2018/03/02

高槻ジャズスト決定? そだね~

高槻ジャズストリートに出演する、というとなかなかとすごいことのように以前は思ってたけど、実はそうでもないようだ。

音楽審査がもちろんあるんだけどその基準はかなりゆるいようで、昨年出演しようといって送った音源も決していい出来ではないけど審査は合格していたのだ。

音源審査の最低基準はとにかくリズムが崩れないことみたいな話だったかな。

むしろ厳しいのは競争率の高さみたいで、要するにくじ運があるかどうかみたいなのが高槻ジャズストのハードルみたいだね。

実際はどうなのか知らないけど、応募が膨大になればボランティア頼りの運営ですべての音源をじっくり審査するなんてのは無理なので、聴いてみてリズムが崩れずにそれなりに聴けるバンドは合格にして、あとは抽選でふるい落とすということなのかと思う。

ただ、応募も場所&時間枠希望なので、枠ごとの競争率にかなり差は出るだろう。

今年の状況を見ると、応募数もすごいけど、出演枠もすごい数が用意されていて相当な規模だから、これを運営するってのは大変なことなのは確かだ。

第一次 応募数1109件 演奏枠決定389件 不備による無効3件

第二次 応募数918件 演奏枠決定197件 不備による無効14件

第三次 応募数457件 演奏枠決定48件 不備による無効3件

ジャズストリートというのはストリート演奏や屋外ステージの無料イベントみたいなのが僕の持っているイメージだった。

高砂万灯祭にしろ高槻にしろ屋内会場もあるとはいえ、概ねそんな感じだし、他の地域でやってるのもそんなものみたいだけど、元祖は神戸ジャズストリートだそうだ。

で、神戸ジャズストリートはそういうのではなくて、三宮から北野に至る北野坂(通称)という通りにジャズライブを聴かせるお店が並んでいたので、そこをジャズストリートと名付け、そのお店が提携して、共通鑑賞券を買えば何処のお店でもジャズが聴けるというイベントを企画したのが、ジャズストリートの始まりだ、というのを一昨年に神戸ジャズストリートに行って初めて知った(会場の一つでの司会者が創設当時から関わった人で、そう説明されていた)。

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それより以前のアメリカにおけるストリートとジャズの話は神戸ジャズストリートのHPの説明に譲るが、要するに日本でのジャズストの始まりは無料イベントではないし、ましてやアマチュアの屋外演奏でもなかったわけだ。

もちろん、今は神戸ジャズストでも屋外演奏もあるようだ(僕は見ていない)が、それはパレードのようなものらしくてレベルも高いのだろうと思う。

それに比べると、これから出演させてもらおうというイベントにどうこういうのは失礼ではあるけど、高槻ジャズストは以前に二度行った経験でいえば、演奏は玉石混交、演奏は素晴らしいのに音響は最悪なんてのがザラにあって、一部のきちんとした会場やハウスを除いては、じっくりとジャズを聴くというイベントとはとてもいえない(きちんとした会場は大御所なんかの出演で有料だけどね)。

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それでも多くの人が来るが、それは以前にも書いたかもしれないけど、本当にジャズが好きで聴きに来るというよりは、お祭り騒ぎを楽しむということじゃないかと思う。(写真は2015年の高槻ジャズストに行ったときの様子)

出演者が多く、会場もそこらじゅうにあってどれがどれだかわけが分からないようなのも、まぁ、お祭りと思えばそんなものかな。

それと、それなりの演奏ができる人ならくじ運次第で出演機会が得られるいうのも、それはそれでいいのかもしれない。

こちらに今年の出演バンド一覧があって相当な数だけど、まだ「一部」と書いてるね、まだあるんだな?

で、ヴァイブトリオで出演が決まってしまったのだな(^_^;)。ひとえに応募してくれたベーシスさんのくじ運といえる。

応募した会場は駅前中心のメイン会場ではなくて、ずっと北の方、住宅地が切れてそこからはもう山になるという、駅からは相当に離れたところにある摂津峡Saal(ザール)という音楽スタジオ&カフェで、だから閑静なところで音響はとてもよいそうだし、まわりに何もないから車でそこまでたどりつけば楽器搬入も簡単そうだ。お祭り騒ぎからも離れているしね。

まぁ~、どうなるかわからんけど、この年齢でこういう機会がそうそうあるとも思えないので、チャレンジだね(^o^)v。

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2018/01/04

Star Wars 亡き後の地中海世界

前回に書いたとおり「Star Wars/最後のジェダイ」を見てきた。

まぁ、それなりに楽しんだけど、なんかめんどくさい話やな~、というか色んなことがツギハギで尻切れトンボで、ちょうど長い原作をあちこち切り貼りして映画化したみたいな、でもそういう原作があるわけでもないみたいな~。

ルーカスのStar Warsは、ルーカスの描く世界観があって、その上に構築された映画としてのストーリーがあったと思うけど、今のStar Warsは「船頭多くして船山に登る」みたい(ちょっと違うか)で、もう一つまとまりなく話が進んでいくという感が否めなかった。

またどの登場人物も今ひとつ存在感が薄くて脇役ばかりで作った映画という感じで、それはそれでいいんだけど、印象が散漫になる原因でもあるかと思う。ルーカス版では、主役、脇役ともにそれぞれが存在感があったんだけどね。

Reyヒロインのレイも今ひとつで、ルーク~ヨーダのときの描写と比べると、あんまり訓練を受けてるとか成長してるという感じがしなくて、自分で勝手に空回りしているうちになんとかなった、みたいな。

まだ悩めるカイロ・レンの方が存在感はあったかな。でもこれも悩めるアナキン~ダース・ベイダーの焼き直しといえばその通りで、どっちも面倒くさいやつというのも一緒だ。

最高指導者スノークなんて、最高権力者というわりにはシスと比べれば全然底が浅い小物というか、ほんまに作り物にしか見えなかった。

まぁ、一昨年も書いたけど、スペース・オペラなんだから、あんまり考えずに楽しめばよいんだけど、ちょうどバローズの火星シリーズとかハワードの英雄コナンシリーズでも、原作者が亡くなったあとに別の作者が引き継いで書いたものは今ひとつ面白みに欠けたのと同じ道を歩まざるを得ないというところかな。

で、やっと「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)/塩野七生」を読み終えた。

下巻ではマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)がスペインのカルロス王からマルタを与えられて(実質はイスラム最前線に配置された)から、イスラムの攻撃を辛くも撃退したあたりまでわりと詳しく描かれいて(マルタ攻防記)、また今のマルタとの違いや共通点も若干ながら書かれていてとても面白かった。

中世~ルネサンス以後までの、キリストとイスラム、そしてイタリア海洋国家やヨーロッパ覇権国家の海軍と、オスマントルコにトルコ海軍、サラセン海賊との千年以上にわたる複雑な抗争を読んでいる最中だったので、スターウォーズも本来は単純ではないところを単純化しようとしたような、でもルーカス世界のようにはすっきりとしなくて中途半端感が残ってしまったかも・・・、ってなんかわかったようなわからない話だけど、事実は小説より奇なりというところか。

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これはマルタ本島北側のゴゾ島中央の町ヴィクトリアにあるチタデル要塞。

といっても地中海世界について書こうとすると、もう読んだ内容もぼやけてきているし、考えるには時間がかかりすぎるし、今日は冬休み最後の日なので、これでお終い(^_^;)。

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2017/12/29

マルタ考-2 Torre Saracena

マルタ考-2 中世の海賊

「ローマ亡き後の地中海世界(上)/塩野七生」に次のような文がある。

サラセンの海賊の脅威にささされつづける沿海の住民たちにとって、希望はどこにもない。彼らができた自衛の手段は、広く海を見渡せる地を選んで塔を立て、海賊の襲来を一刻でも早く見つけ、住民たちに逃げる時間を少しでも多く与えることだけであった。これらの塔は「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)と呼ばれた。

地中海沿岸とか、イタリア内陸部でもそうだけど、町がやたらと峻険なところにあったり、道路が狭くて入り組んでいるのは、サラセン(イスラム教徒)が海賊行為を聖戦(異教徒征伐)としてイタリアからフランス沿岸を中世全般を通して荒らし回ったために、住居を極力近寄りがたいところに移すとともに、戦のあるところはどこでも同じだけど、敵が簡単に侵入できないように道路を狭く見通し悪くしたこと、そしてそれをその後も変えなかったということのようだ。

「暗黒の」、と形容される中世は1000年くらいあるが、地中海沿岸は北アフリカのサラセン(イスラム)海賊が跋扈して略奪、拉致(奴隷)を繰り返して荒らしまわった時代でもあり、イタリア沿岸の住人、とくに下層階級の庶民にとっては本当に暗黒の時代だったとある。

そして当然ながら、イスラム化されていなかった時代のマルタ島にも数多くの塔が作られたことは容易に推察できる。

というより、エルサレムから追い出された聖ヨハネ騎士団がキプロス、ロードスなどを経て流れ流れてたどり着いたのがマルタ島であり、対イスラムの拠点となったわけだから、見張りの塔があるのは当然だ。

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これはゴゾ島の海岸近くにあった塔だが、マルタ観光ではこのような塔をいくつも見かけた。

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これは息子が滞在していたSt. Paul's Bayにあった塔。壁面がきれいなのはこちらの面が修復されたかららしく、反対側はまだ凸凹の崩れた痕があった。

去年行ったアマルフィも、本の中では海賊に荒らされた地域であり、またイタリアで最初の海洋都市国家でもあったと紹介されている。そういえばアマルフィも、なんでこんなところに住んでいるんだろうというくらいに峻険な断崖絶壁に街があった。

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ならば、サラセンの塔らしきものが写っていないかと見直したら、ちゃんと写っていた。

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これではわかりにくいけど、海に張り出している小さな半島の上に見張りの塔がある。

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ズームでも撮ってあった。

Wikiの「中世」には、ゲルマン民族の大移動とかノルマン人による征服などという書き方はあるが、サラセンによる地中海制覇の影響については書かれていない。

僕のイタリア旅行記-10(ナポリ帰還)では、11または12世紀にはノルマン人に征服されたと書いていたが、本では、当時の地中海、あるいはイタリアにとってはサラセンから国を守るために、彼らの援助を乞うた結果という書き方がされている。

ナポリの巻で紹介した卵城も本ではサラセンの塔の一つとして写真が掲載されていた。

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この本が出版されたのは2008年だから、著者は現在のイスラム過激化(原理主義者)を意識せざるを得なかったんではないかという気がする。

イタリア、カトリック贔屓という面もあるだろうけど、サラセンはのことはあまりよくは書いていなくて、1000年ほども続く中世の時代、ひたすらイタリアを荒らしまわり、略奪と拉致を繰り返したことが強調されている。

まだ下巻をやっと読みだしたところだし、ローマ教皇にイタリア各国、ビザンチン、現在のドイツやフランス、スペイン、北アフリカのイスラム勢力などなど、様々な勢力が入り乱れた時代な上に、残る資料も少ないらしいから、あくまで本を読んだ感想でありますが、塩野七生の本にからめて、マルタ旅行もちょっとだけ紹介できたからよかったかな。

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これは首都ヴァレッタの裏道。

狭い坂道は神戸の裏道を思い出してなんとも身近に感じたんだけど、同じことを村上春樹もギリシャの港町で感じたと「遠い太鼓」の中で書いている。

それからシチリア滞在時にはマルタに旅行したことも書いてあった。

すぐ近くだから行って当然ですわね。

この考は面白いから、また気が向いたら書くかも・・・、どうかな(^_^;)。

蛇足1:本では、トッレ・サラチェーノ(Torre Saraceno)と書いてあるんだけど、検索してみたら、Torre Saracenaとしかでてこない。Torreは女性名詞だから、Saracenoは間違いということになる。

一方で、Torre del Saracenoというのは出てくる。

英語でいえば、Saracenic TowerとTower of the Saracenの違いだが、塩野さんが間違えるとも思えないしな~。中世では違ったのか、それとも日本語では、サラチェーナよりもサラチェーノの方が馴染むと考えたんだろうか?

蛇足2:Wikiによるとマルタ騎士団は今でも存続しているんだそうで、ちょっとびっくり。

蛇足3:海賊を表す欧米語には2種類ある。英語ならpirateとcorsair。

pirateはいわゆる海賊で、簡単にいえば私利私欲で動く犯罪者と同じだが、corairは公的な裏付けを持つ。

サラセン海賊はイスラムの教えに従って異教徒(ここではキリスト教徒)を襲う。時代によってはオスマントルコの後ろ盾を持っていた。だから、キリスト教徒がイスラムに改宗すれば襲わないし、奴隷にもしない。

一方で、聖ヨハネ騎士団もキリストの教えに従いイスラム側に海賊行為を働いていた。

ということが「ローマ亡き後の地中海世界」に書いてあった。

日本ではcorairにあたる海賊がなかったようで、だからそれに相当する語がないということで、どちらも海賊と訳される、らしいです。

今のイスラム原理主義者も、彼らにしてみるとCorsairということなのだろうが、それは中世から今に続く長い因縁があるのだね。

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2017/12/24

マルタ考-1 マルタ語

今日は本当はイタリア旅行記の続き-ヴェローナの巻を書くつもりで写真を整理していたんだけど、途中でちょっと引っかかっていたマルタ~クレタに寄り道したのが、そのままBlogネタになってしまった。

で、も一つ気になっていたことがマルタ語なんで、これもついでに。

Facebookで旅行最終日に写真をアップしたとき、たかけんさんから、現地の人達の言葉はなにかとコメントをいただいて、マルタ語と英語で、マルタ語はラテン系にアラブ系が混ざったような言葉らしいなんて適当な返事をしてしまったんだけど、実際にはアラビア系にラテン系が混ざったという方が正しいようだ。

ゴゾ島観光で道路工事で通行止めになっているところにバスが突き当たった時、運転手とそこにいた工事の人が、なんやかや(たぶん、どないなってんねん、こっちは通れるんか、なんて話だと思う)話していた言葉は、ラテン系というよりはエミレーツ航空の機内で聞いたアラブ系の言葉に近かった。その時以外はほとんど英語しか聞く機会がなかったけど。

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で、今読んでいる「ローマ亡き後の地中海世界/塩野七生」でそのあたりの背景が何となくわかる。

5世紀に西ローマが滅び、東ローマも衰退していく7世紀にはイスラム勢力が地中海の制海権を握るようになって、9世紀にはシチリアが征服されるから、この頃にはマルタも完全にイスラム圏に入っていたのだろう(本にはマルタのことは書いていないが)。

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その後、南イタリア勢やローマ法王が11世紀にノルマン人の助けを借りてシチリアを奪い返すまでの200年以上はイスラム支配下にあったわけだ。

そして面白いのは、その200年間、シチリアのイスラム支配者はキリスト教徒に対しては、税金をとるとか身分を低くしておくという政策で、無理に改宗させることをしなかったので、キリスト教徒も存続していたこと、そしてその後にシチリアを統治したノルマンの王ルッジェロもすでに住み着いていたイスラム社会とは融和的な政策をとったので、イスラム文化も継続していたことだ。

マルタは十字軍で有名であるにも拘らず、言語はアラビア系だというのも納得できる、というか、まぁ、あの辺りの人達はいろんな言語が同時に使われることが日常的な歴史を持っているということなんだろうな。

というようなことを考えてみたけど、このYouTubeの映像でもっと詳しく解説されていた。

文法的にはアラビア語であるけれど、語彙はアラビア語が1/3、1/2がイタリアあるいはシチリア、残りの大半はフランスと英語から入った言語という、相当に複合的な言語ということだ。

映像は英語で、英語の字幕もあるし、設定で「翻訳→日本語」にすれば、変な日本語でわかりにくいけど大まかには理解できるので、興味のある人はどうぞ。

んで、こちらはマルタ語でインタビューしているらしい(たまに英語が入る)映像だけど、このコメント欄には、サウジアラビアやモロッコの人が「70%くらいは言ってることがわかる」と書いてる。でも上の映像によると、チュニジア辺りは相当にイタリア語が入り込んでいると解説している。その辺はローマ帝国の名残なのかどうかはしらんけど。

カトリックの地で話される言葉がアラブ系というのは、僕には(日本人といってもいいかも)かなり驚きだけど、歴史的に見ればそういうことなんだろうな。

一方で、街中の看板などは見た限りではすべてが英語で、観光客相手は英語が普通に使われているから、生まれたときからバイリンガルなんだね~。スーパーの店員さんも当たり前のように英語で対応してくれたし。

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これは滞在したホテル近くの繁華街、St. Julianの入口あたり、歓楽街というべきところかな。看板はみな英語。

でも、まぁ今の日本をみれば、英語の看板というのも珍しくなくて、それを大方の人は理解しているわけだから、日本も、というか世界的にも今は大なり小なりそういう傾向はあるといえそうな。

-後半に続く

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クリスマスイブには、加納マルタ

今日はクリスマスイブ、とはいえ、中堅ケーキ屋のパート勤めで家内は大忙しの時期。

だから僕は家で一人ゴロゴロと相変わらず妄想にふける一日・・・。

先月はマルタ旅行に行ってきたけど、マルタといえばクレタ、マルタ&クレタといえば、村上春樹の、なんだっけ、なんかあったな?

・・・って、もう忘れてしまっていたのでネット検索したら、短編集のTVピープルに「加納クレタ」というタイトルで収録されているのと、「ねじまき鳥クロニクル」にも登場するのだった。

TVピープルは図書館に寄贈してしまったのだったが、ネットであらすじを読んでちょっと思い出したかも・・・、いやあんまり覚えてないな(^_^;)。図書館で借りてまた読んでみよう、自分の本だったんだけど。

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これはクレタ島の真上を飛んでいるときの機内ディスプレイ。今は各座席にディスプレイがあって映画も好きなように見れて、昔に比べるとずいぶんと快適ですね。

で、加納クレタの姉が加納マルタで水を使う占い師であり、Wikiの「ねじまき鳥クロニクル」には次のような説明がある。

マルタ島で修行をしていた経験があり、彼の地における水との相性が良かったために「マルタ」を名乗るようになった。

Wikiのマルタを見れば書いてあるけど、マルタ島には淡水がほとんどなくて、飲料水(ミネラルウォーターのことだろうね)はイタリアから輸入しているそうだ。

加納マルタとマルタの水の関係、ちょっと不自然な・・・、まぁ、水が全然ないわけではないだろうから、その貴重な水との出会いがあったのかも・・・、ひょっとしたら小説に書いてあったのかな?

ただし今は海水の淡水化プラントができたので、水道水は淡水化海水だ(ややこしいですね)。

だから少し塩味が残っていると聞いてたけど、確かにわずかながらに塩味がした。僕はあんまり気にならなかったけどね。

ちなみにプラントには東レの逆浸透膜を使ってるそうだ。

マルタは平地がほとんどない傾斜の多い島で、雨が降ることが少ない上に、降ると地中に浸透する前に道路を流れて海に流出してしまうとガイドさんが説明していた。

川がない島だけど、大雨が降ると道路が川になるとか。

僕が行ってたときも、どっと雨が降ると道路がすぐに水びたしになっていた、といってもバスの中だったので眺めていただけだけどね。

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これはマルタ本島の北側にあるゴゾ島観光のときの写真だけど、概ねこんな坂道が続く。

こちらに、マルタ在住の方がマルタの水事情について書いておられました。

マルタのお水事情

ということで、「TVピープル」は今度借りることにして、今借りているのが「遠い太鼓(村上春樹/ギリシャ、イタリア、クレタなどの滞在記)」と、塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界(上、下)」だ。

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マルタといえばマルタ騎士団だし、首都のヴァレッタでは騎士団の宮殿見学なんかしたことから十字軍に興味を持って・・・、というとすぐに頭に浮かぶのは塩野七生だ。

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これは首都ヴァレッタの典型的地中海的マルタ風景。

ヴァレッタという都市名も、聖ヨハネ騎士団(のちにマルタ騎士団)の団長ヴァレットにちなんでいる。

検索してみると塩野七生は「十字軍物語-1,2,3」を出しているので図書館に行ってみたら、どうやら「ローマ亡き後の地中海世界」を先に読んだほうがよさそうということで借りてきた。

久しぶりに読書に熱中して、もうすぐ上巻を読み終えるところだ。この本のことはそのうち書くかも・・・、書かないかな・・・(^_^;)。

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2017/12/03

イタリア旅行記-22 ピサへ

忙しい秋、と毎年書いているような気がするが、今年も忙しかった。

なんといってもマルタに行ってきたし(^_^;)。

イタリア旅行からもう1年半が過ぎようとしているところで、今更ながらピサの巻をアップします。

2016/6/9 旅行5日目

ホテルにて朝食 雨天、肌寒い。

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バスにてピサへ向かうが、雨。これまで晴天に恵まれたけど、どうなることやら。

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しかし、ピサに着く頃には雨が上がり、斜塔見学時は青空も見えるという幸運に恵まれた。

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バス駐車場からシャトルバスで斜塔に向かう。観光客用の汽車スタイルのバスも走っていた。これはヨーロッパ、あるいは南欧のお決まりなのか、こないだのマルタでも見た。

土産物店、だけど、こういう露店は不法物売り多数だそうで、つまり不法入国してお金を稼いで国元に送金する、出稼ぎ不法労働者らしく、取締がありそうというと、あっという間に消え去るとか。

確かに、どうみてもイタリア人ではなさそうな人達ばかりだ。

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不法やら合法やらの土産物店を横目に見つつ、大聖堂の境内(といっていいのかな)に入る。

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到着と同時みたいに、青空がのぞいて陽が射してきたという幸運。

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地盤が弱いとかで、斜塔に限らず、どの建物も傾いているのだそうだけど、これは写真の画角のせいで傾いて写っているだけ、だと思う。

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斜塔! その向こうが大聖堂、だと思うけど、いずれの建物も外からの見学のみ。

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白亜の大聖堂、緑の芝生にテラコッタの建物は、いかにもイタリアらしい。

マルタでは、どの建物もマルタ産の薄茶色の石灰岩で、統一感があるともいえるけど、単調ともいえ、しばらくその間で囲まれていると圧迫感を感じたりもしたけど、イタリアはやはりカラフルだ。

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斜塔を見上げる。この写真のとおりに左に傾いている。

ということで、ピサ見学終了。

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バスにて次の目的地のヴェローナに向かう、途中に見えた水道橋。ローマ時代かな?

これ以外にも丘の上の城とか教会とか、途中でよくみかけた。まぁ、日本でも城跡とか社寺仏閣をそこらでみかけるようなものかもしれないが。

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といううちに、またしても雨だけど、バス移動中につき、濡れずにすんでよかった(^^)v。

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途中のホテルでランチ:ミネストローネスープに魚料理。

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普段は食事はあんまりアップしないんだけど、割りとこまめに撮っていたので。

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今回のデザートも、お味はよけれど、切り方が実にいい加減というか(^_^;)。

食後、バスに戻ろうとすると、ロビーで中国マフィアのような二人とイタリアマフィア幹部のようなしゃがれ声の老イタリア人が会話していて、かなり恐い。

まるっきりイタリアマフィア映画をそのまま見るような光景だった。

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食事時はやんでいた雨がまた降りだす。

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といううちに、雨は上がる。反対車線は大渋滞。

この日だったか、後方からすごい爆音がしたと思ったら、紺色の車がものすごいスピードで左端の追い越し車線を飛びすぎていった。

ものすごい、というのは日本の高速の話ではないので、たぶん200km/hとかもっと速いとかのレベルの話だ。なんせイタリアの高速道路の制限速度は130km/hで、それをあっという間に追い越していくのだからね。

そういう運転はいわゆる自己責任、なおかつそういう運転をする人はアホな運転はしないモラルのある人、ということらしい。ほんまかどうかはしらんけど(^_^;)。

村上春樹が書いていたように、欧州車を日本で乗る意味って、本当はあんまりないというのがよくわかった瞬間だった。

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途中の風景、こんな田園がずっと続く。

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これは1km先で道路工事中、車線減少、っていうことだね。

というようなことで、ヴェローナを目指します。

-イタリア旅行記-23へ続く-

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2017/11/15

マルタへ

9月末の投稿で書いたとおり、今は息子が英語研修でマルタにいる。

ということで、今日から夫婦そろって息子に会いにマルタに行ってまいります・・・、といっても個人旅行ではなくマルタ滞在型、添乗員付きのパック旅行ですが。

しばらく更新してなかったらいきなり今日からマルタ・・・(^_^;)

いきなり今日というところだけど、関空発のエミレーツ航空は夜の11時過ぎ発なので家を出るのは夕方の5時過ぎだ。

ほぼ準備は整っているけど、去年のイタリア旅行や3月のカンボジア旅行に比べると息子がいないせいか準備が遅くなってしまい、こまごましたところが抜けてしまっていた。

息子が一緒のときは彼が早々に準備を始めるし、色々聞いたり調べたりするのでこちらもその気になって準備万端という気になってたんだけど、夫婦2人だけだとダラダラしてしまって、結局、昨日は会社を休んでやっと本格的に準備をしたところだ。

まぁ、のんびりしていてもギリギリでも休んだりできるところが嘱託契約社員のいいところかもしれないが、逆に現役だったころの海外出張ではもっと緊張感をもってきっちりしてたような(^_^;)。

ということで、イタリア旅行記も終わらない内にカンボジアにいって、その旅行記なんか影も形もないのに、今度は息子に会いにマルタに行ってまいります。

息子もこの25日にはワーホリ目的地のアイルランドに旅立つので、来年は暖かくなったらアイルランドに行こうと、気の早い話もあったりしてね。

今はホンマに便利で、FBメッセンジャーでマルタにいる息子とネット接続だけでTV電話で会話ができる。Skypeでもできるはずだけど、何故かウチのPCやタブレットはうまくつながらなかった。下の写真は息子が滞在しているSt. Paul's Bayで、彼が写した写真を勝手に拝借した。

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息子からのマルタ情報
・マルタに猫はいない。
TVで猫の島として紹介されてたんだけど、実際にはほとんどみかけないそうだ。
犬は飼っている人が多いのでよくみるとのこと。
猫のいるところがあるのかもしれないけど、マルタ観光局サイトにも会えるかどうかは運次第と書いてあるから、それほどいるわけではなさそう。
まぁ、TVがいかに情報操作しているかという一つの証でしょうかね。それはある意味、恐いですが。

・マルタのバスはきまぐれで、運転が荒い。
運転が荒っぽいので必ずバス酔いするから、酔い止めが必要といわれた。 バスに乗るときは表通りの広いところで待たないと、裏通りとかあまり人のいないところのバス停は人が待っていても平気で通過していくか、あるいはいくら待っても来ない。
そういう国だそうで(^_^;)。

では、行ってまいります。

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2017/10/07

ELF Music Fes. & 万灯祭その後

もう過ぎてしまった話だけど、万灯祭はどうなった、という話など。

9月、台風18号が日本列島に来襲した。

ちょうど高砂万灯祭の日程にモロに直撃だったので、祭りは11月に延期となった。

延期決定は万灯祭前日のことだが、おかげで日程ガチンコだった奈良のEast Lucky Field Music Festivalに行くことが出来た。

といっても何のことかわからないだろうけど、1年あまり前に閉店した加古川のスカーレットの小鳥さんのマスターとおカミさんが、どういう経緯だか奈良の山奥の奥に移り住んで1年あまり、その奥山でジャズフェスティバルを開くという話。

お客はいざ知らず(客を選ぶ店だったから)、出演していた多くのミュージシャンの間では人気のお店だったので、そのマスターの企画ならとかけつけたミュージシャンは数知れず、っていうほどではないし、中には仕方なく来た人もいたかもしれないけど、とにかく素晴らしい演奏で楽しかった。

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East Lucky Field、日本語にすると、東吉野、だそうで(^_^;)。

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加古川駅前から、チャーターバスで奈良の山奥まで。これは途中の高速サービスエリアのトイレ休憩時の写真。

加古川の店だったから加古川辺りから客を呼ぼうということでバスをチャーターしたようだ。

本当は中型くらいの予定だったらしいけど、バスがこれしか空いてなかったというバス会社の都合で、40人乗りバスに合計13人だったかな。本当はもっと集める予定だったのかと思うが、温泉があったりするので、車で行って泊まりの人もいたから、出演者も含めてこの人数。1人2席でもかなり余る。

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バスで揺られて3時間くらいで着いたんかしらん。ほんまの山奥でした。どこにあるかっていうと、東吉野ふるさと村。

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あの狭い山道を大型バスが通っていったんだから、さすがにプロの運転手は違いますな。

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いくつものユニットの出演があったけど、一番はトロンボーンのトミーさん率いるJelly Bean's Factoryだった。それぞれの演奏者の技量もさることながら、やっぱり日頃からバンドとして活動しているので、全体としての音のまとまりが厚く、迫り方が全然違っていた。

これは当日ではなくて、京都でのライブ音源。

トミーさんは、2013年、初めて高砂万灯祭に出た時に共演していただいたのだが、なんせ僕は何十年というブランクの後のステージだったので、演奏はすべてトミーさんに取り仕切っていただいたのだった。トミーさんは覚えておられないと思うけどね。

というわけで、万灯祭が延期になってちょっと気が抜けて、そしてプロの素晴らしい演奏を聴いてしまった後では、なんだか自分たちの演奏なんてなぁという今日このごろ。

そうはいっても11月3日は高砂万灯祭。

お盆から直前まで週一のペースで加古川の貸しスタジオ(第三セクターだから安い)で練習をしてきたんで、またこれから集まって練習するのもダレると思い、直前に一回、音合わせするだけにして、後は個人練習ということにしている、っていうのは、一応リーダーになっている僕が決めたのだ。

僕個人としては、この頃はスティックレッスンの成果が現れてきたようで、マレットのコントロールが以前よりずっと繊細にできるようになった・・・、まぁ、あくまで当社比の話だけど。

以前から、プロの人から楽器と仲良くなるっていう話を聞いてたけど、確かに以前よりはヴィブラフォンとの距離が縮まって仲良くなってきた気がする。

それとキャスターを交換して、楽器の高さを下げたのも効いているかな。

こうなってくると、やっぱり生楽器の音は代えがたいわけで、ますますMalletKATを使う気力がな~~~。

とはいえ、万灯祭前の練習ではギターやドラムマシン、楽譜、シールドなどの荷物があったので、最初と最後以外はヴィブラフォンじゃなくて、手軽なMalletKATを持っていったのだけどね。

ボチボチと練習です。

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2017/07/20

イタリア旅行記-21 フィレンツェ-2 美術館

フィレンツェ-2:アップミス訂正版です。シニョーリア広場からウフィツィ美術館で美術鑑賞の後、ダンテ像をみて、免税店、レストラン、そして最後にミケランジェロ広場からフィレンツェ市街を全貌する行程。

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左がヴェッキオ宮殿、右がロッジア、その間を入って左手へ行くと美術館がある。

駅を降りてしばらくは陽が射したりしたけど、広場へ行く間にどんどんと空模様が怪しくなり、美術館へ入って少ししたら雷雨で、ほんまに間一髪だった。ガイドさんが、雨が降り出すとどこからともなく傘売りが現れるといっていたが、本当に現れたのでびっくり、その写真は撮ってないけど。

館内見学は ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロ、その他、その他、その他・・・有名絵画彫刻多数、多数、多数・・・、とにかく見て回る。

画像が多すぎるので、スライドショーを作り直した。以前に作ったのはBGMとスライドを同期させるという機能を知らなかったので、切り替わりが早すぎたけど、今回はBGMも変えて(前回はイタリア音楽だったけど、これはイギリスのルネサンス期音楽)、音楽に合わせるというムービーメーカーの機能を使ってみた。

有名な作品ばかりなんで改めての説明は省略、というか忘れたのも多いので。

館外の景色をいくつか入れているのを見るとおわかりの通り、外は雨だった。

フルスクリーンのHDで見ていただきたいところだけど、このcocologではフルスクリーン機能が削除されてしまうので、できればYouTubeサイトに飛んで再生していただければと思います。

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そして、美術館を出る頃には雨が上がっていたけど、気温が急降下して肌寒いくらいだった。

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ロッジアでは、このベンヴェヌート・チェッリーニの「メデューサの頭を掲げるペルセウス」像が有名だ。

 

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ダビデ像は複製で本物は別に専用建物で展示されており、そちらは新婚時代に来た時に見学している。30年以上経っても全然変わらない風景。

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と思ったら、広場の中央に現代アートの金色の亀が展示されていた。かなり不釣り合いな気がするけど、たぶん一時的な展示なんだろうと思う。

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誰かの像、有名な人っていうか、前回にコジモ一世像って書いてたんだ。

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ネプチューンの噴水。この噴水を回って次の目的地、ダンテ像のあるサンタ・クローチェ聖堂に向かう

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狭いけど、こんな通りばかり。ネプチューンを回ってコンディ通りに入る。

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コンティ通りはそのままボルゴ・ディ・グレーチという通りになる、その変わり目のところ。途中の建物も何かいわくありげなものばかり。

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狭いボルゴ・ディ・グレーチを抜けると、サンタ・クローチェ広場、そしてサンタ・クローチェ聖堂が見える。

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前回はこの中にも入って、そのときにはダンテの墓がこれだというのを見て写真も撮ってあるんだけど、実際にはここには墓はなくて像があるだけだそうだ。

ダンテはフィレンツェから永久追放されてラヴェンナに落ち着いたらしい、というようなことがこちらに書いてあった。

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聖堂とダンテ像。

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その後、サン・ジュゼッペ通りの免税店にて家内と息子はバッグ購入。

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免税店のトイレは便座なし。ヨーロッパは意外とこんなもんで、潔癖症の日本人にはなかなかと手強いかも。この画面では読めないけど、「大変つまりやすいので、備え付けの紙以外は絶対に使わないようにお願い申し上げます。」と書いてある。

水に全然溶けないタイプのティッシュを使っている国もあると知ったのは、今年のカンボジア旅行の時のことだった。

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近くのレストランで夕食、パスタは微妙味だとみなさんの評価だったのは覚えている。

盛り付けは、これまた皿ごとにバラバラでいい加減。前に座ってたおじさんが少ないと抗議しにいったら、何事もなかったかのように山盛りに盛られたという大雑把さ。

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これはチキンだったかな、たぶん、見た目そんな感じだから、たぶん、覚えてないな~。

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デザートのプリン、何となくいい加減ぽい形は相変わらず。

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途中で明らかにアメリカ人とわかる団体が入ってきた。中高校生くらいかな。

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食後はバスの待つ大通りまでまた歩き。途中にこんな聖母の絵があるのは、日本で言えばお地蔵さんみたいな感覚なのかな?

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整然とならぶ路上駐車の最後尾は、またまたスマート。これ以外にもみたよ。

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ちょっと広いと両脇に路上駐車。サン・ジュゼッペ通りはそのままマルコンティ通りとなる。

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壁がボロボロと剥がれたまんまというのが珍しかった。ちょっとわかりにくいけど、中央の窓からおばさんが下を眺めていて、その下にイタリア国旗と何かの旗が掲げられている。

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マルコンティ通りを抜けるとピアーヴェ広場、っていうほどの広場でもなかったけど。

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そしてピアーヴェ広場からアルノ川沿いのゼッカ・ヴェッキア通りに行き着くとそのでバスが待っていた。天気は曇天だけど歩いている間は雨には合わずで、まったくラッキー。

以上の通りの名前はストビューでわかった話だけど、まぁ、便利だね。

フィレンツェからは、また最初の運転手マリアーノさんが運転するバス(もともとフィレンツェのバスだそうだ)で移動。

ローマ観光からナポリまではマリアーノさんだったが、ナポリ2日目は別のバスでポンペイ観光をする間にマリアーノさんが荷物を積んでフィレンツェに向かっていたのだった。

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最後にミケランジェロ広場にて市街を一望する。

この広場は新婚時代にも来たけど、そのときはすでに薄暗くなっていてよく見えなかったのと、時間がなくてすぐに出発だったけど、今回はまだ明るいうちにゆっくりと見ることが出来てよかった。

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フィレンツェというとこの景色が有名だと思うけど、これがミケランジェロ広場から見た、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

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手前の屋根のある橋がポンテ・ヴェッキオ、ポンテは橋、ヴェッキオは古いという意味だったと思う。前回来たときは、この橋近くでショッピングしたと思う。

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なつかしのミケランジェロ広場だ。

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ここにもダビデ像のレプリカがあるが、これはブロンズ像だ。

そして郊外にあるホテルに向かう。

ホテルはもとシェラトンだったけど、買収されたとのことで名前が違っていた。でもタオルなんかはシェラトンのロゴ入りのままだった。

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部屋にあったテレビはブラウン管だったのにびっくり。ブラウン管ハイビジョンなんだろう。

ということで、フィレンツェの夜は更ける。

-イタリア旅行記-22へ続く-

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2017/07/02

散髪で悩んだのは一昨年の話

散髪に行ってきた。たぶん、2~3ヶ月に一回くらい。

梅雨になってからずっと爽やかな気候だったけど、このところ雨がどっと降って昨日から急に蒸し暑くなったので、髪の毛がうっとおしかったからすっきりした。

いつも行く散髪屋。

Tikano_2 ここは年配のご主人が建物右側で散髪屋、奥さんが左側で美容院をしている、たぶんずっと昔からある地元の散髪屋で、お客がほとんどいたことがないので待たずに済む。写真はストビューからとった散髪屋さん。

以前は安いけど休日はやたらとお客が多くて待ち時間が長く、予約券を配るくらいに繁盛していたところへ行っていたけど、とにかく時間が読めないので、すいている今の散髪屋に行くようになった。

それと同居していた義父が何故かこの散髪屋がお気に入りで、車で送っていったりしているうちに一緒に散髪するようになったという経緯もあるかな。

そうこういう内に、その安くて繁盛していた散髪屋はなぜか数年前に店じまいしてしまって今はないが、そこはマスターがいて、後は若い理容師が何人か、それもよく入れ替わっていたから、たぶん専門学校を卒業して資格を取ったばかりの若い人を雇っては入れ替えしてたんじゃないかと思う。だからそれほど上手ではなかったように思う、よくわからんけど。

マスターはそんな年でもないと思うが、なぜ店じまいしたのかはわからない。

で、今行っている散髪屋さん、一昨年の今頃、ご主人が入院して半年位だったか閉まっていたので、その間は困った。

最初は近所のホームセンターやら家電量販店やらなんやらの複合施設にある1000円で散髪のみというところに行ったんだけど、これは安いだけあって全然駄目だった。少し伸びてきたらずいぶんと違和感があったので、もう一度やり直しに行って、でもこりゃ駄目だというので、別のちょっと小洒落た理容院に行ったら、なんやかや話しかけてきて、乗っていった車のこと(シエンタ発売直後で珍しかった)やら家庭のことやら根掘り葉掘り聞いてくるし、聞いてもいないのに自分のことを話すし、それに全然安くないし、なおかつ勝手にちょっとおしゃれにまとめましたとかいって、ヘンテコにとんがったようなヘアスタイルにされたんで、こりゃダメだった。外にでて車に乗った途端に頭グシャグシャにしてごまかしたのだ。

といううちにいつもの散髪屋さん、病気が治ったようで再開したので、やれやれだ。

ここのご主人は椅子に座ると「いつもの通りですね」というだけで、あとは必要なこと以外はしゃべらない。

たまに先客がいて、その人が話好きだと適当に相手してるから、相手に合わせてるんだな。だから、とても気が楽だ。

腕が特にいいわけではないように思っていたけど、他の慣れないところに行ってみると、それなりにきちんとしてくれてるんだなと改めて感じた。

まぁ、慣れたところがいいですね。

で、何がいいたかっていうと、この散髪屋さんもいつまで続くのかな~、かかりつけだった内科医院は代替わりしたけど、ここはそういう人がいそうな気配はないし。

と、悩みはつきないかも。

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