2020/10/30

常設展示室/原田マハ

最近は読書はメモ程度しか書いてなかったけど、珍しく一冊を取り上げてみよう。

「常設展示室/原田マハ」

大人のラノベなんていう人もいる、っていうか僕もそう書いていた原田さんだが、美術に関連するとさすがと感じさせる短編集。まぁ、突っ込んでみたくなるところはなきにしもあらずだけど。

以前に「ジヴェルニーの食卓」を読んだときの感想にも書いたけど、原田さんは短編の方がよいと思う。

それぞれに一枚の絵画を絡めた話になっていて、美術館員とかギャラリー勤めとか美術教授とか、すべて美術に関係している女性が主人公になっている。

・群青(The Color of Life):盲人の食事/ピカソ(美術館サイトの画像と英文リンク)

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NYのメトロポリタン美術館に勤める日本人、徐々に失われる視力、似た境遇の絵画好きの子供との出会い、そしてピカソの絵で締めくくる。

美術館で開かれる子供向けのワークショップでピカソの絵の説明とか子供たちの言葉が出てきて、それに対する主人公の思うところが少々ひっかかった。

描く対象に深く寄り添った画家の心が見えるようだった。ピカソは、恵まれない人をそっくりそのままキャンバスに写し取りたかったわけじゃない。励ましたくて、この絵を描いたのだ。

最後の「励ましたくて・・・」っていうのが、ほんまかいな?っていうのと、なんか小学校の模範解答みたいな~(^_^;)。美術専門家にとやかくいうのもなんだけど、この辺が原田さんらしいのかな?

美術館サイトの英文解説は簡潔すぎてよくわからないが、描かれているパンと壺はキリストの肉と血を表し、キリストの恩寵を表す(現代的な意味合い?)らしい。ピカソ自身の手紙に「左手にパンを持ち右手はワイン差しを取ろうとしていて、彼を見つめる犬を描いた」とあるそうだが、左下にいたその犬は後に塗りつぶされて今の構図になっている。一種の宗教画といえそうだ。

それから、かつての画材専門家として引っかかるのは、タイトルの「群青」だ。

ピカソの青の時代の青はプルシアンブルー、和名は紺青で合成のフェロシアン化鉄、北斎も愛用した青色顔料だが、群青は一般的にはウルトラマリンでアルミやナトリウム、ケイ素、硫黄などを含む合成青色顔料、天然ものはラピスラズリだ。だからピカソの青の時代は群青ではない(一緒に使ったかも知れないがメインではない)。

絵画の専門家であった原田さんがこうしたことを知らないとは思えないので、あくまで創作のタイトルとしたのだろう(小説の中では顔料には一切触れていない)が、知識のない読者はピカソの青の時代を群青、そしてラピスラズリと誤解するだろう。絵画の専門家がそういう誤解を招くタイトルにするのはな~、と思うわけで。

NYは何度も出張で行っているので、メトロポリタン美術館も2回以上は観に行っているが、作品が多すぎて本作品を観たかどうかも覚えてないのが残念。

とまで書いたところで、一冊取り上げてみようといったくせに書き疲れてしまったのと、本の返却期限が来たので、あとはタイトルと題材の絵画を羅列しておこう。それぞれに一般受けしそうな感動物語でありながら、TVドラマみたいな作りすぎも感じさせなくて楽しく面白く読めた(結末がだいたい途中で読めるとか、ストーリー的に突っ込んでみたいところはあったりしたけど)。

・デルフトの眺望(The View of Delft):/デルフトの眺望/フェルメール

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・マドンナ(Madonna):大公の聖母/ラファエル

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・薔薇色の人生(La Vie en Rose):薔薇/ゴッホ

ゴッホの薔薇はいくつかあるが、内容から上野の西洋美術館の常設展の作品だろう。

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・豪奢(Luxe):豪奢/マティス

この絵かどうか、文章となんか合わないんだけど、「豪奢、マティス」で検索するとこの絵ばかりが出てきたので一応。

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同日追加訂正:どうやらこちらの絵が小説内容とあっているが、所蔵はパリのポンピドーセンターではなく、コペンハーゲンのNational Galleryであるらしい。

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・道(La Strada):道/東山魁夷

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最後の話の「道/東山魁夷」は何処かの展覧会で見た気がするけど記憶が曖昧。

話はイタリアの大学で美術教授をしていた主人公(日本人女性)が日本の美術展審査員とし招かれてなんやらかんやらという話で、審査場面があるが、これで思い出したのが、毎年アメリカに出張していた頃に出席していた画材関係の専門家会議の議長さんがアート・バーゼルで審査員をしたという話だ。

アート・バーゼルはスイスのバーゼルで開かれる世界最大級の現代アートフェア(Wiki)だが、フロリダでも開催(Art Basel in Miami Beach)されている。

その議長さんはフロリダのアート・バーゼルでの審査員となったので、大量に出品され展示されている絵画を見て回ったために、目がとても疲れてたまらんという話を専門家会議のメールの中に書いておられたのを思い出した、というだけの話。

小説の主人公は審査には一点に3分あれば十分といっている(普通はもっと長いらしい)。アート・バーゼルに行ったことはないが、会場がやたらと広くて出品数も大量で、ただ見て回るだけでも大変らしいから、審査に3分としてもそれぞれに3分集中していたら目も心身も相当に疲れるだろうということは容易に予想できる話だと思った次第。

アメリカ出張は1987年から1996年まで毎年行っていた。このBlogを始めて間もない頃だったかに何度か旅行記を書いたが、その頃よりもう少し後の話だったと思う。その会議については、Blogを始めてすぐの頃(2004.9.23)に触れている

その議長さんもだいぶ以前にお亡くなりになったし、会社に僕が保管していた当時の記録書類なども退職のさいにすべて廃棄(PCに読み込み登録したものは残っている)したし、みんな過ぎ去っていくのだな。

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2020/05/11

Swing Era & Voyage脱稿、もどき

まだ原稿ができる前にメモで書いてた内容だけど、なんとか〆切までに初稿を書き上げて提出できたので、今さらの投稿になってしまった。

Voyage前号のジャズに対するスペイン等の影響、ダンスとのつながりなんかの続きを並べたり、ダンスによるリズムの違いなどを書きながら、最後にニューヨークのFive Pointsとタップへ行き着く、という筋書きで書こうとしてたんだけど、なかなかまとまらず、またダンスやリズムのことだけでも字数オーバーしてしまいそうで、その辺りでウダウダしてた。

ということで、面倒だ、一気にFive Pointsへ行ってしまえ、で、やっと初稿できあがり、でも2600字くらいでややオーバーだし、まだまだ修正が必要だけど。

結局、一番役に立ったのは「アメリカン・ミュージック再発見/中村とうよう/北沢図書出版」だった。

以下、今さらのメモと、ちょうどリットーミュージックが音楽雑誌4誌の1年分をフリーDL(5/31まで)という太っ腹なサービスしていた中に、なんと申し合わせたようにRhythm & Drums Magazineのブレイキー特集があったので、そこから引用したインタビューの言葉などなど。

Swingについて

Swing/Wikipedia(English)

Swing時代は1930~1940年代

The danceable swing style of big bands and bandleaders such as Benny Goodman was the dominant form of American popular music from 1935 to 1946, known as the swing era.

Roots:1920年代

Swing has its roots in 1920s dance music ensembles which began using new styles of written arrangements, incorporating rhythmic innovations pioneered by Louis Armstrong and Earl Hines.

Five PointsはまさにSex、Dance、Music、Violenceの吹き溜まり。Jazzという言葉はニューオリンズの売春宿と結びついた言葉だったという話があるが、NYでも同じように音楽と売春宿が結びつき、それにTap Dancingが深く関わってショー化していた。

Five Points Gang

Dance:チャールストン、フォックストロット、色々とあってSwing Eraの華形だったようだが、Jazzと一緒に発展したのは同じ即興性のあるTapで、Jazz Tapという言葉もある。

Tap: Swing, Jazz, Tap Dancing

Jazzがより複雑化してBebop、Coolと変化するにつれてTapは衰退するが、ジャズドラマーがTapを踊った-Roy Haynes、Joe Joensなど多数。

At Blakeyの言葉
Rhythm & Drums Magazine 2019年10月号/Rittor Music
インタビュー Modern Drummer 1984年9号(アメリカのドラム専門誌)
それともう1つ、これはいつも聞いて呆れるんだけれど、偉大なジャズ・ミュージシャンの多くが私達が黒人ということで、みんな私達をアフリカと結びつけようとするんだ。でも、私は”アメリカ”の黒人だよ。私達にはアフリカとなんの関係もない。私達の何人かはアフリカ出身かもしれないけれど、アイルランド人だっているわけで、私はいつも混乱させられるんだ。
(中略)
だから私は、今のジャズがなぜこんなに困難な状況にあるのか理解できない。しかもみんなは、黒人だからというところに理由を求めようとする。ジャズはアメリカの音楽で、肌の色なんかまったく関係ないんだ。

雑誌掲載の文をそのまま引用したけど、おかしなところがあるので、原文はないかと検索したらありましたね~(^o^)v。Modern Drummerのサイトに原文が公開されていたので、Voyageには原文を自分で訳して掲載しよう。字数も自由になるし。

Modern Drummer Sept. 1984

“And another thing that’s always goofed me up is that, since so many of the great jazz musicians are black, they try to connect us up to Africa, but I’m an American black man. We ain’t got no connection to Africa I imagine some of my people come from Africa, but there are some Irish people in there, too, so I’m all messed up. The idea of it is that I’m a human being and it don’t make no difference where I come from.  

それからもう一つ、いつも困るのは、偉大なジャズミュージシャンに黒人がとても多いからと、俺たちをアフリカと結びつけようとすることだ。でも俺はアメリカの黒人だ。俺たちにはアフリカとの結びきなんかない。アフリカから来たやつもいるだろうけど、アイルランド出身だっているし、だからすっかり混乱してしまう。自分は人間ということ、出身地で違うなんてことはないんだ。

Art Blakeyは、タカケンさんにいただいたコメントのおかげで原稿に含めることができたんだけど、今回も勝手ながらコメントをそのまま引用させていただいた。Voyage No.4のLa La Landの原稿のときもそのまま勝手に引用させていただいてます。今さらですが、ありがとうございましたー>タカケンさんm(_ _)m。

それからJazz Ageについてフィッツジェラルドの文も引用したけど、これも訳文は長いので使わずに自分で訳したほうがよさそうだ。

Echoes of Jazz Age:

The word jazz in its progress toward respectability has meant first sex, then dancing, then music.
「ジャズという言葉は社会的に立派な言葉として認められるようになったが、その過程において、最初はセックスを意味し、次いでダンス、その後、音楽を意味するようになったのである。」
ジャズエイジのこだま(1931)/フィッツジェラルド作品集3/F.S.Fitzgerald/訳:井上謙治

「ジャズという言葉は社会的な地位を認められるまでの過程において、最初はセックス、次いでダンス、そして音楽を意味するようになった。」(Echoes of Jazz Age/1931、拙訳)

それから以前にリンクしていたやたらとタイトルの長い1873年の文献は画面の下の方へスクロールしたらpdfでDLできた。

The dark side of New York life and its criminal classes : from Fifth Avenue down to the Five Points ; a complete narrative of the mysteries of New York, by Gustav Lening, 1873

少ししか読んでないけど、Dickensが訪れたAlmack(岩波文庫の注では低級なダンスホールとあった)のようなところは、Concert Saloon(P.371)とかDance House(P.386)と呼ばれたが、実態は "Dens of thieves and prostitutes" or "Hot-beds of corruption and infamy"とあるから、「盗人と売春婦の巣窟、あるいは腐敗と汚名の温床」というところだ。1873年の本だから間違いないだろう。

・写真
最近はVoyage記事のタイトルバックに写真を入れてるパターンなので、今回もなにか無いかと思ってたけど、そういえば90年前後から仕事でNYには何度もいってるし、Five PointsのあったというChina Townの写真もあったはずと探したら、ありました!

Five Pointsを通るMulberry Streetの標識が左端に写っている写真があって、ずっと以前にアップ(New York 1991/2007.1.28)もしていたのだった。

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正面の通りがChina Townの真ん中を東西に通るCanal Streetで、それと交差するMulberry Streetを南(写真の右方)へ行くとMulberry Bendという通りがやや曲がるところがあって、それがかつてのFive Pointsの中心らしく、この写真の通りの向こう側(右方)がまさにFive Pointsの北端ということになる。

Five-points

上の地図で赤い星印が写真の場所、斜めに左右に伸びるのがCanal Street、それと交差するのがMulberry Streetで、それを下の方へ降りた赤丸がMulberry Bendだ。

当時はCanal Streetに商品を販売してくれているチェーン店の本店があって何度も行ったし、確かMulberry Streetを上がってLittle Italyを歩いたこともあるけど、Canal Streetより南だと一気に南端のBattery Parkには行ったことはあるが、Five Pointsに該当する辺りには入ってないと思う。

というところで、しかしアイルランドも行ったんだよな~、Irish Danceショーも見に行って写真もあるし~。そっちをタイトルバックにしたほうが見栄えもいいかも?

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これはダブリンで夜に行ったCeltic Nightsのショーだ。で、この写真に差し替えることにした。この方が内容にあってるしインパクトもあるしね。

そうそう、タイトルはFacebookでたまたまフレンドさんがシェアしていた、ダイアナ・クラールの歌う"Let's Face the Music and Dance"という曲の題名がぴったりでいいかと、拝借した。

ところが検索してみたら、なんとこれはタップの名手Fred AstairにGinger Rogersが主演した1936年映画"Follow the Fleet"の挿入歌で、Irving Berlin作曲だったので、まさにぴったりだったんだ(原稿にはそんな説明はいれないけど)。

 

ダイアナ・クラールはそれほど好きなわけではないけど、これはいいですね。

こちらは本家。

Let's face the musicというのは昔のステージでのイディオムらしい(解説はこちら)。

前回まではタイトルが決まったらわりとスラスラと書けたんだけど、残念ながら今回はそうはいかず、かなりウダウダしてしまった。

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2020/01/16

忙しいかも、の年始

年始というにはもう遅いのかもしれないが、色々と忙しい、といいつつ相変わらずグダグダしているという。

今年はなにもないと書いてたとはいえ、Voyageの原稿は3月までに書かないといけないし、2月初にある東播ジャズ倶楽部の懇親会に若手メンバーさんから、「50~60年代のジャズの話はよく聞くけど70年代があまりわからないんで、そのお話を」というテーマがあったんで、それならと手を挙げたのだ、って僕だけじゃないけどね。

かける音楽の持ち時間は各自15分X3名程度で雑談的にお話をということで、持ってるCDをみたんだけど、これが意外とないのだ。

あるのはGary Burton、あるいはVib関連が大半なのと、LPは持っててもCDでは買い直してないとか未発売とかもあるし。

学生だった当時としては買えるLPの枚数は限られるから、欲しい(あるいは衝動買い、あるいはジャケ買い)と思う以外、概ねジャズ喫茶でリアルタイム新譜を聴いてたんですな、とはいえ何を聴いていたか記憶が~~(^_^;)。

MilesのBitches Brew以後とかRTFやWRは手垢のついた話題だしね~。

ということで、まずはこちら。

 

1970年録音、1971年発売、僕が最初に買ったBurtonのLPだったと思う。最初に買ったVibのLPは、Milt JacksonのBags and Traneだったけどね。

この演奏については赤松さんが実に的確な評を書かれているので、参考になります。たぶんパクってしゃべくりそう(^_^;)。

最初にヴァイブ&ピアノでデュオの兆しを感じたアルバム 

ついで、持ってる中で流行ってたのが、Freddie HubertのFirst Lightだ。これも1970年録音らしい。

 

このLPはなんで買ったんかな?おまけにCDも買い直してるんだけど、今聴くと持っておきたい!ってほどじゃないんだな。でも流行ってたから話題にはいいかな・・・、流行ってたといってもあくまで僕の周囲での話だけど。

これでもう15分持ち時間超えてしまうんで、First Lightは途中でカットしなきゃ。

最後になるだろう演奏が、Larry Carlton。

 

これは1977年録音、78年発売みたい。78年は就職した年だ。もうこの頃になるとジャズ・ロックとかクロスオーバーじゃなくてフュージョンといってたんじゃないかしらん(あくまで日本語としてのフュージョンだけど)。

結婚前の家内とデートで、大阪厚生年金会館まで聴きに行ったのは79年だったのかな?当時はもうステージ機材が大型化していて、東京方面からくる機材を積んだトラックが名神の渋滞で遅れます、ってアナウンスがあって1時間くらい遅れたんじゃなかったかな~、という思い出のRoom 335だ。

というところで、今年は演奏出演はなにもないはずの年初のはずが、つい先日、急な話だけど2月11日にジャズコンサートをするので出演してくれないかという打診が、よく練習に使っている加古川のブラウアー音楽練習場からきた。

1ヶ月くらいしかないんだけど、去年の9月にたかさご万灯祭、明石ロビーコンサートと続けてたんで、そのときのサックス、ベース、僕の3人、レパートリーもその中から考えることにした。そして前回に参加していただいたピアニストさんではなく、今回は以前に高槻ジャズストでご一緒したドラマーさんが参加してくださることになった。セッションホストやライブ経験豊富な方だから、しっかりしたリズムが入ってかなり安心だと思う。

しかし僕らがトップバッターであとはプロが控えてるコンサートだから、まぁ、前座ですな。

持ち時間も20分だけだし、On Green Dolphin Street、Girl From Ipanema、Crystal Silence、Take The A Trainというところでちょうどかなってところで、来週から2~3回は合わせの練習予定、それに先立って先週末は明石での隔月セッションに参加してGreen DolphinとA Trainをやってきた。

だけど、ホストのピアノさんから「A Trainはコテコテ、バリバリの演奏になりやすいけど、Takiさんが弾くと上品な室内楽みたいになるね」っていわれてしまった(^_^;)。確かに室内楽的な練習ばかりしてるからな~、喜ぶべきか悲しむべきか~。

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写真の赤い服の背中は女性ヴォーカル、手前の背中はテナー・サックスで、このセッションはホストにドラムがいないのでドラム実践参加にいいんだけど、まだとてもそこまでの自信はない。去年11月参加のときに1曲だけ、枯れ葉で叩いたけど、今回はついつい気後れしてしなかった。

最後にもひとつの行事は昨日のこと、JAの懸賞で家内が和歌山日帰りバスツアー無料ご招待に当選して、僕はご優待価格でついていったのだ。

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行き先は、まずお決まりのツアー客限定宝石ショップ、これは格安や懸賞旅行にはほぼ必ずついてくるが、まぁ、販売員を相手にせずに売り場を抜ければ出口前にお安い土産物屋と待合室があるのがお決まりで、そこへさっさといって本でも読んでおればよろしいのです。

観光は道成寺と和歌山マリーナシティーだ。

道成寺といえば安珍清姫伝説、1300年の歴史ある、威風堂々とした見事なお寺で、特に3重の塔が素晴らしかった。天気もよくて暖かで、でも冬だからか観光客はほとんど僕たちだけだったけどね。

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マリーナシティーは火曜は閉館日ということで、併設の黒潮市場とか土産物関係とポルトヨーロッパという欧風の古い建物再現を外から眺めるだけ、ではなく僕らは併設の黒潮温泉でゆっくりと湯につかってホカホカで帰路についたのでありました。

ポルトヨーロッパのほとんどの建物は外側(要するにカキワリ)だけで、中には入れないらしく、路上イベントとか遊園地、インスタ映えが目玉らしいです。

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2019/12/31

大晦日に

なにか書こうと思ったものの、さて(^_^;)。

 

正月休みになったから、色々と音楽練習をしようと思っていたけど、今年は家内も息子も僕と同じ仕事納めでみな家にいるもんだから、気分的なもんだけど、ついついダラダラとしてなんにもしてない。

休み初日の一昨日はドラムやらVibをそれなりに練習したものの、昨日は爆買いした本のひとつ、「乙嫁語り」を一巻から読み直して日が暮れて、今日は買物についていったり・・・、しかしおかげで今年は家内が年賀状デザインを早めに描いたので、今日は自分の年賀状は全部印刷して出してきた(会社関係は昨日のうちに安直なデザインで出してしまった)、といっても大した枚数じゃないけど。

で、上の演奏はタールという中近東あたりの楽器で、これはひょうたん型の胴だけど、同族楽器で琵琶が小さくなったようなのがセタールといって、乙嫁語りの中でもセタールを弾いている場面があった、というのは後述。

で、セタールで安いのは2万円台からあるみたいで~~、と、また楽器増やしてどないすんねんってとこだな。

乙嫁語りを読みながら聴いていたのが、これもまとめ買いの一つのCDブック「IBN BATTUTA」で、この辺はFBに投稿したから重複だけど、下の写真は爆買した本に図書館で借りた本も加えて写した。

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手前の4冊がまとめ買い分でFBにアップしたときはこれに「スペイン音楽のたのしみ」というのも加えてた。

上の5冊は図書館で借りた本で、黄色と黄緑の表紙の「黄色い雨/フリオ・リャマサーレス」はもう読み終えて、ドラムの本2冊は参考程度で拾い読み、右端の西洋音楽史の本は以前に借りて読んでいるのをまた借りたんで、あとは黄色い雨の左にある「アンデスのリトゥーマ/マリオ・バルガス・リョサ」だけだが、買った本も読みかけたりで、返却期限までに読めるかどうか?

リャマサーレスは詩人でもあるということで、全編が詩的な描写で一貫しているが、1970年代に廃村になった実在の村を舞台に、そこに一人残された男と村の、死に至る孤独な過程を延々と描いている。途中で少々疲れてしまったが、日帰りバスツアーなどでたまに山中に孤立した集落を通ったりしたときのことが思い起こされた。

というところでもうすぐ今年も終わりなんで、FBと重複しますがさっさと終えねば。

IBN BATUTTAは14世紀のモロッコ人で、30年あまりをかけて北アフリカ、西アフリカ、東ヨーロッパ、中東、南アジア、中央アジア、東南アジア、中国を旅して旅行記を残した人(Wikipedia)で、CDは旅行記からの抜粋の朗読と、彼が旅した土地の音楽を順に演奏している。

曲集には「Improvisation」というのが多くあるが、少し前に読んだフルートの本ではヨーロッパでもバロック以前は即興演奏が普通だとか、インド音楽も即興が多いと記憶するし、ジャズのImprovisationも、もっと古いころからの伝統みたいなところから来てるんじゃないかと思うこの頃だ。

このセタール演奏のタイトルもImprovisationとなっているし。

「乙嫁語り」は最新第12巻。1年に1巻くらいのペースでしか出ないので、これまでの話をまた読み直したのは昨日の話。

セタールを弾いている場面がネットにあったんで拝借。画像はこちらの紹介記事から。

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数年前から読みだしたコミックで、主舞台は19世紀の中央アジアの地方都市、新婚夫婦と家族や遊牧民、カスピ海の近く、ロシアの南下なんて話が出てくる。

FBには「カザフスタンとかウズベキスタン、トルクメニスタンとか、よくわからんけど、」と書いたけど、12巻にトルキスタンという地域名が出てきて、それは上記に加えてキルギス、タジキスタンも含む地域のようだ。

若きイギリス人の探検家が新婚のいる家庭に同居して調査をしていてそれがまた違った彩りを添えているが、今は彼が一旦は戻るということでペルシャを経てオスマン帝国のカラチまで旅をして、その間に出会う色んな人が出てきて、しかし今のうちに調査をしなければ激動の時代に消えてしまうものが多すぎると、また中央アジアへ戻るという、いくつかの物語が平行して描かれている。ストーリーも面白いが、絵の描写力、描き込みの緻密さが素晴らしい。上の絵でもわかるが、衣装とか動物とか、一コマ一コマが図鑑を見ているようだし、実に活き活きと描かれている。遊牧民の騎馬隊と街の戦闘場面があるが、そこらのバトル漫画なんかとは比べ物にならないくらいに躍動感とスピード感、現実性を帯びていて実際の戦闘シーンを見ているようだ。

ついでながら、主人公たちが草原を旅しながら即興で詩を読んだり歌を歌ったりという場面もあり、ここでも伝統的に即興というのは珍しいことではないのがわかる。そういうのは河内音頭でもあるとか、キューバの音楽にもあるというのはたかけんさんが旅行記で書かれていてたような。

 -以下はFBそのまんまコピペ-

一方で去年からジャズの歴史をウダウダとみていうるうちに、北米から西インド諸島、中南米を経てスペインにいたり、スペイン文化にはイスラム世界が大いに影響したと知って中近東に至った(気分の話)。

まったく関係ないコミックとジャズが頭の中で別々の方角から中近東にやってきて、今はSavallのIBN BATTUTAを聴きながら「乙嫁語り」を読み直しているのが、なんともおかしい。

あとは、塩野七生描くカトリック・サイドの歴史物語をいっぱい読んだのでイスラム・サイドの本はないかと探して買った古本と、スペイン音楽の本がないかと探してこれしか見つからなかった本(は上に写真にない)、それからなんとなくのフィッツジェラルド/村上春樹訳。

さて、では恒例の除夜の鐘つきに出かけましょうか。

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2019/10/17

ベトナム観光旅行へ

またまたいきなりですが、この日曜日からベトナム観光旅行に行ってきます(^^)v。

5日間、といっても最終日は深夜発~早朝帰国なので、実質は3日半だけ。

明日、明後日は休みをとっているのでこれから準備、といっても暑い国へ行くので着替えもたいしたことないし、持っていくものってあんまりないので、スーツケースがガラガラだな。

東南アジアの常として水事情は悪いので、ペットボトルの水をたくさん詰め込んでいく、といっても500mlを1ダース入れるとしても正味は6リットル、空間をみても10リットルもないだろうから、まだまだだ。なにをいれようか?

今までの旅行でも、チェックリストをエクセルシートで作っているので、それにベトナム観光リストを加えてチェックだ。

10月のベトナムは暑いといっても、2017年3月に行ったカンボジアより暑いということはなさそうだから、その時の服装なんかを参考にすればよいかと思う。

カンボジアでは意外と薄着じゃなくて、Tシャツに長袖シャツか夏用ジャケット、帽子という出で立ちだった。日焼けするし、バスや建物内は冷房がきいてるからね。

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これはカンボジアのコーケー遺跡、マヤのピラミッドのような形をしているのが他の遺跡とずいぶんと違っていてよかった。

超有名なアンコールワットやベンメリアも悪くないけど、僕が気に入ったのはこのコーケー遺跡と以前に写真をアップしたバコン遺跡(写真下)で、とても印象深く覚えている。

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日程:
10/20 10:30関空発~13:45ホーチミン着
    ホーチミン観光、ホーチミン泊
10/21 ホーチミン観光、午後~夜はオプショナルツアー
    メコン川クルーズ~水上人形劇鑑賞、ホーチミン泊
10/22 ホーチミン~ハノイへ空路移動
    ハロン湾移動、ハロン湾泊
10/23 ハロン湾クルーズ、ハノイ移動
    ハノイ観光後、空港へ
10/24 0:20ハノイ発~6:40関空着

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ということであります。赤い印がハロン湾。

カンボジアの写真を見直していたら、色々と思い出してきて、楽しくなってきたぞ(^^)。

そういえばベトナム航空でホーチミン空港経由でシュムリアップまで行ったのだから、それより近いわけだし、帰路はハノイ発だからもっと近いわけだから、4月に行ったスペイン旅行なんかと比べればずいぶんと楽なわけだね。

とはいえ、まだ雨季というのが気になるけど、そろそろ終わりと期待したい。

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2019/06/20

イタリア旅行記-33 Arrideverci, Italia!

2016年6月11日 最終章 その2

とうとうイタリア旅行も終わり、旅行記もほんとの最終章です。

ヴェネツィアの早朝風景をどうぞ。

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ホテルの部屋の窓から夜明けをみる。

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これも窓からスカルツィ橋をみたところ。

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朝食前に近所を歩いてみる。兵どもの夢の跡とでもいうか、カーニバルの朝とでもいうか、なんとも気怠い雰囲気がよい。

 

カモメがいたけど、なんとも図々しいというかなんというか(^_^;)。

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人通りもほとんどない。

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運河に戻ってみるとなんともいえない朝の情景は、やっぱりヴェネツィアだ。

どれを選ぼうかと写真をみても、どれも捨てがたいのでYouTubeでアルバムにしてみた。

BGMは最初は映画「旅情」のテーマとか考えてたんだけど、音源がDLできない。なんかないかと思ってたら、そうそう、Fabio Concatoのベスト盤を持ってたんだ。

ということで、BGMはDomenica Bestiale、英語ならWild Sundayとでもいうのかな?

 

「旅情」よりもずっとモダンでいい感じになった(^^)。

編集もなにもなしで撮影順に並べただけ、ただしカモメの写っている写真はまとめました。

PCの全画面表示で高解像度でお楽しみくだされば。

 

こちらはデジカメの動画だけど、Winのムービーメーカーで編集したら空が荒くなってしまったのが残念。

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ホテルに戻っての朝食はビュッフェ、なかなかと豪華でした。

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いよいよヴェネツィアとお別れ。

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ヴェネツィア空港まではバスと思いきや、ワゴン車に分乗だった。ま、それも悪くないかも。

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ヴェネツィア空港到着。

昔来たときはここからローマ空港に戻って、南回りバンコク経由だったから、それはそれは長い帰路だった。

今回はルフトハンザなのでフランクフルト経由北回り、これも短くはないけど普通のコースかな。

後日訂正:ルフトハンザはシベリア上空経由でした。今は日本からヨーロッパ直行はたいていがシベリア上空を通るらしい。昔は北回りというとヨーロッパから北極圏を渡ってアンカレッジで給油し、太平洋を渡って日本というルートだった。たぶんその頃はソ連や中国上空を通れなかったからだろうと思うけど、1980年のJALのヨーロッパ新婚旅行パックの成田~ローマ便はモスクワ経由でかなり楽な行程だった。1981~82年のイタリア(JALでクリスマスに離日し、ヴェネツィアで新年)は、バンコクとカルカッタ経由の南回りで、カルカッタでは機内待機という、ほぼ24時間かかる長くてしんどい旅程だった。

航路についてはこちらに解説があった。

ヨーロッパ航空路

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左に見える尾翼はアリタリア航空だ。1980年の新婚旅行のときはローマからジュネーブに飛んだのがアリタリアだったので懐かしい。

Arrideverci, Venezia!
 Arrideverci, Italia!!

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フランクフルトにてトランジット、軽食をば。

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こんなん食べたんだ、全然覚えてないけど(^_^;)。

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飛行機待ちでベンチで寝ている人。

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ということで、無事に帰国したのでした。

帰国したのが2016年6月12日だから、ちょうど今の時期だったんだ。

なんと3年かかったイタリア旅行記もこれで終了でございます。長い間、お付き合いいただいた方々、どうもありがとうございましたm(_ _)m。

~おしまい~

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2019/06/18

イタリア旅行記-32 ヴェネツィア-最後の夜

2016年6月10日 その8 最終章 その1

最終章その1って、おわりやないんかい(^_^;)。

写真を見直したら、まだ水上バスに乗ってホテルに着いて、夕食、夜歩き、翌朝の出発前までのフリータイムと残ってたので、もう少し。

ヴェネツィアの交通機関は、徒歩か水上バスかゴンドラしかない。だからホテルへは水上バスで。

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海上から見たサンマルコ広場鐘楼。こうしてみるとまさに海に浮かぶ水の都だ。

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あとはどういう建物か調べてないけど、ドゥカーレ宮殿前から海上をサンタルチア駅までストビューをたどればおそらくはわかるだろう、してないけど。

この丸屋根の建物はなんとなく記憶にあるので、34年前にこのあたりをうろついたんじゃないかと思う。

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どの建物も水面ぎりぎりだ。

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これは住宅かな?、しらんけど。

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ということで、サンタルチア駅前の船着き場到着。ホテルまで裏道のようなところを通ったらパーティーが開かれていた。

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パーティーのど真ん中を通過、こんなところを通ってもいいのかなと思っても添乗員さんがどんどん行くんでついていく。

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正面の丸屋根は、サン・シメオン・ピッコロ教会(Chiesa de San Simeon Piccolo)。

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教会の前を行き過ぎたところにあるスカルツィ橋(Ponte degli Scalzi)の袂に今晩のホテルがある。

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Hotel BELLINI、入り口やロビーは小さいがかなり高級なホテルかも。

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最終日の3人部屋はなんとメゾネットタイプ、部屋の中に2階がある。

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チェックイン後はホテルを出て、近くのレストランIL VAGONEにて夕食(ボケて汚そうな写真しかなかったけど、普通のレストラン)。もう夜の8時頃だったが、まだ明るい。

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前菜のスパゲティはイカスミだったんだけど、以前に食べたときに酔ったようになったことがあったんで、ミートソースに変えてもらった。でもせっかくヴェネツィアに来たんだから本場のイカスミを食べればよかったと少々後悔。

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シーフードのメインデュッシュ、魚はなんだったか覚えていない、というか聞いてもわからんけど。

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デザートはアイスクリームでござい。

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レストランを出ると流石に暗くなっていた。ホテル周囲をちょっと散策。

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スカルツィ橋からホテル側を見る。

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橋の上からみた運河。左岸にはたくさんのテーブルに灯りがついて、この写真でみるよりもっと賑やかで騒がしかった。みんな夜遅くまで食べておしゃべりして、なんてしているんだろうな。

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夜のゴンドラ。さすがに営業はしてなさそう。

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そしてイタリア最後の夜、ヴェネツィアの夜は更けてゆく。

-イタリア旅行記-33 最終章その2に続く-

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イタリア旅行記-31 ヴェネツィア-サンマルコ広場

2016年6月10日 その7

ゴンドラ周遊後はサンマルコ広場に向かう。

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船着き場でゴンドラの発着を段取りしたり(女性の)下船を手伝ったりしていた、「海の都の男」だね。

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まぁ、とにかく華麗、華やか、雅やか、麗しい、典雅、美しい、きれい・・・、語彙が続かないけど、どこも絵になる。

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船着き場からドゥカーレ宮殿を通って広場へ。とにかくカモメと鳩が多い。

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宮殿の廊下、その向こうにサンマルコ広場。

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鐘楼が見えたら、もう広場だ。

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海から帰ってくる船乗りたちを迎えるのが、2つの塔の上にある、獅子とイルカ、だったかな、塩野七生の本で散々読んだのにもう忘れてしまってるが、エジプトから奪ってきたものだったと思う。

左下に小さいけれど土産物売の仮面が見える。有名なヴェネツィア・カーニバルは2~3月。

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正面の工事用足場に囲まれているのがサンマルコ寺院。昔来たときも板張りで囲われていた。イタリアは年柄年中、修復していてもまったく追いつかない遺産だらけ。

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サンマルコ寺院の正面。前回はこの正面が覆われていたので、今回が初めての拝謁。いろんな文化が混合している感じだが、やはり地中海を通じてイスラム世界と交易していた面影が強く感じられる、でしょ?

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橋の上から運河を見るのもなかなかと優雅な眺めだが、橋を渡った先はヴェネツイアン・グラスのショールーム。お決まりのお買い物タイムだ。今回のヴェネツィア観光で中まで入ったのはこのショールームだけ。

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ガラス細工のデモンストレーション。前回は本島ではなく、ムラーノ島の工場まで行ってかなりお高いグラスとボトルのセットを買ったが、未だに棚に飾ったままで一度も使ったことはない。

もちろん前回来たときはガイドさんの通訳だったんだけど、それから34年、流暢な日本語を話す店員さんがユーモアを交えながら解説してくれた。「34年前に来て買ったんだよ」って(日本語で)いったら、「あ~、僕はまだ生まれてないですね~」っていわれてしまった。隔世の感だよね。

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誠に華麗なショールーム。

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ショッピング後はしばらくフリータイムなので、まだショーケースを見ている家内を残して息子と二人で広場に戻る。

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広場ではバンド演奏をしていたので、それを2つアップしておこう。

 

撮影中に息子が話しかけてきたんであとの方にその声が入っているのはご愛嬌(^_^;)。だからこの画像は限定公開にした。曲は聞いたことがあるような、ないような・・・、いずれにしろタンゴだね。

PCの全画面表示でみていただくとより雰囲気がわかると思います(以前はBlog画面から全画面表示ができなかったけど、今は映像右下の切り替えボタンで切り替わるようです)。

バンドの前の椅子に座っている年配のカップルがいかにもヨーロッパらしくてなんともいい感じだ。こんな風に夫婦でのんびりできるのはいいねぇ、って僕ら夫婦も今はそれに近いけどね。2:20あたりで二人で自撮りする姿がサイコー(^^)。

 

続いての曲がイパネマの娘だったのもご愛嬌、これは以前にFBでアップしたことがある。

椅子に座っている年配夫婦とともに、グルっと回って鐘楼の下で若いカップルが踊りながらキスしている姿も今昔を同時にみたようで素敵だ。

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広場のカフェで息子のおごりでティラミスをいただいた。当たり前だけどおいしかった。

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といううちに、家内から電話がかかってきた。待ち合わせ時間を間違って覚えていて遅刻だ!って怒られてしまって、あわてて待ち合わせの鐘楼前に。

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これでイタリア観光はほぼ終わり。今宵のホテルへ向かう。ホテルは最初の到着地のサンタルチア駅近くなので、来たときの船着き場まで戻って船で行く。

ドゥカーレ宮殿からゴンドラ乗り場へ通じる橋(Ponte della Baglia、バリャ橋)でアコーディオンを弾く女性がいたが、ゆっくり聴いているヒマはない、遅刻しちゃったしね。

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ゴンドラ乗り場前にある、エマニュエル2世像。イタリア観光ではVittorio Emanuele IIの名を頻繁に聞くのはイタリア建国の父だからだ。興味のある方は例によってWikiをどうぞ。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレともこれでお別れ。

34年前は2泊3日のフリータイムだったので、家内と二人で霧と雨模様の冬のヴェネツィアを散々歩き回った。リアルト橋とかなんとかかんとか、いっぱい見たけど今は記憶の彼方。

今回はゴンドラの運河周遊にサンマルコ広場、そしてこれから行くホテル近辺のみだけど、でもやっぱりヴェネツィアですよ!

-イタリア旅行記-31:最終章へ続く-

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2019/06/17

イタリア旅行記-30 ヴェネツィア-ゴンドラ周遊

2016年6月10日 その6

ヴェネツィアに到着した最初の観光は、サンマルコ広場近くの船着き場からゴンドラにて運河周遊。

昔に来たときは、2泊3日フリータイムだったのでゴンドラに乗ってもよかったんだけど、天気がすぐれないし個人で乗ると結構高かったので横目で見ていただけだったけど、今回はツアーに組み込まれているので、大いに期待。以下、写真の羅列です。

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船着き場から対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレを臨む。

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ゴンドラだ!

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近くのゴンドラ乗り場まで歩くが、どこを見ても街並みが美しい。

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ゴンドラ乗り場に到着。

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順番待ち。写してないけど、さすがイタリア男、女性には手を差し伸べ実に愛想よくやさしいが、男は、まぁ、勝手に乗りたまえ、みたいな(^_^;)。

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ゴンドラ周遊開始!

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海から見る景色も素敵だ。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレはどこからでも見えるようだ。

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サンマルコ広場にあるドゥカーレ宮殿が見えてきた。かつての議事堂、議員やドージェたちがヴェネツィアを統治した象徴の建物だ。

昔来たときはこの宮殿に入ったが、冬の雨の日だったのでなんだか暗いイメージだったのが、逆に印象深く残っている。

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ドゥカーレ宮殿の裏手から運河に入る。手前の運河入り口の橋の向こうにため息橋が見える。

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ため息橋の下を抜ける。この橋についてはWikiをどうぞ。

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船から見上げる観光客に橋から見下ろす観光客、その間に無口でニヒルなゴンドリエーレ(船頭)。

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水面に映る空と建物が美しい。

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運河縁のアベックはくつろいでいるのか、歩き疲れたのか。

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幾艘ものゴンドラと並んだりすれ違ったり。

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どこをどう通ったのかはわからないけど、ストビューでみたらわかるかも?

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古(いにしえ)の街、老朽化が目立つところもある。

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テラコッタの建物に紺碧の空、縞模様のゴンドリエーレ、たゆたう運河の水面。

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ゴンドラから見上げた空。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレが見えてきたら、ゴンドラ周遊も終わり。

ひたすらキョロキョロ、写真バシバシのお上りさんまるだしなゴンドラ周遊でありました。

-イタリア旅行記-31に続く-

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2019/06/16

イタリア旅行記-29 いざ、ヴェネツィアへ

2016年6月10日 その5

ミラノを出発してバスでヴェネツィアへ。だからまだ日付は6月10日のまま。

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高速道路から見えた、ORIO CENTER、検索してみたらベルガモにある巨大ショッピングセンターらしい。

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道中風景、こんな建物があちこちに当たり前のように見える。

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右へ行けば前日に訪れたヴェローナ、直進すればヴェネツィア・・・いざ、ヴェネツィアへ。

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ヴェネツィアには橋-Via della Liberta-を渡らないと入れない。いよいよ見えてきた。

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波止場到着、ここでバス、そして運転手のマリアーノさんとはお別れして、改めて海からサンマルコ広場に向かう。

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サンタルチア駅近くの波止場(たぶん)から船に。

向こうの方に大型客船が見えるけど、つい最近、事故があって話題になってたね。地元では大型客船のヴェネツィアへの入港に反対する人が多かったんだったかな。

クルーズ船が小型船に衝突(CNN)

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小さな島がいくつもあった。

海から出ている杭は航路の目印で、それ以外のところは浅いところが多いらしい。

敵が攻めてきたときはこれを抜いてしまって航路をわからなくすると、敵船は浅瀬で座礁してしまい、身動きが取れなくなったところを一気に襲う、というようなことが塩野七生の「海の都の物語」に書いてあったと思う。

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サンマルコ広場の鐘楼が見えてきた、と思ったけど、これは対岸の島にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼だった。

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ヴェネツィアは海から入るのがよいといわれているそうだ。実感はそのとおりだけど、いい写真が撮れてなかったのが残念。ゆれたからな~。

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サンマルコ広場近くの船着場に到着。

何年ぶりだろう、前回に来たのは1982年だから34年ぶりだ。

新婚のときに来た雨と霧に包まれた冬のヴェネツィアも素敵だったが、やっぱり青空はいいね。

このBlogで1982年のときのことを書いたのも2007年だからもう12年前だ。

Venezia, 1982

A Foggy Day in Venezia '82

Il Calal Grande

-イタリア旅行記-30に続く-

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