2020/05/11

Swing Era & Voyage脱稿、もどき

まだ原稿ができる前にメモで書いてた内容だけど、なんとか〆切までに初稿を書き上げて提出できたので、今さらの投稿になってしまった。

Voyage前号のジャズに対するスペイン等の影響、ダンスとのつながりなんかの続きを並べたり、ダンスによるリズムの違いなどを書きながら、最後にニューヨークのFive Pointsとタップへ行き着く、という筋書きで書こうとしてたんだけど、なかなかまとまらず、またダンスやリズムのことだけでも字数オーバーしてしまいそうで、その辺りでウダウダしてた。

ということで、面倒だ、一気にFive Pointsへ行ってしまえ、で、やっと初稿できあがり、でも2600字くらいでややオーバーだし、まだまだ修正が必要だけど。

結局、一番役に立ったのは「アメリカン・ミュージック再発見/中村とうよう/北沢図書出版」だった。

以下、今さらのメモと、ちょうどリットーミュージックが音楽雑誌4誌の1年分をフリーDL(5/31まで)という太っ腹なサービスしていた中に、なんと申し合わせたようにRhytum & Drums Magazineのブレイキー特集があったので、そこから引用したインタビューの言葉などなど。

Swingについて

Swing/Wikipedia(English)

Swing時代は1930~1940年代

The danceable swing style of big bands and bandleaders such as Benny Goodman was the dominant form of American popular music from 1935 to 1946, known as the swing era.

Roots:1920年代

Swing has its roots in 1920s dance music ensembles which began using new styles of written arrangements, incorporating rhythmic innovations pioneered by Louis Armstrong and Earl Hines.

Five PointsはまさにSex、Dance、Music、Violenceの吹き溜まり。Jazzという言葉はニューオリンズの売春宿と結びついた言葉だったという話があるが、NYでも同じように音楽と売春宿が結びつき、それにTap Dancingが深く関わってショー化していた。

Five Points Gang

Dance:チャールストン、フォックストロット、色々とあってSwing Eraの華形だったようだが、Jazzと一緒に発展したのは同じ即興性のあるTapで、Jazz Tapという言葉もある。

Tap: Swing, Jazz, Tap Dancing

Jazzがより複雑化してBebop、Coolと変化するにつれてTapは衰退するが、ジャズドラマーがTapを踊った-Roy Haynes、Joe Joensなど多数。

At Blakeyの言葉
Rhythm & Drums Magazine 2019年10月号/Rittor Music
インタビュー Modern Drummer 1984年9号(アメリカのドラム専門誌)
それともう1つ、これはいつも聞いて呆れるんだけれど、偉大なジャズ・ミュージシャンの多くが私達が黒人ということで、みんな私達をアフリカと結びつけようとするんだ。でも、私は”アメリカ”の黒人だよ。私達にはアフリカとなんの関係もない。私達の何人かはアフリカ出身かもしれないけれど、アイルランド人だっているわけで、私はいつも混乱させられるんだ。
(中略)
だから私は、今のジャズがなぜこんなに困難な状況にあるのか理解できない。しかもみんなは、黒人だからというところに理由を求めようとする。ジャズはアメリカの音楽で、肌の色なんかまったく関係ないんだ。

雑誌掲載の文をそのまま引用したけど、おかしなところがあるので、原文はないかと検索したらありましたね~(^o^)v。Modern Drummerのサイトに原文が公開されていたので、Voyageには原文を自分で訳して掲載しよう。字数も自由になるし。

Modern Drummer Sept. 1984

“And another thing that’s always goofed me up is that, since so many of the great jazz musicians are black, they try to connect us up to Africa, but I’m an American black man. We ain’t got no connection to Africa I imagine some of my people come from Africa, but there are some Irish people in there, too, so I’m all messed up. The idea of it is that I’m a human being and it don’t make no difference where I come from.  

それからもう一つ、いつも困るのは、偉大なジャズミュージシャンに黒人がとても多いからと、俺たちをアフリカと結びつけようとすることだ。でも俺はアメリカの黒人だ。俺たちにはアフリカとの結びきなんかない。アフリカから来たやつもいるだろうけど、アイルランド出身だっているし、だからすっかり混乱してしまう。自分は人間ということ、出身地で違うなんてことはないんだ。

Art Blakeyは、タカケンさんにいただいたコメントのおかげで原稿に含めることができたんだけど、今回も勝手ながらコメントをそのまま引用させていただいた。Voyage No.4のLa La Landの原稿のときもそのまま勝手に引用させていただいてます。今さらですが、ありがとうございましたー>タカケンさんm(_ _)m。

それからJazz Ageについてフィッツジェラルドの文も引用したけど、これも訳文は長いので使わずに自分で訳したほうがよさそうだ。

Echoes of Jazz Age:

The word jazz in its progress toward respectability has meant first sex, then dancing, then music.
「ジャズという言葉は社会的に立派な言葉として認められるようになったが、その過程において、最初はセックスを意味し、次いでダンス、その後、音楽を意味するようになったのである。」
ジャズエイジのこだま(1931)/フィッツジェラルド作品集3/F.S.Fitzgerald/訳:井上謙治

「ジャズという言葉は社会的な地位を認められるまでの過程において、最初はセックス、次いでダンス、そして音楽を意味するようになった。」(Echoes of Jazz Age/1931、拙訳)

それから以前にリンクしていたやたらとタイトルの長い1873年の文献は画面の下の方へスクロールしたらpdfでDLできた。

The dark side of New York life and its criminal classes : from Fifth Avenue down to the Five Points ; a complete narrative of the mysteries of New York, by Gustav Lening, 1873

少ししか読んでないけど、Dickensが訪れたAlmack(岩波文庫の注では低級なダンスホールとあった)のようなところは、Concert Saloon(P.371)とかDance House(P.386)と呼ばれたが、実態は "Dens of thieves and prostitutes" or "Hot-beds of corruption and infamy"とあるから、「盗人と売春婦の巣窟、あるいは腐敗と汚名の温床」というところだ。1873年の本だから間違いないだろう。

・写真
最近はVoyage記事のタイトルバックに写真を入れてるパターンなので、今回もなにか無いかと思ってたけど、そういえば90年前後から仕事でNYには何度もいってるし、Five PointsのあったというChina Townの写真もあったはずと探したら、ありました!

Five Pointsを通るMulberry Streetの標識が左端に写っている写真があって、ずっと以前にアップ(New York 1991/2007.1.28)もしていたのだった。

Fh030017_20200508120001

正面の通りがChina Townの真ん中を東西に通るCanal Streetで、それと交差するMulberry Streetを南(写真の右方)へ行くとMulberry Bendという通りがやや曲がるところがあって、それがかつてのFive Pointsの中心らしく、この写真の通りの向こう側(右方)がまさにFive Pointsの北端ということになる。

Five-points

上の地図で赤い星印が写真の場所、斜めに左右に伸びるのがCanal Street、それと交差するのがMulberry Streetで、それを下の方へ降りた赤丸がMulberry Bendだ。

当時はCanal Streetに商品を販売してくれているチェーン店の本店があって何度も行ったし、確かMulberry Streetを上がってLittle Italyを歩いたこともあるけど、Canal Streetより南だと一気に南端のBattery Parkには行ったことはあるが、Five Pointsに該当する辺りには入ってないと思う。

というところで、しかしアイルランドも行ったんだよな~、Irish Danceショーも見に行って写真もあるし~。そっちをタイトルバックにしたほうが見栄えもいいかも?

Img_2158s

これはダブリンで夜に行ったCeltic Nightsのショーだ。で、この写真に差し替えることにした。この方が内容にあってるしインパクトもあるしね。

そうそう、タイトルはFacebookでたまたまフレンドさんがシェアしていた、ダイアナ・クラールの歌う"Let's Face the Music and Dance"という曲の題名がぴったりでいいかと、拝借した。

ところが検索してみたら、なんとこれはタップの名手Fred AstairにGinger Rogersが主演した1936年映画"Follow the Fleet"の挿入歌で、Irving Berlin作曲だったので、まさにぴったりだったんだ(原稿にはそんな説明はいれないけど)。

 

ダイアナ・クラールはそれほど好きなわけではないけど、これはいいですね。

こちらは本家。

Let's face the musicというのは昔のステージでのイディオムらしい(解説はこちら)。

前回まではタイトルが決まったらわりとスラスラと書けたんだけど、残念ながら今回はそうはいかず、かなりウダウダしてしまった。

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2020/05/07

Swing、?

相変わらずVoyage原稿関連の覚書。

そもそもSwingってなんだっていうことがあるね。

Swingの意味も知らずに、やれ「ジャズはスウィングが命だね」とか「誰それの演奏はスウィング感がすごい」だの「あいつのジャズはスウィングしてないからダメだ」などといっている日本人のなんと多いことか、ってとこだ(^_^;)。

僕もSwingというのが実は最近まではっきりとは知らなかった、と告白しておこう。4ビートとか8ビートって言葉が和製英語というのもわりと最近まで知らんかったし。

4ビートはSwing Feel、8ビートはEvenとか8th Note Feelなどというようだ→諸説あります?(^_^;)。

で、以前にも書いた中村とうよう氏のジャズビートはアイルランドのリールが起源という話。

リールの映像がこちら。

アイルランドに限らずヨーロッパには様々なダンス様式があるので断言はしないけど、色々と見てきた印象ではアイリッシュダンスではジグとリールが代表的なようで、これも今までに何度か書いている。

ジグとリールの違いを説明している動画。

 

リールは8分音符に分かれるイーブン系で、ミディアムテンポから速いのまで、タン・タカ・タン・タカ、ジグは12/8拍子で、だからジグの方がSwingに近いように思えるが、リールはイーブンとはいえテンポが速いが、ジグはターン・タタタとかタツツ・タツツなどの3連がはっきり出ていて、やや遅めのテンポが多い。

だからジグはJazzのSwingとしてはかなり遅くて、リールの方がイメージ的にはSwingに近い、というのがおそらくは中村とうよう氏のいいたいことだろう。

蛇足ながら面白いのは、上のリールのリズムが、タツツ・タツツ・タツ(3・3・2)でクラーベに通じるパターンがあることだ。

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2020/05/04

Swing、Irish、Celtic、音楽

Voyage原稿資料羅列の続き。

Art Blakeyの音楽はほとんど聴いてないんで、前回で終わり、なんだけどリットーミュージックがなんと5月10日までの限定で4つの音楽雑誌一年分のフリーDLをしていて、リズム&ドラムマガジンにブレイキー特集があったのでとても参考になった。

では、Blakeyの前に少々書いてた、SwingとIrishの残りをまとめておこう。

 

この中で紹介されているが、映画(あるいは小説)の「Gangs of New York」に次のような台詞があるそうだ。

“Rhythms of the Dark Continent thrown into the kettle with an Irish shindig. Stir it around a few times, pull it out, it’s a fine American mess. A jig doing a jig.”

以下、聞き取り、ではなく字幕書き写し。

Tap is one of the original American art forms.

Tap dancing started in Five Points.

This slum was one of the city's first melting pots.

The percussive dances that nurtured tap, came from African ceremonies, Irish jigging, and British clogging.

In the early 1800's, African-Americans and Irish people lived and worked side by side.

この中で出てくる1897年の文献が、Googleにあった。そのP.372にタップが出てくる。しかしめっちゃ長いタイトルの本だね。

The dark side of New York life and its criminal classes : from Fifth Avenue down to the Five Points ; a complete narrative of the mysteries of New York, by Gustav Lening, 1873

ついでアイルランド音楽について

アイルランド音楽

おおまかにまとめているとアイリッシュ音楽、ダンスは:

・基本的にはダンス音楽だが、音楽のみ演奏される場合もあり
・セッションをするが基本はユニゾンで、同じテーマを皆で弾く(だから誰でも参加しやすい)
・譜面通りに弾かない(フェイク、装飾音など)、あるいはもともと譜面がない=口伝
・繰り返し時は異なる旋律を弾く(バリエーション、あるいは即興の場合もある)

で、ケルトというとアイルランドやスコットランドと思いがちだけど、実際にはアジア人という言葉と同じくらいに大雑把な言葉らしい。

ついでに「スペイン音楽の楽しみ/濱田滋郎」にはローマ帝国支配以前のスペインの先住民として、ケルト・イベロ族という名があり、彼らもなんらかの歌や踊りを持っていなかったはずはないと書いてあった。と思ったら、ケルティベリア人という言葉がWikipediaにあった。

ついで見つけた最近のTap Danceに関する文献:

Tap Dancing America: A Cultural History

Kindel版もあるので買うことも考えたけどそこまではな~、というので、公開されている序文をコピペしておこう・・・、と思ったものの著作権の問題もあるし、各章ごとに序文が公開されてて多すぎるから、まぁ、こういう資料もあるということで終わり。序文読むだけでも参考になりそうだ。

と思ったら、なんと第一章の序文には、Afro-Irishという言葉と、1600年代からのカリブ諸島でのアイルランド人召使いと西アフリカ黒人奴隷との交流にまで遡ることが書かれている。

さて、とうとう編集長から催促のメールが来たんで今週中には書きますと返事してしまったからには、今度こそ原稿にとりかからなくては(汗)。

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2020/04/06

The African Beat - Art Blakey

Voyage原稿資料 - Art Blakey本編、のつもり。

Art Blakeyはジャズのリズムの源泉をアフリカで見つけることが出来なかった、というタカケンさんのコメントからテキトーに検索してみたら、The African BeatというArt Blakeyのアルバムを見つけ、さらにそれはアフリカ3部作の最終作で、Orgy in Rhythm Vol.1、2という前作があるという。

YouTubeにあるんだけど、DL版もそれほど高くないんで、Vol.1とThe African Beatを購入した。

これは買わなかったVol.2だが、Vol.1の内容も同様にパーカッション全開、というかVol.2はまだ後半に、へんてこりんな歌(^_^;)とかブルースなんかもあったりするけど、Vol.1はそういうのがない分、よりハードかも。

しかし、今ならワールドミュージックとかエスニックとかでありそうだけど、これが1957年というからびっくりだ。よくまぁ、ジャズ・レーベル(Blue Note)がこんなんを出したもんだと思うんだけど、ネットで見つけたライナーノートを読むと、創設者のAlfred Lionは打楽器オタクだったのかな?

それからもっと前、1953年にMessage From KenyaとNothing but the Soulというのが始まりだったと書いてある。

Horace Silverのアルバムとあるが、この2曲にはピアノは全然入ってない打楽器のみだ。このジャケットは有名だな、というものの聴いたことはなかったので、びっくりだ。

 

これをかつての薄暗いジャズ喫茶でひたすら聴くというのはかなりな苦行だったんではないかと思うが、1970年ころまではフリーも全盛で、苦行を耐えるのがジャズリスナー、みたいなところもあったような気がする・・・、が、ま、どうでもいいか(^_^;)。

僕も今は打楽器奏者の端くれモドキになってるんで、それなりに聴ける(でも途中ですぐに気がそれる)けど、若い頃なら耐えられなかっただろうねぇ。

今なら本場アフリカの音楽もわりと知られていそうだし、その気になればYouTubeでいくらでも聴けるから、なるほどアフリカかなと思えるけど、1950年代のリスナーはそういう情報源はほとんどなかったろうから、どんな風に聴いてたんだろう?

ベタなインタビュアーなら、「どんな、思いで、聞かれたんでしょう?」なんて質問するところだ(^_^;)。

Orgy in RhythmでのBlakeyのドラムはジャズっぽいというか、Blakeyらしい(実はよくしらない)けど、全体にはアフリカらしいリズムだと思う。

しかし、Vol.1、2のどちらもイーブン系というか4拍子なのか2拍子なのか8拍子なのか、まぁ、それ系統ばかりだから、ラテン系と通じる気がする。アフロ・キューバンとかブラジル系とか?(これもよくはしらない)

これ以外に、A Message From Blakey, Holiday For Skin Vol.1、2というのも出ているらしいが、それは今回はパス。

最終作となる1962年の"The African Beat"はもっとメロディーのある曲に打楽器という構成で、なおかつアフリカン・リズムの基本である12/8(あるいは6/8)拍子が大半だし、パーカッションの種類も増えている(たぶん)。

まさにアフリカって感じ(個人の感想です)だ。途中ではいるBlakeyのドラムがいかにも、って感じで今聴くと違和感があるけど、当時はどうだったんだろう?

この曲(上記は1,2曲目が一緒になっていて、その2曲目)のビートは「アフリカ音楽の正体/塚田健一」にある基本リズム型Aの変形といえる。

基本リズム型A 12/8 X . X . X . . X . X . . (タンタンタン,ンタンタンン)

それに対し、4曲目は基本リズム型Bが当てはまる。

基本リズム型B 12/8 . X . X . . X . X . X .(ンタンタンン,タンタンタン)

こちらは1曲だけ、4あるいは8拍子系で、St. Thomasを彷彿とさせる曲だ。

 

St.Thomasが1956年のSaxophone Colossusに収録ということだが、リズムはアフリカンとはいい難く、違いは明らかだ。

 

Art Blakeyっていうとリアルタイムで知ってるのが、鉢巻きしてハッピ着たりして、一般日本人受けするジャズドラマーってイメージが強かったけど、マイルスがブラジルのパーカショニストを起用してビートを全面に押し出して、なんて話よりずっと前にアフリカンビートを極めていたわけですね、改めて見直しました。

Art-blakey

これがやがてMoanin'なんて大ヒットにどうつながるかというのがピンとこないけどね。

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2020/04/01

The African Beat - Art Blakey、の前にIrish Dance

世界はCOVID-19で大変なことになっております。いち早く収束することを願います。

僕もとうとう、大阪への通勤を今週からはやめました。

先週まではずっと週2~3日の通勤でしたが、娘や息子から「大阪なんかへ行ったらアカンで」と強く言われたんで、特に娘には弱いのが世の父の常、あるいは老いては子に従えの倣いで、当分の間、コロナが落ち着くまでは休むことにしました。

  ***********

というところで本題、Art Blakeyとはまた、僕のBlogではおよそ出てこなさそうな名前だ。

が、例によってVoyageの原稿ウダウダで書いた先月の記事に、タカケンさんから、

アート・ブレイキーがJazzの源のリズムを探すという趣旨でアフリカツアーをした時に「結局、アフリカのどこにもジャズの源を見つけることは出来なかった」と言っていた

というコメントをいただいて、中村とうよう先生も同じようなことを書いていたと返信させていただいた。その内容を引用しておこう。

20世紀のダンス音楽やジャズのリズムも、アイルランドのリールが主体となり、それにヨーロッパ大陸のポルカなどの様式と黒人のアフリカ的感覚の微妙なニュアンスとが付け加えられて出来上がった、とぼくは考えている。これまで一般に、ジャズ・ビートはアフリカ起源だと思いこんできた。しかしアフリカにジャズに似たリズムを見つけ出すことは不可能だった。それに対し、リールのリズムはジャズやフォックス・トロットに極めて近い。実際にオトを聞けば、誰でも認めざるを得ないだろう。
(アメリカン・ミュージックの再発見:中村とうよう/北沢図書出版)

ということで、僕が感じていたことは今度もまた、とっくに中村大先生が書いてたんだ、やれやれ。

ただし、ここでリールというのがちょっと違うかも、と思う。

去年に調べたときに見つけたことだけど、アイリッシュダンスにはリールとジグが代表的で、リールは4/4拍子、ジグは6/8あるいは12/8拍子で表され、Swingはどちらかといえば12/8拍子系だからだ。

もちろんSwingは4/4拍子、和製音楽用語でいうところの4ビートで記譜されるが、1拍は3連符で演奏されるのが基本だから、細かくいえば12/8拍子といえないことはない。

こちらにアイリッシュダンスのリズムと実際の演奏の解説があった。

アイルランド(アイリッシュ/ケルト)音楽で弾かれている曲やリズムの種類

以下のYouTube映像はいずれも上記リンク先に紹介されていたもので、大半は楽譜も掲載されています。いや実にありがたいことです。

中村先生がいうリールは4/4拍子、ポルカは2/4拍子で、細かくみてもイーブン系、いってみれば8ビート系になる

Reel

 

Polka

一方で、ここではDouble Jigと説明されているジグは6/8拍子だし、名称をよく見かけたHornpipeはReelとJigの混合のような、Swingっぽいリズムだと思う。

Double Jig

Hornpipe

また下の方にSlide & Single Jigとあるのは、12/8拍子で、去年に調べていたのはこのタイプだったと思う。

 

Slide & Single Jig

さらに下の方にある、Highlandとなると、4/4拍子で記譜されているものの、演奏は3連符というかSwing系の演奏だし、続いての3/4拍子のMazurkaも、次の4/4拍子記譜のSet Dance、Barndanceはいずれも、8分音符は3連っぽく弾いている。

Highland

Mazurka

Set Dance

Barn Danceは4/4拍子と解説があるが、8分音符は3連のような、符点8分+16分のような?
(2020.5.14:説明が抜けていたので、追加)

Barn Dance

続いてのFlingはイーブンと符点8分+16分な感じで、微妙だけど3連符ではないような?
(2020.5.14:動画が抜けていたので追加)

Fling

次のScottiescheも3連のようなイーブンのような微妙な感じだ。

Scottishce

アイルランドのワルツというのもあるけど、なんだかシャンソンっぽい感じがしてしまうのはアコーディオンだからかな?

 

Waltz

しかしなかなかと素敵な曲ですな。

最後のマーチはアイルランド発祥ではないけど演じられるとあり、これはイーブンで跳ねるリズムも符点8分と16分音符、ただしたまに3連符も入っている。

March

というわけで、Art Blakeyに辿り着く前にアイリッシュ・ダンスの羅列でとりあえず終了だが、最後にアメリカのSquare Dance。

これはイーブン系とはいえ、8分+16分2つ(チャンチャカ、チャンチャカ)で跳ねる感じはReelやPolkaの影響というのはよく分かるが、さらにSwingに通じるところがあるダンスだと思う、というかチャンチャカはむしろSwingの元かもしれない。

 

も一つ、Traditional Square Dance、楽しそうだ。

 

これを聞いていると、シンバルをチンチキ・チンチキと叩きたくなるでしょ?、ならないか(^_^;)。

以前から細かく書けば12/8拍子で記譜できるSwingで、なぜチーンチッキというパターンが出てきたのかがわからなかったけど、Polkaの影響というのはこういうところかもしれない。

Art Blakeyに続く、予定

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2020/03/06

Swingしなけりゃ、

Voyage原稿のメモでまとまりがないですが、前回に「Grooveしなけりゃ・・・」、で中村とうよう大先生の登場と書いてた続き。

僕のBlogでSwing関連の発端をたどると、2018年4月の佐藤亜紀の本の感想文で、そこに引用していた、Swingはアフリカンルーツではなくて白人のために黒人がどうとかって、岩浪洋三氏とクインシージョーンズ氏の会話があったらしいというネット情報だ。

アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三

中村先生は、「大衆音楽としてのジャズ」と「アメリカンミュージック再発見」の中で、アパラチアに移住したケルト系住民とその近くに住んでいた黒人が互いに影響しあった、ということと、Swingの起源をアフリカに求めて探したが見当たらず、むしろケルト系のダンスに起源があるだろうというようなことを書いていた(すでに記憶が曖昧だから再確認必要)。

去年のVoyageのために色々と資料を探したり読んだりYouTube動画をみたりとかしているときに、Swingはヨーロッパ起源(さらにいえばアイルランド、スコットランド、イングランド)の12/8拍子系ダンスが元になっているんじゃないかと思ってたことを、これまた中村先生がすでに書いていたということなんだな。

ケルト系のダンスは足を跳ね上げたり、スキップしたりと、タンタ、タンタ、というリズムでSwing系だけど、アフリカはダダダ、ダダダと地を這うようなリズムでSwing感はほとんどないというのが、色々なダンスをYouTubeで見た印象だ。

ダンスについて、中村先生はアパラチアを挙げているけど、僕が行き着いたのはNYのFive Pointsだ。これも去年に書いているんだけど、最下層どうしのアイルランド系と黒人が隣接してコミュニティを作っていたのがFive Pointsで、そこでタップが生まれ、タップの即興性とジャズの即興性が一緒になっててジャズタップとかなんとか。その辺は去年の1月の投稿に書いている(メモなんでまとめリンク)。

バックナンバー 2019年1月

Five Pointsは映画「Gangs of New York」の舞台でもあるけど、映画の予告の最初には、1846という年号が出てくる。

アイルランド旅行をしたときにヨーロッパ全土に起きたジャガイモの病害によって起こったアイルランドの飢饉から、非常に多くのアイルランド人がアメリカに移住したという話を聞いたけど、これが1845~1849年のことだ。

しかしWikiによると、飢饉は移住を後押ししたものの、それ以前も以後も移住は続いたというのがEdward Kennedyの説らしいし、映画から考えれば、飢饉が始まった翌年の1846年にすでにアイルランド人のコミュニティが出来ていたということは、飢饉以前にかなりのアイルランド人がNYに移住していたと考えてよさそうだ。

それから僕が考える一番重要な点は、Charles Dickensがアメリカ紀行(American Notes)で、NYのFive Pointsを訪れて黒人および混血のダンサーとミュージシャンのステージを見たことを書いていることだ。それが1842年だから、映画の舞台よりもさらに前にすでにヨーロッパ起源のダンスと音楽が黒人によって演じられていたことになる。

これは南北戦争(1861~1869)よりも20年も前のことであるのは注目すべきだ。

というのも、中村先生や油井正一先生の本を読んでも読まなくても、南北戦争により奴隷制が廃止されたことから、逆に人種分離が起こり、そして混血であるクレオールが白人扱いから黒人扱いとなって、ニューオリンズでジャズが発祥していったというのが定説らしいけど、それよりもっと以前からNYでもダンスと音楽があって、それがタップダンスとなっていったし、ジャズとも密接につながっていたと思われるからだ。

というようなことを、次号のVoyageのネタにしようかな~、と。

Gangs of New Yorkの中でもタップダンス、アイルランド、アフリカの関連の話があるけど、それは参考リンクだけにして、また次回。

Beyond the meaning: Martin Scorsese’s Gangs Of New York

最後に、アメリカ紀行の原文はPDでネット公開されているので、長いが引用しておこう。

ヨーロッパ起源のダンスと音楽だという根拠は、まず黒人がフィドルとタンバリンというヨーロッパ起源の楽器を演奏していること、そしてダンスがSingle shuffle, double shuffle, cut and cross-cut、と書かれているのはケルト系のダンスの名称と考えられるからだが、どうかな?

ちなみに岩波文庫の訳では、フィドルではなくバイオリンとしているのはその方が一般読者がわかりやすいと考えたのか、あるいは区別を知らなかったからだろう。実は先に訳本を読んだ時、原文はフィドルじゃないかと思ったんだけど、ビンゴ!

The corpulent black fiddler, and his friend who plays the tambourine, stamp upon the boarding of the small raised orchestra in which they sit, and play a lively measure. Five or six couple come upon the floor, marshalled by a lively young negro, who is the wit of the assembly, and the greatest dancer known. He never leaves off making queer faces, and is the delight of all the rest, who grin from ear to ear incessantly. Among the dancers are two young mulatto girls, with large, black, drooping eyes, and head-gear after the fashion of the hostess, who are as shy, or feign to be, as though they never danced before, and so look down before the visitors, that their partners can see nothing but the long fringed lashes.

But the dance commences. Every gentleman sets as long as he likes to the opposite lady, and the opposite lady to him, and all are so long about it that the sport begins to languish, when suddenly the lively hero dashes in to the rescue. Instantly the fiddler grins, and goes at it tooth and nail; there is new energy in the tambourine; new laughter in the dancers; new smiles in the landlady; new confidence in the landlord; new brightness in the very candles.

Single shuffle, double shuffle, cut and cross-cut; snapping his fingers, rolling his eyes, turning in his knees, presenting the backs of his legs in front, spinning about on his toes and heels like nothing but the man’s fingers on the tambourine; dancing with two left legs, two right legs, two wooden legs, two wire legs, two spring legs—all sorts of legs and no legs—what is this to him? And in what walk of life, or dance of life, does man ever get such stimulating applause as thunders about him, when, having danced his partner off her feet, and himself too, he finishes by leaping gloriously on the bar-counter, and calling for something to drink, with the chuckle of a million of counterfeit Jim Crows, in one inimitable sound!

メモ追加:黒人音楽にヨーロッパの音楽教育が重要だったという記事らしいリンク、まだ途中までしか読んでないけど。

Black Music Teachers in the Era of Segregations

仕事関係で来日されたときに同行させていただいたアメリカのFBフレンドさんがリンクしていた記事だ。

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2020/02/16

大海の鯛、琵琶湖を知らず

村上春樹が以前に「村上さんのところ」というメールでやりとりする企画をしていたけど、その中で「井の中の蛙大海を知らず」について、カエルは淡水の生物で大海っていわれても住めるわけじゃなし、琵琶湖ならともかく大海なんて知らねぇよ、ってカエルはいうんじゃないか、ってなことを書いてた。

確かにそのとおりだ。

で、最近思いついたのが「腐っても鯛」で、いくら鯛だからって腐ったら食べられないんだから、腐った鯛なんて始末に負えねぇよ、ってのはどう?

どう?と聞かれてもな~、ってなところで、最近のことといえば、先週に加古川で無料ジャズコンサートの前座を務めたのは、まぁまぁの出来、つまりは相変わらず未熟な面が出てしまったというところ。やっぱりリズム感だ。

写真はその時の様子(顔があまりわからないよう解像度を落としてます)で、Vibはお声をかけてくださったブラウアー音楽練習場のAdamsのVibをお借りしている。自分のじゃないVibをステージで弾いたのは初めてだけど、練習で何度も使って慣れてたのでよかった。

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リズムあるいはビートについて、練習のときにドラムさんから勧められたのが、メトロノームの音を3連符の3つ目、あるいは2つ目に感じながら練習するというもので、実はこれはドラムレッスンで以前にやったことではある。

その時は出来たけど、それはスティックだけでのことだしその後はそういう練習もしてなかったので、このところ時々はメトロノームの音を3連の3つ目に感じながらスウィングの曲やソロをテキトーにVibで弾いてみるというのをやっている・・・、けど、残念ながらジャズコンで成果が出るまでには至らずだ(^_^;)。

テーマだけならなんとかだけど、テキトーとはいえソロになるとついついメトロノームが聞こえなくなってずれてしまうので、まだまだ修行の日々が続くわけで、これもまだまだ進歩の余地がいっぱいあるという楽しみでもあるね。

それから前回に書いたGiovanniさんの楽譜のAforismaは#2、#3、#4、#5、#10は一応は最後まで音確認して、めちゃ詰まりながら訥々と練習しているのと、以前からのTexas Hoedownもボチボチと。

 

これはStranvinskyに捧げられたというちょっと不思議な曲。思ったほどには難しくはなかった、短いし。

これはバーにマレットを押さえつける、あるいは叩きつけるようにして音を消音するDead Strokeの練習で、Texas Hoedownにもこのテクニックが出てくる。

無料ジャズコンが終わったので、当分はこういう練習とドラムレッスン、ギターの練習、そしてたまのセッション参加くらいだな。

ついでに最近読んだ本について少しだけ書いておこう。

・アンデスのリトゥーマ/マリオ・バルガス=リョサ
ペルーのノーベル賞作家の作品、アンデスの山奥に赴任した警察官二人に雑多な登場人物やインカから続く古い因習がからむかなり重苦しく不条理なストーリーだが、現代の価値観、あるいは平和日本の価値観が崩される。並行する断片的な話が文章の切れ目なく短い文章で入れ違いに出てくるので、最初はわけがわからないがそこをつかむとこれも臨場感のある表現だと思った。

・NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン
 /ダーグ・ソールスター , 村上春樹訳
ノルウェイの作家、村上春樹が惚れ込んで翻訳したらしい(後書きから)。不思議な物語ではある。興味のある方はアマゾンの評とか見ていただくとして、図書館で借りるレベル(買うほどではない)の本だと思ったのが正直なところ。あとは村上さんは英語版から訳してるんだろうけど、距離がマイル表示なのが腑に落ちない。ノルウェイはメートル法の国になってるんだけど原作はどうなんだろう?
それから息子の頑なな性格を表すところがこじつけっぽくて不自然だった(これは原作の問題)。主人公の考えで進行、というか主人公が一人で悶々と憶測して勝手な思い込み的な感じもあって、こういう人もいるかも、ってのはどうでもいいか。

・望遠ニッポン見聞録/ヤマザキマリ
息子から借りた本で、文化や習慣の違いが軽妙な文章で書かれていてなかなかと面白い。他にヤマザキマリの「仕事にしばられない生き方」、「国境のない生き方」の2冊も借りている。

あとは買ったものの一向に読了できてないのが数冊以上はあるかな・・・、ま、そのうち。

それから、昨日は兵庫県立美術館で開催中のゴッホ展を見に行ってきた。印象派との関連を見る企画はなかなかとよいが、ゴッホの初期作品はやたらと暗くて、ランチ後ということもあって見ているうちに眠くなってしまった。印象派のコーナーで一気に目がさめたけど。

一番印象に残ったのは、ゴッホではなくルノアールの「ソレントの庭」で、カバー(透明アクリル板)もワニスもない、あざやかに描写された油絵の画面がそのまま剥き出しで鑑賞できた。これだけでも見る価値あり。ゴッホの後期作品もよかったけどね。

Sorento

家族3人、車で行ったんだけど美術館の駐車場が満車なので、ヤマダ電機に停めた。ここは最大料金500円、安くてもなにか買えば2時間は無料だからお勧めだ。我が家は電球1個160円也で、4時間くらいは停めていたのに駐車料金200円也。美術館の駐車場は周辺の駐車場よりずっと高い!

しまった、Voyageの原稿を今月中に書かないといけないのと、確定申告(医療費控除)があるんだ。

Voyageの原稿がねぇ~、なかなかと手が付かないのであります。

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2019/08/25

琳派イメージ展

暑い夏、お盆も過ぎて8月もあと残すところわずか。

ということとはまったく関係ないけど、2015.10.19に書いた記事が下書きで残っていたので、今更ながらアップです。だから季節がずれてますが、当時は定年過ぎたとはいえ、まだフルタイムで働いていたころかな?

今はこんなに面倒くさいこと、考えなくなったな~(^_^;)。それにここで書いている見本市も行かなくなった。なんせ家内と2人で行くと交通費だけで7000円以上かかるんでねぇ。

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<2015年10月の話>

この土曜日、画材業界の見本市が京都勧業館であった。

毎年家内も一緒に行くのが恒例で、まぁ、今年も顔だししとかないといかんかなぁ、ということで行ってきたが、ちょうどチケットをもらっていた「琳派イメージ展(京都国立近代美術館)」がすぐ近くで開催中なので、そちらメインで行ってきた。

業界の方は先細りで年々規模が小さくなっているようだし、出展内容もまったくといっていいほど代わり映えがしない。

画材というのも特に大きく目新しい物が必要とされていないといっていいかもしれない。周辺商品(といってなにかという説明は面倒なので省く)では新しい物が出たりはするのだが、そうはいっても画期的にどうこうというより従来の延長線上のものばかりだ。とにかくCGを含めて表現手段が多様化して、描画材料というのがその一部でしかなくなって久しいといえるだろう。

だから製品開発に携わる身としては目新しいものがない見本市にいっても、ほとんど得ることがないというのが実感で、まぁ、今年もその通りだったので、さっさと切り上げて美術館に向かった。

家内は以前に別の琳派展に友人と行ってよかったということで、多少は期待していたのだが、結果としては「琳派イメージ」とはよくつけたなぁ、というか、「画像はあくまでイメージです」っていうやつだ。(^_^;)

作品は明治から現在に至る作品を並べているのだが、これといった目玉になるような作品が見当たらない。琳派の流れがそれなりにわかるのかというと、そういう展示でもなくてとりあえず集められた作品を並べましたみたいな?

その中では明治、大正、昭和初期と時代が古いほどよい作品が多かった(というほどの数はないのだが)。年月に耐えて残ってきた作品の持つ力のようなものがあるのだろう。

また、制作年代をみて、その時代との関係で見てみるというのも、時代が近いだけに想像しやすいところはあるといえる。なんとなくだが、第二次大戦までと終戦後、そして現代という括りで考えていた。

明治は開国によって一気に西洋絵画技法が入ってきたことによる大きな変化があったと思う。そうした技法を取り入れた作品は、なにか新しい方向を目指そうという意気込みがありそうに見える。

明治から大正、昭和初期は、明治から続く海外出兵、いってみれば侵略戦争時代、取った取られた、出征した、戦死した、というのがごく日常的に語られた時代で、そんな影響も見えないことはない作品もある。こういう見方はしたことがないのだが、これは先の安保関連法案騒ぎと、牛歩で読んでいるKindle版無料「我輩は猫である/夏目漱石」の中の会話から見て取れたことが影響しているといえる。

また1943年の作品となると、すでにかなり国全体が困窮してきていたのではないかと思うが、その時代でも絵を描き続けるというのはどういうことだったのだろうかと想像してみた。相当な覚悟がいったのではなかろうか。

戦後になると、価値観が逆転して生活も苦しいが新しい時代が来るという将来への希望のようなもの、また戦後に台頭してくる現代美術の影響もあるだろう。ここにも明治初期と類似した新しいものへの探求があるような気がする、が、これは後付の理屈かもしれない。

現在の作品となると、琳派というのがもうほとんど素人目にはわからない現代美術だ。

そしてどういうわけか、池田満寿夫とマチスの版画がいくつか展示されていた。

池田満寿夫も昔は色んな所に出ては話題を振りまいていたけど、亡くなられてからはとんと噂を聞かない。作品はそれなりに生き残っているのだろうか。少なくとも今回の展示では他の作品に比べてもあまり目立った作品とも見えない。

一方で、マチスはもうこれはマチス大先生、相変わらず、ということだが、比較的小さな版画作品群なので、ポスターを見ているようなものである。

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ということでありました。もちろん、「吾輩は猫である」はとうに読了していますが、その後、何年かあとに読みだした「夜明け前/島崎藤村」(もちろんKindle無料版)は第二部の上の途中で止まったまま、一向に進んでない。

読書というとほとんどは図書館で借りたものになっていて、返却期限があるからなんとか読むんだけど、Kindleに入っているのはいつでも読めると思うとほったらかしだな(^_^;)。

画像はなにかないと淋しいかと思ってアップ。我が家から少し北に行ったあたりは田園風景の田舎だけど、これはそのあたりの風景。

昔ながらのラジオ電気店というのがいいですな。

それからとなりの自転車屋さんには昔懐かしの「宮田の自転車」というロゴの半分が見えている。Wikiによると紆余曲折の後に今は台湾の企業に売却されてMIYATAになってるみたい。

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2019/06/06

イタリア旅行記-27 ミラノ-最後の晩餐

2016年6月10日 その3

いよいよ「最後の晩餐(L'Ultima Cena)」の鑑賞だ。

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右のレンガ作りが待ち時間に見学したサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、その隣の田舎の民宿かと思う質素な黄色の建物の中に「最後の晩餐」が保存されている。

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建物内に入ると、前のグループが退出するまでの待合室があり、そこに展示されていた戦災にあったときの写真。

上側の写真で膜に覆われた壁がかろうじて残った壁画部分だそうで、風前の灯火だったことがよくわかる。よくぞ残ったものだと思うし、この写真と冒頭にあげた現在の写真との違いにも改めて驚く。

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待合室の入り口(だったと思う、たぶん?)。ガラスがアンバー色で紫外線カットになっているのがわかる。

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待合室も昔の建物の再現になっているようで、残されている壁の一部がはめ込まれていた(レプリカかもしれないが)。奥の扉が壁画のある部屋に通じていた、と思う(これも記憶が曖昧)。

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前のグループが退出したので、いよいよ鑑賞に向かうが、壁画のある部屋への通路はエアロックになっていて、外気が直接入らないようになっている。待合室から通路に全員が出たところでその扉が閉まり、通路を通って壁画のある部屋の扉が開いて、中に入るとその扉は閉じられる。通路には壁画の写真が展示されていた。

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通路から見えた教会。

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とうとう世紀の名画に会えた。

その感動は筆舌に尽くしがたい・・・、ということで写真のみアップします。興味のある方はWiki(最後の晩餐)など、ネットに色々とあるので、そちらを読んでください。全体に照明が暗く、写真も暗くなっていたので、以下の各部分の写真は画像ソフトで修正しています。

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中央のイエス、斜め左下から。

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イエス、正面から。

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イエスの右。

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右端。

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イエスの左。

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左端。

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全体に照明は暗いのは保存のためには当然だろう。

「最後の晩餐」の反対側には、ジョバンニ・ドナート・ダ・モントルファーノによる「キリストの磔刑」、そして左右の壁にも残った壁面(画?)の一部があるが、僕も含めてみんなそちらはあまり見ていない。世紀の名画を前にしては致し方ない。

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全体の様子。

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反対側の壁画。

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反対側の壁からみた「最後の晩餐」、とうとう退出の時間がきた。こちらを向いてカメラを構えているのは家内。

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外に出ると、コンダクターさんが待っていた。

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歩いてバスに向かうツアー一行。

補足ながら動画、とはいえ暗い照明のもとで解像度も低いので鑑賞には耐えないけど、全体の雰囲気はわかると思う。PCの全画面表示でみると部屋全体の感じがわかるんじゃないかな(Cocolog仕様変更以前は全画面表示ができなかったけど、今はできるようになっています)。

15分と短いとはいえ、わずか25名だけで静かに鑑賞できるというのは、とても贅沢な時間だった。

 

壁画の正面で下から見上げていると、だんだんと涙が滲んできた。そのときに頭の中で自然に、バッハのマタイ受難曲の最初のコラール、「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け (Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen)が流れた。高校生のときから何度聴いたかわからないくらいに身に染み込んでいるが、信仰心とは無縁の身ながら「とうとう出会えた」という以外にないほどに感無量だった。

 

さらに蛇足ながら付け加えると、徳島の大塚国際美術館には、サン・ピエトロにあるミケランジェロの「最後の審判」の複製とともにこの「最後の晩餐」の複製もあるのだが、残念ながら「最後の審判」の素晴らしさに比べると「最後の晩」餐の複製はあまり感動的ではなかった。

その大きな理由が壁画の位置にあると、これらの写真をみて改めて思った。

「最後の晩餐」は地上2mほどのところにあり、下から見上げるのだが、大塚国際美術館の方は人の目の高さに置かれており、それが見やすい反面、本来の見るべき位置から見ていないという大きな欠点になっている、というのが、そのどちらの壁画の実物も複製も見た者としての意見・・・なんか自慢話みたい、というか自慢ですな(^_^;)。

「最後の晩餐」も「最後の審判」と同じように置かれた部屋の再現、全部とは言わずとも壁面の配置は再現してもらいたかった。

-イタリア旅行記-28に続く-

 

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2019/06/05

イタリア旅行記-26 ミラノ-Santa Maria delle Grazie

2016年6月10日 その2

早朝のスフォルツェスコ城見学の後は今回のツアー最大の目玉、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」鑑賞だ。

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「最後の晩餐」は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)にある。感謝の聖マリア教会とでも訳したらいいのかな(写真はバスから降りて教会まで行く途中)。

が、今回、ちょっとした問題が。

「最後の晩餐」鑑賞は完全な予約制、時間制で一度に25人まで、15分間しか鑑賞できないが、今回のツアーは28名で3人が定員オーバーだった。そのため、僕ら3人はツアー25名が見た後のグループでお願いしますとコンダクターから頼まれた。

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そういうわけで、ツアーのみなさんが鑑賞している間は教会の外で待つことになったけど、おかげで観光客もいない静かな教会本堂をゆっくりと見学できたのだ。上の写真のレンガ色の建物が本堂。

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教会前を通るミラノ市電。

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教会入り口、拝観料はいらなかったと思う、もうよく覚えてないけど(^_^;)。

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教会内部に入ると見事なアーチと円柱で、装飾も素晴らしいが、サン・ピエトロのような金ぴかではなく、質素な印象さえ与える。

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僧侶が二人。

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教会内には祭壇画というのかキリストにまつわる絵画があちこちに、ごくありきたりな風に飾られている。

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聖母子像もごく自然に。

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キリスト像に祈る人。

日常の中に宗教、教会があることが感じられるが、考えてみれば日本でお寺に行った時と同じかもしれない。

ただ多くの日本人は信仰心というよりは習慣的なものが大きいだろうと思う。最近はイタリア人も以前ほどには信仰深くはなくなってきたらしいけど。

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教会内の別室のようなところで、なにか祭式のようなことが行われていた。一族が集まっての法事みたいなものかと思うがわからない。

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天井画も奥ゆかしく荘厳だ。

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教会内にあったオルガンだがパイプは見当たらなかった。あとで専門家に聞いたところでは、据え付けのパイプオルガンではなく、電子オルガンの教会向けのものだそうで、教会内の天井か壁にスピーカーがあるはずということだった。

たぶん昔はパイプオルガンがあったのだろうけど、教会は戦災で焼け落ちたらしいので、そのときに壊れてしまったのだろう。しかしその教会がここまで修復(復元)されているのも驚きだし、それが「最後の晩餐」のある場所にもかかわらず観光客はほとんどいなくて信者しか訪れなさそうだから、やはり信仰が生活に密着しているのだろう。

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教会の中庭もなかなか素敵だ。

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というところで、そろそろ「最後の晩餐」鑑賞の時間が近づいてきた。

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教会全景。正面入り口の簡素な佇まいとは違ってやはり見事な建物だ。

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教会前の広場でくつろぐ鳩と人。

-イタリア旅行記-27に続く-

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