2024/02/12

Golden Competition Exhibition - 2015

最近は趣味と健康ばかりと前回に書いたところで、FB思い出にまだ在職(嘱託)していた2015年2月の今日、勤め先が主催した絵画コンクール受賞作品の展示会を見に行ったときの投稿が出てきた。Blogには書いてなかったので美術関連としてアップしておこう。作者実名は頭文字に変更しました。

以前は職業柄、こうした若い世代の新鮮な美術作品に触れて刺激されることもよくあったけど、そういうこともなくなって感覚をすっかり忘れていたので、会社のホームページで最近のコンクール受賞作品を見てみよう・・・、実物を見ないと真価はわからないけどね。

2020年に米国Golden社との代理店契約は解消したのでGolden Competitionはなくなったようだけど、1990年にスタートしたTurner Awardは今も続いているし、それ以外にもいくつかのコンクールがあるようだ。

始まった1990年はまだ大阪に住んでいた時だ。心斎橋かどこかの展示を見に行った覚えがある。その頃はまだ小規模でマイナーなコンテストだったけど30年以上続いているからそれなりにステータスのあるものになってるんだろうな。

僕は審査には関わっていないけど、併催していた商品説明会のために東京まで行ったような覚えがある。

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2015年2月12日

今日は会社を早めに切り上げて、大阪天満橋のアートコートギャラリーで開催中の絵画コンペの展示会を見に行ってきた。今日が最終日。

ウチの会社が主催したコンペなんで、主催者特権(?)で勝手に写真を撮ってきたけど、ガラケーなんで画質は悪いです、すんません。
しまった、昨日届いてたタブレットをこういうときこそ持っていくべきだった。

仕事でお世話になっているFBフレンドのHさんの作品もあります。佳作だったのは、ちょっとおとなしい感じだからかな。大体こういうのはインパクトがある方が審査員受けするのかもしれないけど、審査員によって選考はずいぶん変わるので、順位というのはあまり関係がないと思っています。

なんだこれ、なんでこれ?ってな作品もありました、あくまで私見ですが。

学生の部の大賞がとくに面白かった。画面全体に透明な厚手の層が重ねられてまたその上にも薄い描画があって、画風は全然違うけど、ギュスターヴ・モローを思い出した。

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ギャラリーは桜ノ宮駅から少し歩くけど、なかなかよい散歩道です

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作品展示

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この丸い作品から奥は学生の部

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学生の部大賞(左)

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手前は一般の部、丸い作品から奥が学生の部

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左端が一般の部の大賞(ゴールデン賞、だったかな(^_^;)

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Hさんの作品、素敵な絵ですが、まわりの作品と較べると、小さめでおとなしい印象を受けました

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作品展示

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外から見える、なかなか素敵なギャラリーです
使用料が高いらしく、安いところにしようという話もあったようですが、結局変わらず
その分、オープニングレセプションの飲食費が削られたかも・・・、しらんけど

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暗くなったので帰路に

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右手ビルのよこに小さく光る三角は大阪城
去年は大阪城で開催されたインターナショナルジャズデイを聴きに行ったのだった

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2023/12/30

秋のイベント2023-10月は台湾旅行など

月初に書いた「秋のイベント2023」の続き-10月の出来事:

10/8 地元の岩岡神社秋祭り-コロナで昨年までは中止になっていたので、みな楽しみだったでしょう。といっても農家などの昔からの地の人たちのお祭りなんで、新興住宅地(といっても30年以上)の我々は見に行くだけですが。

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10/16-19 台湾旅行:4年ぶりの海外は、関空から台湾南部の高雄に飛び一泊、翌日に台中移動で一泊、3日目に台北移動一泊して帰国の3泊4日の旅。異国情緒はあまり感じない台湾だったけど、コロナに加えて台中関係がよくないせいか中国人団体客が全然いないので、さほど混んでいなかったのでよかった。

高雄近郊の文武廟

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台北の故宮博物院は、以前はラッシュアワーの駅なみとかいう話だったけど、今は目玉の展示も含めてゆったりと鑑賞できたのがよかった。その写真を一枚。

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至宝の象牙宮:1本の象牙から削りだされた球の中に入れ子状に21層にもなる球が収まる超絶技巧の作品だそうだ。周囲には人があまりいないけど、2017年に家内(バックに写っている)が友達と来たときには人だらけだったらしい。

九份は「千と千尋の神隠し」の舞台ではないかといわれたところ(ただし宮崎駿自身は否定しているらしい)。ちょうど夕暮れで提灯が灯りだしてよい雰囲気だった。

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10/25 「みちのく いとしい仏たち」展/龍谷ミュージアム~西本願寺/京都-東北の素朴な仏像を集めた展示、すぐ前に西本願寺があるので参拝した。

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10月末にはほったらかしだった庭のサザンカの木の陰にコガタスズメバチが巣を作っていたのを見つけて大騒ぎ、専門業者に駆除してもらった。小さな木でも葉が茂って見通しが悪いと何が起こるかわからないものだと、これに凝りて庭木を大幅に剪定したので、疲れたし腰も痛かったな。

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2023/05/02

International Jazz Day Osaka, 2014

Facebookの思い出に出てきた、2014年4月30日に大阪城公園で開催されたInternational Jazz Dayの感想文。

Blogでは行く予定を書いてただけだったので改めて、って9年前だ(^_^;)。

Jazz Day in Osakaの全編が提唱者で司会者のHerbie HancockのYouTubeサイトにアップされているので、興味のある方はどうぞ。2時間近いけど見ごたえがあります。

以下はFBの感想文(覚書)、フレンドでマリンバ奏者のMika Stoltzmanさんから「とてもHonestなコメントですね」とほめて(たぶん)いただいた。

International Jazz Day 覚書1

オープニングの和太鼓と法螺貝、
法螺貝ってあんなに音程と表現が可能なんだ
トロンボーンの人だった
もう何年も前からだろうけど、屋外ステージの大きさとPAの素晴らしさ
昔では考えられないほど音響がしっかりしている
もう確立したシステムなんだろう
裏方は大変だろう
ハンコックとショーターのデュオは何と評したらよいかわからん
すごいな、と思うが
枯れたショーターに潤いのハンコックがからむというのか
ジジさの雄叫び、でもないなぁ、
秋吉敏子とルー・タバキン、なんか学生の頃に色々と活動が話題だった
見たところではあの頃とふたりとも変わらんみたい
当時でもいい年だったんではないかと思うから、もう何歳だろう
途中で敏子さんが飛び跳ねていた
ただ、昔はともかく、今の時代に和風旋法だからどうなんだという気がしないでもない
日野皓正、なんかやっぱり外観は昔の面影はないけど、相変わらず
といってもよく知らない、実際にみたのは初めて
昔からのメインストリーム的ジャズかな、こういうのは本当は苦手
一番盛り上がったのは、マリから来た歌手のうた
世界的にはハーモニーのない音楽が大半というのを改めて感じた
リズム、ビート、グルーブが第一、それから旋法
ブルーズ
ジョンスコは出番が多かった、この人も実物は初めて
プロのブルーズ、本場もん、初めて
やっぱ、ブルーズは小学校の頃のベンチャーズとかビートルズで
からだに染み付いている気がする
自然に流れに乗れる
ボトルネックがトラックスとはかなりスタイルが違う
ディオンヌ・ワーウィックはもう年か
普通に歌うところはいいが、高音とかフォルテになると声が出ない
大御所だからみんな敬意を払ってるんだろうか
アール・クルーは出番がごくわずかでがっかり、
まともに出演してほしかった
ラウンド・ミッドナイトのイントロをちょろっと弾いただけだった
ボーカルのガンバリーニさんは秀逸、きれいな人だと思うけど、大画面で大写しだとミスター・スポックを思い出してしまう
小曽根真さんも出番が割とあったけど、途中で帰ったのか、フィナーレには出てこなかったみたい
ラテンの曲、ブラスとピアノモントゥーノ
シーラEのドラムと、あれは誰かな、ラテンのティンバレス奏者?
一緒に叩いていたけど、シーラも同じようなパターンで叩き続けるもんだから、音がごちゃごちゃになって区別がつかなくなっていた、適宜交代みたいにしていればよかったのにもったいない気がした

International Jazz Day 覚書2
音楽じゃないけど、ハンコックのスピーチも力強く訴えるパワーがあった
画面には字幕が出ていたから準備していたんだろうけど、難しい言葉をつかわないし、とても聞き取りやすかたので、英語そのままで言葉の力が伝わってきた
英語を勉強したことが、こんなところでも役に立った
Thanks, WB! (といってもWBにしかわからんけど)
ショーター&ハンコックの二人の演奏中に思い出したのが、添付の北斎の最晩年、90歳で描いた肉筆画「李白観瀑図」だった
ショーターのソプラノの音に、90歳になってもなお挑戦し続ける北斎を思い浮かべた
ショーター氏はまだ80歳だそうだから、これからでしょうか

Hokusai

「ショーター氏はまだ80歳だそうだから、これからでしょうか」と書いていたけど、残念ながらこの3月に89歳でお亡くなりになりました。

合掌(-人-)

「Thanks WB!」と書いているWBさんは、30年近く前に通っていた英会話学校のインストラクターだった人で、FBでコンタクトできてフレンドになっているアメリカ人だ。

それから「ブルース」ではなく「ブルーズ」と書いているのは、某知人が”ス”ではなく”ズ”と英語通り正しく濁った発音にすべきだと言っていたので、それにかぶれたから(^_^;)。今はまたブルースと言ってます。

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2022/12/14

ミュシャ展@植野記念美術館 - 2018年師走

Facebook過去ログからのコピペ & 加筆修正。

2018年の師走、ワーキングホリデーでアイルランドに行っていた息子が帰国して半月ほどしたころの話ですので、当然ながら展示会はとっくの昔に終了しています。

*2018.12.14

欧州本場で美術館めぐりしてきた息子が丹波の植野記念美術館で開催中のミュシャ展を見たいというので、それならと久しぶりに丹波まで出かけました。

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これは美術館サイトから拝借した展示会チラシ画像。

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とりあえずランチを、と思ったが、主要道路沿いのファミレスは混んでいて待たされそうなので、FBフレンドの木工作家さん出展のクラフトショーで何度もきておなじみな丹波年輪の里にあるレストランへ。

ここは穴場で平日ならランチ時でもガラガラ。

だからあまり儲からないのでしょうか、また運営会社が変わったみたい(^_^;)。知ってる範囲で3回目かな?

*2022年12月現在も年輪の里レストラン ウッディーハウスとして営業しているようですが、経営が同じかどうかは不明。

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開店して2週間(2018.12)だそうだけど、レストラン自体はずっと前からあり、開店、閉店を繰り返しておるという・・・

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ランチも食後のコーヒーも足のついたお盆に乗ってやってくる。

ランチ後はミュシャ展へ。 国内のコレクションを集めたのかと思ってたら、チェコのチマル・コレクションから約150点の出展という結構な展示でした。 リトグラフに加えて素描、挿絵原画など、油絵も2点あり、なかなかと見応えのある展示です。 特にサラ・ベルナールのリトグラフ6点は圧巻でした。

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会場入口。展示内容については美術館サイト過去展示会資料から引用(リンク先で下へスクロール)、というより丸コピですが:

 19世紀末から20世紀初め、西欧を中心に広がりを見せた芸術思潮・運動であるアール・ヌーヴォーの旗手としてその中心であったアルフォンス・ミュシャ。1860年現在のチェコ共和国で生まれた彼は、1887年フランス・パリに渡り、美術アカデミーなどで学んだ後挿絵画家としてまた装飾家として活動していましたが、1994年偶々依頼された劇場ポスター「ジスモンダ」の成功により、女優サラ・ベルナール共々一躍表舞台に立ちます。その後は、ミュシャ様式とも呼ばれる曲線を多用した華麗な装飾に縁取られた象徴的な女性をモチーフにした作風は、アール・ヌーヴォーの中心的な位置を占め、自身はポスターや装飾パネル、デザインの分野で活躍しました。

  1904年からはアメリカでも活動し、1910年にチェコに戻った後は、画家として自身の画業を全うするため、かねてから構想していた大作「スラブ叙事詩」の制作に着手し、並行して母国のために切手や紙幣のデザインやポスターの制作も行い、チェコを代表する画家として祖国を想い民族色に彩られた個性的な作品を産み出していきました。

 本展では、ミュシャの祖国チェコの医師ズデニェク・チマル博士の親子三代にわたる膨大なコレクションから、代表的なリトグラフのポスターや、装飾パネル、素描、挿絵原画、油彩画など約150点を選び紹介します。彼自身がかかわってきた初恋の人をはじめ作品のモデルにもなった娘ヤロスラヴァまで、ミュシャの作品とその生涯を彩った女性たちを「運命の女たち」として捉え、ミュシャの作品世界に迫ります。

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美術館は内装もなかなかと素敵です。

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さりげないお花がいいですね。

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2階のエントランスを3階からみたところ。

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美術館前景。こじんまりとしている中にも威厳のある佇まいです。

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知らないうちに誤って撮ってしまった石畳がなんとなくいい感じ。

これだけ見て800円は安い、ガソリン代の方が高かったかも(^_^;)。 植野記念美術館は大きくはないけれど、とてもきれいな美術館です。 ちょっと遠いのが難点といえないこともないけど、秋の佳き日のドライブ、帰路は秋の暮れゆく陽に金色に映える枯れた田畑に山々を楽しみました。

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氷上の三叉路、Y字路でないのが残念。

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175号線を南下。左にパトカー、どうやら信号無視のネズミ捕りの様相、アブナイ、アブナイ。

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美術館の後は、小野の温泉ゆぴかでのんびり。もうすぐクリスマス。

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温泉にゆったりとつかって帰りました。

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2021/08/13

あやしい絵展 @ 大阪歴史博物館

久しぶりの美術関連。

大阪歴史博物館で開催中の「あやしい絵展」に行ってきた。

デルタ株感染が拡大し、大阪に続いて兵庫県も緊急事態宣言となりそうなこのご時世に、美術鑑賞などという不要不急の用件で県/府境を越えるなど言語道断ヽ(`Д´)ノ!、といわれるかもしれないが、バッハ会長の銀ブラに対して某政府関係筋からは「不要不急であるかはご本人が判断すること」とのご託宣もあったことだし(^_^;)、会期が今度の日曜までという中で、なんやかやで行けずだったのでねぇ。

*2021.8.15加筆-兵庫県は緊急事態は見送り、まん延防止重点措置地域を拡大することになりました。
* 8.16:兵庫県は政府に緊急事態宣言発令を要請しました。
   蛇足ながら、家内も僕も7月中にPfizerワクチン2回目接種を終えています。

その代わり公共交通機関は使わず車で直行し、開場の9時半前には到着した。

田舎道ばかり運転している身で大阪市内を走るなんて出来るかいな?、と思ったけど、Googleで道順みたら、阪神高速東大阪線の法円坂出口を降りて左折してすぐのところにあって、会場へは地下駐車場からエレベーターで上がるだけだった。

それに阪神高速神戸線から東大阪線は大東市に住んでいた頃に神戸の実家(当時)までよく往復した懐かしの道だから、ストビューを見ているうちにほぼ思い出した。

以前に行ったときは電車乗り継ぎでずいぶんと遠く感じたけど、車で行ったら自宅から1時間少々、料金も家内と二人なら駐車料金やガソリン代を入れても電車利用より割安だ。高齢者運転が課題ではあるけどね。

下の写真はB2駐車場から上がったところ、外はかなりの雨で、名物の吹き抜けガラス張りの外面を雨水が川のように流れ落ちていた。

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開場と同時に入ったのでまだ人は少なかったが、その後は混雑というほどではないにしても雨の中を次々と人が続いてきていた。

展覧会そのものは、僕はまぁまぁというところだが、家内は大満足だったので、よかったよかった。

内容は公式サイトをご覧頂くとして、僕はメモみたいなことだけ書いておこう、ってメモばっかだけど。

展示は幕末から昭和初期の「あやしい」を題材にしているが、怪異と妖艶の両面を追った展示のようで、また当時の世相を反映したらしいが、女性像が多かった。

全体に日本画が多いが、本の挿絵も多く展示されていた。

与謝野晶子の明星にミュシャっぽい絵(パクリともいうかも)が使われていたのは有名だが、当時の日本人が描いた挿絵もアールデコ調とか、あとはビアズリーの影響も多かった。下は展示されていたミュシャの「Job」。

*2021.8.15訂正-ミュシャはアール・デコではなく、アール・ヌーヴォーでした。

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一番印象に残ったのは、島成園の「無題」で、アザのある女性像だ。まさに妖艶の一言、そのあやしい魅力の虜になりそうだ。

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青木繁と藤島武二の油彩画もあった。いずれも作品自体は面白いが、画面が泰西名画のようなしっかりした絵の具の層ではなく、なんだか絵の具を溶剤で薄めて描いたような頼りなさを感じてしまったのは、以前の商売っ気が出てしまったか(^_^;)。一般論として強度的には西洋画よりも弱そうな日本画の方が、しっかりした描画層が感じられたのはなんとも皮肉だ。

下の作品は「婦人と朝顔/藤島武二」、何を想っているのか?、描画層の頼りなさが女性の揺れ動くような不安定さをいや増ししている、のかも?

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最後の方に展示されていた、山名文夫のカフェ・バーのデザインや荻島安二のマッチデザイン(下)もレトロでモダンでよかった。

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最後の写真は6階展示場出口の窓からの大阪城と市内の眺め。

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晴れていたら市内や生駒の山も見えたと思うと残念だが、雨に烟(けむ)る大阪城とビルもなかなかと風情があった。

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2021/04/22

絵画の思ひ出

わざとらしいタイトルは、わざとらしい・・・、なんのこっちゃ?

Vladimir Volegov氏はロシア出身、今はスペイン在住という画家で、Facebookでフォローしている。

油絵できれいな女性ばかり(たぶん)書いている人で、描画中の映像をよく公開していて、これも最近FBで見た動画だ。

美人ばかり描いてるからフォローしてるんだろうといわれればその通りなんだけど、心が安まる画風だからね。

いわゆるウェット・オン・ウェットという技法で、絵の具が乾いていないうちに重ねていくことで微妙なグラデーションを描き出すと同時に制作時間も短縮される。

一時期、日本でも流行った「ボブの絵画教室」も同様の技法だったがアメリカではまた注目されているようだ(CNN)し、僕もボブさんのことはBlogを始めた翌年に書いている(2005年3月だから、もう16年も昔のことだ)。

当時はまだ仕事のこともあって絵画への関心が高かったがその割にはいい加減な知識しかなくて、ウェット・オン・ウェットが伝統的な技法ではないようなことを書いたが、実際にはゴッホなんかもこの技法じゃないかと思う、たぶん。

今更ながら訂正いたしますm(_ _)m。

印象派あたりが伝統的かどうかは別として、もっと古い時代(ルネサンスとかそれ以前とか)にはグレーズ技法で空気感を出すとか、またいい加減な知識だけど、グレーズは乾いた画面に透明感のある絵の具を重ねて遠近感や空間表現をしたんだと記憶するが、同時にウェット・オン・ウェットもあったには違いない。

まぁ、技法云々は自分が描くわけじゃないから机上の空論みたいな話だけど、このBlogでも以前は展覧会に行ったこととか、取引のあったアメリカの画材メーカーの方々の来日講義、講習会の通訳でドサ回りしたこととか書いてた、とはいえそれも今は昔。

う~ん、何を書きたいのかわからんくなってきたけど、上の動画を見ているうちに、実は僕も子供の頃は絵を描くのが好きで、絵の具をペトペトと塗ったり、一時期はペン画をしてたりとか、音楽よりも図画工作/美術の授業の方が成績がよかった時期もあったことを思い出したのだ。

名古屋にいた小学校のときは授業で描いた絵がいつの間にか市のコンクールに出展されていたらしく、何かの賞を受賞して地元新聞に名前が載ったらしい(賞状は引っ越しの際に行方不明)し、中一のときに描いた絵は他校との絵画交換で行ったきり、中二になる春に神戸に引っ越してその後しばらくは美術部にいたことがあって、その時描いた絵はしばらく職員室の前に掲示されていた(これは屋根裏物置にあるはず)し、当時の実家から裏の摩耶山風景を描いた夏休みの美術課題は当時の担任が気に入ったからと勝手に持って帰ってしまった。

美術部は他の部員としっくり行かないとか、担当の美術教員とも今ひとつ相性が悪いとかで立ち消え的に行かなくなった。正直、神戸の中学生活は、名古屋のときに比べるといい思い出がほとんどなくて、だから同窓会も2~3度出席しただけで、今は案内が来ても欠席している。

高校になってからは音楽を選択したが、家ではシコシコとペン画を描いたりしてた、その名残が下の写真で、71.10.11の日付だから大学に入った年、PICKS-CLICKSさんから借りたJeremy Steigのアルバム"Wayfaring Stranger"を4トラオープンリールに録音して、その箱のジャケット代わりに描いたのが左で、右がジャケットだ。

僕よりはずっと絵が上手な家内にいわせると、写真に比べるとお顔にしまりがないと言われてしまった(^_^;)。これが最後のペン画、他の絵はどこかに行ってしまって雲散霧消、いつの間にか消え去った。

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せっかくだから、そのWayfaring Strangerをアップしておこう。

 

ただ絵の具メーカーに就職したのはそうしたことが理由というわけではなくて、オイルショックの就職難でたまたま大学に求人募集があったので受けたら受かったという、まったくもって消極的な理由でしかない。

だからひょんなことからアメリカの画材技術会議と業界見本市に出張することになった1987年以後(2004.9.23の投稿で触れている)、そしてアメリカの画材メーカーとの取引が始まった1996年以後(最初の関連投稿は2004.9.21)という外的要因が現れるまでは、美術に関する知識なんてたかが知れている一介のサラリーマンでしかなかった(大半の社員も同じだけどね)。

こちらに会社の沿革があるけど、僕が入社した記念すべき1978年は何も書いてないじゃないか、・・・当たり前だけど(^_^;)。

これは以前にも出したことのある動画の"Georgia On My Mind(志賀由美子)"に使った写真は1987年に初めて一人でアメリカ出張にいって、なおかつ海外有力メーカーや有識者ばかりが出席している会議に出席したときのジョージア州アトランタの懐かしの写真だ、いや懐かしい。あの頃はずいぶんと精力的に行動してたんだ。

材料や技法、作品に関する知識はそれ以後に自分なりに勉強したことに加えて、毎年のようにアメリカから来日しては講習会を開いたMG氏や同伴アーティストを含むアメリカの方々からの受け売りだ。

とはいえもともと絵が好きだったこと、そして家内が絵を描いていたことから展覧会にはよく行っていたことなどが知識のバックボーンになったのも事実だけどね。

だから、何が言いたいかというとVolegovさんの描いている様子を見ていると、こういうこともやってみたい気もするわけで、実際、老後は絵も描いてみたいと思ったこともあった。

しかし実際にその身分になった今は、そんな時間はない、ということも実感するこの頃ということです。

まぁ、ダラダラした中途半端な隠居生活ではあるけど、ヴィブラフォンとギター、たまにピアノの練習に、月二回のドラムレッスンの教室、それに去年からは週一回(ときどき休むけど)の杖道教室、さらにそこでの居合と、それだけで頭と体がもういっぱいでございます(FB覗いたりとか、ネットサーフィンとか、音楽聴いたりとか、Blog書いたりとか、その他の所持雑事、証城寺の狸囃子も多いけど)。

老後はねぇ、やっぱり体を動かさんといけんでしょう、だから杖道、居合道は、週2~3回とはいえ、近所の八幡さんか公園で1時間前後の稽古に週一回の教室で体力維持、できれば増進を図りたいし、今のところは新しいことを学ぶ面白さ、体を動かす面白さが継続の力になってます(写真はいつも行く小さな八幡さんではなくて、秋祭りや年始の車のお祓いに行く大きめの神社境内)。

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というところで、これまで公私を通じて蓄積された絵画とその材料、技法関係の知識というのは貴重かも、とは思いまするが、まぁ、そういうものは会社の後進に将来は委ねて僕は引退したということであります。アメリカとの取引も僕の退職と時期を同じくして終了したし。

ということ以上に、たとえばアメリカ出張して世界の画材メーカーや市場などに直に接したとか、その時にボブさんをみかけたとか、海外一流メーカーや有識者の方々と会議や書簡のやりとりをしたとか、そして米国での規格を成分化したとか、来日されたMG氏たちとの講習ドサ回りで得た知識に加えての美術関係の方々との交流とか、彼らと食事などしながらの雑談とか、そうして僕が得た様々な経験は、経験しないとわからないことが多いんで、そのような事柄は後進の方々が彼ら自身がこれまで、そしてこれからの経験で蓄積していくより仕方がないかな、ということで、当たり前のことながら僕の蓄積は僕の人生とともに消えゆく~、といういことを一度は書いておきたかったのでありました。

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2020/10/30

常設展示室/原田マハ

最近は読書はメモ程度しか書いてなかったけど、珍しく一冊を取り上げてみよう。

「常設展示室/原田マハ」

大人のラノベなんていう人もいる、っていうか僕もそう書いていた原田さんだが、美術に関連するとさすがと感じさせる短編集。まぁ、突っ込んでみたくなるところはなきにしもあらずだけど。

以前に「ジヴェルニーの食卓」を読んだときの感想にも書いたけど、原田さんは短編の方がよいと思う。

それぞれに一枚の絵画を絡めた話になっていて、美術館員とかギャラリー勤めとか美術教授とか、すべて美術に関係している女性が主人公になっている。

・群青(The Color of Life):盲人の食事/ピカソ(美術館サイトの画像と英文リンク)

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NYのメトロポリタン美術館に勤める日本人、徐々に失われる視力、似た境遇の絵画好きの子供との出会い、そしてピカソの絵で締めくくる。

美術館で開かれる子供向けのワークショップでピカソの絵の説明とか子供たちの言葉が出てきて、それに対する主人公の思うところが少々ひっかかった。

描く対象に深く寄り添った画家の心が見えるようだった。ピカソは、恵まれない人をそっくりそのままキャンバスに写し取りたかったわけじゃない。励ましたくて、この絵を描いたのだ。

最後の「励ましたくて・・・」っていうのが、ほんまかいな?っていうのと、なんか小学校の模範解答みたいな~(^_^;)。美術専門家にとやかくいうのもなんだけど、この辺が原田さんらしいのかな?

美術館サイトの英文解説は簡潔すぎてよくわからないが、描かれているパンと壺はキリストの肉と血を表し、キリストの恩寵を表す(現代的な意味合い?)らしい。ピカソ自身の手紙に「左手にパンを持ち右手はワイン差しを取ろうとしていて、彼を見つめる犬を描いた」とあるそうだが、左下にいたその犬は後に塗りつぶされて今の構図になっている。一種の宗教画といえそうだ。

それから、かつての画材専門家として引っかかるのは、タイトルの「群青」だ。

ピカソの青の時代の青はプルシアンブルー、和名は紺青で合成のフェロシアン化鉄、北斎も愛用した青色顔料だが、群青は一般的にはウルトラマリンでアルミやナトリウム、ケイ素、硫黄などを含む合成青色顔料、天然ものはラピスラズリだ。だからピカソの青の時代は群青ではない(一緒に使ったかも知れないがメインではない)。

絵画の専門家であった原田さんがこうしたことを知らないとは思えないので、あくまで創作のタイトルとしたのだろう(小説の中では顔料には一切触れていない)が、知識のない読者はピカソの青の時代を群青、そしてラピスラズリと誤解するだろう。絵画の専門家がそういう誤解を招くタイトルにするのはな~、と思うわけで。

NYは何度も出張で行っているので、メトロポリタン美術館も2回以上は観に行っているが、作品が多すぎて本作品を観たかどうかも覚えてないのが残念。

とまで書いたところで、一冊取り上げてみようといったくせに書き疲れてしまったのと、本の返却期限が来たので、あとはタイトルと題材の絵画を羅列しておこう。それぞれに一般受けしそうな感動物語でありながら、TVドラマみたいな作りすぎも感じさせなくて楽しく面白く読めた(結末がだいたい途中で読めるとか、ストーリー的に突っ込んでみたいところはあったりしたけど)。

・デルフトの眺望(The View of Delft):/デルフトの眺望/フェルメール

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・マドンナ(Madonna):大公の聖母/ラファエル

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・薔薇色の人生(La Vie en Rose):薔薇/ゴッホ

ゴッホの薔薇はいくつかあるが、内容から上野の西洋美術館の常設展の作品だろう。

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・豪奢(Luxe):豪奢/マティス

この絵かどうか、文章となんか合わないんだけど、「豪奢、マティス」で検索するとこの絵ばかりが出てきたので一応。

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同日追加訂正:どうやらこちらの絵が小説内容とあっているが、所蔵はパリのポンピドーセンターではなく、コペンハーゲンのNational Galleryであるらしい。

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・道(La Strada):道/東山魁夷

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最後の話の「道/東山魁夷」は何処かの展覧会で見た気がするけど記憶が曖昧。

話はイタリアの大学で美術教授をしていた主人公(日本人女性)が日本の美術展審査員とし招かれてなんやらかんやらという話で、審査場面があるが、これで思い出したのが、毎年アメリカに出張していた頃に出席していた画材関係の専門家会議の議長さんがアート・バーゼルで審査員をしたという話だ。

アート・バーゼルはスイスのバーゼルで開かれる世界最大級の現代アートフェア(Wiki)だが、フロリダでも開催(Art Basel in Miami Beach)されている。

その議長さんはフロリダのアート・バーゼルでの審査員となったので、大量に出品され展示されている絵画を見て回ったために、目がとても疲れてたまらんという話を専門家会議のメールの中に書いておられたのを思い出した、というだけの話。

小説の主人公は審査には一点に3分あれば十分といっている(普通はもっと長いらしい)。アート・バーゼルに行ったことはないが、会場がやたらと広くて出品数も大量で、ただ見て回るだけでも大変らしいから、審査に3分としてもそれぞれに3分集中していたら目も心身も相当に疲れるだろうということは容易に予想できる話だと思った次第。

アメリカ出張は1987年から1996年まで毎年行っていた。このBlogを始めて間もない頃だったかに何度か旅行記を書いたが、その頃よりもう少し後の話だったと思う。その会議については、Blogを始めてすぐの頃(2004.9.23)に触れている

その議長さんもだいぶ以前にお亡くなりになったし、会社に僕が保管していた当時の記録書類なども退職のさいにすべて廃棄(PCに読み込み登録したものは残っている)したし、みんな過ぎ去っていくのだな。

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2020/05/11

Swing Era & Voyage脱稿、もどき

まだ原稿ができる前にメモで書いてた内容だけど、なんとか〆切までに初稿を書き上げて提出できたので、今さらの投稿になってしまった。

Voyage前号のジャズに対するスペイン等の影響、ダンスとのつながりなんかの続きを並べたり、ダンスによるリズムの違いなどを書きながら、最後にニューヨークのFive Pointsとタップへ行き着く、という筋書きで書こうとしてたんだけど、なかなかまとまらず、またダンスやリズムのことだけでも字数オーバーしてしまいそうで、その辺りでウダウダしてた。

ということで、面倒だ、一気にFive Pointsへ行ってしまえ、で、やっと初稿できあがり、でも2600字くらいでややオーバーだし、まだまだ修正が必要だけど。

結局、一番役に立ったのは「アメリカン・ミュージック再発見/中村とうよう/北沢図書出版」だった。

以下、今さらのメモと、ちょうどリットーミュージックが音楽雑誌4誌の1年分をフリーDL(5/31まで)という太っ腹なサービスしていた中に、なんと申し合わせたようにRhythm & Drums Magazineのブレイキー特集があったので、そこから引用したインタビューの言葉などなど。

Swingについて

Swing/Wikipedia(English)

Swing時代は1930~1940年代

The danceable swing style of big bands and bandleaders such as Benny Goodman was the dominant form of American popular music from 1935 to 1946, known as the swing era.

Roots:1920年代

Swing has its roots in 1920s dance music ensembles which began using new styles of written arrangements, incorporating rhythmic innovations pioneered by Louis Armstrong and Earl Hines.

Five PointsはまさにSex、Dance、Music、Violenceの吹き溜まり。Jazzという言葉はニューオリンズの売春宿と結びついた言葉だったという話があるが、NYでも同じように音楽と売春宿が結びつき、それにTap Dancingが深く関わってショー化していた。

Five Points Gang

Dance:チャールストン、フォックストロット、色々とあってSwing Eraの華形だったようだが、Jazzと一緒に発展したのは同じ即興性のあるTapで、Jazz Tapという言葉もある。

Tap: Swing, Jazz, Tap Dancing

Jazzがより複雑化してBebop、Coolと変化するにつれてTapは衰退するが、ジャズドラマーがTapを踊った-Roy Haynes、Joe Joensなど多数。

At Blakeyの言葉
Rhythm & Drums Magazine 2019年10月号/Rittor Music
インタビュー Modern Drummer 1984年9号(アメリカのドラム専門誌)
それともう1つ、これはいつも聞いて呆れるんだけれど、偉大なジャズ・ミュージシャンの多くが私達が黒人ということで、みんな私達をアフリカと結びつけようとするんだ。でも、私は”アメリカ”の黒人だよ。私達にはアフリカとなんの関係もない。私達の何人かはアフリカ出身かもしれないけれど、アイルランド人だっているわけで、私はいつも混乱させられるんだ。
(中略)
だから私は、今のジャズがなぜこんなに困難な状況にあるのか理解できない。しかもみんなは、黒人だからというところに理由を求めようとする。ジャズはアメリカの音楽で、肌の色なんかまったく関係ないんだ。

雑誌掲載の文をそのまま引用したけど、おかしなところがあるので、原文はないかと検索したらありましたね~(^o^)v。Modern Drummerのサイトに原文が公開されていたので、Voyageには原文を自分で訳して掲載しよう。字数も自由になるし。

Modern Drummer Sept. 1984

“And another thing that’s always goofed me up is that, since so many of the great jazz musicians are black, they try to connect us up to Africa, but I’m an American black man. We ain’t got no connection to Africa I imagine some of my people come from Africa, but there are some Irish people in there, too, so I’m all messed up. The idea of it is that I’m a human being and it don’t make no difference where I come from.  

それからもう一つ、いつも困るのは、偉大なジャズミュージシャンに黒人がとても多いからと、俺たちをアフリカと結びつけようとすることだ。でも俺はアメリカの黒人だ。俺たちにはアフリカとの結びきなんかない。アフリカから来たやつもいるだろうけど、アイルランド出身だっているし、だからすっかり混乱してしまう。自分は人間ということ、出身地で違うなんてことはないんだ。

Art Blakeyは、タカケンさんにいただいたコメントのおかげで原稿に含めることができたんだけど、今回も勝手ながらコメントをそのまま引用させていただいた。Voyage No.4のLa La Landの原稿のときもそのまま勝手に引用させていただいてます。今さらですが、ありがとうございましたー>タカケンさんm(_ _)m。

それからJazz Ageについてフィッツジェラルドの文も引用したけど、これも訳文は長いので使わずに自分で訳したほうがよさそうだ。

Echoes of Jazz Age:

The word jazz in its progress toward respectability has meant first sex, then dancing, then music.
「ジャズという言葉は社会的に立派な言葉として認められるようになったが、その過程において、最初はセックスを意味し、次いでダンス、その後、音楽を意味するようになったのである。」
ジャズエイジのこだま(1931)/フィッツジェラルド作品集3/F.S.Fitzgerald/訳:井上謙治

「ジャズという言葉は社会的な地位を認められるまでの過程において、最初はセックス、次いでダンス、そして音楽を意味するようになった。」(Echoes of Jazz Age/1931、拙訳)

それから以前にリンクしていたやたらとタイトルの長い1873年の文献は画面の下の方へスクロールしたらpdfでDLできた。

The dark side of New York life and its criminal classes : from Fifth Avenue down to the Five Points ; a complete narrative of the mysteries of New York, by Gustav Lening, 1873

少ししか読んでないけど、Dickensが訪れたAlmack(岩波文庫の注では低級なダンスホールとあった)のようなところは、Concert Saloon(P.371)とかDance House(P.386)と呼ばれたが、実態は "Dens of thieves and prostitutes" or "Hot-beds of corruption and infamy"とあるから、「盗人と売春婦の巣窟、あるいは腐敗と汚名の温床」というところだ。1873年の本だから間違いないだろう。

・写真
最近はVoyage記事のタイトルバックに写真を入れてるパターンなので、今回もなにか無いかと思ってたけど、そういえば90年前後から仕事でNYには何度もいってるし、Five PointsのあったというChina Townの写真もあったはずと探したら、ありました!

Five Pointsを通るMulberry Streetの標識が左端に写っている写真があって、ずっと以前にアップ(New York 1991/2007.1.28)もしていたのだった。

Fh030017_20200508120001

正面の通りがChina Townの真ん中を東西に通るCanal Streetで、それと交差するMulberry Streetを南(写真の右方)へ行くとMulberry Bendという通りがやや曲がるところがあって、それがかつてのFive Pointsの中心らしく、この写真の通りの向こう側(右方)がまさにFive Pointsの北端ということになる。

Five-points

上の地図で赤い星印が写真の場所、斜めに左右に伸びるのがCanal Street、それと交差するのがMulberry Streetで、それを下の方へ降りた赤丸がMulberry Bendだ。

当時はCanal Streetに商品を販売してくれているチェーン店の本店があって何度も行ったし、確かMulberry Streetを上がってLittle Italyを歩いたこともあるけど、Canal Streetより南だと一気に南端のBattery Parkには行ったことはあるが、Five Pointsに該当する辺りには入ってないと思う。

というところで、しかしアイルランドも行ったんだよな~、Irish Danceショーも見に行って写真もあるし~。そっちをタイトルバックにしたほうが見栄えもいいかも?

Img_2158s

これはダブリンで夜に行ったCeltic Nightsのショーだ。で、この写真に差し替えることにした。この方が内容にあってるしインパクトもあるしね。

そうそう、タイトルはFacebookでたまたまフレンドさんがシェアしていた、ダイアナ・クラールの歌う"Let's Face the Music and Dance"という曲の題名がぴったりでいいかと、拝借した。

ところが検索してみたら、なんとこれはタップの名手Fred AstairにGinger Rogersが主演した1936年映画"Follow the Fleet"の挿入歌で、Irving Berlin作曲だったので、まさにぴったりだったんだ(原稿にはそんな説明はいれないけど)。

 

ダイアナ・クラールはそれほど好きなわけではないけど、これはいいですね。

こちらは本家。

Let's face the musicというのは昔のステージでのイディオムらしい(解説はこちら)。

前回まではタイトルが決まったらわりとスラスラと書けたんだけど、残念ながら今回はそうはいかず、かなりウダウダしてしまった。

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2020/05/07

Swing、?

相変わらずVoyage原稿関連の覚書。

そもそもSwingってなんだっていうことがあるね。

Swingの意味も知らずに、やれ「ジャズはスウィングが命だね」とか「誰それの演奏はスウィング感がすごい」だの「あいつのジャズはスウィングしてないからダメだ」などといっている日本人のなんと多いことか、ってとこだ(^_^;)。

僕もSwingというのが実は最近まではっきりとは知らなかった、と告白しておこう。4ビートとか8ビートって言葉が和製英語というのもわりと最近まで知らんかったし。

4ビートはSwing Feel、8ビートはEvenとか8th Note Feelなどというようだ→諸説あります?(^_^;)。

で、以前にも書いた中村とうよう氏のジャズビートはアイルランドのリールが起源という話。

リールの映像がこちら。

アイルランドに限らずヨーロッパには様々なダンス様式があるので断言はしないけど、色々と見てきた印象ではアイリッシュダンスではジグとリールが代表的なようで、これも今までに何度か書いている。

ジグとリールの違いを説明している動画。

 

リールは8分音符に分かれるイーブン系で、ミディアムテンポから速いのまで、タン・タカ・タン・タカ、ジグは12/8拍子で、だからジグの方がSwingに近いように思えるが、リールはイーブンとはいえテンポが速いが、ジグはターン・タタタとかタツツ・タツツなどの3連がはっきり出ていて、やや遅めのテンポが多い。

だからジグはJazzのSwingとしてはかなり遅くて、リールの方がイメージ的にはSwingに近い、というのがおそらくは中村とうよう氏のいいたいことだろう。

蛇足ながら面白いのは、上のリールのリズムが、タツツ・タツツ・タツ(3・3・2)でクラーベに通じるパターンがあることだ。

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2020/05/04

Swing、Irish、Celtic、音楽

Voyage原稿資料羅列の続き。

Art Blakeyの音楽はほとんど聴いてないんで、前回で終わり、なんだけどリットーミュージックがなんと5月10日までの限定で4つの音楽雑誌一年分のフリーDLをしていて、リズム&ドラムマガジンにブレイキー特集があったのでとても参考になった。

では、Blakeyの前に少々書いてた、SwingとIrishの残りをまとめておこう。

 

この中で紹介されているが、映画(あるいは小説)の「Gangs of New York」に次のような台詞があるそうだ。

“Rhythms of the Dark Continent thrown into the kettle with an Irish shindig. Stir it around a few times, pull it out, it’s a fine American mess. A jig doing a jig.”

以下、聞き取り、ではなく字幕書き写し。

Tap is one of the original American art forms.

Tap dancing started in Five Points.

This slum was one of the city's first melting pots.

The percussive dances that nurtured tap, came from African ceremonies, Irish jigging, and British clogging.

In the early 1800's, African-Americans and Irish people lived and worked side by side.

この中で出てくる1897年の文献が、Googleにあった。そのP.372にタップが出てくる。しかしめっちゃ長いタイトルの本だね。

The dark side of New York life and its criminal classes : from Fifth Avenue down to the Five Points ; a complete narrative of the mysteries of New York, by Gustav Lening, 1873

ついでアイルランド音楽について

アイルランド音楽

おおまかにまとめているとアイリッシュ音楽、ダンスは:

・基本的にはダンス音楽だが、音楽のみ演奏される場合もあり
・セッションをするが基本はユニゾンで、同じテーマを皆で弾く(だから誰でも参加しやすい)
・譜面通りに弾かない(フェイク、装飾音など)、あるいはもともと譜面がない=口伝
・繰り返し時は異なる旋律を弾く(バリエーション、あるいは即興の場合もある)

で、ケルトというとアイルランドやスコットランドと思いがちだけど、実際にはアジア人という言葉と同じくらいに大雑把な言葉らしい。

ついでに「スペイン音楽の楽しみ/濱田滋郎」にはローマ帝国支配以前のスペインの先住民として、ケルト・イベロ族という名があり、彼らもなんらかの歌や踊りを持っていなかったはずはないと書いてあった。と思ったら、ケルティベリア人という言葉がWikipediaにあった。

ついで見つけた最近のTap Danceに関する文献:

Tap Dancing America: A Cultural History

Kindel版もあるので買うことも考えたけどそこまではな~、というので、公開されている序文をコピペしておこう・・・、と思ったものの著作権の問題もあるし、各章ごとに序文が公開されてて多すぎるから、まぁ、こういう資料もあるということで終わり。序文読むだけでも参考になりそうだ。

と思ったら、なんと第一章の序文には、Afro-Irishという言葉と、1600年代からのカリブ諸島でのアイルランド人召使いと西アフリカ黒人奴隷との交流にまで遡ることが書かれている。

さて、とうとう編集長から催促のメールが来たんで今週中には書きますと返事してしまったからには、今度こそ原稿にとりかからなくては(汗)。

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