2018/06/09

アイルランドに台風は来ない?

台風がやってくるとかなんとかの影響で荒れるとかいう話が、今日は快晴、昼下がりにちょっと買い物に出たときの車の温度表示は32℃(帰るときは28℃)だった。

でも日陰は風が吹いてそんなに暑くなかったのは、台風の影響なのかしらん?

という今日は、スーツケースを開いてマルタの残り物を出してアイルランド旅行に必要と思しきものだけにして、といっても大したものはないんだ。

要するに着替えが日数分あれば後はなんとかなるというか、昔、アメリカに毎年のように出張していたころにExcelに書いていた持ち物リストがあったので、それで必要なものを再チェック。

慣れてない頃は色々と大変な気がしていたが、こうして思い出してみると大したものってないんだ、って去年もカンボジアとマルタに行ったんだから覚えてないんかい!(^_^;)

昨日は息子とまたFBメッセンジャーで話したんだけど、ダブリンはやっぱり都会だから人が多い、という話だけど変なやつ、怪しいやつが多いそうで、暮らしたい街では全然ないらしい。

アイルランドの首都といっても、地図でみてもずいぶんと小さいから、中心街の話なんだろう、ちょっとはずれるともう何もないそうだ。

で、ちょっとはずれると羊がいっぱい道を歩いてるとか牛がウロウロしてるとか馬車(優雅な馬車でなくて農家の馬車)が通ってるとか、バスは夜になると走ってないし本数も路線も少ないとか、まぁ、日本の便利さとはかけ離れているようだ。

マルタは住みたいところだけど、アイルランドは全然、といいつつ、今度はスペインへ行く計画らしい。あちらだと国内感覚で数万円もあれば十分とか。

マルタにいるときにドイツに行って、3月にはアイスランド、今度はスペイン、、まだまだ期限の11月まで、お金が続く限りはいっぱい行くつもりらしい、仕事も始めたし・・・、いいねぇ~。

日本は梅雨入りして、台風が来て大雨になるらしい、とかいったら、自然環境という面ではアイルランド(ダブリン)の方がよいかも、といっていた。夏冬の気温差がそれほど大きくはないし、雨が多いといっても大雨はめったにないそうだ。

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これは息子の住所を聞いて、ストビューで見てみたの図。この長いアパートの1室を日本人と二人でシェアしているそうだ。

てなことで、夕方はいつもの犬の散歩、風が吹いてとても爽やかだった。

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これは今日の写真ではなくて、去年の5月のんだけど、まぁ、こんな感じ。白鷺とか鳶とかカラスとか鳩とか、たぶん雲雀とか、あと名前がわからない鳥が色々と飛んていた。

写真サイズを小さくしたはずが、Blogでポップアップしたら何故か大きくなってしまった・・・、ま、いいか。

変換ミスもあった。鶏→鶏とか。Google日本語入力を使ってるんだけど、誤変換が結構多い・・・、って自分で気が付かないといけないんだけど。

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2018/06/06

愛蘭土紀行 - 準備編

「愛蘭土紀行」というのは、2013年に読んで投稿した司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの一つだが、以前にも書いたように息子が今はワーキングホリデーで滞在中だ。本を読んだときにはまさか息子が彼の地に行くとは思ってもいなかったけどね。

ということで、またまた急な話だけど来週から愛蘭土に行ってまいります。

で、もう準備をしなきゃと思いつつも、気ばかりせいて何もしてない。

そうえいば去年マルタに行くときに、準備品をFBにメモしてたんじゃないかと検索してみた結果をまたメモとしてここにアップしておこう、というメモ、なので「準備編」、と言っても続編があるかどうか、なんせ2年前のイタリア旅行記さえもまだ終わってなくて、その後にはカンボジア、マルタとあるんだからね(^_^;)。

で、マルタのときのメモ。マルタ旅行関係のサイトからのコピペだと思うけど。

■旅の必需品 必需品は念入りに確認。
パスポートとお金(現金・カード)、ツアーの場合は最終日程表「旅のしおり」

◯持っていくと便利
・ティッシュ:トイレに備え付けの紙が切れている場合など、ティッシュを持っていると安心です。
・電卓:レート計算が面倒な両替やショッピングにも、これ1台あれば計算がスムーズに。
・密閉式の小袋:市場やスーパーで買った食材などをこれで密閉。ホテルや機内でも匂いが気になりません。
・上着:春や秋の昼夜の気温差対策に、冷房が効きすぎた屋内の寒さ対策に、上にはおるものを持っていくと重宝します。
・衣類圧縮袋:かさばるおみやげがカバンに入らない時など、衣類をこれで小さくまとめて空間を確保。
・常備薬:気候の変化や旅の疲れから体調を崩すことも。現地の薬は合わないことがあるので、薬は飲み慣れているものを用意しましょう。

■適した洋服類-日本と変わらないかやや暖かい
■サングラスや帽子、ストールなどの日除け対策グッズ
■手ぬぐい、ウェットティッシュ
■丈夫で軽いスーツケース、手荷物用ボストンバッグ
■エコバッグ、ジップロック
■ネックウォーマー、アイマスク、使い捨てスリッパ、歯ブラシ、パジャマ
■化粧品類(スキンケア用品、メイク道具、日焼け止め、虫除けスプレー)

以上はマルタの話、アイルランドはむしろやや涼しい、というより今の日本からいえば寒いかも。虫除けはマルタでも、少なくとも11月の滞在ではいらなかった。

それから、こっちを見ればいいようなもんだけど文章なんでリンクだけしておこう。

AllAbout旅行 アイルランド旅行に必須アイテム

アイルランド旅行の全持ち物リスト

風が強く天気が変わりやすいので、フードのついたウィンドブレーカーはMustだそうだから、これは用意しておかないといけない。寒いときに首に巻くスカーフみたいなんもあると便利。

変圧器+アダプターはイタリア旅行のときのがあるからOK。

◯息子から頼まれているものがあるので(ここには書かないけど)、忘れないこと。

アイルランドの英語はむちゃくちゃ早口で訛っていて、とても聞き取れないと息子はいっていたけど、それを実感できるYouTubeがあった。

これはほんまに僕でもわけわからん(^_^;)。

息子のワーホリはどうなったかっていうと、5月からやっと中国人経営の和食レストランで雑用係みたいなんで働き出した。

中国人経営の和食ってのがいかにもな感じだけど、そのレベルは「くら寿司」や「かっぱ寿司」がハイレベルに感じるくらいに低レベルだけどめちゃ高いんだそうで、それでも食べに来る人がいるのが実情だそうな。

もちろん日本人経営の和食レストランもあって、その話もあったんだけど、日本人経営のところはほぼ日本国内の外食産業なみにブラックでとても働く気にならない!、というので2月から4月の間はプー太郎だったのだ。

マルタからアイルランドのダブリンには去年の11月末に渡っているんだけど、1月末まではマルタの続きで、アイルランドの語学学校に通っていた。

ダブリンは予想に反して、治安はよくないしなにもない実に退屈で面白くないところだそうで、なんでこんなところを選んだのか、マルタが懐かしい(日本じゃない)、と後悔しきりだったようだけど、まぁ、なんとか楽しんでいるらしい。

なんせ3月にはルームメイト(あちらではフラットメイトという)とアイスランド観光に行ってきたっていう、日本からみれば実にうらやましい話。費用も安くて、レンタカーであちこち行ったらしい、これはその時の写真の一枚。自然が桁違いに雄大、壮大で素晴らしかったそうだ。

Iceland

そんな話はFBのチャットでリアルタイムにTV電話で話せるというのが、実にありがたい時代だね。

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2018/05/08

イタリア旅行記-24 ヴェローナ-コロッセオからミラノへ

2016年6月9日、イタリア旅行記ヴェローナ観光の後半。

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ジュリエッタの家を出てエルベ広場をあとに、次の目的地へ。

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ジュゼッペ・マッジーニ通り。

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この通りをまっすぐ行けば、コロッセオ(Arena di Verona)に着く、というのもGoogle Mapで確認。左側をこちらに向かって歩いてくる小柄な女性は添乗員さん。とても物知りで有能な人だった。

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通りを抜けるとアリーナが見えてきた。

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ローマのコロッセオよりは小さいが、ローマが紀元70年、ヴェローナは紀元前30年頃というからローマより100年ほども古いのだそうだ。

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アリーナ前のPiazza Bra。

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コロッセオの右にあるのは、市庁舎。

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市庁舎の入り口には世界の姉妹都市の市章が飾られていて、右端に長浜市の市章がある。

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コロッセオをあとに、城壁に沿ってバスに向かう。

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城壁沿いの通りはアルビーニ通り。白のカーディガンは家内の後ろ姿。

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Google Mapによると、この門のあるところは、ラルゴ・ディビジオ・パスービオというらしい。舌を噛みそうな(^_^;)。

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これは大戦の記念レリーフだったと思うけど、どちらの大戦かは忘れてしまった。左下に小さなロームルス、レムスに乳を与える狼の像がある。

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ラルゴなんたらかアルビーニ通りか分からないけど、とにかく城壁沿いにどんどん進むと、その先はバッローニ通りとなって、アディジェ川に至る。

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アディジェ川にかかる通りは、ポンテ・アレアルド・アレアルディ通りというらしい。なんとも長ったらしい名前が好きなんだな。

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ヴェローナ観光後は一路、バスにてミラノへ向かう。

Verona

地図でみると、フィレンツェからピサは西へまっすぐ、ヴェローナはそれからほぼ北にあって、最後の目的地ヴェネツィアはミラノと逆方向なんだ。西へ向かえばミラノ、東へ向かえばヴェネツィア。

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イタリア最大の都市ミラノに到着。大都市の常として夕方の渋滞。

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道路を渡りながらジャグリングする人。車の通行を邪魔してでもチップを貰おうとすることもあるとか。

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ミラノ市内に入って、夕食のレストランに向かう。

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夕食はミラノ風リゾット。サフランの黄色と香りが特徴。

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これはなんだっけな?ポークだったかな(^_^;)?、ミラノ風カツレツではないことは確か。

都会だからか、たまたま休みだったのか、ウェイトレス一人で切り盛りしていた。

サラダにドレッシングなし・・・、頼んだら持ってきたけど。パンお代わり頼んだら山盛りだったりと、相変わらずのイタリア風。

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毎度おなじみな大雑把なデザート。人によっては赤いサクランボ(たぶん)が入ってたみたい。

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レストランの名はCORALLO。同行の人達は一応目隠し。

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路面電車が走ってた。

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今夜の宿舎は真っ赤なホテル・・Attahotel Contessa Jolanda。白帽子は息子の後ろ姿。

ミラ~ノ、大都会~、イタ~リア(^_^;)。

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3人なので部屋はスイートルームで二部屋と大きいが、さらにキッチン付きなのでびっくりした。内装はよいけど、古いホテルを改装したらしく、バスは古かった。

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部屋のベランダからミラノの夕闇風景。

ということで、ミラノで一泊した翌朝はミラノ市内観光後にヴェネツィアに向かいますが、またしばらく間があくでしょう(^_^;)。

-イタリア旅行記-25へ続く-

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2018/05/06

イタリア旅行記-23 ヴェローナ-ジュリエッタの家

イタリア旅行からもうすぐ2年、前回は去年の12月にアップしたピサからでも4ヵ月あまりという、気長な旅行記の続き。

2016年6月9日:午前中ピサ観光から午後はヴェローナの観光。

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ヴェローナ市内に入る前に、日本人向けとしか思えない免税土産物店による、というのはパックツアーでは致し方ない。これは免税店前の道路で工事をしていたので撮ってみたの写真。イタリアの日常的風景?

この時は晴れていたのに、またバスに乗って市内につくと小雨ぎみ。免税店を後回しにしてくれたらな~、と思うよね。

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バスは市街地には入れないので、ヴィットーリア橋前で下車、徒歩でアディジェ川を渡る。

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アディジェ川に架かるヴィットーリア橋、という名前はGoogleで調べた。

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アディジェ川を渡る。

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橋の向こうは市街地、すなわち観光地だ。

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門をくぐって、コルソ・ポルタ・ボルサリを通って行くと、エルベ広場に出る。

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エルベ広場は、市内の素敵なところ。広場に着く頃は雨は止んで曇天になった。

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それほど広いわけではないけど、こじんまりとまとまって小さな宝石箱のような(古臭くて陳腐な表現ですが)、イタリアの広場の中でも特に素敵な広場だった(というほどは知らないが)。曇天なのが残念。

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色々と出店があったけど、あんまり見てる時間はなく、どんどんと進む。

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広場にはお決まりの噴水、その向こうの建物には古びた壁画が一面に描かれている。

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これはちょっと洒落た小屋根みたいだけど、確か罪人に首輪をして晒し者にする場所だったと思う。そのあたりがやはり今とは常識が違う古(いにしえ)の時代を感じさせる。

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広場から、コスタ通りを抜けて次の観光スポットへ。

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シニョーリア広場を抜ける。

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赤茶と薄茶のストライプが美しい建物はGoogleで見ると市役所のようだ。

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エルベ広場からも見えていた、ランベルティの塔。

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市役所からまたエルベ広場に戻る。

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洒落た建物、だけどたぶん住むには不便なんだろうな。

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ストリートパフォーマンス。

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広場からカッペッロ通りを通って、いよいよヴェローナの名所、ジュリエッタの家に向かう。英語ではジュリエットだけどイタリア語なら女性名詞なのでジュリエッタだ。

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ジュリエッタの家の入り口に到着。

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入り口の壁面には観光客が書いた、落書きというか記念というか思い出というか。

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ジュリエッタの家にてジュリエッタ像と記念撮影する人達。右胸を触ると恋が成就するとか、左はなんとかとか、両方触ると駄目とか、色々いわれてるみたいだ。

もちろん我が家も3人とも触って記念撮影したけどね。

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ジュリエッタのバルコニー。家に入るのは有料なので、入らなかった。

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バルコニーに向かって右下にあった、なんだろうね、紋章かな?

-イタリア旅行記-24へ続く-

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2018/03/02

高槻ジャズスト決定? そだね~

高槻ジャズストリートに出演する、というとなかなかとすごいことのように以前は思ってたけど、実はそうでもないようだ。

音楽審査がもちろんあるんだけどその基準はかなりゆるいようで、昨年出演しようといって送った音源も決していい出来ではないけど審査は合格していたのだ。

音源審査の最低基準はとにかくリズムが崩れないことみたいな話だったかな。

むしろ厳しいのは競争率の高さみたいで、要するにくじ運があるかどうかみたいなのが高槻ジャズストのハードルみたいだね。

実際はどうなのか知らないけど、応募が膨大になればボランティア頼りの運営ですべての音源をじっくり審査するなんてのは無理なので、聴いてみてリズムが崩れずにそれなりに聴けるバンドは合格にして、あとは抽選でふるい落とすということなのかと思う。

ただ、応募も場所&時間枠希望なので、枠ごとの競争率にかなり差は出るだろう。

今年の状況を見ると、応募数もすごいけど、出演枠もすごい数が用意されていて相当な規模だから、これを運営するってのは大変なことなのは確かだ。

第一次 応募数1109件 演奏枠決定389件 不備による無効3件

第二次 応募数918件 演奏枠決定197件 不備による無効14件

第三次 応募数457件 演奏枠決定48件 不備による無効3件

ジャズストリートというのはストリート演奏や屋外ステージの無料イベントみたいなのが僕の持っているイメージだった。

高砂万灯祭にしろ高槻にしろ屋内会場もあるとはいえ、概ねそんな感じだし、他の地域でやってるのもそんなものみたいだけど、元祖は神戸ジャズストリートだそうだ。

で、神戸ジャズストリートはそういうのではなくて、三宮から北野に至る北野坂(通称)という通りにジャズライブを聴かせるお店が並んでいたので、そこをジャズストリートと名付け、そのお店が提携して、共通鑑賞券を買えば何処のお店でもジャズが聴けるというイベントを企画したのが、ジャズストリートの始まりだ、というのを一昨年に神戸ジャズストリートに行って初めて知った(会場の一つでの司会者が創設当時から関わった人で、そう説明されていた)。

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それより以前のアメリカにおけるストリートとジャズの話は神戸ジャズストリートのHPの説明に譲るが、要するに日本でのジャズストの始まりは無料イベントではないし、ましてやアマチュアの屋外演奏でもなかったわけだ。

もちろん、今は神戸ジャズストでも屋外演奏もあるようだ(僕は見ていない)が、それはパレードのようなものらしくてレベルも高いのだろうと思う。

それに比べると、これから出演させてもらおうというイベントにどうこういうのは失礼ではあるけど、高槻ジャズストは以前に二度行った経験でいえば、演奏は玉石混交、演奏は素晴らしいのに音響は最悪なんてのがザラにあって、一部のきちんとした会場やハウスを除いては、じっくりとジャズを聴くというイベントとはとてもいえない(きちんとした会場は大御所なんかの出演で有料だけどね)。

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それでも多くの人が来るが、それは以前にも書いたかもしれないけど、本当にジャズが好きで聴きに来るというよりは、お祭り騒ぎを楽しむということじゃないかと思う。(写真は2015年の高槻ジャズストに行ったときの様子)

出演者が多く、会場もそこらじゅうにあってどれがどれだかわけが分からないようなのも、まぁ、お祭りと思えばそんなものかな。

それと、それなりの演奏ができる人ならくじ運次第で出演機会が得られるいうのも、それはそれでいいのかもしれない。

こちらに今年の出演バンド一覧があって相当な数だけど、まだ「一部」と書いてるね、まだあるんだな?

で、ヴァイブトリオで出演が決まってしまったのだな(^_^;)。ひとえに応募してくれたベーシスさんのくじ運といえる。

応募した会場は駅前中心のメイン会場ではなくて、ずっと北の方、住宅地が切れてそこからはもう山になるという、駅からは相当に離れたところにある摂津峡Saal(ザール)という音楽スタジオ&カフェで、だから閑静なところで音響はとてもよいそうだし、まわりに何もないから車でそこまでたどりつけば楽器搬入も簡単そうだ。お祭り騒ぎからも離れているしね。

まぁ~、どうなるかわからんけど、この年齢でこういう機会がそうそうあるとも思えないので、チャレンジだね(^o^)v。

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2018/01/04

Star Wars 亡き後の地中海世界

前回に書いたとおり「Star Wars/最後のジェダイ」を見てきた。

まぁ、それなりに楽しんだけど、なんかめんどくさい話やな~、というか色んなことがツギハギで尻切れトンボで、ちょうど長い原作をあちこち切り貼りして映画化したみたいな、でもそういう原作があるわけでもないみたいな~。

ルーカスのStar Warsは、ルーカスの描く世界観があって、その上に構築された映画としてのストーリーがあったと思うけど、今のStar Warsは「船頭多くして船山に登る」みたい(ちょっと違うか)で、もう一つまとまりなく話が進んでいくという感が否めなかった。

またどの登場人物も今ひとつ存在感が薄くて脇役ばかりで作った映画という感じで、それはそれでいいんだけど、印象が散漫になる原因でもあるかと思う。ルーカス版では、主役、脇役ともにそれぞれが存在感があったんだけどね。

Reyヒロインのレイも今ひとつで、ルーク~ヨーダのときの描写と比べると、あんまり訓練を受けてるとか成長してるという感じがしなくて、自分で勝手に空回りしているうちになんとかなった、みたいな。

まだ悩めるカイロ・レンの方が存在感はあったかな。でもこれも悩めるアナキン~ダース・ベイダーの焼き直しといえばその通りで、どっちも面倒くさいやつというのも一緒だ。

最高指導者スノークなんて、最高権力者というわりにはシスと比べれば全然底が浅い小物というか、ほんまに作り物にしか見えなかった。

まぁ、一昨年も書いたけど、スペース・オペラなんだから、あんまり考えずに楽しめばよいんだけど、ちょうどバローズの火星シリーズとかハワードの英雄コナンシリーズでも、原作者が亡くなったあとに別の作者が引き継いで書いたものは今ひとつ面白みに欠けたのと同じ道を歩まざるを得ないというところかな。

で、やっと「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)/塩野七生」を読み終えた。

下巻ではマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)がスペインのカルロス王からマルタを与えられて(実質はイスラム最前線に配置された)から、イスラムの攻撃を辛くも撃退したあたりまでわりと詳しく描かれいて(マルタ攻防記)、また今のマルタとの違いや共通点も若干ながら書かれていてとても面白かった。

中世~ルネサンス以後までの、キリストとイスラム、そしてイタリア海洋国家やヨーロッパ覇権国家の海軍と、オスマントルコにトルコ海軍、サラセン海賊との千年以上にわたる複雑な抗争を読んでいる最中だったので、スターウォーズも本来は単純ではないところを単純化しようとしたような、でもルーカス世界のようにはすっきりとしなくて中途半端感が残ってしまったかも・・・、ってなんかわかったようなわからない話だけど、事実は小説より奇なりというところか。

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これはマルタ本島北側のゴゾ島中央の町ヴィクトリアにあるチタデル要塞。

といっても地中海世界について書こうとすると、もう読んだ内容もぼやけてきているし、考えるには時間がかかりすぎるし、今日は冬休み最後の日なので、これでお終い(^_^;)。

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2017/12/29

マルタ考-2 Torre Saracena

マルタ考-2 中世の海賊

「ローマ亡き後の地中海世界(上)/塩野七生」に次のような文がある。

サラセンの海賊の脅威にささされつづける沿海の住民たちにとって、希望はどこにもない。彼らができた自衛の手段は、広く海を見渡せる地を選んで塔を立て、海賊の襲来を一刻でも早く見つけ、住民たちに逃げる時間を少しでも多く与えることだけであった。これらの塔は「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)と呼ばれた。

地中海沿岸とか、イタリア内陸部でもそうだけど、町がやたらと峻険なところにあったり、道路が狭くて入り組んでいるのは、サラセン(イスラム教徒)が海賊行為を聖戦(異教徒征伐)としてイタリアからフランス沿岸を中世全般を通して荒らし回ったために、住居を極力近寄りがたいところに移すとともに、戦のあるところはどこでも同じだけど、敵が簡単に侵入できないように道路を狭く見通し悪くしたこと、そしてそれをその後も変えなかったということのようだ。

「暗黒の」、と形容される中世は1000年くらいあるが、地中海沿岸は北アフリカのサラセン(イスラム)海賊が跋扈して略奪、拉致(奴隷)を繰り返して荒らしまわった時代でもあり、イタリア沿岸の住人、とくに下層階級の庶民にとっては本当に暗黒の時代だったとある。

そして当然ながら、イスラム化されていなかった時代のマルタ島にも数多くの塔が作られたことは容易に推察できる。

というより、エルサレムから追い出された聖ヨハネ騎士団がキプロス、ロードスなどを経て流れ流れてたどり着いたのがマルタ島であり、対イスラムの拠点となったわけだから、見張りの塔があるのは当然だ。

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これはゴゾ島の海岸近くにあった塔だが、マルタ観光ではこのような塔をいくつも見かけた。

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これは息子が滞在していたSt. Paul's Bayにあった塔。壁面がきれいなのはこちらの面が修復されたかららしく、反対側はまだ凸凹の崩れた痕があった。

去年行ったアマルフィも、本の中では海賊に荒らされた地域であり、またイタリアで最初の海洋都市国家でもあったと紹介されている。そういえばアマルフィも、なんでこんなところに住んでいるんだろうというくらいに峻険な断崖絶壁に街があった。

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ならば、サラセンの塔らしきものが写っていないかと見直したら、ちゃんと写っていた。

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これではわかりにくいけど、海に張り出している小さな半島の上に見張りの塔がある。

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ズームでも撮ってあった。

Wikiの「中世」には、ゲルマン民族の大移動とかノルマン人による征服などという書き方はあるが、サラセンによる地中海制覇の影響については書かれていない。

僕のイタリア旅行記-10(ナポリ帰還)では、11または12世紀にはノルマン人に征服されたと書いていたが、本では、当時の地中海、あるいはイタリアにとってはサラセンから国を守るために、彼らの援助を乞うた結果という書き方がされている。

ナポリの巻で紹介した卵城も本ではサラセンの塔の一つとして写真が掲載されていた。

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この本が出版されたのは2008年だから、著者は現在のイスラム過激化(原理主義者)を意識せざるを得なかったんではないかという気がする。

イタリア、カトリック贔屓という面もあるだろうけど、サラセンはのことはあまりよくは書いていなくて、1000年ほども続く中世の時代、ひたすらイタリアを荒らしまわり、略奪と拉致を繰り返したことが強調されている。

まだ下巻をやっと読みだしたところだし、ローマ教皇にイタリア各国、ビザンチン、現在のドイツやフランス、スペイン、北アフリカのイスラム勢力などなど、様々な勢力が入り乱れた時代な上に、残る資料も少ないらしいから、あくまで本を読んだ感想でありますが、塩野七生の本にからめて、マルタ旅行もちょっとだけ紹介できたからよかったかな。

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これは首都ヴァレッタの裏道。

狭い坂道は神戸の裏道を思い出してなんとも身近に感じたんだけど、同じことを村上春樹もギリシャの港町で感じたと「遠い太鼓」の中で書いている。

それからシチリア滞在時にはマルタに旅行したことも書いてあった。

すぐ近くだから行って当然ですわね。

この考は面白いから、また気が向いたら書くかも・・・、どうかな(^_^;)。

蛇足1:本では、トッレ・サラチェーノ(Torre Saraceno)と書いてあるんだけど、検索してみたら、Torre Saracenaとしかでてこない。Torreは女性名詞だから、Saracenoは間違いということになる。

一方で、Torre del Saracenoというのは出てくる。

英語でいえば、Saracenic TowerとTower of the Saracenの違いだが、塩野さんが間違えるとも思えないしな~。中世では違ったのか、それとも日本語では、サラチェーナよりもサラチェーノの方が馴染むと考えたんだろうか?

蛇足2:Wikiによるとマルタ騎士団は今でも存続しているんだそうで、ちょっとびっくり。

蛇足3:海賊を表す欧米語には2種類ある。英語ならpirateとcorsair。

pirateはいわゆる海賊で、簡単にいえば私利私欲で動く犯罪者と同じだが、corairは公的な裏付けを持つ。

サラセン海賊はイスラムの教えに従って異教徒(ここではキリスト教徒)を襲う。時代によってはオスマントルコの後ろ盾を持っていた。だから、キリスト教徒がイスラムに改宗すれば襲わないし、奴隷にもしない。

一方で、聖ヨハネ騎士団もキリストの教えに従いイスラム側に海賊行為を働いていた。

ということが「ローマ亡き後の地中海世界」に書いてあった。

日本ではcorairにあたる海賊がなかったようで、だからそれに相当する語がないということで、どちらも海賊と訳される、らしいです。

今のイスラム原理主義者も、彼らにしてみるとCorsairということなのだろうが、それは中世から今に続く長い因縁があるのだね。

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2017/12/24

マルタ考-1 マルタ語

今日は本当はイタリア旅行記の続き-ヴェローナの巻を書くつもりで写真を整理していたんだけど、途中でちょっと引っかかっていたマルタ~クレタに寄り道したのが、そのままBlogネタになってしまった。

で、も一つ気になっていたことがマルタ語なんで、これもついでに。

Facebookで旅行最終日に写真をアップしたとき、たかけんさんから、現地の人達の言葉はなにかとコメントをいただいて、マルタ語と英語で、マルタ語はラテン系にアラブ系が混ざったような言葉らしいなんて適当な返事をしてしまったんだけど、実際にはアラビア系にラテン系が混ざったという方が正しいようだ。

ゴゾ島観光で道路工事で通行止めになっているところにバスが突き当たった時、運転手とそこにいた工事の人が、なんやかや(たぶん、どないなってんねん、こっちは通れるんか、なんて話だと思う)話していた言葉は、ラテン系というよりはエミレーツ航空の機内で聞いたアラブ系の言葉に近かった。その時以外はほとんど英語しか聞く機会がなかったけど。

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で、今読んでいる「ローマ亡き後の地中海世界/塩野七生」でそのあたりの背景が何となくわかる。

5世紀に西ローマが滅び、東ローマも衰退していく7世紀にはイスラム勢力が地中海の制海権を握るようになって、9世紀にはシチリアが征服されるから、この頃にはマルタも完全にイスラム圏に入っていたのだろう(本にはマルタのことは書いていないが)。

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その後、南イタリア勢やローマ法王が11世紀にノルマン人の助けを借りてシチリアを奪い返すまでの200年以上はイスラム支配下にあったわけだ。

そして面白いのは、その200年間、シチリアのイスラム支配者はキリスト教徒に対しては、税金をとるとか身分を低くしておくという政策で、無理に改宗させることをしなかったので、キリスト教徒も存続していたこと、そしてその後にシチリアを統治したノルマンの王ルッジェロもすでに住み着いていたイスラム社会とは融和的な政策をとったので、イスラム文化も継続していたことだ。

マルタは十字軍で有名であるにも拘らず、言語はアラビア系だというのも納得できる、というか、まぁ、あの辺りの人達はいろんな言語が同時に使われることが日常的な歴史を持っているということなんだろうな。

というようなことを考えてみたけど、このYouTubeの映像でもっと詳しく解説されていた。

文法的にはアラビア語であるけれど、語彙はアラビア語が1/3、1/2がイタリアあるいはシチリア、残りの大半はフランスと英語から入った言語という、相当に複合的な言語ということだ。

映像は英語で、英語の字幕もあるし、設定で「翻訳→日本語」にすれば、変な日本語でわかりにくいけど大まかには理解できるので、興味のある人はどうぞ。

んで、こちらはマルタ語でインタビューしているらしい(たまに英語が入る)映像だけど、このコメント欄には、サウジアラビアやモロッコの人が「70%くらいは言ってることがわかる」と書いてる。でも上の映像によると、チュニジア辺りは相当にイタリア語が入り込んでいると解説している。その辺はローマ帝国の名残なのかどうかはしらんけど。

カトリックの地で話される言葉がアラブ系というのは、僕には(日本人といってもいいかも)かなり驚きだけど、歴史的に見ればそういうことなんだろうな。

一方で、街中の看板などは見た限りではすべてが英語で、観光客相手は英語が普通に使われているから、生まれたときからバイリンガルなんだね~。スーパーの店員さんも当たり前のように英語で対応してくれたし。

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これは滞在したホテル近くの繁華街、St. Julianの入口あたり、歓楽街というべきところかな。看板はみな英語。

でも、まぁ今の日本をみれば、英語の看板というのも珍しくなくて、それを大方の人は理解しているわけだから、日本も、というか世界的にも今は大なり小なりそういう傾向はあるといえそうな。

-後半に続く

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クリスマスイブには、加納マルタ

今日はクリスマスイブ、とはいえ、中堅ケーキ屋のパート勤めで家内は大忙しの時期。

だから僕は家で一人ゴロゴロと相変わらず妄想にふける一日・・・。

先月はマルタ旅行に行ってきたけど、マルタといえばクレタ、マルタ&クレタといえば、村上春樹の、なんだっけ、なんかあったな?

・・・って、もう忘れてしまっていたのでネット検索したら、短編集のTVピープルに「加納クレタ」というタイトルで収録されているのと、「ねじまき鳥クロニクル」にも登場するのだった。

TVピープルは図書館に寄贈してしまったのだったが、ネットであらすじを読んでちょっと思い出したかも・・・、いやあんまり覚えてないな(^_^;)。図書館で借りてまた読んでみよう、自分の本だったんだけど。

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これはクレタ島の真上を飛んでいるときの機内ディスプレイ。今は各座席にディスプレイがあって映画も好きなように見れて、昔に比べるとずいぶんと快適ですね。

で、加納クレタの姉が加納マルタで水を使う占い師であり、Wikiの「ねじまき鳥クロニクル」には次のような説明がある。

マルタ島で修行をしていた経験があり、彼の地における水との相性が良かったために「マルタ」を名乗るようになった。

Wikiのマルタを見れば書いてあるけど、マルタ島には淡水がほとんどなくて、飲料水(ミネラルウォーターのことだろうね)はイタリアから輸入しているそうだ。

加納マルタとマルタの水の関係、ちょっと不自然な・・・、まぁ、水が全然ないわけではないだろうから、その貴重な水との出会いがあったのかも・・・、ひょっとしたら小説に書いてあったのかな?

ただし今は海水の淡水化プラントができたので、水道水は淡水化海水だ(ややこしいですね)。

だから少し塩味が残っていると聞いてたけど、確かにわずかながらに塩味がした。僕はあんまり気にならなかったけどね。

ちなみにプラントには東レの逆浸透膜を使ってるそうだ。

マルタは平地がほとんどない傾斜の多い島で、雨が降ることが少ない上に、降ると地中に浸透する前に道路を流れて海に流出してしまうとガイドさんが説明していた。

川がない島だけど、大雨が降ると道路が川になるとか。

僕が行ってたときも、どっと雨が降ると道路がすぐに水びたしになっていた、といってもバスの中だったので眺めていただけだけどね。

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これはマルタ本島の北側にあるゴゾ島観光のときの写真だけど、概ねこんな坂道が続く。

こちらに、マルタ在住の方がマルタの水事情について書いておられました。

マルタのお水事情

ということで、「TVピープル」は今度借りることにして、今借りているのが「遠い太鼓(村上春樹/ギリシャ、イタリア、クレタなどの滞在記)」と、塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)」だ。

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マルタといえばマルタ騎士団だし、首都のヴァレッタでは騎士団の宮殿見学なんかしたことから十字軍に興味を持って・・・、というとすぐに頭に浮かぶのは塩野七生だ。

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これは首都ヴァレッタの典型的地中海的マルタ風景。

ヴァレッタという都市名も、聖ヨハネ騎士団(のちにマルタ騎士団)の団長ヴァレットにちなんでいる。

検索してみると塩野七生は「十字軍物語-1,2,3」を出しているので図書館に行ってみたら、どうやら「ローマ亡き後の地中海世界」を先に読んだほうがよさそうということで借りてきた。

久しぶりに読書に熱中して、もうすぐ上巻を読み終えるところだ。この本のことはそのうち書くかも・・・、書かないかな・・・(^_^;)。

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2017/12/03

イタリア旅行記-22 ピサへ

忙しい秋、と毎年書いているような気がするが、今年も忙しかった。

なんといってもマルタに行ってきたし(^_^;)。

イタリア旅行からもう1年半が過ぎようとしているところで、今更ながらピサの巻をアップします。

2016/6/9 旅行5日目

ホテルにて朝食 雨天、肌寒い。

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バスにてピサへ向かうが、雨。これまで晴天に恵まれたけど、どうなることやら。

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しかし、ピサに着く頃には雨が上がり、斜塔見学時は青空も見えるという幸運に恵まれた。

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バス駐車場からシャトルバスで斜塔に向かう。観光客用の汽車スタイルのバスも走っていた。これはヨーロッパ、あるいは南欧のお決まりなのか、こないだのマルタでも見た。

土産物店、だけど、こういう露店は不法物売り多数だそうで、つまり不法入国してお金を稼いで国元に送金する、出稼ぎ不法労働者らしく、取締がありそうというと、あっという間に消え去るとか。

確かに、どうみてもイタリア人ではなさそうな人達ばかりだ。

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不法やら合法やらの土産物店を横目に見つつ、大聖堂の境内(といっていいのかな)に入る。

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到着と同時みたいに、青空がのぞいて陽が射してきたという幸運。

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地盤が弱いとかで、斜塔に限らず、どの建物も傾いているのだそうだけど、これは写真の画角のせいで傾いて写っているだけ、だと思う。

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斜塔! その向こうが大聖堂、だと思うけど、いずれの建物も外からの見学のみ。

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白亜の大聖堂、緑の芝生にテラコッタの建物は、いかにもイタリアらしい。

マルタでは、どの建物もマルタ産の薄茶色の石灰岩で、統一感があるともいえるけど、単調ともいえ、しばらくその間で囲まれていると圧迫感を感じたりもしたけど、イタリアはやはりカラフルだ。

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斜塔を見上げる。この写真のとおりに左に傾いている。

ということで、ピサ見学終了。

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バスにて次の目的地のヴェローナに向かう、途中に見えた水道橋。ローマ時代かな?

これ以外にも丘の上の城とか教会とか、途中でよくみかけた。まぁ、日本でも城跡とか社寺仏閣をそこらでみかけるようなものかもしれないが。

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といううちに、またしても雨だけど、バス移動中につき、濡れずにすんでよかった(^^)v。

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途中のホテルでランチ:ミネストローネスープに魚料理。

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普段は食事はあんまりアップしないんだけど、割りとこまめに撮っていたので。

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今回のデザートも、お味はよけれど、切り方が実にいい加減というか(^_^;)。

食後、バスに戻ろうとすると、ロビーで中国マフィアのような二人とイタリアマフィア幹部のようなしゃがれ声の老イタリア人が会話していて、かなり恐い。

まるっきりイタリアマフィア映画をそのまま見るような光景だった。

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食事時はやんでいた雨がまた降りだす。

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といううちに、雨は上がる。反対車線は大渋滞。

この日だったか、後方からすごい爆音がしたと思ったら、紺色の車がものすごいスピードで左端の追い越し車線を飛びすぎていった。

ものすごい、というのは日本の高速の話ではないので、たぶん200km/hとかもっと速いとかのレベルの話だ。なんせイタリアの高速道路の制限速度は130km/hで、それをあっという間に追い越していくのだからね。

そういう運転はいわゆる自己責任、なおかつそういう運転をする人はアホな運転はしないモラルのある人、ということらしい。ほんまかどうかはしらんけど(^_^;)。

村上春樹が書いていたように、欧州車を日本で乗る意味って、本当はあんまりないというのがよくわかった瞬間だった。

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途中の風景、こんな田園がずっと続く。

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これは1km先で道路工事中、車線減少、っていうことだね。

というようなことで、ヴェローナを目指します。

-イタリア旅行記-23へ続く-

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