着地点を見出だすことではない。
*************

塩野七生は最新作「ギリシャ人の物語」(2017年)をもって文筆活動は終えたとのことで残念だが、80歳のお歳までよく書いてくださったと感謝に堪えない(2019.11現在で御年82歳) 

 

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2020/06/02

去年の読書に小曽根さんライブストリーミングなど

またまたFacebookの「思い出」で、去年に読んだ本のことを書いてたのが出てきた。

どうやらBlogには書いてなかったようなのでそれをまた転記しておこう。

・ガルシア・マルケス「東欧を行く」
昨日の電車で読了、あとがき少々、かつての東欧、ソ連の様子がよくわかり、自分の子供の頃と重ねて、そして現代との違いに感慨深い。

マルケスは新聞記者だった若い頃に東欧、旧ソ連を取材と称して旅行したそうで、その時の旅行記だったと思う。アマゾンでみたら、1957年、30歳のときとあった。まだベルリンの壁がないころの話だから僕が小学生になる前だったのか。

これを読んでいて思い出したのが、ベルリンの壁が出来る前に地下鉄で西側へ脱出した親子の話が少年漫画雑誌に活字で載っていたことだ。当時は小学生が読むような漫画の本にそういう記事も載っていたというのが、今とはずいぶんと違うと思う。壁ができたのが1961年8月というから、小学校3年(最初の投稿で4年と書いてたのは間違い)、記事はそれより後だから4年生か5年生だったかもしれないが、1960年が安保の年だし、漫画雑誌の編集者も社会問題を取り上げる時代だったということだね。

・パウロ・コエーリョ「11分間」
面白いセリフ:夢を見るのは心地がよい。計画したことをその通りに実行せよと強いられるわけではないからだ。そうして人は危険も、挫折も、困難も経験しないですますことができ、年をとった段階にいたって、自分がやりたかったことを実現しなかった責任はすべて他の人に-たいがいは親に、あるいは夫や子供に-なすりつければいいのだ。

母親の言葉:お金持ちの男と一緒になって不幸せになるほうが、貧乏な男と幸せになるよりも、まだましなのよ。

ブラジルの若い娘がダンサーになりたいとスイスに渡るが、詐欺のような手口に引っかかって売春婦となって日記を書く、とかなんとか、ブラジルの小説だったけど、結末がどうだったか忘れてしまった。途中の描写がなんとなく面白かった、と思う。気にいった文章をメモしたみたい。

ということで、今借りている本は、緊急事態宣言で図書館が閉まってたのでずっと借りっぱなしになっている。

・エトルリアの微笑み/ホセ・ルイス・サンペドロ
スペインの作家だけどイタリアが舞台、地方暮らしの父親が息子の夫婦の住むミラノで同居する話、都会に馴染めないながらも、孫が可愛いとか近所のつきあいとかでストーリーが展開するらしいが、途中でほったらかし、ちょうどミラノがコロナ禍だったこともあって読み進めずということもあった。

・時のかさなり/ナンシー・ヒューストン
イラク紛争頃のユダヤ系アメリカ人家族内の葛藤みたいなのから始まって、あとは時代をさかのぼっていくらしいけど、なんかユダヤ教やらその生活の描写に馴染めず、これも読み進めずでほったらかし。イスラエルのやってることとが嫌いなのでそのせいもあったかも。

・優雅なハリネズミ/ミュリエル・パルベリ
富裕層の住むアパルトマンの管理人と住人の日々の生活に、知性と身分とかが絡んで織りなされるストーリー、これは最後まで読んだものの、フランス映画みたいに、ダラダラ~っと進んで一応の山谷らしきものはあったけどあっけなく終わり、フランス映画っぽいエンディングだったし、やっぱりフランスか?

・ローマ人の物語IV ユリウス・カエサル ルビコン以前/塩野七生
以前からの課題図書(?)、時間はたっぷりあったのに一向に読まずで、また借り直さなければ(^_^;)。

・アフリカ音楽の正体/塚田健一
去年のVoyage原稿参考図書で、今年の原稿にも参考にしようと思い借りたものの、結局、原稿は本を開くことなく書き終えた。

ということで、自粛期間中は毎日が日曜とはいうものの、ダラダラしてるか楽器練習か、散歩か、というような生活で読書はほとんど進まなかったのが反省点だ。

以上でぎょざいますが、このところは4月9日から始まってこの日曜まで実に53夜にわたった、小曽根さんの毎晩21時からのライブストリーミングが楽しみな日々だった。

小曽根さんは、今は実際にあった人以外(ある程度縁のある人という意味かと思う)はFacebookフレンドは受けてくれないけど、僕はまだメッセージすればよかった頃、ちょうど小曽根ファミリーのライブが三宮で2回続いた2015年に申請したので、フレンドになっていただけた。BurtonファンでVibをやってると書いたのもよかったのかもしれない。

だからライブストリーミングも、マイク等の機材設置などの準備の様子がタイムラインに上がっていて予め知ることができたから、一応は最初から聴いてはいけど、真面目に聴き出したのは4月10日2回めの途中からだ。

その実力のほどは今さら僕がいうこともないけど、ほんまにすごい。とはいってもヘッドフォンで聴いてるとミスタッチとかお決まりのパターンがあったりはするけど、普通なら弾かないようなリクエストにも応えたりと、自粛期間中の大きな慰めになった人が多かったのはコメントの多さでよくわかった。

小曽根さんはもともとトークが上手だけど、奥様の神野三鈴さんとの会話やら、曲にまつわる話などもこんな機会がなければ聞けないようなこともあって、とても面白かった。

その様子は、小曽根さんのFBタイムラインでも聴けるし、小曽根さんのYouTubeサイトでも#1~#53がアップされているので、興味のある方はドゾ、一日一つとしても53日かかります(^_^)v。

最初の2晩はやや短いけどあとは毎晩1時間前後で、2~3回弾かれた曲もあったものの、400曲以上が演奏されたそうだ。同じ曲でも同じ演奏ではないのは当然だけど。

最終夜は小曽根さん宅ではなく、渋谷のオーチャードホールで、ステージ、音響、照明などのスタッフのバックアップで、無観客ながら豪華に催された。

当日修正:本記事投稿時には#53最終夜はYouTubeにアップされていなかったのが、アップされたので記事修正しました。ライブでは最初の方で音声にノイズが入って聞き取れないところがありましたが、それを修正するために編集作業をしているうちにオリジナルのFB映像が削除されてしまったそうで、FBの方にあったリアルタイムのコメントなどが消えてしまったらしく残念ですが、素晴らしい時間の記憶はいつまでも残ります。

2020.9.2追記:小曽根さんのライブストリーミングは契約の関係があるとかで、8月31日で非公開となり、今は視聴できません。
2020.9.18再追記:限定公開になったので、今は下記リンクで視聴できるようになっています。

当初からリアルタイムでのViewerが4000、5000と増えて#51辺りでは9000を超えたけど、最終夜は実に1.6万となっていたし、コメントが1万以上とかありえね~って状態だ(たぶん終わってから見た人のコメントもあると思う)。

 

これはライブストリーミングではなくて、ブラジルでのアンコールの様子。

しかし小曽根さんはよほどBurtonに影響されたんだね、トークでは、毎晩とはいわずとも頻繁にGary Burtonの名が出てきた。

Burton/Ozoneのデュオ演奏を聴き取ってパーカッショングループ用に編曲したという、Kato's Revenge。

Katoは加藤ではなく、ケイトウでBurtonがMakotoはいいにくいからとKatoと呼んでいたから、つまり小曽根さんのことだ。

Revenge、復讐というのは、Burtonのバンドにいたころは休憩時間になるたんびに厳しく叱責されることが多くて、それならみていろとこの難曲を作ってBurtonに弾いてみろとばかりに差し出した、といういわくつきの曲、だけどBurtonはどれどれと譜面台に置いて初見で見事に弾いてしまったそうで、Revengeならずだったそうな(^_^;)・・・、というような話もいくつもあった。

こちらは、Singapore Symphony OrchestraのJo Foxさんの番組での小曽根さんインタビューと演奏ビデオ、Facebook内だし全編英語だけどなかなかと面白い。

Conversations with the Artist:Makoto Ozone

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2020/04/06

The African Beat - Art Blakey

Voyage原稿資料 - Art Blakey本編、のつもり。

Art Blakeyはジャズのリズムの源泉をアフリカで見つけることが出来なかった、というタカケンさんのコメントからテキトーに検索してみたら、The African BeatというArt Blakeyのアルバムを見つけ、さらにそれはアフリカ3部作の最終作で、Orgy in Rhythm Vol.1、2という前作があるという。

YouTubeにあるんだけど、DL版もそれほど高くないんで、Vol.1とThe African Beatを購入した。

これは買わなかったVol.2だが、Vol.1の内容も同様にパーカッション全開、というかVol.2はまだ後半に、へんてこりんな歌(^_^;)とかブルースなんかもあったりするけど、Vol.1はそういうのがない分、よりハードかも。
(2020.11.26修正:Vol.2の全曲動画が再生不可になっていたので、別にアップされていたVol.2の中の曲に差し替えました)

しかし、今ならワールドミュージックとかエスニックとかでありそうだけど、これが1957年というからびっくりだ。よくまぁ、ジャズ・レーベル(Blue Note)がこんなんを出したもんだと思うんだけど、ネットで見つけたライナーノートを読むと、創設者のAlfred Lionは打楽器オタクだったのかな?

それからもっと前、1953年にMessage From KenyaとNothing but the Soulというのが始まりだったと書いてある。

Horace Silverのアルバムとあるが、この2曲にはピアノは全然入ってない打楽器のみだ。このジャケットは有名だな、というものの聴いたことはなかったので、びっくりだ。

 

これをかつての薄暗いジャズ喫茶でひたすら聴くというのはかなりな苦行だったんではないかと思うが、1970年ころまではフリーも全盛で、苦行を耐えるのがジャズリスナー、みたいなところもあったような気がする・・・、が、ま、どうでもいいか(^_^;)。

僕も今は打楽器奏者の端くれモドキになってるんで、それなりに聴ける(でも途中ですぐに気がそれる)けど、若い頃なら耐えられなかっただろうねぇ。

今なら本場アフリカの音楽もわりと知られていそうだし、その気になればYouTubeでいくらでも聴けるから、なるほどアフリカかなと思えるけど、1950年代のリスナーはそういう情報源はほとんどなかったろうから、どんな風に聴いてたんだろう?

ベタなインタビュアーなら、「どんな、思いで、聞かれたんでしょう?」なんて質問するところだ(^_^;)。

Orgy in RhythmでのBlakeyのドラムはジャズっぽいというか、Blakeyらしい(実はよくしらない)けど、全体にはアフリカらしいリズムだと思う。

しかし、Vol.1、2のどちらもイーブン系というか4拍子なのか2拍子なのか8拍子なのか、まぁ、それ系統ばかりだから、ラテン系と通じる気がする。アフロ・キューバンとかブラジル系とか?(これもよくはしらない)

これ以外に、A Message From Blakey, Holiday For Skin Vol.1、2というのも出ているらしいが、それは今回はパス。

最終作となる1962年の"The African Beat"はもっとメロディーのある曲に打楽器という構成で、なおかつアフリカン・リズムの基本である12/8(あるいは6/8)拍子が大半だし、パーカッションの種類も増えている(たぶん)。

まさにアフリカって感じ(個人の感想です)だ。途中ではいるBlakeyのドラムがいかにも、って感じで今聴くと違和感があるけど、当時はどうだったんだろう?

この曲(上記は1,2曲目が一緒になっていて、その2曲目)のビートは「アフリカ音楽の正体/塚田健一」にある基本リズム型Aの変形といえる。

基本リズム型A 12/8 X . X . X . . X . X . . (タンタンタン,ンタンタンン)

それに対し、4曲目は基本リズム型Bが当てはまる。

基本リズム型B 12/8 . X . X . . X . X . X .(ンタンタンン,タンタンタン)

こちらは1曲だけ、4あるいは8拍子系で、St. Thomasを彷彿とさせる曲だ。

 

St.Thomasが1956年のSaxophone Colossusに収録ということだが、リズムはアフリカンとはいい難く、違いは明らかだ。

 

Art Blakeyっていうとリアルタイムで知ってるのが、鉢巻きしてハッピ着たりして、一般日本人受けするジャズドラマーってイメージが強かったけど、マイルスがブラジルのパーカショニストを起用してビートを全面に押し出して、なんて話よりずっと前にアフリカンビートを極めていたわけですね、改めて見直しました。

Art-blakey

これがやがてMoanin'なんて大ヒットにどうつながるかというのがピンとこないけどね。

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2020/03/06

Swingしなけりゃ、

Voyage原稿のメモでまとまりがないですが、前回に「Grooveしなけりゃ・・・」、で中村とうよう大先生の登場と書いてた続き。

僕のBlogでSwing関連の発端をたどると、2018年4月の佐藤亜紀の本の感想文で、そこに引用していた、Swingはアフリカンルーツではなくて白人のために黒人がどうとかって、岩浪洋三氏とクインシージョーンズ氏の会話があったらしいというネット情報だ。

アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三

中村先生は、「大衆音楽としてのジャズ」と「アメリカンミュージック再発見」の中で、アパラチアに移住したケルト系住民とその近くに住んでいた黒人が互いに影響しあった、ということと、Swingの起源をアフリカに求めて探したが見当たらず、むしろケルト系のダンスに起源があるだろうというようなことを書いていた(すでに記憶が曖昧だから再確認必要)。

去年のVoyageのために色々と資料を探したり読んだりYouTube動画をみたりとかしているときに、Swingはヨーロッパ起源(さらにいえばアイルランド、スコットランド、イングランド)の12/8拍子系ダンスが元になっているんじゃないかと思ってたことを、これまた中村先生がすでに書いていたということなんだな。

ケルト系のダンスは足を跳ね上げたり、スキップしたりと、タンタ、タンタ、というリズムでSwing系だけど、アフリカはダダダ、ダダダと地を這うようなリズムでSwing感はほとんどないというのが、色々なダンスをYouTubeで見た印象だ。

ダンスについて、中村先生はアパラチアを挙げているけど、僕が行き着いたのはNYのFive Pointsだ。これも去年に書いているんだけど、最下層どうしのアイルランド系と黒人が隣接してコミュニティを作っていたのがFive Pointsで、そこでタップが生まれ、タップの即興性とジャズの即興性が一緒になっててジャズタップとかなんとか。その辺は去年の1月の投稿に書いている(メモなんでまとめリンク)。

バックナンバー 2019年1月

Five Pointsは映画「Gangs of New York」の舞台でもあるけど、映画の予告の最初には、1846という年号が出てくる。

アイルランド旅行をしたときにヨーロッパ全土に起きたジャガイモの病害によって起こったアイルランドの飢饉から、非常に多くのアイルランド人がアメリカに移住したという話を聞いたけど、これが1845~1849年のことだ。

しかしWikiによると、飢饉は移住を後押ししたものの、それ以前も以後も移住は続いたというのがEdward Kennedyの説らしいし、映画から考えれば、飢饉が始まった翌年の1846年にすでにアイルランド人のコミュニティが出来ていたということは、飢饉以前にかなりのアイルランド人がNYに移住していたと考えてよさそうだ。

それから僕が考える一番重要な点は、Charles Dickensがアメリカ紀行(American Notes)で、NYのFive Pointsを訪れて黒人および混血のダンサーとミュージシャンのステージを見たことを書いていることだ。それが1842年だから、映画の舞台よりもさらに前にすでにヨーロッパ起源のダンスと音楽が黒人によって演じられていたことになる。

これは南北戦争(1861~1869)よりも20年も前のことであるのは注目すべきだ。

というのも、中村先生や油井正一先生の本を読んでも読まなくても、南北戦争により奴隷制が廃止されたことから、逆に人種分離が起こり、そして混血であるクレオールが白人扱いから黒人扱いとなって、ニューオリンズでジャズが発祥していったというのが定説らしいけど、それよりもっと以前からNYでもダンスと音楽があって、それがタップダンスとなっていったし、ジャズとも密接につながっていたと思われるからだ。

というようなことを、次号のVoyageのネタにしようかな~、と。

Gangs of New Yorkの中でもタップダンス、アイルランド、アフリカの関連の話があるけど、それは参考リンクだけにして、また次回。

Beyond the meaning: Martin Scorsese’s Gangs Of New York

最後に、アメリカ紀行の原文はPDでネット公開されているので、長いが引用しておこう。

ヨーロッパ起源のダンスと音楽だという根拠は、まず黒人がフィドルとタンバリンというヨーロッパ起源の楽器を演奏していること、そしてダンスがSingle shuffle, double shuffle, cut and cross-cut、と書かれているのはケルト系のダンスの名称と考えられるからだが、どうかな?

ちなみに岩波文庫の訳では、フィドルではなくバイオリンとしているのはその方が一般読者がわかりやすいと考えたのか、あるいは区別を知らなかったからだろう。実は先に訳本を読んだ時、原文はフィドルじゃないかと思ったんだけど、ビンゴ!

The corpulent black fiddler, and his friend who plays the tambourine, stamp upon the boarding of the small raised orchestra in which they sit, and play a lively measure. Five or six couple come upon the floor, marshalled by a lively young negro, who is the wit of the assembly, and the greatest dancer known. He never leaves off making queer faces, and is the delight of all the rest, who grin from ear to ear incessantly. Among the dancers are two young mulatto girls, with large, black, drooping eyes, and head-gear after the fashion of the hostess, who are as shy, or feign to be, as though they never danced before, and so look down before the visitors, that their partners can see nothing but the long fringed lashes.

But the dance commences. Every gentleman sets as long as he likes to the opposite lady, and the opposite lady to him, and all are so long about it that the sport begins to languish, when suddenly the lively hero dashes in to the rescue. Instantly the fiddler grins, and goes at it tooth and nail; there is new energy in the tambourine; new laughter in the dancers; new smiles in the landlady; new confidence in the landlord; new brightness in the very candles.

Single shuffle, double shuffle, cut and cross-cut; snapping his fingers, rolling his eyes, turning in his knees, presenting the backs of his legs in front, spinning about on his toes and heels like nothing but the man’s fingers on the tambourine; dancing with two left legs, two right legs, two wooden legs, two wire legs, two spring legs—all sorts of legs and no legs—what is this to him? And in what walk of life, or dance of life, does man ever get such stimulating applause as thunders about him, when, having danced his partner off her feet, and himself too, he finishes by leaping gloriously on the bar-counter, and calling for something to drink, with the chuckle of a million of counterfeit Jim Crows, in one inimitable sound!

メモ追加:黒人音楽にヨーロッパの音楽教育が重要だったという記事らしいリンク、まだ途中までしか読んでないけど。

Black Music Teachers in the Era of Segregations

仕事関係で来日されたときに同行させていただいたアメリカのFBフレンドさんがリンクしていた記事だ。

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2020/02/16

大海の鯛、琵琶湖を知らず

村上春樹が以前に「村上さんのところ」というメールでやりとりする企画をしていたけど、その中で「井の中の蛙大海を知らず」について、カエルは淡水の生物で大海っていわれても住めるわけじゃなし、琵琶湖ならともかく大海なんて知らねぇよ、ってカエルはいうんじゃないか、ってなことを書いてた。

確かにそのとおりだ。

で、最近思いついたのが「腐っても鯛」で、いくら鯛だからって腐ったら食べられないんだから、腐った鯛なんて始末に負えねぇよ、ってのはどう?

どう?と聞かれてもな~、ってなところで、最近のことといえば、先週に加古川で無料ジャズコンサートの前座を務めたのは、まぁまぁの出来、つまりは相変わらず未熟な面が出てしまったというところ。やっぱりリズム感だ。

写真はその時の様子(顔があまりわからないよう解像度を落としてます)で、Vibはお声をかけてくださったブラウアー音楽練習場のAdamsのVibをお借りしている。自分のじゃないVibをステージで弾いたのは初めてだけど、練習で何度も使って慣れてたのでよかった。

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リズムあるいはビートについて、練習のときにドラムさんから勧められたのが、メトロノームの音を3連符の3つ目、あるいは2つ目に感じながら練習するというもので、実はこれはドラムレッスンで以前にやったことではある。

その時は出来たけど、それはスティックだけでのことだしその後はそういう練習もしてなかったので、このところ時々はメトロノームの音を3連の3つ目に感じながらスウィングの曲やソロをテキトーにVibで弾いてみるというのをやっている・・・、けど、残念ながらジャズコンで成果が出るまでには至らずだ(^_^;)。

テーマだけならなんとかだけど、テキトーとはいえソロになるとついついメトロノームが聞こえなくなってずれてしまうので、まだまだ修行の日々が続くわけで、これもまだまだ進歩の余地がいっぱいあるという楽しみでもあるね。

それから前回に書いたGiovanniさんの楽譜のAforismaは#2、#3、#4、#5、#10は一応は最後まで音確認して、めちゃ詰まりながら訥々と練習しているのと、以前からのTexas Hoedownもボチボチと。

 

これはStranvinskyに捧げられたというちょっと不思議な曲。思ったほどには難しくはなかった、短いし。

これはバーにマレットを押さえつける、あるいは叩きつけるようにして音を消音するDead Strokeの練習で、Texas Hoedownにもこのテクニックが出てくる。

無料ジャズコンが終わったので、当分はこういう練習とドラムレッスン、ギターの練習、そしてたまのセッション参加くらいだな。

ついでに最近読んだ本について少しだけ書いておこう。

・アンデスのリトゥーマ/マリオ・バルガス=リョサ
ペルーのノーベル賞作家の作品、アンデスの山奥に赴任した警察官二人に雑多な登場人物やインカから続く古い因習がからむかなり重苦しく不条理なストーリーだが、現代の価値観、あるいは平和日本の価値観が崩される。並行する断片的な話が文章の切れ目なく短い文章で入れ違いに出てくるので、最初はわけがわからないがそこをつかむとこれも臨場感のある表現だと思った。

・NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン
 /ダーグ・ソールスター , 村上春樹訳
ノルウェイの作家、村上春樹が惚れ込んで翻訳したらしい(後書きから)。不思議な物語ではある。興味のある方はアマゾンの評とか見ていただくとして、図書館で借りるレベル(買うほどではない)の本だと思ったのが正直なところ。あとは村上さんは英語版から訳してるんだろうけど、距離がマイル表示なのが腑に落ちない。ノルウェイはメートル法の国になってるんだけど原作はどうなんだろう?
それから息子の頑なな性格を表すところがこじつけっぽくて不自然だった(これは原作の問題)。主人公の考えで進行、というか主人公が一人で悶々と憶測して勝手な思い込み的な感じもあって、こういう人もいるかも、ってのはどうでもいいか。

・望遠ニッポン見聞録/ヤマザキマリ
息子から借りた本で、文化や習慣の違いが軽妙な文章で書かれていてなかなかと面白い。他にヤマザキマリの「仕事にしばられない生き方」、「国境のない生き方」の2冊も借りている。

あとは買ったものの一向に読了できてないのが数冊以上はあるかな・・・、ま、そのうち。

それから、昨日は兵庫県立美術館で開催中のゴッホ展を見に行ってきた。印象派との関連を見る企画はなかなかとよいが、ゴッホの初期作品はやたらと暗くて、ランチ後ということもあって見ているうちに眠くなってしまった。印象派のコーナーで一気に目がさめたけど。

一番印象に残ったのは、ゴッホではなくルノアールの「ソレントの庭」で、カバー(透明アクリル板)もワニスもない、あざやかに描写された油絵の画面がそのまま剥き出しで鑑賞できた。これだけでも見る価値あり。ゴッホの後期作品もよかったけどね。

Sorento

家族3人、車で行ったんだけど美術館の駐車場が満車なので、ヤマダ電機に停めた。ここは最大料金500円、安くてもなにか買えば2時間は無料だからお勧めだ。我が家は電球1個160円也で、4時間くらいは停めていたのに駐車料金200円也。美術館の駐車場は周辺の駐車場よりずっと高い!

しまった、Voyageの原稿を今月中に書かないといけないのと、確定申告(医療費控除)があるんだ。

Voyageの原稿がねぇ~、なかなかと手が付かないのであります。

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