2018/07/29

最近の読書事情 2018年7月

暑い、あち~、で更新する気も起きないが、今日は今朝方の台風一過でちょっとましかな。

ということで、最近の読書のことでも書いておこう。

直近で読んだのは次の3冊、女性作家。

モダン/原田マハ
ジヴェルニーの食卓/原田マハ

以前から課題(^_^;)だった、たまには軽い読み物を、というので選んだ原田マハの短編集。

「モダン」はNY近代美術館に関連した短編集、「ジヴェルニーの食卓」は印象派画家に関連した短編集。

いずれもいわゆる「よい話的」な要素が多いが、なかなかとよかった。短編のほうがこの人には似合ってるのかもしれない。長編になると色々とアラが目立つような、というほど読んでないけど、短編だとそういう間もなく終わるからかな。

もう図書館に返してしまったんで、短編の題名もろくに覚えてないけど、いずれにしろ作家の美術に対する造詣の深さと愛情がいっぱいなのはよく伝わってきた。

職歴からこういう話のネタには事欠かないんじゃないかと思うが、MOMAにいたということもあるだろうけど、とにかく印象派以後の美術を題材にしたものが多いね。

まぁ、あくまでフィクションとして読むべきなんだろうけど、メアリー・カサットやらモネやらマティスやらの生活やら考えはこんなんだったのか、と思わせながらのストーリーは美術好きには楽しめる・・・、たまらない、とまではいわないけどね。

大人のラノベというよりは少々レベルアップで、見直した感じ?

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この写真は1992年のアメリカ出張のときに訪れたMOMAにある壁一面のモネの睡蓮。これと対になっているオランジェリー美術館にある壁一面の睡蓮も、97年のヨーロッパ出張時に見たのがちょいと自慢(^_^)で、オランジェリーの睡蓮が「ジヴェルニーの食卓」の題材にもなっている。

続いて、

漁師の愛人/森絵都

全然知らない作家だったけど、図書館のダブル村上のあたりをウロウロしていて、奇抜なタイトルが目について手にしてみた本。

これも短編集で、最初の短編2つは図書館で読んでしまった。

これはまだ手元にあるので、題名を書いておこう。

少年とプリン
老人とアイロン
あの日以降
ア・ラ・モード
漁師の愛人

「あの日以降」と「漁師の愛人」が長め、あとはごく短い話で、短い方はわりと他愛のないというか、作家なら誰でも書けそうなありがちな話だが、長めの二編はかなりクラクラした。

「あの日以降」は東北大震災に関連した話で、上記の「モダン」収録の同じ震災を題材にした「中断された展覧会の記憶」と好対照。ついでにといっては失礼だけど、原田マハの短編集には9.11を扱ったものもある。

少なくとも森絵都は、この二編を読む限りでは動物的女臭さが芬芬としている。

俗ないい方だけど、原田マハはエンタメ(大人のラノベ)、以前に読んだ佐藤亜紀は鋭利な刃物、って全然比較になっとらんけど、対して森絵都は鈍器でグリグリとねじ込んで来るような感覚だ。

先の二人はちょうど塩野七生と同じように、文献、史書などの詳細な資料から話を組み上げるタイプ(たぶん)なのに対し、森絵都はそういうのではない、いってみれば普通に創作した小説というのも対照的だ。

森絵都の二編を読んでいて、学生のときの軽音の同期で理学部生物学科にいた友人の卒論の話を思い出した。

卒論のテーマは確か「ショウジョウバエの処女生殖」というので、ショウジョウバエのメスの卵子(メスに決まっとるな)になんかしらんけど操作をすると分裂して子供が出来るが、その場合は理論的にはメスしか生まれないはず、だが、実際にはオスもたまに生まれる、ってな話だった。

ついでに同じ頃に読んだ「処女惑星/ポール・アンダーソン」も思い出した。

これは難破した宇宙船で女性しか生き残らなかったために、たどりついた惑星で処女生殖により命をつないでいったことから、女性しかいない惑星となった、ところにある日、男が一人だけ乗った宇宙船が難破してきて大騒ぎ、結構ナンパな話だったような記憶がある(^_^;)。

前記の友人の卒論をそのまま当てはめると「処女惑星」にはならないことになるけど、実際のところどうなんだろうね。

まぁ、それだけ森絵都の小説に、女性の生物的な強さと、男なんかつけたしよ、ってのを突きつけられたようで、そんなことを思い出したのだ。

いつもの図書館には佐藤亜紀は3冊しかなくてもう読んでしまったけど、森絵都はもっとあるので、しばらくは追いかけてみようかと思う。

もう一冊、今読みかけてるのが、これも適当に書棚からとってみた「まぼろしの王都/エミーリ・ロサーレス/訳-木村裕美」で、スペインの作家だ。日米以外の国の小説でなにかないやろかと思ってとってみた本。

まだ読み始めたばかりだけど、導入部は結構面白い。どうやら現代のスペインで育った男の生まれ故郷にある、カルロス三世時代の作りかけで放棄された廃墟を巡って、過去と現代をいったりきたり、かな~?

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これはWikiにあったカルロス三世の肖像画。

去年のマルタ旅行から、塩野七生の地中海や十字軍関連本の読書に続いて、カルロス三世は18世紀、ナポリ王からスペイン王になったとか、なんとなくつながりがあって面白そうな気がする。

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2018/05/01

吸血鬼

これは前回同様に、4月7日にFacebookに書いたメモ。

メモと覚書の違いはいかに?・・・というと、別にない。

吸血鬼/佐藤亜紀」を読み終えた、というメモだけどネタバレはないように訂正。

Kyuuketuki 19世紀半ばのポーランド、地方の任地に向かう年配の行政官(だったかな?)、不似合いな若い奥さん、馬車が壊れる、因習にとらわれる村人、そしてそれに巻き込まれる二人、なんてのに「吸血鬼」というタイトルですでに先が見えそうで、それがほぼ予想通りの展開でと、なんだか期待はずれっぽかったが、その後も引っ張って、それなりに落とし前付けた感ありの終わり。

「スウィングしなけりゃ意味はない」、「金の仔牛」、「吸血鬼」と佐藤亜紀の本を3冊よんで、どれも面白かったし、よく調べて書いているなと思うけど、娯楽小説以上のものが残らなかった感もあり。

塩野七生を読んだあとだから余計かもしれない。

十字軍物語で何度も出てきた「カノッサの屈辱」があったのはちょっとびっくりした。

塩野七生の本でヨーロッパの宗教的背景を多少なりとも知っていたので、この本の背景にも多少は入りやすかったと思う。

この小説の時代は、出だしに1830年の20年後とあるから1850年、カノッサの屈辱は1077年1月25日から3日間とWikiにあるから、実に500年近くの後世、むしろずっと現代に近いんだ。

一冊しか読んでいない原田マハを引き合いに出しては、というかどちらの作家にも失礼ではあるけれど、原田マハと同じような着想に、さらにプロット力と文章力をつけたのが佐藤亜紀かも、なんて思った。

図書館には佐藤亜紀の本はもうないんで、全然読んでいないマハさんを今度は借りてこようかな~、って以前にもそうは思ってたんだ(^_^;)。

で、終わり。

付け足し:どこかで少女漫画的という話があったけど、そういわれればフラワーズに掲載されている長編漫画とよく似た空気感だ。このままフラワーズに漫画化して連載しても全然違和感はないと思う。

吸血鬼は結局誰なのか、というのもテーマの一部。同時に吸血鬼らしき人物も出てくるけど、その扱いは村上春樹っぽい・・・パクリですか?(^_^;)。

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2018/04/30

スウィングしなけりゃ意味がない?

これはApril Foolの日に、「スウィングしなけりゃ意味がない/佐藤亜紀」を読んで、と題してFacebookで書いた個人的覚書だけど、またFBの中に埋もれてしまうのでここにアップしておこう。

Swing ジャズはフォックストロットやチャールストンなど、白人のダンスのための音楽だったそうで、ジャズは時代をさかのぼるほど黒人らしさが薄まるという話がある。

岩浪洋三氏の本にあるらしいが、「ジャズの4ビート、つまりはスウィングは白人の要望、つまりはダンスに迎合するために黒人色を薄めてできたものではないか。70年あたりから出てきた8ビートでファンキーな音楽は、単に彼らがアフロルーツを取り戻しただけではないか」、というような質問にクインシー・ジョーンズは、「そのとおり」と答えたらしい。

アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三

ドイツでも戦前の早い時期にすでにジャズとダンスは不可分で、ジャズとダンスを熱狂的に求める、日本流にいえば「非国民」は跡を絶たず、ナチスの取締りも充分には行かなかったというのが、この小説の大きな骨格になっている。

要するにもともとのヨーロッパから移民した白人のダンス文化がアメリカでジャズと結びついたんだから、ドイツ人にそれが受け入れられるのも自然だったといえるかもしれない。逆輸入だ。

その需要に応える過程でだったのか、音楽としての発展だったのかはしらないが、ロマと結びついたジャンゴラインハルトのスタイルのように、ヨーロッパのスタイルと融合したジャズも出てきたんだろうと思う。

そして小説にあったように、ヨーロッパではジャズは人種差別などとは切り離されたダンス音楽として受け入れらていったことから、60年代に多くの黒人ジャズミュージシャンが差別を嫌ってヨーロッパにわたったのも至極自然な流れだったわけだ。

そうした土壌がECMに代表されるようなヨーロッパ的なジャズを生み出したという話で、まとまるのかな?

ついでにいえば、スウィングにしろファンクにしろ、アップビートからダウンビートの動きが重要だけど、ヨーロッパの音楽、たとえば指揮の基本動作(学校の音楽の時間で習ったはず)を見れば、同じくアップビートとダウンビートなのだな。

穿った見方をすれば、ヨーロッパのアップ/ダウンを取り入れてスウィングにしたのが戦前のダンス用ジャズだったのかもしれない・・・、しらんけど。

だからヨーロッパのクラシック系の演奏家は、アップ/ダウンのビート感の希薄な日本の演奏家よりずっとグルーヴ感を出せるんじゃないかと思う、たぶん。

ついでにいえば、佐藤亜紀の本によればその中心がハンブルクであったということだから、ビートルズの音楽も受け入れる器がリバプールなんかよりはずっと充分にあったということなんだろう、というのがジョン・レノンの「僕はハンブルクで育った。リバプールでじゃない」という言葉につながる、でよろしいのかな?

でもこの歌はフランス語。

なんだかVoyage次号の原稿を書いてしまった気分(^_^;)。

付け足し:

We Are The Worldという、一大チャリティーイベントというか録音が1985年にあって、これをクインシー・ジョーンズがプロデュースしているけれど、参加の若い(当時)のミュージシャンは黒人、白人とかそれほど気にしない世代であったのに対し、クインシー・ジョーンズはそのバランスに非常に気を遣ったという話をどっかで読んだような。それも世代による違いが現れているんだな~と思った次第。

というのは下記にあった。上に書いたようなことも出てきますな。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」の呪い

We Are The Worldは、漫画「Blue Giant Supreme」でジャズしかやらないといっていたバンドにこの曲がリクエストされて、というのがEpisode 39にあったので検索してみたら上記と似たような話が書いてあったので、これも覚書として。

ということで、FBの元記事は削除しておこう、っていったって公開範囲は「自分のみ」だったんで、誰にもわからないんだけど。

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2018/04/09

自堕落な休日にはコミックを

今月でまた一つ歳をとって66歳、オーメン?

しかし毎年ながら自分の年齢が信じがたいが、先日、京都のターナー展を見に行って、ターナーは76歳没とあったんで、あと10年か、なんて思っても実感はわかないが、まぁ、この歳になるといつ何があっても不思議はない、とはいえ、アメリカでは銃乱射、シリアでは爆撃、日本でも血なまぐさいニュースとか、年齢に関係なく何があるかわからんけどね。

北朝鮮が日本に向けてミサイルを撃ってくる可能性はないと僕は思ってるけど、僕が生まれる7年前はまだ太平洋戦争末期で、多くの都市がアメリカに爆撃されていたわけだ。

通勤とかなにかで街中を通る時に、ここに爆弾が落ちてきすべてがあっという間に破壊され尽くすというのが当時は日常だったとか、ここにミサイルが飛んでくるとどうなるかとか、情景を漠然と想像すると、それは今のシリア情勢でもあるなどと思ったりもする。

というようなことから憲法改正とか軍備という話も出てくるんだろうけど、結局僕自身はもう過ぎた世代で、あんまり頭が回らない、・・・いつものことだけど。

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で、これは全然関係ない話で、だらだらと過ごす週休4日人間の一コマ。寒い時はねっとりした粉末のミルクティーが飲みたくなることがあって、買い物ついでに探したけど、このネッスルの分包のんしかなかった。

これがまたやたらと甘い上に人工甘味料のみなんで、なんか味がどうしても砂糖の甘みじゃなくて美味しくないんだね。

そこで水と牛乳をコップ一杯ずつでわかして、粉末一人前を入れる、つまり一袋で二人前にするとわりとましになる、といってもまだまだ甘すぎるんだけど、人工甘味料の不自然さはかなりやわらぐ、というのを即席コーヒーテーブル、ではなくてティーテーブルならぬスネア練習パッドの上に置いたの図。

カップは粗品でもらったリラックマのマグカップ。

新婚当時は割りと凝ったティーカップをいくつか買って飾り棚風にしてたのがあるんだけど、今は実用一点張りで、ちっとやそっとでは割れない粗品マグカップばかりだ。

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これはFBでこれまたゆうけいさんがレビューされていた、萩尾望都の「銀の三角」が右の本で、1982年の第4刷だから、新婚時代に買ったんだ。

横の「モザイク・ラセン」は昭和58年というから1983年初版本で一緒に本棚でホコリをかぶっていたので引っ張り出してきた。最初の数ページはカラーだ。

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ストーリーは読めば思い出すかと思うけど、まったく覚えてないな。

で、僕のあやふやな記憶では、この頃から萩尾望都の画風が変わったと思う。

それまでの少年少女的な絵柄から大人風というか、洗練されたともいえるし逆にエネルギッシュな画風が薄れたともいえるかと思う。

多くのファンはそれ以前の画風に親しんでいるようで、だから今、フラワーズで連載されつつある「ポーの一族」新シリーズの絵には違和感を覚える人も多いようだ。

それから左は、「乙嫁語り(10)/森薫」。

「乙嫁語り」は今はアイルランドにワーホリに行っている息子が読んでいた本で、8巻までで離日してしまったので、9、10巻と僕が買い足した。10巻は先月に出たばかりだ。

19世紀後半の中央アジア、カスピ海周辺を舞台にした物語で、実に細密な絵の描写力が素晴らしい。ストーリーはモンゴルの家族たちにふりかかる部族同士の衝突や南下するロシア、研究目的でやってきた英国人などの話で、ややご都合主義的なところもあるという批判もあるし、実際の当時の暮らしが本当にこうしたものだったかも知らないけど、圧倒的な画力でそういうことは忘れて読める本だ。

今日はモザイク・ラセンを読もう、ということで、この3冊も読書一覧に追加。

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2018/04/07

最近の読書事情

前回の投稿から1ヵ月近く経ってしまった、っていっても毎度のことだけど、最近のことをメモしておこう。

まずは読書。

視力が落ちたために、通勤電車内での読書を止めてしまっていた(視力が低下するというウワサがあるから)ので、白内障手術で視力が戻った後もなんとなくあまり本を読まなくなっていたんだけど、去年のマルタ旅行で十字軍に関心を持って、「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)/塩野七生」を読んでからはまた本を読むようになった。

といってもそんなには読んでないし、図書館にある本を借りるだけだけど。

塩野七生
・ローマ亡き後の地中海世界(上、下)
・十字軍物語(I、II、III)
・絵で見る十字軍

いずれもスラスラと読める本ではないので、去年から読み続けて、3月にやっと5冊を読み終えることが出来た。50年とか100年という長期スパンで十字軍を中心にヨーロッパ、イスラムの歴史を俯瞰する視点はさすがで、今に至る中近東情勢が多少は理解できたと思う。「絵で見る~」はまだ途中。

・民族楽器を演奏しよう/若林忠宏
・楽器からのメッセージ/西岡信雄

どちらもタイトルにひかれて借りたけど、かなり偏った楽器と話題しか載ってなくて期待はずれだったので、あんまりまともに読まずに返してしまった。内容ももうすっかり忘れたな。

佐藤亜紀
・スウィングしなけりゃ意味がない
・金の仔牛
・吸血鬼

ゆうけいさんがFBで佐藤亜紀を絶賛されていたので借りてみた。2冊は読み終えて「吸血鬼」はこれからだけど、確かに面白い。読み始めはハリポタみたいになかなかとのってこないところがあって、「金の仔牛」は途中でやめようかとまで思ったけど、その後から俄然面白くなって、あっという間(当社比)に読んでしまった。図書館にはこの3冊しか置いてないのが残念。

・絶対音感/最相葉月
・絶対音感神話/宮崎謙一

音感関連ということで借りた本。これも期待したほどには面白くはないものの、興味のある話題なので、拾い読み中。

あとは、なんかのなんかで(^_^;)室生犀星の名前が出てきて、そういえば読んだことないなと思い、Kinldeで無料があるんじゃないかとAmazon検索したら、\99で「室生犀星はこれだけ読め」というコンピレーション版があったので、安直に購入・・・、とはいえ、まだ全然読んでない。

塩野七生と佐藤亜紀の本についてはなんか書いてみたいと思うものの、いつものように頭が回らないので、どうかな~~?

2018.4.8:追記
Matsurika32マツリカ・マトリョシカ/相沢沙呼(リンク先で試読できます)
マツリカさんシリーズ3作目、青春・学園・ミステリ。前2作を読んでベタに気に入っていたので3作目を図書館で見つけた時は欣喜雀躍、っていうほどではないが、すぐに借りてすぐに読んでしまった。

まぁ、ベタな学園ミステリ、といってもミステリー面では僕はあんまり考えずに読むので、要するに美人の出てくる学園ものとして楽しんでいる。今までとはちょっと違った展開(ミステリーではなく、ストーリー展開というか、マツリカさんの立ち位置というか)だったのが意外だった。しかし、頼りない主人公の男子高生、読んでいる限り、これだけ友人に恵まれて充実した学生生活を送る高校生もいないと思うんだけど、役柄としてはひとりぼっちであるという設定が不自然といえば不自然だけど、まぁ、そういうことを考えて読む小説ではないね。前作から続いている背景もあるんで、これ単独で読むとちょっと分からないところもある。ま、JKはいいね~、というのが本音(^_^;)。

ということで、久しぶりにFBでシェアされていたNancy Wilsonを聴く。

あ~、これは聴いたことのある曲、たぶん持っているはず、と思ったらSophie Milmanが歌ってたんだ。

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2018/01/12

Voyage No.5に向けて・・・-3、おわったはずが

Voyage No.5の原稿は、推敲もしてファイルを送付してとりあえず終わった、はずだったが、もう少し、と推敲し始めたら、どんどんと崩れだして全然終わらない(^_^;)。

問題は種本の「1963/1982のイパネマ娘」に出てくる、「高校の廊下」や「プール」を取り込もうとしたところだ。

大体が、ヴィブラフォン、ジャズとこれらの要素にはもともと関連性がない。

種本では連想というかたちで出てくるが、それは村上さんのことであって、僕がそれを連想するわけではないので、自分の書いたものを読み直せば、やっぱりかなり無理がある。いわゆるこじつけというか、唐突感ありまくりだ。

で、そこをなんとかつなげられないかと苦労しているわけだ。村上流に「なぜか思い出す」とすれば簡単なんだけど、それは僕のことではないからねぇ。

やっぱりこの路線はあきらめるかな。どっちにしろ字数制限もあるから、その分、他のところをふくらませる余裕ができるしね。

まぁ、要するに、僕は村上春樹の後輩で、イパネマ娘に出てくる廊下もプールもよく知っているよと、自慢したいだけだったんだな、ははは(^_^;)。

でもって、今日は明石での隔月セッションデー、今年初めてのセッションだ。

寒いから、なんだか気が進まない弱腰になりそうだけど、ここで宣言して行くのだ!

前回の11月は、高砂万灯祭にマルタ旅行に社内日帰り旅行にと色々と予定があって行かなかったので、9月以来だ。

去年は自治会役員活動なんかもあって、あまりセッションには行かなかったけど、それも今月で終わりなので、今年はもっと行きたいぞ!

<これはメモ>

しごく単調だけど、効果がありそうなスティック練習。ゆっくりからそこそこのテンポまで、かなり根気がいるけど、40分以上、つきあってくれる。

これを作った方は同じようなのでマリンバのバージョンがいっぱいあるんで、またやってみるつもり・・・、また、つもりだけで終わるかもしれんけど(^_^;)。

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2018/01/08

Voyage No.5に向けて・・・-2、おしまい

Voyage原稿を、さて、どうしようと考えあぐねていたけど、昨日、図書館で借りてきた村上春樹の短編集(僕が寄贈した本だ)をパラパラとめくっていたら、あるタイトルが目に止まって、あ、これ、いいかも、と思ったら、あっという間に書けてしまった。

初稿はたぶん30分もかからなかったと思う。

僕って、天災、いや転載、いやいや、天才?・・・とは思わなかったけど、そういえば前回も前々回もタイトルとか、ちょっとしたことでパラパラっと書けてしまったのだな。

これまではあれやこれやとこのBlogでこねくり回していたけど、今回はGary Burton引退とヴィブラフォンというアイデアだけで、原稿のことは脇において、塩野七生の本を読んだり中世の地中海世界とかマルタのことを書いたりして何も考えていなかった。

しかしいつまでもそんなことはしていられないと前回に書いたその後に、あっけなく終わってしまったのだ。

パクった元タイトルは、「1963/1982のイパネマ娘」。

この短編には、タイトル以外に「高校の廊下」と「プール」が出てくるのだが、どちらも僕にはとても馴染みのあるものなので、これもいただいた。ただしこれはこの短編を知らないとなんのこっちゃ?、ってなるだろうけど。

それ以外では「形而上学的」というキーワードを含む文の主要な単語を置き換えたりとか。

こうしてパクったアイデアや文章を使って、Gary Burtonの自伝から得たヴィブラフォンにまつわる話に色付けして終わり。

ただ、初稿は早かったけどその後の推敲がほとんどまる一日くらいかかってしまって、それにずいぶんと難儀した。

なんせ今回は1ページ、1000字程度と限定されているので、その範囲に納められるかしらんという危惧もあったけど、まぁ、それなりにまとめることができた。

今までと違って、ちょっとだけ小説っぽくなったかも、のお楽しみ(^^)。

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2018/01/04

Voyage No.5に向けて・・・-1、かも

今年も、播磨からひと味違うJAZZ雑誌-Voyage 5号が発行される予定だ。

今回も執筆陣に加わっているので原稿を考えないと・・・、というか締切は去年の末だったんだけど、まだなんにもまとまっていないのだ。

Gary Burtonも引退したし、それからヴィブラフォンの誕生したのが、ちょうどジャズが誕生した頃で、なおかつジャズ以外でメインになることはほとんどない楽器なので、そのあたりのサワリでも書いてみようか、なんて思ってYouTube見てたら、まぁ、マイナーな楽器とはいえ、たくさんアップされてて、それで満腹した、みたいな(^_^;)。

とはいってもギターとかピアノとかサックスとかと比べれば、ずっと少ないんだろうけどね。

Downbeat_vib

これはFBにアップされていた、Downbeat誌のVibraphone奏者読者人気投票結果だけど、いや、全然知らない人だらけで、知っている人の方が少ない。

Gary Burtonがダントツだけど、一方で当然入ってしかるべき、Milt JacksonやLionel Hamptonの名が見えないのは、どうやら上の欄にある年数に関係あるみたいだ。

また、Joe ChambersがVib弾いていたとは知らなかったし、Jason MarsalisというのはMarsalis兄弟かな、という程度。どちらもドラマーとしての方が有名だ。

その2人以外で知っていたのは、上位5人以外では、Terry Gibbs、Mike Mainieri、Dave Samuels、Hendrik Meurkens。

Stefon Harris、Warren Wolf、Joe Locke、それからHendrik MeurkensはFacebookのフレンド関係から知った人で、それがなかったら知ることはなかったかも。

ということは、その人たちを除けば5人しか知らなかったわけだ(^_^;)。

これはたぶん全員がアメリカで活動している人だろうけど、Facebookフレンドではヨーロッパ、アジア、南米にVibを弾くフレンドがたくさんいる。

なんやかやいいつつ、Vibist人口は増加はしているように思うけど、その多くはパーカッショニストやマリンビストが多くて、Vib専門という人はやっぱりそれほどいないかもしれない。

ではなんともなんで、3位のStefon Harrisの映像を。日本語字幕付きです。

ということで、さて、どうしよう(^_^;)。

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Star Wars 亡き後の地中海世界

前回に書いたとおり「Star Wars/最後のジェダイ」を見てきた。

まぁ、それなりに楽しんだけど、なんかめんどくさい話やな~、というか色んなことがツギハギで尻切れトンボで、ちょうど長い原作をあちこち切り貼りして映画化したみたいな、でもそういう原作があるわけでもないみたいな~。

ルーカスのStar Warsは、ルーカスの描く世界観があって、その上に構築された映画としてのストーリーがあったと思うけど、今のStar Warsは「船頭多くして船山に登る」みたい(ちょっと違うか)で、もう一つまとまりなく話が進んでいくという感が否めなかった。

またどの登場人物も今ひとつ存在感が薄くて脇役ばかりで作った映画という感じで、それはそれでいいんだけど、印象が散漫になる原因でもあるかと思う。ルーカス版では、主役、脇役ともにそれぞれが存在感があったんだけどね。

Reyヒロインのレイも今ひとつで、ルーク~ヨーダのときの描写と比べると、あんまり訓練を受けてるとか成長してるという感じがしなくて、自分で勝手に空回りしているうちになんとかなった、みたいな。

まだ悩めるカイロ・レンの方が存在感はあったかな。でもこれも悩めるアナキン~ダース・ベイダーの焼き直しといえばその通りで、どっちも面倒くさいやつというのも一緒だ。

最高指導者スノークなんて、最高権力者というわりにはシスと比べれば全然底が浅い小物というか、ほんまに作り物にしか見えなかった。

まぁ、一昨年も書いたけど、スペース・オペラなんだから、あんまり考えずに楽しめばよいんだけど、ちょうどバローズの火星シリーズとかハワードの英雄コナンシリーズでも、原作者が亡くなったあとに別の作者が引き継いで書いたものは今ひとつ面白みに欠けたのと同じ道を歩まざるを得ないというところかな。

で、やっと「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)/塩野七生」を読み終えた。

下巻ではマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)がスペインのカルロス王からマルタを与えられて(実質はイスラム最前線に配置された)から、イスラムの攻撃を辛くも撃退したあたりまでわりと詳しく描かれいて(マルタ攻防記)、また今のマルタとの違いや共通点も若干ながら書かれていてとても面白かった。

中世~ルネサンス以後までの、キリストとイスラム、そしてイタリア海洋国家やヨーロッパ覇権国家の海軍と、オスマントルコにトルコ海軍、サラセン海賊との千年以上にわたる複雑な抗争を読んでいる最中だったので、スターウォーズも本来は単純ではないところを単純化しようとしたような、でもルーカス世界のようにはすっきりとしなくて中途半端感が残ってしまったかも・・・、ってなんかわかったようなわからない話だけど、事実は小説より奇なりというところか。

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これはマルタ本島北側のゴゾ島中央の町ヴィクトリアにあるチタデル要塞。

といっても地中海世界について書こうとすると、もう読んだ内容もぼやけてきているし、考えるには時間がかかりすぎるし、今日は冬休み最後の日なので、これでお終い(^_^;)。

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2017/12/29

マルタ考-2 Torre Saracena

マルタ考-2 中世の海賊

「ローマ亡き後の地中海世界(上)/塩野七生」に次のような文がある。

サラセンの海賊の脅威にささされつづける沿海の住民たちにとって、希望はどこにもない。彼らができた自衛の手段は、広く海を見渡せる地を選んで塔を立て、海賊の襲来を一刻でも早く見つけ、住民たちに逃げる時間を少しでも多く与えることだけであった。これらの塔は「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)と呼ばれた。

地中海沿岸とか、イタリア内陸部でもそうだけど、町がやたらと峻険なところにあったり、道路が狭くて入り組んでいるのは、サラセン(イスラム教徒)が海賊行為を聖戦(異教徒征伐)としてイタリアからフランス沿岸を中世全般を通して荒らし回ったために、住居を極力近寄りがたいところに移すとともに、戦のあるところはどこでも同じだけど、敵が簡単に侵入できないように道路を狭く見通し悪くしたこと、そしてそれをその後も変えなかったということのようだ。

「暗黒の」、と形容される中世は1000年くらいあるが、地中海沿岸は北アフリカのサラセン(イスラム)海賊が跋扈して略奪、拉致(奴隷)を繰り返して荒らしまわった時代でもあり、イタリア沿岸の住人、とくに下層階級の庶民にとっては本当に暗黒の時代だったとある。

そして当然ながら、イスラム化されていなかった時代のマルタ島にも数多くの塔が作られたことは容易に推察できる。

というより、エルサレムから追い出された聖ヨハネ騎士団がキプロス、ロードスなどを経て流れ流れてたどり着いたのがマルタ島であり、対イスラムの拠点となったわけだから、見張りの塔があるのは当然だ。

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これはゴゾ島の海岸近くにあった塔だが、マルタ観光ではこのような塔をいくつも見かけた。

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これは息子が滞在していたSt. Paul's Bayにあった塔。壁面がきれいなのはこちらの面が修復されたかららしく、反対側はまだ凸凹の崩れた痕があった。

去年行ったアマルフィも、本の中では海賊に荒らされた地域であり、またイタリアで最初の海洋都市国家でもあったと紹介されている。そういえばアマルフィも、なんでこんなところに住んでいるんだろうというくらいに峻険な断崖絶壁に街があった。

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ならば、サラセンの塔らしきものが写っていないかと見直したら、ちゃんと写っていた。

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これではわかりにくいけど、海に張り出している小さな半島の上に見張りの塔がある。

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ズームでも撮ってあった。

Wikiの「中世」には、ゲルマン民族の大移動とかノルマン人による征服などという書き方はあるが、サラセンによる地中海制覇の影響については書かれていない。

僕のイタリア旅行記-10(ナポリ帰還)では、11または12世紀にはノルマン人に征服されたと書いていたが、本では、当時の地中海、あるいはイタリアにとってはサラセンから国を守るために、彼らの援助を乞うた結果という書き方がされている。

ナポリの巻で紹介した卵城も本ではサラセンの塔の一つとして写真が掲載されていた。

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この本が出版されたのは2008年だから、著者は現在のイスラム過激化(原理主義者)を意識せざるを得なかったんではないかという気がする。

イタリア、カトリック贔屓という面もあるだろうけど、サラセンはのことはあまりよくは書いていなくて、1000年ほども続く中世の時代、ひたすらイタリアを荒らしまわり、略奪と拉致を繰り返したことが強調されている。

まだ下巻をやっと読みだしたところだし、ローマ教皇にイタリア各国、ビザンチン、現在のドイツやフランス、スペイン、北アフリカのイスラム勢力などなど、様々な勢力が入り乱れた時代な上に、残る資料も少ないらしいから、あくまで本を読んだ感想でありますが、塩野七生の本にからめて、マルタ旅行もちょっとだけ紹介できたからよかったかな。

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これは首都ヴァレッタの裏道。

狭い坂道は神戸の裏道を思い出してなんとも身近に感じたんだけど、同じことを村上春樹もギリシャの港町で感じたと「遠い太鼓」の中で書いている。

それからシチリア滞在時にはマルタに旅行したことも書いてあった。

すぐ近くだから行って当然ですわね。

この考は面白いから、また気が向いたら書くかも・・・、どうかな(^_^;)。

蛇足1:本では、トッレ・サラチェーノ(Torre Saraceno)と書いてあるんだけど、検索してみたら、Torre Saracenaとしかでてこない。Torreは女性名詞だから、Saracenoは間違いということになる。

一方で、Torre del Saracenoというのは出てくる。

英語でいえば、Saracenic TowerとTower of the Saracenの違いだが、塩野さんが間違えるとも思えないしな~。中世では違ったのか、それとも日本語では、サラチェーナよりもサラチェーノの方が馴染むと考えたんだろうか?

蛇足2:Wikiによるとマルタ騎士団は今でも存続しているんだそうで、ちょっとびっくり。

蛇足3:海賊を表す欧米語には2種類ある。英語ならpirateとcorsair。

pirateはいわゆる海賊で、簡単にいえば私利私欲で動く犯罪者と同じだが、corairは公的な裏付けを持つ。

サラセン海賊はイスラムの教えに従って異教徒(ここではキリスト教徒)を襲う。時代によってはオスマントルコの後ろ盾を持っていた。だから、キリスト教徒がイスラムに改宗すれば襲わないし、奴隷にもしない。

一方で、聖ヨハネ騎士団もキリストの教えに従いイスラム側に海賊行為を働いていた。

ということが「ローマ亡き後の地中海世界」に書いてあった。

日本ではcorairにあたる海賊がなかったようで、だからそれに相当する語がないということで、どちらも海賊と訳される、らしいです。

今のイスラム原理主義者も、彼らにしてみるとCorsairということなのだろうが、それは中世から今に続く長い因縁があるのだね。

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