2019/06/20

イタリア旅行記-33 Arrideverci, Italia!

2016年6月11日 最終章 その2

とうとうイタリア旅行も終わり、旅行記もほんとの最終章です。

ヴェネツィアの早朝風景をどうぞ。

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ホテルの部屋の窓から夜明けをみる。

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これも窓からスカルツィ橋をみたところ。

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朝食前に近所を歩いてみる。兵どもの夢の跡とでもいうか、カーニバルの朝とでもいうか、なんとも気怠い雰囲気がよい。

 

カモメがいたけど、なんとも図々しいというかなんというか(^_^;)。

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人通りもほとんどない。

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運河に戻ってみるとなんともいえない朝の情景は、やっぱりヴェネツィアだ。

どれを選ぼうかと写真をみても、どれも捨てがたいのでYouTubeでアルバムにしてみた。

BGMは最初は映画「旅情」のテーマとか考えてたんだけど、音源がDLできない。なんかないかと思ってたら、そうそう、Fabio Concatoのベスト盤を持ってたんだ。

ということで、BGMはDomenica Bestiale、英語ならWild Sundayとでもいうのかな?

 

「旅情」よりもずっとモダンでいい感じになった(^^)。

編集もなにもなしで撮影順に並べただけ、ただしカモメの写っている写真はまとめました。

PCの全画面表示で高解像度でお楽しみくだされば。

 

こちらはデジカメの動画だけど、Winのムービーメーカーで編集したら空が荒くなってしまったのが残念。

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ホテルに戻っての朝食はビュッフェ、なかなかと豪華でした。

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いよいよヴェネツィアとお別れ。

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ヴェネツィア空港まではバスと思いきや、ワゴン車に分乗だった。ま、それも悪くないかも。

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ヴェネツィア空港到着。

昔来たときはここからローマ空港に戻って、南回りバンコク経由だったから、それはそれは長い帰路だった。

今回はルフトハンザなのでフランクフルト経由北回り、これも短くはないけど普通のコースかな。

後日訂正:ルフトハンザはシベリア上空経由でした。今は日本からヨーロッパ直行はたいていがシベリア上空を通るらしい。昔は北回りというとヨーロッパから北極圏を渡ってアンカレッジで給油し、太平洋を渡って日本というルートだった。たぶんその頃はソ連や中国上空を通れなかったからだろうと思うけど、1980年のJALのヨーロッパ新婚旅行パックの成田~ローマ便はモスクワ経由でかなり楽な行程だった。1981~82年のイタリア(JALでクリスマスに離日し、ヴェネツィアで新年)は、バンコクとカルカッタ経由の南回りで、カルカッタでは機内待機という、ほぼ24時間かかる長くてしんどい旅程だった。

航路についてはこちらに解説があった。

ヨーロッパ航空路

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左に見える尾翼はアリタリア航空だ。1980年の新婚旅行のときはローマからジュネーブに飛んだのがアリタリアだったので懐かしい。

Arrideverci, Venezia!
 Arrideverci, Italia!!

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フランクフルトにてトランジット、軽食をば。

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こんなん食べたんだ、全然覚えてないけど(^_^;)。

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飛行機待ちでベンチで寝ている人。

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ということで、無事に帰国したのでした。

帰国したのが2016年6月12日だから、ちょうど今の時期だったんだ。

なんと3年かかったイタリア旅行記もこれで終了でございます。長い間、お付き合いいただいた方々、どうもありがとうございましたm(_ _)m。

~おしまい~

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2019/06/18

イタリア旅行記-32 ヴェネツィア-最後の夜

2016年6月10日 その8 最終章 その1

最終章その1って、おわりやないんかい(^_^;)。

写真を見直したら、まだ水上バスに乗ってホテルに着いて、夕食、夜歩き、翌朝の出発前までのフリータイムと残ってたので、もう少し。

ヴェネツィアの交通機関は、徒歩か水上バスかゴンドラしかない。だからホテルへは水上バスで。

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海上から見たサンマルコ広場鐘楼。こうしてみるとまさに海に浮かぶ水の都だ。

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あとはどういう建物か調べてないけど、ドゥカーレ宮殿前から海上をサンタルチア駅までストビューをたどればおそらくはわかるだろう、してないけど。

この丸屋根の建物はなんとなく記憶にあるので、34年前にこのあたりをうろついたんじゃないかと思う。

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どの建物も水面ぎりぎりだ。

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これは住宅かな?、しらんけど。

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ということで、サンタルチア駅前の船着き場到着。ホテルまで裏道のようなところを通ったらパーティーが開かれていた。

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パーティーのど真ん中を通過、こんなところを通ってもいいのかなと思っても添乗員さんがどんどん行くんでついていく。

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正面の丸屋根は、サン・シメオン・ピッコロ教会(Chiesa de San Simeon Piccolo)。

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教会の前を行き過ぎたところにあるスカルツィ橋(Ponte degli Scalzi)の袂に今晩のホテルがある。

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Hotel BELLINI、入り口やロビーは小さいがかなり高級なホテルかも。

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最終日の3人部屋はなんとメゾネットタイプ、部屋の中に2階がある。

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チェックイン後はホテルを出て、近くのレストランIL VAGONEにて夕食(ボケて汚そうな写真しかなかったけど、普通のレストラン)。もう夜の8時頃だったが、まだ明るい。

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前菜のスパゲティはイカスミだったんだけど、以前に食べたときに酔ったようになったことがあったんで、ミートソースに変えてもらった。でもせっかくヴェネツィアに来たんだから本場のイカスミを食べればよかったと少々後悔。

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シーフードのメインデュッシュ、魚はなんだったか覚えていない、というか聞いてもわからんけど。

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デザートはアイスクリームでござい。

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レストランを出ると流石に暗くなっていた。ホテル周囲をちょっと散策。

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スカルツィ橋からホテル側を見る。

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橋の上からみた運河。左岸にはたくさんのテーブルに灯りがついて、この写真でみるよりもっと賑やかで騒がしかった。みんな夜遅くまで食べておしゃべりして、なんてしているんだろうな。

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夜のゴンドラ。さすがに営業はしてなさそう。

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そしてイタリア最後の夜、ヴェネツィアの夜は更けてゆく。

-イタリア旅行記-33 最終章その2に続く-

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イタリア旅行記-31 ヴェネツィア-サンマルコ広場

2016年6月10日 その7

ゴンドラ周遊後はサンマルコ広場に向かう。

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船着き場でゴンドラの発着を段取りしたり(女性の)下船を手伝ったりしていた、「海の都の男」だね。

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まぁ、とにかく華麗、華やか、雅やか、麗しい、典雅、美しい、きれい・・・、語彙が続かないけど、どこも絵になる。

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船着き場からドゥカーレ宮殿を通って広場へ。とにかくカモメと鳩が多い。

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宮殿の廊下、その向こうにサンマルコ広場。

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鐘楼が見えたら、もう広場だ。

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海から帰ってくる船乗りたちを迎えるのが、2つの塔の上にある、獅子とイルカ、だったかな、塩野七生の本で散々読んだのにもう忘れてしまってるが、エジプトから奪ってきたものだったと思う。

左下に小さいけれど土産物売の仮面が見える。有名なヴェネツィア・カーニバルは2~3月。

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正面の工事用足場に囲まれているのがサンマルコ寺院。昔来たときも板張りで囲われていた。イタリアは年柄年中、修復していてもまったく追いつかない遺産だらけ。

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サンマルコ寺院の正面。前回はこの正面が覆われていたので、今回が初めての拝謁。いろんな文化が混合している感じだが、やはり地中海を通じてイスラム世界と交易していた面影が強く感じられる、でしょ?

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橋の上から運河を見るのもなかなかと優雅な眺めだが、橋を渡った先はヴェネツイアン・グラスのショールーム。お決まりのお買い物タイムだ。今回のヴェネツィア観光で中まで入ったのはこのショールームだけ。

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ガラス細工のデモンストレーション。前回は本島ではなく、ムラーノ島の工場まで行ってかなりお高いグラスとボトルのセットを買ったが、未だに棚に飾ったままで一度も使ったことはない。

もちろん前回来たときはガイドさんの通訳だったんだけど、それから34年、流暢な日本語を話す店員さんがユーモアを交えながら解説してくれた。「34年前に来て買ったんだよ」って(日本語で)いったら、「あ~、僕はまだ生まれてないですね~」っていわれてしまった。隔世の感だよね。

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誠に華麗なショールーム。

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ショッピング後はしばらくフリータイムなので、まだショーケースを見ている家内を残して息子と二人で広場に戻る。

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広場ではバンド演奏をしていたので、それを2つアップしておこう。

 

撮影中に息子が話しかけてきたんであとの方にその声が入っているのはご愛嬌(^_^;)。だからこの画像は限定公開にした。曲は聞いたことがあるような、ないような・・・、いずれにしろタンゴだね。

PCの全画面表示でみていただくとより雰囲気がわかると思います(以前はBlog画面から全画面表示ができなかったけど、今は映像右下の切り替えボタンで切り替わるようです)。

バンドの前の椅子に座っている年配のカップルがいかにもヨーロッパらしくてなんともいい感じだ。こんな風に夫婦でのんびりできるのはいいねぇ、って僕ら夫婦も今はそれに近いけどね。2:20あたりで二人で自撮りする姿がサイコー(^^)。

 

続いての曲がイパネマの娘だったのもご愛嬌、これは以前にFBでアップしたことがある。

椅子に座っている年配夫婦とともに、グルっと回って鐘楼の下で若いカップルが踊りながらキスしている姿も今昔を同時にみたようで素敵だ。

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広場のカフェで息子のおごりでティラミスをいただいた。当たり前だけどおいしかった。

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といううちに、家内から電話がかかってきた。待ち合わせ時間を間違って覚えていて遅刻だ!って怒られてしまって、あわてて待ち合わせの鐘楼前に。

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これでイタリア観光はほぼ終わり。今宵のホテルへ向かう。ホテルは最初の到着地のサンタルチア駅近くなので、来たときの船着き場まで戻って船で行く。

ドゥカーレ宮殿からゴンドラ乗り場へ通じる橋(Ponte della Baglia、バリャ橋)でアコーディオンを弾く女性がいたが、ゆっくり聴いているヒマはない、遅刻しちゃったしね。

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ゴンドラ乗り場前にある、エマニュエル2世像。イタリア観光ではVittorio Emanuele IIの名を頻繁に聞くのはイタリア建国の父だからだ。興味のある方は例によってWikiをどうぞ。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレともこれでお別れ。

34年前は2泊3日のフリータイムだったので、家内と二人で霧と雨模様の冬のヴェネツィアを散々歩き回った。リアルト橋とかなんとかかんとか、いっぱい見たけど今は記憶の彼方。

今回はゴンドラの運河周遊にサンマルコ広場、そしてこれから行くホテル近辺のみだけど、でもやっぱりヴェネツィアですよ!

-イタリア旅行記-31:最終章へ続く-

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2019/06/17

イタリア旅行記-30 ヴェネツィア-ゴンドラ周遊

2016年6月10日 その6

ヴェネツィアに到着した最初の観光は、サンマルコ広場近くの船着き場からゴンドラにて運河周遊。

昔に来たときは、2泊3日フリータイムだったのでゴンドラに乗ってもよかったんだけど、天気がすぐれないし個人で乗ると結構高かったので横目で見ていただけだったけど、今回はツアーに組み込まれているので、大いに期待。以下、写真の羅列です。

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船着き場から対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレを臨む。

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ゴンドラだ!

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近くのゴンドラ乗り場まで歩くが、どこを見ても街並みが美しい。

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ゴンドラ乗り場に到着。

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順番待ち。写してないけど、さすがイタリア男、女性には手を差し伸べ実に愛想よくやさしいが、男は、まぁ、勝手に乗りたまえ、みたいな(^_^;)。

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ゴンドラ周遊開始!

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海から見る景色も素敵だ。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレはどこからでも見えるようだ。

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サンマルコ広場にあるドゥカーレ宮殿が見えてきた。かつての議事堂、議員やドージェたちがヴェネツィアを統治した象徴の建物だ。

昔来たときはこの宮殿に入ったが、冬の雨の日だったのでなんだか暗いイメージだったのが、逆に印象深く残っている。

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ドゥカーレ宮殿の裏手から運河に入る。手前の運河入り口の橋の向こうにため息橋が見える。

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ため息橋の下を抜ける。この橋についてはWikiをどうぞ。

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船から見上げる観光客に橋から見下ろす観光客、その間に無口でニヒルなゴンドリエーレ(船頭)。

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水面に映る空と建物が美しい。

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運河縁のアベックはくつろいでいるのか、歩き疲れたのか。

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幾艘ものゴンドラと並んだりすれ違ったり。

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どこをどう通ったのかはわからないけど、ストビューでみたらわかるかも?

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古(いにしえ)の街、老朽化が目立つところもある。

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テラコッタの建物に紺碧の空、縞模様のゴンドリエーレ、たゆたう運河の水面。

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ゴンドラから見上げた空。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレが見えてきたら、ゴンドラ周遊も終わり。

ひたすらキョロキョロ、写真バシバシのお上りさんまるだしなゴンドラ周遊でありました。

-イタリア旅行記-31に続く-

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2019/06/16

イタリア旅行記-29 いざ、ヴェネツィアへ

2016年6月10日 その5

ミラノを出発してバスでヴェネツィアへ。だからまだ日付は6月10日のまま。

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高速道路から見えた、ORIO CENTER、検索してみたらベルガモにある巨大ショッピングセンターらしい。

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道中風景、こんな建物があちこちに当たり前のように見える。

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右へ行けば前日に訪れたヴェローナ、直進すればヴェネツィア・・・いざ、ヴェネツィアへ。

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ヴェネツィアには橋-Via della Liberta-を渡らないと入れない。いよいよ見えてきた。

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波止場到着、ここでバス、そして運転手のマリアーノさんとはお別れして、改めて海からサンマルコ広場に向かう。

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サンタルチア駅近くの波止場(たぶん)から船に。

向こうの方に大型客船が見えるけど、つい最近、事故があって話題になってたね。地元では大型客船のヴェネツィアへの入港に反対する人が多かったんだったかな。

クルーズ船が小型船に衝突(CNN)

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小さな島がいくつもあった。

海から出ている杭は航路の目印で、それ以外のところは浅いところが多いらしい。

敵が攻めてきたときはこれを抜いてしまって航路をわからなくすると、敵船は浅瀬で座礁してしまい、身動きが取れなくなったところを一気に襲う、というようなことが塩野七生の「海の都の物語」に書いてあったと思う。

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サンマルコ広場の鐘楼が見えてきた、と思ったけど、これは対岸の島にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼だった。

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ヴェネツィアは海から入るのがよいといわれているそうだ。実感はそのとおりだけど、いい写真が撮れてなかったのが残念。ゆれたからな~。

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サンマルコ広場近くの船着場に到着。

何年ぶりだろう、前回に来たのは1982年だから34年ぶりだ。

新婚のときに来た雨と霧に包まれた冬のヴェネツィアも素敵だったが、やっぱり青空はいいね。

このBlogで1982年のときのことを書いたのも2007年だからもう12年前だ。

Venezia, 1982

A Foggy Day in Venezia '82

Il Calal Grande

-イタリア旅行記-30に続く-

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2019/06/08

イタリア旅行記-28 ミラノ-大聖堂

2016年6月10日 その4

「最後の晩餐」鑑賞後は、スカラ座、ガレリア、そして大聖堂へ向かう。

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途中で出会ったスーパーカー、カウンタックかランボルギーニか、全然わからんけど(^_^;)。

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イタリアの街はどこも通りが狭いから、バイクがよく走っていた。

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ジュゼッペ・ヴェルディ通りの標識、もうすぐスカラ座に着く。もちろん、作曲家のヴェルディにちなんだ名称だ。

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スカラ座到着。もっと豪華に大きいものを予想していたけど、意外とそうでもなく、周囲の建物とあまり変わらない。内部は豪華絢爛なんだろうけど入らない。

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スカラ座の前はスカーラ広場、派手な観光バスが通る。

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スカーラ広場にはダ・ヴィンチ像がある。周囲の若者像は弟子たちだったかな。そしてその向こうに見えている門のような建物がガレリアへの入り口だ。

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ガレリアに向かう。詳しくはWikiをどうぞ。

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世界で最初のアーケードだったかな、よく覚えてないけど、さすがにそこらのアーケード商店街とは格式が違う、って比較する方がおかしいけど、世界のショッピングアーケードやモールの原型となったらしい。

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こういう店構えだから、当然高級な商品ばかりなんだろうなと思いつつ通り過ぎる。

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ガレリアを抜けるとミラノ大聖堂だ。典型的ゴシック様式、なんだと思う。

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まぁ、どこの聖堂もそうだけど、とにかく装飾やらなんやら絢爛の限り、ゴチックゴテゴテ。

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大聖堂前の広場、人が多いけど、どこもとにかく絵になるね。

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街頭のデザインも素敵だ。

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そろそろ集合時間が近づいてきたので、またガレリアを通ってスカーラ広場へ戻る。右手がガレリアへの入り口。

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アーケードも実に凝っていて見飽きない。このドームを中心に四方通りが通じていて、ドームの根元あたりの四方の壁にあるのが四つの名家の紋章だそうだ。

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ドームも美しい。

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ドームの下の床にあるのが牝牛のモザイクで、この上で片足で一回転すると幸せになるというので、みなさん回転しております。

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これは単に女性の後ろ姿を撮っただけだったのではないかと(^_^;)。

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アーケードを戻ると集合場所のスカーラ広場ダ・ヴィンチ像。

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床のモザイク模様も素敵だ。

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スカラ広場を通る市電。

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大都会ミラノだから、まぁ、混雑するのは仕方がないけど、運転が荒いというか巧みというか。

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バスを降りて昼食会場へ向かう途中の風景。

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街並みがなんともおしゃれだね。

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ランチはピッツェリア。

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店内風景。

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ピッツァ、ではなくてミラノ風カツレツだったと思うが、もう記憶の彼方(^_^;)。

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相変わらずのテキトーサイズなデザート。

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ピッツェリアとはいえ、SABATINIだ。SABATINIというと、思い起こせば1980年、新婚旅行で初めてローマに来たときのディナーがナボナ広場にあるSABATINIで、高級レストランの代表だった。

東京にもお店ができたとその後聞いたけど、今はあちこちにあるみたいだ。当時はまだ日本が欧米を追っかけてた時代で、その後は追い越したり追い抜かれたりで今に至る、時代は変わる、だ。

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ということでミラノを後にし、いよいよ最後の宿泊地、ヴェネツィアに向かう。

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怒涛の連続投稿、やっとミラノ編終了。

あとはヴェネツィアを残すのみだが、記憶も遠い彼方の曖昧模糊としていつ終わるやら、さてはて(^_^;)。

-イタリア旅行記-29に続く-

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2019/06/06

イタリア旅行記-27 ミラノ-最後の晩餐

2016年6月10日 その3

いよいよ「最後の晩餐(L'Ultima Cena)」の鑑賞だ。

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右のレンガ作りが待ち時間に見学したサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、その隣の田舎の民宿かと思う質素な黄色の建物の中に「最後の晩餐」が保存されている。

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建物内に入ると、前のグループが退出するまでの待合室があり、そこに展示されていた戦災にあったときの写真。

上側の写真で膜に覆われた壁がかろうじて残った壁画部分だそうで、風前の灯火だったことがよくわかる。よくぞ残ったものだと思うし、この写真と冒頭にあげた現在の写真との違いにも改めて驚く。

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待合室の入り口(だったと思う、たぶん?)。ガラスがアンバー色で紫外線カットになっているのがわかる。

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待合室も昔の建物の再現になっているようで、残されている壁の一部がはめ込まれていた(レプリカかもしれないが)。奥の扉が壁画のある部屋に通じていた、と思う(これも記憶が曖昧)。

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前のグループが退出したので、いよいよ鑑賞に向かうが、壁画のある部屋への通路はエアロックになっていて、外気が直接入らないようになっている。待合室から通路に全員が出たところでその扉が閉まり、通路を通って壁画のある部屋の扉が開いて、中に入るとその扉は閉じられる。通路には壁画の写真が展示されていた。

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通路から見えた教会。

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とうとう世紀の名画に会えた。

その感動は筆舌に尽くしがたい・・・、ということで写真のみアップします。興味のある方はWiki(最後の晩餐)など、ネットに色々とあるので、そちらを読んでください。全体に照明が暗く、写真も暗くなっていたので、以下の各部分の写真は画像ソフトで修正しています。

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中央のイエス、斜め左下から。

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イエス、正面から。

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イエスの右。

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右端。

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イエスの左。

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左端。

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全体に照明は暗いのは保存のためには当然だろう。

「最後の晩餐」の反対側には、ジョバンニ・ドナート・ダ・モントルファーノによる「キリストの磔刑」、そして左右の壁にも残った壁面(画?)の一部があるが、僕も含めてみんなそちらはあまり見ていない。世紀の名画を前にしては致し方ない。

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全体の様子。

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反対側の壁画。

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反対側の壁からみた「最後の晩餐」、とうとう退出の時間がきた。こちらを向いてカメラを構えているのは家内。

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外に出ると、コンダクターさんが待っていた。

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歩いてバスに向かうツアー一行。

補足ながら動画、とはいえ暗い照明のもとで解像度も低いので鑑賞には耐えないけど、全体の雰囲気はわかると思う。PCの全画面表示でみると部屋全体の感じがわかるんじゃないかな(Cocolog仕様変更以前は全画面表示ができなかったけど、今はできるようになっています)。

15分と短いとはいえ、わずか25名だけで静かに鑑賞できるというのは、とても贅沢な時間だった。

 

壁画の正面で下から見上げていると、だんだんと涙が滲んできた。そのときに頭の中で自然に、バッハのマタイ受難曲の最初のコラール、「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け (Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen)が流れた。高校生のときから何度聴いたかわからないくらいに身に染み込んでいるが、信仰心とは無縁の身ながら「とうとう出会えた」という以外にないほどに感無量だった。

 

さらに蛇足ながら付け加えると、徳島の大塚国際美術館には、サン・ピエトロにあるミケランジェロの「最後の審判」の複製とともにこの「最後の晩餐」の複製もあるのだが、残念ながら「最後の審判」の素晴らしさに比べると「最後の晩」餐の複製はあまり感動的ではなかった。

その大きな理由が壁画の位置にあると、これらの写真をみて改めて思った。

「最後の晩餐」は地上2mほどのところにあり、下から見上げるのだが、大塚国際美術館の方は人の目の高さに置かれており、それが見やすい反面、本来の見るべき位置から見ていないという大きな欠点になっている、というのが、そのどちらの壁画の実物も複製も見た者としての意見・・・なんか自慢話みたい、というか自慢ですな(^_^;)。

「最後の晩餐」も「最後の審判」と同じように置かれた部屋の再現、全部とは言わずとも壁面の配置は再現してもらいたかった。

-イタリア旅行記-28に続く-

 

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2019/06/05

イタリア旅行記-26 ミラノ-Santa Maria delle Grazie

2016年6月10日 その2

早朝のスフォルツェスコ城見学の後は今回のツアー最大の目玉、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」鑑賞だ。

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「最後の晩餐」は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)にある。感謝の聖マリア教会とでも訳したらいいのかな(写真はバスから降りて教会まで行く途中)。

が、今回、ちょっとした問題が。

「最後の晩餐」鑑賞は完全な予約制、時間制で一度に25人まで、15分間しか鑑賞できないが、今回のツアーは28名で3人が定員オーバーだった。そのため、僕ら3人はツアー25名が見た後のグループでお願いしますとコンダクターから頼まれた。

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そういうわけで、ツアーのみなさんが鑑賞している間は教会の外で待つことになったけど、おかげで観光客もいない静かな教会本堂をゆっくりと見学できたのだ。上の写真のレンガ色の建物が本堂。

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教会前を通るミラノ市電。

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教会入り口、拝観料はいらなかったと思う、もうよく覚えてないけど(^_^;)。

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教会内部に入ると見事なアーチと円柱で、装飾も素晴らしいが、サン・ピエトロのような金ぴかではなく、質素な印象さえ与える。

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僧侶が二人。

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教会内には祭壇画というのかキリストにまつわる絵画があちこちに、ごくありきたりな風に飾られている。

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聖母子像もごく自然に。

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キリスト像に祈る人。

日常の中に宗教、教会があることが感じられるが、考えてみれば日本でお寺に行った時と同じかもしれない。

ただ多くの日本人は信仰心というよりは習慣的なものが大きいだろうと思う。最近はイタリア人も以前ほどには信仰深くはなくなってきたらしいけど。

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教会内の別室のようなところで、なにか祭式のようなことが行われていた。一族が集まっての法事みたいなものかと思うがわからない。

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天井画も奥ゆかしく荘厳だ。

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教会内にあったオルガンだがパイプは見当たらなかった。あとで専門家に聞いたところでは、据え付けのパイプオルガンではなく、電子オルガンの教会向けのものだそうで、教会内の天井か壁にスピーカーがあるはずということだった。

たぶん昔はパイプオルガンがあったのだろうけど、教会は戦災で焼け落ちたらしいので、そのときに壊れてしまったのだろう。しかしその教会がここまで修復(復元)されているのも驚きだし、それが「最後の晩餐」のある場所にもかかわらず観光客はほとんどいなくて信者しか訪れなさそうだから、やはり信仰が生活に密着しているのだろう。

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教会の中庭もなかなか素敵だ。

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というところで、そろそろ「最後の晩餐」鑑賞の時間が近づいてきた。

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教会全景。正面入り口の簡素な佇まいとは違ってやはり見事な建物だ。

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教会前の広場でくつろぐ鳩と人。

-イタリア旅行記-27に続く-

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2019/06/04

イタリア旅行記-25 ミラノ-スフォルツェスコ城

1年以上更新が途絶えていたイタリア旅行記(前回は旅行記-24)の続き。

イタリア旅行も、もう3年も前のことになってしまった。ちょうど今の時期だったな。

2016年6月10日 その1

ミラノ宿泊の翌朝はヴェローナの雨模様とは打って変わって快晴、まず市内のスフォルツェスコ城の見学。

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ミラノは大都会。

お城見学といっても、通り抜けで本当に見るだけ。

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城壁に物見の塔。

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入り口の門の前には噴水があるけど、朝が早かったからか水は出ていなかった。

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門の反対側の様子、銅像はGoogle MapにはLargo Cairoliとあったけど、人物名なのか場所の名前なのかは不明。手前の両側にあるガラス張りの建物は、2015年ミラノ万博のときのExpo Gateらしい。

 

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門から入城、内側から見たところ。

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入城すると中庭。城壁の上は回廊になってるのかな。

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お城は今は美術館になっているそうだし、塗りつぶされたダ・ヴィンチの未完の壁画もあるらしい(修復中とか)けど、今回は通り抜けのみ。物見の塔がなかなかとよい。なんとなくアラビア風な感じがしないかな?

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城内の庭。

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同じく中庭情景。

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これは多分、お堀の跡だと思うけど、今は緑。ざっとみたらもうお城の外へ出てしまった。

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お城を抜け、さらに続くセンピオーネ公園を通り抜ける途中で凱旋門のようなものが見えた。ググってみるとセンピオーネ広場のArco della Paceというらしい。平和の門とでもいうのかな。

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早朝の公園。

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自転車でいく人、走る人、遊ぶ人、色々。

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公園を抜けて、この建物をMapで見たところではカステッロ広場に出たようだ。どうみても道路だけど、地図には広場とある、なぜかわからんけど。

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バスで次の目的地へ向かう途中。ミラノの市電。

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お城正面の銅像まで戻ってきた。

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なんだかわからないけど、オブジェにテントに市民。

今回はここまで。

Wikiのスフォルツェスコ城の説明を貼り付けておきます。

1358年から1370年ごろ、中世イタリア・ミラノの名族ヴィスコンティ家の僭主ガレアッツォ2世・ヴィスコンティによって、近くの市壁門の名前から「 Castello di Porta Giova (もしくは Porta Zubia)」と呼ばれる城として建造命令がなされた。(中略)

もともとは星型の形状の広大な城郭であったが、現存しているのは元々の面積の1/4程度以下であり、残りの敷地は公園や道路となっている。現在、スフォルツェスコ城の内部は市立博物館(スフォルツェスコ城博物館;Pinacoteca del Castello Sforzesco)となっている。内部にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されている。また、アッセの間の天井と壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチが未完成の壁画を残しているが、後年、塗りつぶされている。この壁画については、2013年現在修復作業が続けられている。

-イタリア旅行記-26へ続く-

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2019/04/20

Spanish Batucada

スペイン旅行から帰国して1週間、旅行記も書いてみたいが、まだイタリア旅行記も終わってないし、カンボジアにマルタにアイルランドもあるし(^_^;)、っていいつつ、Voyage原稿も〆切過ぎてるんで、この1週間はそれで手一杯、やっとなんとか初稿を終わったのが今晩。

最初はなんかウダウダして進まなかったんだけど、スペインに行ったし、油井正一大先生は「ジャズの歴史物語」で「A Song is Born」の映画でDanny Kayeが言っていたジャズのアフリカ~スペイン起源をもっと具体的に書かれていたし、で、タイトルを「Sketches of Spain」としたらなんとかかんとか筆が進んだ、といってもマイルスのアルバムではなくて、ジャズにはスペインの影響が大きいんだよ~、っていう意味ですけどね、洒落たタイトルなんでパクってしまいましたm(_ _)m。

ま、一息ついたところで、FBにメモしてたのを書いておこう、ってのが今日のタイトル。

スペイン旅行初日観光はマドリッドの王立ソフィア美術館、プラド美術館とトレド観光だったんだけど、王立ソフィア美術館でゲルニカなんかを見たあとプラドにバスで移動予定が、市内マラソンで交通規制のために歩くことになって、で、ちょいとしたハプニングとかあったりして、プラドは大急ぎで全然余裕がなかったり。

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で美術館を出た頃にはマラソンは終わってたんだけど、サンバのバツカーダみたいなのが遠くから聞こえていたのは、マラソン後のイベント続きかな~、でトレドに向かったわけね。

で、夜はマドリッドにもどって宿泊なんだけど、これが駅の近くのホテル、で、だね、夜中の9時ころだったか、昼間聞こえたバツカーダと同じようなのが聞こえてきたんだね~。

ま、その時はまたやってるな~、だったんだけど、これが全然終わらない、まったく切れ目なしで続いてる。

家内なんかは、なんかやってるね、で寝てしまったんだけど、音楽耳の僕としては気になって仕方がない。

まぁ、そのうち終わるだろうと言ってるうちに11時、まぁ、12時には終わるだろう・・・、が終わらないで、結局終わったのは夜中の1時半頃で、やっと寝ることができたという話。実に4時間半、まったく途切れることなく続いていた。

翌日、他のお客さんに聞いたら、駅前でなんかイベントやってたらしいね~、だそうだ。夜中の一時半までね(@_@;)。

 

上はYouTubeで検索して見つけた映像、Zaragozaは偶然ながらブラジルじゃなくてスペインだ。ちなみにザラゴザではなくサラゴサ、スペイン語のZはS、というよりthに近い発音したりするらしい。

スペインにもこういうビート感があるんだ、っていうかもともとはスペインが起源なんだろうけど。

イベリア半島は長い間、イスラムに支配されていたんで、他のヨーロッパとはかなり違う文化があるというのがよくわかったのが、前回に書いてたJordi SavallのCDだ。

 

これはCDに入ってた曲の別バージョン、というか演奏者が違うんだけど、こちらの方がビート感が強い。8/8(4/8?)拍子と9/8拍子が交互に出てくるところが小気味良い。

出だしなんかバツカーダかと一瞬思ったし、続く旋律はアラビアっぽいが、これが14世紀のスペイン古楽ということなんだから、やっぱりラテンアメリカ音楽はスペイン起源なんだ。

CDには解説がないがタイトル「Llibre Vermell de Montserrat」についてはWikipediaに解説があり、「モンセラートの朱色の本」に納められているとある。

モンセラートはスペイン旅行のオプショナルツアーで行きたかった「黒い聖母像」で知られるバルセロナ近郊にある修道院だけど、人数が集まらずに行けなかったのが残念。

ラテンアメリカには、もちろんアフリカから南米や西インド諸島につれてこられた黒人も大きな役割があるわけだけど、スペインに影響を与えたイスラム、つまりアラブ系の音楽もアフリカの影響があるそうだし、ジブラルタル海峡をちょいと渡ればアフリカという近さだから、当たり前なんだな。

ということで、Voyage原稿もその辺りを絡めてみました、乞うご期待(^o^)/。

 

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